83:お姉さんと、もっとずっと離れられなくなる。

 詳しい話を聞いたところによると――

 明南高校お菓子研究会の中には以前から、鐘羽東高校の生徒と大変親交の深いメンバーが所属していたらしい。

 双方は元々Web上のSNSなどを通じて、友誼ゆうぎを結ぶようになった。

 取り分け距離が接近したのは、画像共有サイトを介した交流だという。

 そこでは「菓子研」の生徒が定期的にスイーツの映える写真をアップロードし、女の子同士の話題作りにひと役買っていたみたいだ。

 でもってやり取りを続けるうち、いつしか鐘羽東高校側の生徒も影響を受けて、藍ヶ崎市内の洋菓子店や喫茶店を巡るようになった。

 そうして、行く先々で撮影したスイーツ画像を投稿しはじめたのだとか――……。


「そんなちいさな交流が発展して、鐘羽東にも『菓子研』が誕生したわけです」


 晴香ちゃんは、可愛らしく肩をすくめて言った。


 それで先日、晴香ちゃんが藍ヶ崎市までおもむいたのも、ひとつには懇親会こんしんかいという名目で他校生と接点を持つことが目的だったそうだ。

 ……まあその際の課外活動というのは当然、単に隣町で評判の店を何軒か巡って、スイーツを皆で食べ歩くことだったらしいけど。

 尚、南野さんはバイトのシフトが入っていたため、そこには参加していない。

 僕も丁度同じ日に出勤していたから、スーパーで真面目に働く姿を見ている。


「それはまた驚きの逸話いつわだなあ。心温まるエピソードなのかはわからないけど」


「えへへ……。でも鐘羽東との件を通してわかったんですけど、他校と交流するのはけっこう課外活動の刺激になるんだなって。明南うちの『菓子研』みたいなユルいサークルでさえ、藍ヶ崎市での懇親会に出席して以来、幾分触発されちゃった子が居たりしますからねー」


 僕が率直な感想を述べると、晴香ちゃんは口元に苦笑いをきざんだ。


「何しろ鐘羽東の『菓子研』には食べるだけじゃなくて、自分でお菓子作りするような子も居るんですよ。うちじゃ過去にそこまでするメンバーは居なかったから、びっくりしちゃって」


「え、そうなんだ。じゃあもしかして、明南高校でもお菓子作りするようになったとか?」


「一応そういう子も出てきちゃいましたね。あたしやマリナと仲がいい友達で、佐々木優美っていう女の子は手作りクッキーを焼きはじめたみたいですから。男の子の気を惹くのに役立つし、女の子同士でシェアするのも、想像以上に楽しいって言ってます」


 会話の中に出てきた女の子の名前には、僕も朧気おぼろげに聞き覚えがあった。

 かつて南野さんも「ユミ」と呼んで、話題にしていたような気がする。

 新冬原の路上で遭遇した際に同行していた女子高生、だっただろうか? 



 などと記憶を探っていたら、晴香ちゃんはさらに先を続けた。


「ただあたしとしては正直、みんながそうやって積極的に活動しはじめると、誰よりも誰の方が熱心だとか上手だとか――変にマウント取ったり取られたりって状況になりそうで、あまり歓迎していないんですけどね。サークル内の居心地が悪くなりますし」


 それを聞いて、何事にもほどほどの安心感を求めるこの子らしいな、と僕は思った。

 適度なユルさが好きで「菓子研」に所属しているって、前々から話していたもんな。

 ただし晴香ちゃんも、あと少しで高校を卒業する。だから現状を踏まえ、今後もうサークルの活動方針には、あまり口出しするつもりもないという。


「あたしはいつも、自分が『普通』で居たいと思っていますけど」


 晴香ちゃんは、穏やかに微笑み、そっと吐露とろした。

 薄墨色の瞳には、かすかな寂寥せきりょうの陰が差している。


「世代が変われば、みんなにとっての『普通』も変わりますからね。今まではそれに合わせて、自分自身も変わってきたわけですけど……。でもあたしは結局、自分から何が『普通』なのかの基準を作る側には居ないんですよ。そういうあたしの性分は、次の『普通』を決めていくみんなの様子を、遠巻きに眺めていることしかできません」



 ……まあいずれにしろ、そんな経緯もあって「菓子研」の活動範囲は今、少しずつ幅が広がりはじめているわけだ。将来的にどうなるかはわからないけれど、それゆえ研究対象が星澄市の外にまで及んでいることも事実だろう。

 そうして晴香ちゃんは、すっかり他地域のスイーツに詳しくなって、遠乃原のお菓子のことを教えてくれた。高校を去るまでのあいだだけでも、周囲と協調する姿勢をつらぬいているのはたしからしい。どこまでも律儀な女の子だ。


