71:お姉さん不在で、後輩とご飯を食べる。

「ぎんの森レジャーランド」の園内を歩き、ようやくカフェテリアに到着した。

 スマートフォンで現在時刻をたしかめると、昼の一二時四〇分を過ぎている。

 カフェテリアは大きな平屋の建物で、隣に記念品の類を販売する店が併設されていた。

 店内をのぞいてみると、それなりに混雑はしているものの、案外テーブルに余裕がある。


 僕と晴香ちゃんは、店の中で通行の邪魔にならない場所に立ち、頭上を見上げた。

 皿を受け取るカウンターの上部には、掲示板に様々なメニューが列挙されている。


 何を食べようかと迷っていたら、晴香ちゃんが突如予期せぬことを申し出てきた。


「先輩。ここの食事代ですけど、あたしが全額払いますね」


「えっ、どうしたのいきなり。そんなわけにはいかないよ」


 僕は、驚きの余り、思わず目を白黒させてしまう。

 なぜ急に晴香ちゃんが支払いを引き受けようとしているのか、皆目見当が付かない。

 さっきボールシュートに挑戦したことに対する、この子なりの返礼なのだろうか?

 要領を得ないままにかたわらを振り返ると、晴香ちゃんは肩をそびやかす素振りを見せた。


「もうすっかり忘れている様子ですね先輩」


「忘れているって、いったい何のことを?」


「以前にお借りしたタクシー代のことです」


 鸚鵡返おうむがえしにたずねてみたら、苦笑混じりの答えが返ってくる。


「あのとき渡されたお金、まだ返済してませんからあたし」


 ……そう言えば、そんなこともあったなあ。

 この子からの告白を断った夜、遅い時間に女の子が自転車で帰宅するのは危ないからって。

 電子マネーをアプリで送金して、「明かりの里」までの交通費を融通してあげたんだった。

 完全に失念していたよ。別段、年下の子に債務を履行してもらうつもりなんてなかったし。


 尚、カフェテリアのレジを改めて見ると、ここではキャッシュレス決済も可能みたいだった。

 正面ゲート前の券売所では現金支払のみだったけれど、飲食関係は利用者が多いんだろうね。

 晴香ちゃんもそれと知って、弁済するのに都合がいいと考えたのかもしれない。


「なるほどわかったよ。じゃあ、ご馳走してもらおうかな」


 折角の提案なので、ここはひとつ素直に応じておくことにしよう。

 どうせ辞退しても、晴香ちゃんならお金は返そうとするだろうし。


 まあ「年下の女の子からおごられている男」を、何も知らない第三者が見たらどう思うかと想像すると、多少の気後れがないわけじゃないけれど。一方で周囲の目を意識して遠慮すれば、自分が旧弊きゅうへいなジェンダー観に毒されているような気がする。


 少なくとも、晴香ちゃんは自ら申し出たぐらいなんだし、必ずしも「デートの食事代は、男性が支払う方が『普通』です」などとは、考えていないみたいだった。

 いや、単に根が真面目な性格なので、今ここでは過去の債務を返済する義務しか頭にないからかもしれないけど。あるいはこれが初デートで、まだ女子高生だから、年長男性に奢られた経験自体が少なく、それを「普通」と認識していないせいだろうか……。



