夢幻の塔 − 6(叫ぶのを何度我慢するのだろうか)

 

 もうすっかり日も落ちた頃、シキミとジークはカフェという異世界から帰還した。


 一歩境界を跨げば、また雑音の渦巻く見慣れた景色。人がいれば騒々しくなるのは、ここも異世界むこうも変わらぬらしい。

 路地を抜け、大通りに出れば、目にも賑やかな電飾たちが星とばかりに頭上を覆っていた。

 道行く人は光に目を奪われ、こちらには見向きもしない。


「これなら人も、そう寄ってきませんね」

「そうでしょうとも。──しかし、やたらとイケメン……というのも考え物ですね」

「俺にはどうしようもありませんからねぇ……」

「よっっっっく存じております」


 まだ明るいうちに視認していた東京タワーらしき建造物は、夜になって一層華やかにその姿を変えていた。

 まるでドレスでも着たかのように、色鮮やかに彩られた背の高い建造物は、遠目から見てもよく目立つ。


 そちらに向かっていれば、まあいつかは辿り着くだろう。


 デートスポットなのか、男女のペアがよく通る。

 広い道を沿うように続く並木には、巻き付くように電飾が取り付けられていて、夜の闇の中で木々の形があらわになっているのが、なんだか可笑おかしい。


 一組の男女が横を通り抜けていった瞬間、あ、と声がした。


 思わずそちらを振り返れば、ぱちり、ぱちりと消えて行く電飾の光。

 その木々の影、薄ぼんやりと照らされた場所に、シキミは見慣れぬ小さな影を見た。


 否、見慣れぬが、心当たりはある……というべきか。


「ジ……ジークさん……あれ」

「ドリミュアですね……いたずら好きな魔物です」


 いわゆる悪戯妖精ですよとこともなげに言ってのけるジークに、シキミはどっと力が抜けるのを感じた。


 また異世界ファンタジーだ。


 目を凝らして見てみれば、何の力を使ってか配線を切っている小さな人影がぼんやりと見える。


「あの糸が切れると光が消える仕組みなんですね」

「そうですね……なんでこんなところに……」

「どうしますか?」

「どうにかできるんですか?」


 あんなものが世間に露見した日には、オカルト界隈が大騒ぎだろう。

 異世界人私たちについてきたのか、それともここはまた別の異世界なのか。なんにせよ、小さな騒ぎにはなっている。

 なに? どうしたの? という声は、消える光と共に徐々に広がっていた。


「捕まえます」

「捕まえる」

「はい」


 何でもない、それは至極当たり前のことのように。黒いコートのポケットから、おもむろに取り出されたそこそこ大きな鳥籠に、シキミは大いに目を剥いた。


「いや、エッ………!?!??」

「ありました」

「いやありましたじゃないですよなんてモン出してるんですか!?」

「捕獲用の鳥籠です」

「大きさ考えて常識の範囲内で行動してほしいッ!」


 持っていてくださいね、と手渡されたそれは、何でできているのやらずしりと重い。

 光が消え、さっきよりもいっそう暗くなった夜闇──というにはまだ他の照明に照らされて明るいのだが──の中を、黒いコートがひるがえる。


 地を蹴り、加速したと思えば彼の長い髪も見えなくなった。

 人々の漏らす言葉はイルミネーションのことばかり。無音の中行われているであろう捕獲作戦など、知る由もないのだ。

 かくいう私も、ジークの姿などあっという間に見失ってしまった。


「────籠の入り口を開けてもらえますか?」

「ッひい!?」


 いい薬の素材になりますから生け捕りです、と小さな生き物を右手に掴んだ男は、シキミの背後に悠然と立っていた。

 他人の心臓をおもんぱからないことに長けているとしか言いようのない行為は、シキミのか弱い心臓を縮み上がらせるのには十分だ。


 しかしながら、はくはくと口を戦慄わななかせるだけで、素直に籠の扉をあけてみせたシキミとは下僕根性の染み付いた悲しき姿。


 籠の中に投げ入れられた"ドリミュア"とやらは、二対四枚のはねを激しく動かしながら外へ出ようと、扉に取り付いて四苦八苦している。

 ゴブリンに羽が生えたような見た目であれば、あまり可愛くもない。


 一件落着、と言いたいところだが、魔法ではあるまいし、切られ、消された光は戻らないままだ。


「せっかくのイルミネーション、きれいなものが見られないのは残念ですね」

「いるみねーしょん……」


 たどたどしく発音する姿だけ見れば、先輩面ができるだけ可愛げがある。

 だが、考え込むように指は顎に当てられ、半ば伏せられた瞳は長い睫毛に覆われていて、この世のものではないほどに、それはもう、美しい。

 ──女としては、ちょっと悔しかったりする。

 アバターの見目だって別に悪くはないし、むしろきれいなはずなのに。種としての敗北を感じるのは何故だろう。



「──龍の瞬きアウラス


 小さく動いた形の良い唇から、零すように言葉が落ちた──その瞬間。


 消えていたはずのイルミネーションが再び、キラキラと輝き出した。


 電飾と違い、流れるようにその表情を変える光たちはその色合いと相まって、なお一層美しい。


「……えっ?これ──?」

「ふふ……種も仕掛けも秘密です」


 しぃ、と人差し指を唇に当てた彼は悪戯っぽく笑うと「祭りの夜には──少しの魔法がなければ」とのたまった。


 キラキラと光る色とりどりの光の粒が、頭上を星の代わりに照らしている。

 電飾よりもやや優しい輝きの光たちは、私達のみならず、この大通りすべての人を照らしていた。


 誰からともなくため息が漏れる。

 一切の話し声がしない、都会にあってただ一つ静かな空間は、あのカフェに似て暖かな沈黙が満ちる。


 光を反射し、一層輝く黒曜石の瞳が悪戯っぽく笑った。


「そろそろ魔法が解ける時間です。──楽しめましたか?」


 光の雨に照らされて、シキミは呆然とする。

 両頬をジークの両手に挟まれ、覗き込まれる瞳は前髪などあってないかの如く、全てを見透かされているようで、少し怖い。


 どういうことですか、と口を開いた瞬間。

 耳に響く時を刻む鐘の音と、ふわりと浮かぶような浮遊感がシキミを襲った。


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