 彼女はあくまで、彼女が望んだ理想に従っている。

 彼女が彼女らしくあれることを、僕は祝福したい。


 それは未来も決して、僕とは交わらない道だろうけれど――……




     〇  〇  〇




 という先日の出来事を、ひと通り話して聞かせてみたら。


「へー、ふーん。なるほど裕介くん、そうだったんだー……」


 美織さんは、機械的な所作でデザートを食べ続けながら言った。

 声音はアイスクリームより冷たく、口調にもまるで抑揚よくようがない。


「また私の知らないところで、晴香さんと会ってたんだねー」


「い、いやまあ会っていたというか、だから結果的にそうなったんだけど、本当に偶然こないだ晴香ちゃんがバイト先まで挨拶に来ていたわけでしてね……」


 お姉さんの背後から立ち昇る漆黒の想念に気圧けおされ、しどろもどろに返事してしまう。


 いやでもこれ、僕は別にそれほど悪いことしてなくない……? 

 晴香ちゃんと最近バイト先で会ったことは、特段隠そうとしていたわけじゃない。

 あの子は近況報告しに来ただけで、事前に申し合わせて面会したわけでもないし。

 そりゃ晴香ちゃんは僕に対して以前好意を持ってくれていた相手だし、そんな子と偶然会って話したと打ち明ければ美織さんは不機嫌になるかもしれないなーとは思ったから黙っていた感は否めないけど、だからって伝わればややこしくなりそうだとわかっていることをわざわざこちらから説明したりする必要あります――? 


 などと経緯を振り返り、僕は咄嗟とっさに脳内釈明しゃくめい大会を繰り広げた。

 結論として、僕自身の判定では無罪。真実すべてを話すことが正しいとは限らない。

 でもこちらの主張に対して、美織さんが虚心に納得してくれるかは別の問題だった。



「はあ、そりゃまあ君の言いたいことはわかるけど……。お姉さんとしては『過去に浅からぬ縁のあった女の子と密かに会って、親しげにしていた』という事実を看過できません」


 美織さんは、ちいさく嘆息しながら、無念そうにかぶりを振った。

 スプーンをテーブルの上へ置くと、おもむろな動作で立ち上がる。


「なので裕介くんにはこれから、改めて誰が一番身近で大事な存在かを、しっかりと確認させてもらいます。――そのためにまず、デザートを食べ終えたら場所を変えましょうか」


