夢幻の塔 − 5(一本買って帰りたい、など思う)

 

「マスター、ケーキのおすすめはありますか」


 カップの中身を大事に飲み干し、たいそう満足したシキミは、それはもう気分が大きくなっていた。──酔ってはいない。


 なんせ私のポケットには諭吉が一人いる。懐かしい顔だ。なぜいるのか、いつからいたのかは皆目見当もつかないのだが、無銭飲食で捕まることがないというのはこの上ない幸福だ。

 一万もあれば暫くは何とかなる。というより塔に行けば解決するだろうという楽観的な考えに甘えているのだ。今はただ、美味しいものが食べたい。

 具体的に言えば──甘い物ケーキだ。


「クリスマスですから、シュトーレンを」


 優しく微笑むマスターを他所に、クリスマスとは、と首を傾げたジークにシキミはそっと耳打ちをする。

 よく考えてみれば、こうした行事が異世界むこうにあるのかどうか、私は知らないのである。同じように、ジークとて「クリスマス」ではわからなかろう。


「神様が生まれた日、生誕祭なんだそうですよ。まぁ、他所の国の神様ですから、単にお祝いして盛り上がりたいだけ……みたいな部分も無きにしもあらずです。ここが故郷なら、ですが」

「よく、宗教戦争になりませんね」

「そう言われてしまうと何とも……不思議ですね。年末にケーキが食べたいだけだと思うんですけど、私は」

「ケーキを」


 ケーキなんて基本は贅沢品なので、堂々と食べる理由は一つでも多い方がいいんです、とシキミは胸を張る。なんせ自分へのご褒美といってはケーキを貪っていたクチだ。そう主張する様は流石さすが、堂にっている。


「クリスマスにはクリスマスを言い訳にケーキを食べてお祝いするんです」

「お祝いだから?」

「お祝いだからです」


 そんな私たちを邪魔しないように、そっと置かれた二つの皿。ふちをなぞる金色の蔦模様が、陶器の白に映える。

 その中央。華美に装飾されるでなく、ただ切って置かれた二切れの楕円が如何にも家庭的である。

 シュトーレンは素朴な見た目に反して、ラムの香りがそれを安っぽく見せない。その断面には、たっぷり練り込まれたピールやナッツが星のように散っていた。


 ドイツではクリスマスを待つ4週間、このシュトーレンを少しずつスライスして食べるのだそうだ。


「ご注文の季節のケーキシュトーレンです。今日が一番おいしいですよ」

「何故です……?」


 ジーグにそう聞かれてにこりと微笑ったマスターは、おまけです、と小さなカップに入った珈琲を皿の側に置く。


「日を置けば置くほど、パン生地にラム酒やピールの香りと味が染み込むんです。……シュトーレンは長い時間をかけて食べ切るものなんですよ」

「クリスマスに向けて少しずつ食べるので、今日が最終日、なんですよね」

「良くご存知で」


 一口大に切って口に運べば、甘い生地が口の中で解けてゆく。

 ピールやナッツを噛み砕きながら、シキミは刻々と変わるその味を楽しんだ。

 おまけのコーヒーは何だろう。流石に飲んで豆の種類がわかるほど精通していないのがなんとも残念だが、あっさりとした酸味と苦味は口直しに丁度いい。


「……驚いた。素朴ですが、だからこそ珈琲によく合いますね」

「そうでしょうとも。こういうカフェの出す料理に外れはないです」


 少し曇った窓の向こう。

 外は、いつの間にか薄暗くなっていた。


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