宛先不明

日也

宛先不明

 街はすっかり寂れていた。

 かつて商店街であった区画はほとんどがシャッターを下ろし、中にはかつて営業していた雰囲気をわずかに残したまま、建物全体がツタで覆われているものもあった。

 そんな建物の隙間を、一台のオートバイが抜けていった。

 運転しているのは、まだ若い青年だった。荷物をいっぱいに乗せ、砂ぼこりにまみれたおかげでわずかに灰色がかった黒いコートをはためかせながら進んでいた。

 その青年の名前は誰も知らなかった。会う人からは、ただ「郵便屋」と呼ばれていた。

 いくつもの建物を横目に見ながら進んでいくと、一軒だけきれいな外観の店があった。きれいといっても、ガラス戸にはヒビ入っていて、看板も錆が目立つ。あまりにも周りが朽ち果てているため、きれいだと錯覚するだけなのかもしれない。看板には「貸本屋」とだけあった。

 オートバイがその店の前で止まった。

 ほかに通行人がいたとしても余裕で通れる程に道幅があるのに、郵便屋は律義に自身の降りたオートバイを道の端へと寄せると、後ろに積んであった荷物をいくつか抱え、「立チ読ミヲ禁ズ」と書かれた紙の張られた戸を開けた。

「こんにちは、ドウ。お届け物だよ」

「……久しぶりだ、郵便屋。無事でよかった」

 郵便屋が店の奥へと声をかけると、カウンターに突っ伏して寝ていたらしい男が体を起こしながら答えた。その口調から察するに、ある程度は親しい仲らしい。

 店内には、隙間の目立つ本棚が五六台置かれていた。棚と棚の間は、人が両手を広げたぐらいだろうか。カウンターの奥には居住スペースらしきものも見える。

「この本棚は相変わらず場所を取るねぇ。これならいくつか棚を処分しても大丈夫なんじゃないかい? 分解して、燃料にするとか、また別のものに加工するとか。なんだってできる。何ならお手伝いでもなんでもするよ」

「遠慮しておくよ。棚があれば荷物だって汚さずに置ける。便利なものだから手放したくないのさ。それに、この隙間を埋めるようなものを持ってきてくれたんだろう?」

 ドウと呼ばれた男が少し意地悪そうに言うと、郵便屋はにこにこと笑いながら何の遠慮もなくカウンターの前へとやってきた。

 どさり、と抱えていた荷物を降ろすと、いくつかの包みをほどいた。中から出てきたのは大きさも厚さも様々な本だ。

「これは植物の図鑑。こっちは恋愛小説シリーズの三巻から五巻までで、これは医学書。この新書は、政治批判が書かれている。あとは手芸の本、世界史の参考書、かばん売りの動物の絵本だよ」

「またたくさん持ってきたな。……なぁ、この動物って本当にいるのか? 見たことがないんだが」

 ドウが絵本をめくりながら言った。

「いるよ。どこだったかな、南のほうの大陸にいるとかいないとか。まぁ、詳しくはないけどもね」

「ふぅん……。まぁいいや、どうせ見ることもないんだろうし。ええと、これ全部貰うとして……これくらいでいいかい?」

 ドウがカウンターにいくつか硬貨を出した。枚数を数えて、郵便屋がコートのポケットにしまう。

「ありがとう。――今日はここに泊まっていくから、ご飯を用意してほしいな。出発は明日の朝食を食べてからのつもりだ。出したい手紙があるのなら、それまでに渡してね。よろしく」

「あぁ、分かった。……といっても、豪華なディナーなんて出せないがな」

「いいよ、食べられるだけましだよ。先に埃を落としてくるね」

 そう言って、郵便屋は勝手知ったる様子で店の奥へと入っていった。


 *


 郵便屋がシャワーを終えると、ドウがすでに夕食の用意をしていた。

 貸本屋の店内と同じように、居住スペースも大変狭かった。六畳ほどの面積に小さな流し台があり、一口の電気コンロがあり、あってもなくても変わらないような薄い寝具があり。残りの空間に折り畳み式のテーブルを広げると、それだけで圧迫感がある。ちなみにシャワーと洗面所は外である。