 そう言って、美織さんは目顔で合図を寄越してきた。

 視線の方向をたどると、それが和室から屋外へ出る通路の先――

 つまり、露天風呂があるというを示しているのがわかる。


 ――ああ、直接身体でたしかめるつもりなんだ……。


 僕は、お姉さんの意図を察して、思わず息をんだ。




     〇  〇  〇




 旅館の廊下につながる出入り口以外で、屋外へ出るための通路は、和室が広縁ひろえんに接する境界と程近い壁面に設えられていた。

 そこを抜けるとささやかな日本庭園があり、さらに敷石しきいしに沿って進めば、やはり小ぢんまりとした木造の建物にたどり着く。


 この離れは、木戸を開けるとまず脱衣所になっていて、その奥に露天風呂がある。

 今夜泊まる和室の利用客だけが入浴できるよう、わざわざ専用に作られた場所だ。

 ゆえに二泊三日のあいだ、ここは僕とお姉さんの貸し切り状態なのだった。


 夜の脱衣所や風呂場は、照明をけても若干薄暗い。

 でもそれが非日常的な雰囲気をかもし出し、かえって開放的な心理を作り出した。

 ここで自分の姿を見ているのは、互いに相手だけ……という秘密めいた状況が、余計に羞恥心しゅうちしんを取り去って、二人を大胆にさせた部分はあると思う。



 脱衣所に踏み入るや否や、美織さんが僕の浴衣の帯を引っ張り、容易たやすほどいてしまった。

 こちらもお返しにお姉さんの浴衣に手を伸ばし、ちょっとだけ強引に前衿まええりはだけさせる。

 そのまま正面から抱き合うと、自分の胸板と恋人の双丘がじかに触れ合った。

 素肌を通じて相手の体温を感じつつ、僕とお姉さんは熱っぽく唇を重ね合う。

 ちゅ、ちゅっ……と音を立てて、二人共キスを貪り合った。


 そうする間にも互いの手は、相手の浴衣や下着を何もかもぎ取りに掛かる。

 双方生まれたままの姿になると、いったんどちらからともなく身体を離した。

 その場に真っ直ぐ向き合って立ち、お姉さんの裸身を隅々まで改めて眺める。


「――美織さんは、やっぱり素敵だな。大好きだよ……」


 僕は、思わず感嘆せざるを得なかった。

 薄暗い空間で暖色の灯りに照らされて、ぼんやりと浮かび上がるようにたたずむお姉さん。

 白い裸身は、綺麗でふくよかな胸も、細くくびれた腰部も、滑らかな輪郭の臀部でんぶも――

 初めて目の当たりにしたときから、今もすべてが瑞々みずみずしく、変わるところがない。

 そこから香り立つような魅惑は、強く劣情をき立て、頭の中をくらくらさせる。


「裕介くんがそう言ってくれるの、いつも凄く嬉しいな」


 美織さんは、つやっぽく微笑んで、両手を僕の首へ回した。

 再び彼我ひがの裸体が静かに近付き、微妙な距離でもどかしくれ合う。

 すでに僕は身体が熱を帯び、下腹部へ血が流れ込むのを感じていた。


「……でもその『大好き』は、私だけのものなのかな?」


 お姉さんは、つと視線を下へ向け、僕のたかぶりをたしかめる。

 次いでこちらをのぞき込むと、ちょっと意地悪そうに続けた。


「ねぇ答えて。裕介くんが大好きなのは、私だけ?」


「と、当然じゃないか。美織さん一人だけだよ……」


「本当に? じゃあ一生、裕介くんはお姉さんのものになってくれる?」


「うん、いつも言っている通りだよ。僕はずっと美織さんのものだ……」


 問いが繰り返されるたび、かすれた声で答える。

 お姉さんは頬をゆるませ、僕の耳に唇を寄せた。


「……あはは、大変よくできました。しっかり覚えておかなきゃ駄目だよ」


 互いの肌を改めて触れ合わせつつ、優しく、甘ったるくささやく。

 と同時に柔らかく、それでいて華奢きゃしゃな裸身がしなれてきた。


「それとね……。君の大好きは私だけのものだけど、私の大好きも君だけのものだから。それを今夜は沢山、お姉さんが教えてあげるね? 君が絶対忘れられないように」


 美織さんが両手で、僕の頬を左右からそっとはさむ。

 爪先立つまさきだってキスをねだられ、夢中でそれに応じた。

 それから二人そろって、もつれるように風呂場へ入る。



 離れの露天風呂は、縁に石を巡らせた浴槽と、きの洗い場から成っていた。

 周りは丈の高い木製の柵でぐるりと囲われ、冬の澄んだ夜空が頭上に広がっている。

 まずは出入り口の脇にある掛け湯用のお湯場で、木桶を手に取った。

 すくった湯で身体をらしてから、手を取り合って洗い場へ歩み寄る。


 ボディーソープを泡立てると、二人で相手の肌にり合った。

 次いでまた抱き合い、密着しながら、互いに裸体をこすり合う。

 お姉さんの手は、僕の身体を、背中、首、胸板、腹部、腰部ようぶ……

 と、順になぞり、やがて下腹部の先へするすると伸びてきた。

 か細い指先はなまめかしく動き、甘美な刺激が加えられていく。


「ねぇ裕介くん、本当に君のことが好きなの。ほらわかる……?」


 美織さんは至近距離から、吐息混じりの言葉で囁いた。

 お手本を教示し、しつけようとするみたいな口調だった。


「うん、わかるよ。凄く伝わってくる……僕も、好きだから……」


 僕は、半ばうめきながら首肯してみせた。

 その一方でこちらからも、お姉さんの身体をくまなくさすっていく。

 肩や胸、背筋やお尻を丹念にほぐし、足の付け根へ指をわせる。

 泡の奥で優しく触れると、美織さんは甘えるような嬌声きょうせいを漏らした。


「美織さん、どう? 僕も好きだよ……美織さんが大好きだ……」


「……うん、嬉しいよ。ねぇもっと愛して、お願い、もっと……」


 確認するように訊くと、うなずいて懇願こんがんしてくる。

 そうして、美織さんも指の動作をやや速めてきた。

 僕もそれに調子を合わせ、お姉さんを殊更ことさらに愛す。


「ねぇ裕介くん――こんなの、私だけだからね……? 他の子には駄目なんだから……!」


「もちろんだよ……。僕は美織さんだけなんだ……美織さんだけ、美織さんだけだ……!」


 全身泡塗あわまみれで身を寄せ合ったまま、双方しきりに相手の唇を吸う。

 僕もお姉さんも最中に二度、こらえ切れなくなり、洗いながら汚れ、それを再度洗った。

 それから身体に付着した泡を、すっかり湯で流し、頭髪の汚れもシャンプーで落とす。


 充分綺麗になったところで、ようやく露天風呂の湯に浸かった。

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