 そんなことをもやもやと考えながら、二人で店内の壁面沿い伸びる列へ加わった。

 カウンターに並べられた料理の中から、好きなものを選んでトレイに乗せていく。

 僕はポークソテーとコーンスープ、晴香ちゃんは鮭とアサリのクリームパスタだ。


「先輩は、二人掛けのテーブルを押さえておいてください」


 レジで店員に二人分のメニューを伝えると、晴香ちゃんから席取りをうながされた。

「うん、そうする」と答えて、電子マネーで清算しているあいだに適当な場所を探す。


 店内で中央付近のテーブルは、主に四人掛けのものが占めていた。

 二人掛けの席は、カウンターとは反対側の壁沿いに集まっている。

 僕は、そのなかでも陽に照らされて明るく、開放的なテーブルを選んだ。

 この席は風通しもいい。隣には通路一本挟んで、併設された売店がある。


 ……と、そちらを何気なく眺めてみたら、思い掛けないものを発見した。

 売店の棚に置かれた記念品のひとつが、どうにも関心を引かれてしまう。


 そこへ丁度、晴香ちゃんがレジで支払いを済ませて歩み寄ってきた。

 僕の様子を奇妙に感じたのか、きょとんとした顔で問い掛けてくる。


「どうしたんですか先輩。売店の品に気になるものでもありました?」


「ああ、実はそうなんだ。――ちょっとだけ買い物してきていいかな」


 自分のトレイをテーブルに置いたまま、いったん僕は席から離れた。


「料理が冷めるといけないから、晴香ちゃんは先に食べていて欲しい」


 それだけ言ってから、売店へ駆け込む。

 商品棚から目当てのものを手に取ると、価格を確認して購入した。

 店員には、包装しなくてかまいません、と伝えて品物を受け取る。


 それから急いで、カフェテリアに確保したテーブルに引き返した。



「ねぇ晴香ちゃん。これでも良ければ、プレゼントするよ」


 僕は席に着くと、晴香ちゃんにたった今買ってきた品を差し出す。


「さっきはボールシュートで、景品を取れなかったからさ」


「……何かと思えば『ほえほえラプとん』じゃないですか」


 手渡された布製の玩具をあらためると、晴香ちゃんは薄墨色の瞳を見開いた。


 そう。僕が贈ったのは、あの恐竜型キャラクター「ラプとん」のぬいぐるみだ。

 アトラクションに参加してもらえるそれとは、あくまで別の種類のものだけどね。

 売店で販売していたぬいぐるみは、景品よりもサイズ的に二回りほどちいさい。

 直立した姿勢ポーズの形状で、元々気怠けだるそうな顔付きのゆるキャラだけれど、これは取り分けとぼけた表情を浮かべている。まあ見方によっては可愛いと感じられなくもない。


 ちなみにお値段二八〇〇円。思ったより安価だったので、値札を見て躊躇ちゅうちょなく購入した。

 晴香ちゃんが僕のぶんまで昼食代を払ってくれて、財布の中身に余裕ができたおかげだ。

 思い出作りの一環として、今日の記念に取っておいてくれればいいんじゃないかと思う。


 晴香ちゃんは、受け取ったぬいぐるみを見てから、次に僕の顔を見た。

 そのあと尚も三度、双方のあいだで見比べるように視線を往復させる。

 やがて眉をひそめると、不平そうに口をとがらせた。


「もしかして先輩って、実はバカだったりするんですか?」


「なんで!? 女の子にぬいぐるみを贈るとバカなの!?」


 いきなり不本意な人物評を下され、僕は当惑せざるを得なかった。

 でも晴香ちゃんは、呆れたようにかぶりを振って、溜め息をく。


「ここまでの流れで、恋人でもないというか、むしろ自分が失恋させた女の子に相手が欲しがりそうなプレゼントを手渡すなんて。そういう男性はおおむね、お人好しすぎて天然でズレているか、悪質な一級ハーレム建築士以外あり得ませんから」