 テーブルの上には、具材の少ないスープ、干し肉に味付けしたもの、硬いパンが乗っていた。

「食べるか」

「そうだね」

 そう言うと、二人そろってスプーンに手を伸ばした。

 スープをすすりながら、ドウは尋ねた。

「最近は、ほかの場所はどうなっているんだ?」

「どうって言われても……あまり変わっていないような気がするけどね。海沿いを走っていないからそう思うのかもしれない。話を聞くところによると、結構沈んじゃったみたいだけど」

 パンをちぎりながら郵便屋は答えた。

 いつの間にか海面上昇が進み、首都であったところが沈んでしまったのは、いったい何年前だっただろうか。人は緩やかに内陸へと侵入してくる海岸線とともに、より高いところへと移住しながら生活をしていた。今ここにある貸本屋も、いつかは海の底になってしまうかもしれない。

 郵便屋は、人々に物資を届けながら旅をしていた。もちろん、手紙も運ぶ。

「そういうそっちはどうなんだい? このご時世じゃ貸本なんて成り立たないような気がするけど」

「案外やっていけてるさ。どんな時でも、人は娯楽がないと死んでしまうんだよ。支払いだって、現金だけじゃなくて物々交換だったりするんだ。よそ者は基本的にやってこないから、これで大丈夫なのさ」

「そうなんだ。お客がいるならよかった。ここは『郵便屋』の大切な顧客だからね。潰れたらこっちも困っちゃうよ」

「そうだよ、ちゃんと常連だっているんだ。綺麗な女性でね、また物静かな感じのする。……まぁ、ここ数週間来ていないけども」

 ドウはさみしそうにそう言った。

 小さいテーブルに乗った夕飯は、互いの近況報告をしているうちにすっかりなくなってしまった。

 食器を片付けながらドウは言った。

「後で手紙を渡すよ」


 *


 翌日。朝日が差し込む店内で郵便屋は目を覚ました。居住スペースには一人しか横になれなかったため、自分からカウンターの裏で寝ると言い出したのだ。

 枕元には封筒が一つ置いてあった。口は糊付けされていて、差出人のところには「貸本屋の店主」とだけ書かれていた。宛先は書かれていなかった。

 封筒を鞄に入れ、そっと居住スペースの方を覗くと、狭い部屋の中でドウが大の字になって寝ていた。

 流し台には「朝食」とだけ書かれたメモと共にサンドイッチが皿の上に乗っていた。

 郵便屋がそっと近づいても、ドウが目覚める様子はない。

「ありがとう。頂いていくよ」

 郵便屋はそっと店をあとにした。


 *


 旧商店街の区画を抜けると、すぐにゴチャゴチャとした山道へと入った。

 貸本屋を出てから何時間経っただろうか。日は西に傾き始めていた。そろそろ今夜の寝床を考えなければならない。

 ちょうどよく、小さな川があった。なるべく平らなところを探して、折り畳み式のコンロを取り出す。

 水を入れた小さな片手鍋を火にかけ、ドウから貰った手紙を鞄から出した。

 封を開け、火の明かりで手紙を照らしながら読んでいく。

 郵便屋は、ただ手紙や荷物を届ける存在ではない。生活の中から生まれてくる苦しみや悲しみ、何かしらの告白。それらの書かれた手紙を燃やし、空へとあげることで、書いた人の記憶や感情を忘れさせることができる。それが「郵便屋」の大切な仕事であった。

 手紙には、このように書かれていた。



「こんにちは。貴女がよくいらしていた、貸本屋の店主です。

 貴女がぼくの店に初めて来たときから、二年は経つでしょうか。貴女が店に来る度に、大変幸福な気持ちになったことをよく覚えております。

 さて、ぼくは貴女に謝りたいことがあります。もしかすると謝りたいというよりも、ただ貴女に対して抱いていた感情を表したいだけなのかもしれません。

 初めて貴女にお会いしたとき、とても美しい人だと思いました。こんな苦しい世の中で前を向いて生きている、そう感じました。今、貴女のように前向きに生きていけている人はそういないと思います。ぼくはきっと、そんな貴女に、好意を抱いていたのだと思います。一目惚れ、というヤツです。貴女が何故ぼくの店に来たのか、それは想像もできませんが、きっと必要に迫られたからでしょう。これはぼくの持論ですが、どんな時にも人には娯楽が必要なのです。どれ程心の強い方でも、癒しがなければ疲れてしまいます。ぼくはそんな疲れた人に、何か癒しを与えられれば、と思い、店を始めました。

