夢幻の塔 − 3(当然後者である)

 

「塔でも目指してみますか?」とジークが指さした先。

 冷たい風が吹く青空の下。ビル群に囲まれてなお圧倒的な赤い塔が、威風堂々とそびえ立っていた。

 大きく見えるその姿は、しかし随分と遠いことをシキミはよくわかっている。

 この距離であれば歩いても辿り着けるだろうが、それでも相当歩きはするだろう。


「夢幻の塔じゃなくて……ですか」

「とうきょう……タワー……?」

「な、なんでもないです!! 気のせいです!」


 行きましょう! 上りましょう! と手を引けば、焦ってもいいことなんてないですよと窘められた。そんなことは百も承知である。

 百も承知だが、焦らねばならぬ理由がこちらにはあるのだ。


「……? どうかしましたか?」

「…………その顔、どうにかなりませんかね」

「変な顔をしていますか?……でも、生まれつきですから……」


 そんなことを言われても、と困ったように言う、彼はその仕草さえ美しい。

 白魚のような、しかし男らしくもある指は滑るように薄い唇に添えられる。

 何処どこか遠くで、きゃあと黄色い声がした。


 チラと視界の隅にうごめく人の頭。

 綺麗に染められた栗色と緩いパーマ。もこもことファーの付いた可愛らしいコートは流行りのものだろうか。

 五六人ばかりの集団は、ちらちらとこちらに視線を寄越しては何やら話し合っていた。


 それを知ってか知らずか──否、真実本人にはどうしようもないことなのだけれど──彼は相変わらず花も恥じらう美しさを振りまいている。

 悩ましげに眉根を寄せるのを即刻やめろ、と胸倉をつかみ揺さぶりたくなる衝動をぐっとこらえ、シキミは一つ覚悟を決めた。


「面倒事になる前に、逃げます」

「魔物でも出ますか」

「魔物よりたちが悪いですよう……!」


 剣で倒せるだけ魔物のほうが幾分かマシだと思う。

 ジークが小さく首を傾げれば、三つ編みされた黒髪が流れるように背に落ちてゆく。それはさながら一筋の川のようにきらきらと輝いていれば、女も羨むキューティクルだ。


 わかってやってるんじゃなかろうなという仕草の数々に、またきゃあと声が上がるのだからたまらない。

 遠巻きにこちらを眺める集団も、芸能人かな? モデルでしょ。声かけてみる? など騒々ざわざわと色めき立ち始めた。

 じりじり狭まる女の包囲網に、ほぅら言わんこっちゃない、とシキミは嘆息する。見知らぬ世界で女に囲まれ揉まれるジークAランクなど良い見ものなのだが、巻き込まれるのはこっちだ。


 浮かれ、華やかなクリスマスは人の心の垣根を随分と低くするらしい。

 勇気を振り絞ったのか、いそいそと近づいてきた女性たちが「あの……」と声を上げたのを皮切りに、シキミはジークの手を取り一目散に駆け出した。


「いいんですか?何かお話が聞きたかったようですよ」

「いいんですか?ジークさんはお持ち帰りコースされて二度とまみえることが無くなりますよ」

「それは……困りますね……。AランクにもなってCランク依頼の失敗は恥ずかしいです」


 後ろ髪を引かれる、とばかりにチラチラと振り返るジークにそう言えば、彼はなるほどと頷いた。

 シキミに手を引かれるがまま、何処とも知らぬ道を走ることにしたらしい。


 彼女たちには悪いが、どうせ話を聞いたとてまともに取り合わずに、何事も右から左へ聞き流すのだ。変な男に暖簾に腕押しさせるよりマシな時間の使い方を提供してやった、と褒められてもいいくらいだ。


 右へ曲がり、左へ曲がり。いくつもの路地を抜けてはただ歩く。

 時折かけられそうになる声を回避しながら、一体私は何と戦っているんだとぼやきたくなった。



「随分詳しいのですね」

「故郷に似てるんです、多分。でも私は方向音痴なので適当です!」

「…………相応しい"適当"といい加減の"適当"が世の中にはありますが」


 どちらか聞いても? と一瞬不安そうな顔をしたジークに、シキミはたいそう良い笑顔で「愚問ですね!」と言い放った。

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