「いや、いったい何なのハーレム建築士って……」


 愚弄の根拠を詳しく解説されたものの、ちっとも納得がいかない理由だった。

 ていうか意味不明すぎるからねハーレム建築士って。僕はお姉さん一筋だし。



 何はともあれ気を取り直して、プレゼントの意図を説明しておこう。


「別にそんなに深い意味はなくてさ。ただ晴香ちゃんが喜んでくれるかなと思って」


「……何の下心もなくプレゼントしてくれたのなら、それはそれで問題があります」


 晴香ちゃんは、微妙にうつむくと、かすかに寂しげな声音で言った。


「それって結局、あたしは先輩にとって純然たるみたいな存在だってことで。どう頑張っても恋愛対象じゃないんだっていう、動かぬ証拠を突き付けられたようなものですから」


 ますます僕は困って、言葉に幾分きゅうしてしまった。

 この子を「妹」のように感じている、という指摘はかなり的確なものに思えたからだ。

 晴香ちゃんとは、ごく身近な間柄であり、親しみも覚え、異性としても認識している。

 だが可愛らしいと考えても、恋愛対象と見做みなせないのは、そういうことだからだろう。


「えっと。なんか、本当にごめん」


「いやどうして謝るんですか……」


 何となく申し訳なくなって謝ったら、やや非難じみたツッコミを入れられた。

 晴香ちゃんは、再び顔を上げると、じとっと半眼でこちらをめ付けてくる。

 情けない生き物を目の当たりにして、ちょっと失望したような目つきだった。


 もっとも、すぐ普段の朗らかな面持ちになって、口元がなごやかにほころぶ。

 花弁はなびらみたいな唇のかたちは、仕方がないなあ、と動いたように見えた。


「プレゼント、ありがとうございます。ずっと大事にしますから」


「そ、そっか。そう言ってもらえると、こちらとしても助かるよ」


 僕は、左の頬を人差し指できつつ、体裁の悪さを誤魔化そうとした。

 そうして居住まいを正してから、仕切り直すように咳払いしてみせる。


「まあ差し当たり、早くご飯を食べちゃおう。午後も園内を回らなきゃいけないし」


 実際的な話でうながすと、ようやく二人の昼食がはじまった。

 実は晴香ちゃんも僕が戻ってくるまで、一切料理に手を付けていなかったんだよね。

 先に食べていいと言ったはずなのにいちいち待っている辺り、根っから律儀な子だ。



「はあぁ~。それにしてもつくづく恋愛って難しくて、嫌になってきちゃいますね」


 晴香ちゃんは、フォークをパスタが盛られた皿へし入れ、ぼやくような声音で言った。

 先端に適量巻き付けると、空いている側の手で垂れる髪を押さえながら、口の中に運ぶ。


「あたしって最初の頃は先輩のこと、下心なしに優しいところを好きになったはずなんです」


 いったんパスタをんで、呑み込んでから、晴香ちゃんは先を続けた。

 自分で自分にうんざりしたような、ほのかな嫌悪感がにじむ口振りだった。


「なのに今は同じように優しくされることが悔しいっていう。我ながら身勝手すぎません?」


 僕は、返事を保留したまま、ポークソテーをナイフで切り分けていた。

 晴香ちゃんが懊悩おうのうしている矛盾については、一応理解できるつもりだ。


 私心のない親切をほどこされる状態は、一方的に与えられるだけの立場だとも言える。

 相手の誠意を感じ取ることはできても、自分が必要とされているかはわからない。

 そうして、どういうかたちであれ求められない限り、恋は往々にして報われない。



 そんなことを考えながら、口の中で料理を味わっていると。

 にわかに晴香ちゃんは、会話を意外な方向へ展開してきた。


「ところで先輩。今更なんですけど、なんでずっと就職活動していないんですか?」


「……いや何だかそりゃ、本当に今更な質問だね。どうしたんだい、やぶから棒にさ」


 僕は、完全にきょかれ、コップの水をひと口飲んでから訊き返した。

 驚いた拍子にポークソテーが喉の奥でつかえ、危うくむせるところだった。

 まさか唐突にここで、大学中退してから就活していない話題になるとは。


 晴香ちゃんは、パスタをフォークに巻き付けつつ、複雑な表情で続ける。


「ふと考えたんですけどね。もし先輩が過去にどこかのタイミングで就職して、フリーターじゃなくなっていたら、あたしも実はここまで先輩と親しくなってなかったんじゃないかなって」


 ……まあ、それはたしかにその通りなのかもしれない。

 僕がこれまでにアルバイトを辞めて、定職にいていたら。

 同じ店で二年以上も一緒に働き続ける機会はなかったはず。

 仮に就職先がスーパー「河丸」だとしても、配属先がそのままとは限らない。

 むしろ県内の別店舗に転勤させられる可能性は、かなり高いような気がする。

 すると、そこで晴香ちゃんとの関係は途絶えていたんじゃないかな、と思う。


 それで、この子は自分が初めて恋に落ちた原因の一端を、僕がずっと就職しようとしていない事実に求めているらしかった。


「もう自己嫌悪ばかりしていても仕方ないので、ひとつ先輩に問題を責任転嫁しようかなと」


「開き直り方が極端すぎるんだけど!? 逆恨み的な方針転換を堂々と宣言しないでよ!!」


 しれっと糾弾の矛先を向けられ、たじろがずには居られなかった。

 晴香ちゃんは「先輩が悪いんですよ」的な目でこっちを見ている。

 いやマジで勘弁してください、理不尽すぎる。



 しかしながら、たずねられて気付いたけれど――

 僕が就職活動しない理由に関しては、ほとんど話したことがなかったかもしれない。

 それ以前に「なぜ、大学を中退したのか?」って部分を問われる方が多いからなあ。


「まあ僕がいまだに就職せずに居る理由は、主に二つあるかな」


 僕は、コーンスープを器からスプーンですくった。

 喉へひと口流し込むと、おもむろに言葉をつむぐ。


「ひとつは単純にモラトリアムな状況が続いている、ってこと」


 この点には、僕も明確な自覚がある。

 中高生の頃から、別段強い動機や目標を持たずに生きてきたせいだろう。

 自分が今後、何をどうやって進むべきなのかが、わからないままなんだ。


 もちろん「自分探しなんて甘えた言い訳だ」という意見があることは、よくわかっている。

 でも僕は最近まで、なぜ自分が大学を中退したかさえ、自分の言葉で説明できなかったんだ。

 適当な理由をでっち上げて就職したところで、また長続きせずに離職する予感しかなかった。


 ……ただし今現在じゃ、その辺りも随分と事情が変わってしまったけどね。

 目の前のデート相手を失恋させることで、僕は多くの答えを得るに至った。

 それはおそらく、この子にとってかなり皮肉なことだと思う。



 晴香ちゃんは、こちらの実情を知ってから知らずか、話の先をうながしてきた。


「じゃあ、もうひとつの就職活動していない理由は何ですか?」


「もうひとつは、理解してもらえるかわからないんだけど――」


 僕は、スプーンをテーブルの上へ置いた。

 改めて正面に向き直ると、晴香ちゃんを真っ直ぐ眼差す。

 ひと呼吸挟んでから、思うところを包み隠さずに伝えた。



「たぶん『過去の自分に対する復讐』のためなんだろうと思う」

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