 貴女はいつも店に来ると、まず参考書の棚に行きますね。そこはほとんど人が見ないので片付けても良かったのですが、貴女がいつも見ていたので処分できずにいました。参考書の棚を一通り見ると、小説の方へ行っていました。ぼくが普段いるカウンターからはその棚が見えないので、貴女がどのような話をお好みなのかはわかりません。貴女は結局何も借りずに店を出ていってしまうので、いつまでたっても貴女が手に取る本がわからずじまいでした。

 貴女は何度も、店内で立ち読みをしていました。それは別に気にしてはいないのです。貸本屋なので代金を払っていただくのがもちろん一番なのですが、どうしても払えない人だっています。そういう人にも、平等にここで本を読む権利はあるのです。

 ぼくは貴女を責めるつもりは一切ありません。まずそれをご承知ください。

 一ヶ月程前でしょうか。貴女が店で本を読んでいた時です。見知らぬ男性が店にやって来たと思うと、貴女と共に出ていってしまいました。ぼくはひどく驚きました。貴女の近くに男性などいるわけがないと勝手に思っていたからです。勝手にそのようなことを考えてしまっていて申し訳ありません。しかし、ぼくはそのおかげで冷静にものを判断できなくなってしまったのです。その日から、その男性と貴女はここで待ち合わせをしていたようでした。貴女は男性が来るまでの間、いつもここで本を読んでいました。

 この女性は最近男と会っているな、その暇潰しにここを使っているんだな。そう思うようになってしまいました。ぼくは、ついに我慢できなくなって、言ってしまったのです。

『何も借りないのなら、出ていってくれませんか』と。

 貴女が大変ショックを受けた表情をしたのがハッキリとわかりました。その瞬間に後悔しました。このようなことを言わなければよかったと。

 すぐに貴女は店から出ていきました。それから来てくれなくなりました。貴女にそのようなことを言ってしまった手前、他の客にも同様の扱いをしなければなりませんでした。誰かだけ特別扱いをするなど、ぼくにはできませんでした。

 今、ぼくの店の戸には立ち読みを禁止する旨の張り紙がしてあります。他の人にも申し訳ないですが、何より貴女に申し訳ないのです。

 貴女がここで男性を待っていたことには、何かしらの理由があるはずです。貴女があの男性と会うたびに表情が曇っていたこと、ぼくの勘違いかもしれませんが、そのことに目を背け、ただ自分の感情に任せて適当なことを言ってしまったこと、大変申し訳ありません。

 こうやって謝ることすらぼくの自己満足なのです。何について、誰に対して謝っているのかも、正直に言ってしまうとよくわからなくなっています。ただ『ひどいことをしてしまった』とだけ思っています。

 このようなまとまらないものを書いてしまってすみません。

 よければまたいらしてください。」


 郵便屋は、もうひとつ懐から封筒を取り出すと、明かりに照らして読み始めた。

 商店街の区画を離れる直前に、ある女性から受け取ったものだ。



「こんにちは。覚えていらっしゃいますでしょうか。何度かあなたの店に伺ったことがあります。ここしばらくはなかなか行く機会に恵まれず、残念に思っています。

 二年程前でしょうか、わたしは海に追われ、婚約者と家族と共にここへやって来ました。婚約者といっても、特別好きだったわけではありません。わたしが生まれ育った場所では、どういうわけだか亡くなる人が多かったので、年の近い男女を周りが無理にくっ付けていました。どこでもそのようなことをやっているものだと思っていましたが、ここでは好きに恋人を作ることができるのだ、ということに気がついたときは驚きました。なんと素晴らしいことだと思いました。

 前にいた土地に、わたしは好きな人がいました。突然こんなことを打ち明けられて、きっと驚いてしまったでしょう。わたしの好きだった人は、心のやさしい方でした。しかし、その人にはすでに決められた女性がいたのです。もう十何年前の話ですので、まだまだわたしは子供でしたが、それでもその人に女性がいなければもしかしたら、と考えたことは何度もあります。

 わたしは自由に恋をしたかったのです。

 あなたの店に行った理由は、リラックスできる場所を求めたからでした。一応家としている場所には、娘を過保護に扱い自由にしてくれない親と、わたしのことを都合のいい女と勘違いしている男がいるだけです。以前仲のよかった友達とは離れてしまい、わたしが安心していられるような場所はありませんでした。

 そんな中で、あなたの貸本屋を見つけました。貸本屋というものを見たのは初めてでした。こう言っては失礼かもしれませんが、あまりにボロボロだったので驚きました。店に入ってすぐに見えるカウンターに座っていたあなたを見て、なんと幸せそうな顔をしている人だ、と思いました。こんな世の中で幸せな顔ができるということは、余程本が好きなのかと考えましたが、すぐに違うのだとわかりました。

 わたしのすぐあとに、別のお客さんが来ました。小さな子供でした。あなたは代金の払えないような子供にも、無料で本を貸していました。その時に、この人は本が好きだからこんなことをしているのではなく、他人の幸福と安心のためにやっているのだとわかりました。こんなことを書いて、もし違っていたら恥ずかしいですね。わたしはそんなあなたの姿を見て、もしかすると向こうで好きだった人を思い出したのかもしれません。

 わたしも何か借りたかったのですが、この土地に来たばかりのよそ者にそのようなことをしてくれるとは到底思えず、結局何も借りずに出ていくことばかりが続きました。それでもあなたの店はどこか居心地がよく、ほぼ毎日通っていました。

 しかし、毎日どこかへ出かけるわたしのことを婚約者はよく思わなかったらしく、あまり目の届かない所へは出かけないようにと言われてしまいました。あなたの店は本屋ですので、勉強をしに出ているのだ、と言うと、婚約者もついていくということになってしまいました。一度だけ、わたしが男性を連れて訪れたことがあったと思います。それがわたしの婚約者です。結局、彼はあまり本に興味がなかったらしく、一緒に行ったのは一回きりでしたが、勉強の時間は一日二時間、一週間に三日という制限をつけられてしまいました。彼が送り迎えをするというオマケ付きです。

 限られた時間の中で、私はあなたと少しでも長くいたいと思うようになりました。一応勉強しに行っているという体裁ですので、まずは難しそうな参考書の棚へ行き、ある程度時間が経てば小説の棚へと行っていました。あなたの店で過ごす時間は何もなくてもとても楽しくて、婚約者なんて迎えに来なければいいのにと思っていました。

 ですが、あなたは何も借りずに立ち読みだけをするわたしのことが気に入らなかったようで、出て行ってくれ、とおっしゃいましたね。その時、ショックを受けましたが、同時に仕方のないことだとも思いました。あなたは他人のために店をやっているのかもしれませんが、生活のためにもやっているはずです。あれだけの本をそろえるのにも、大変お金がかかったでしょう。ただ本を読んで帰っていくだけのわたしは、いやな客だったと思います。

 わたしはあなたのことが好きだったのかもしれません。だから、少しでもあなたと一緒にいたいと、わがままにも思っていたのでしょう。その結果、わたしにとっての最悪な結果になってしまったのは、仕方がないことなのかもしれません。あなたは他人のために生きていて、わたしは自分のために行動してしまったのですから。

 もし許されるのならば、もう一度あなたのところへ行きたいと思っています。」

 

 

 郵便屋は、読んでいた手紙を閉じた。

 内容から察するに、二人は明らかに想い合っていた。それでも、仕事である。この手紙を燃やして、この文章に込められた思いを彼らから忘れさせなければならない。

 手紙を二つまとめてコンロの火に近づける。簡単に端から燃えた。火の粉が空へと舞い上がった。

 この二人が新しい関係を築けるようにと願いながら、郵便屋は光る火の粉を見つめていた。

 

 *

 

 かつて商店街だった区画にある、一軒の貸本屋。

 ひび割れたガラス戸には、テープで何かが貼ってあった跡がある。

 カウンターの後ろにあるゴミ箱には、「立チ読ミヲ禁ズ」と書かれた紙が丸めて捨ててあった。

 ガラス戸が開いて、一人の女性が入ってきた。

「ごめんください。ここ、本を読むだけでも大丈夫でしょうか?」

 店主は答えた。

「ええ、どうぞ。いつまででもゆっくりしてください」

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