59:お姉さんにしか好かれないと思っていたのに

 映画デートの翌日。



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【 mimiko 】

 

 映画『星空の庭』観てきたよ! 前作以

 上に今泉監督らしい内容で最高でした。

 天斗あまとくんも綺羅きらちゃんも可愛くて、アニ

 メ好きオタクおばさん大満足です


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 美織さんは、短文投稿サイトツイッターに映画の感想をつぶやいていた。

 投稿された発言の下部には、スマホの画像も一枚貼り付けてある。

 映画館の売店で購入したグッズを並べて、自宅で撮影したものだ。


 尚、美織さんはWeb上で、時折自らを「オタクおばさん」と自嘲的に称している。

 自分が二八歳アラサーであることを意識した(本人なりの)諧謔ユーモアらしい。また、女子学生などではないと示唆しておく方が、異性からのハラスメント被害を受けることは少ないという。

 まあ世の中、若い女の子だってだけで言い寄ろうとする男は多いからなあ……。


 とはいえ、Web上での美織さんが自称「オタクおばさん」だったせいで、初めて直接オフ会で面識を得た際の衝撃は忘れられない。

 あんなに素敵で可愛いお姉さんだなんて、まるで想像もしてなかったんだよね。

 そもそも、ぱっと見た印象だと女子大生ぐらいの容姿なんだから、余計にずるい。


 うーん、何だか当時のことを思い出すと、ちょっとだけなつかしくなってきちゃうな。

 まだあれから半年程度しか経っていないし、同棲開始からも三ヶ月足らずなのにね。



 ……過去へ多少遡行して、お姉さんと知り合う以前の時期を思い出してみる。


 大学中退後に平伊戸で、アルバイト先のスーパーとアパートの部屋を往復する日々。

 出身地の家族と縁が切れ、自分が「普通」の生き方から外れたことを痛感していた。

 そうして、大学時代の先輩からの「無駄に悩むな」という忠告に背き、ぼんやりと他愛のないことを考えたり、失われた青春に思いを致したりして、暮らしていたような気がする。


 ――なぜ僕は、特別な人間じゃないのに普通であることを捨ててしまったのか。


 自分で自分を理解できないまま、さびしい現実の生活に追われ続けていたあの頃。

 懊悩おうのうに疲れ、抜け殻のようになる都度、深夜アニメやソーシャルゲームに逃避し、Web上のコミュニティを眺めて気を紛らわせていた。


 そうした将来の見えないフリーター生活が、約二年余り過ぎて――

 やがて、美織さんを短文投稿サイトツイッターで見掛ける機会に遭遇したんだ。

 つくづく奇跡的で、陳腐ちんぷな言い方だけど運命の出会いだったと思う。



 あれから現在に至って、実は微妙に変化したことがある。

 僕は、以前までに比べると、それほど頻繁に短文投稿サイトツイッターを利用しなくなった。

 最近は一日に何度か、こうして美織さんが投稿した発言を確認したりする程度だ。

 自分で打ち込んだテキストを送信する機会に関しては、めっきり減ってしまった。


 そうなった理由は明々白々で、お姉さんとの同棲生活が充実しているからだろう。

 アニメやゲームについては、お姉さんと共通の趣味だから続けているけどね……。



 もっとも大学中退直後の頃から、当然変わらないこともある。


 いまだに「普通じゃない」生き方を、ずっと僕は続けていた。




     〇  〇  〇




 事件が起きたのは、その日の夜のことだった。


 スーパー「河丸」のアルバイトで、営業終了後に閉店準備を済ませたあと。

 僕は、しばらく事務所に居残りして、PCで簡単な事務作業に取り組んだ。

 不足の商品を配送してもらうため、発注ファイルに在庫数を入力していたんだよね。

 普段は品出し業務担当の主任チーフが手掛ける仕事なんだけど、たまに僕も代行している。

 月末や特売日が近付くと、主任も色々忙しくて、こっちまで手が回らないみたいだ。


 まあ事実上の残業なんだけど、バイトの時給には深夜手当が付くので、文句はない。

 売り場とバックヤードの状況さえ把握していれば、それほど面倒な仕事じゃないし。



 発注ファイルの作成が完了したら、舟木店長に声を掛けて確認してもらう。

 店長は、売上計算の手を止めると、こちらへ来てPCモニタを覗き込んだ。

 入力内容に不備がないことを検めて、これなら問題なさそうだとうなずく。


「今夜は遅くまですまなかったね。お疲れ様だ、小宮くん」


 労いの言葉に頭を下げて、僕はタイムカードを切った。

 記録された終業時刻は、もう午前零時が近い。遅くなった。

 急いで更衣室で私服に着替え、スーパーの通用口へ向かう。

 裏の敷地から、建物の出入り口側に回り込むように進んだ。



 ……と、店舗正面に差し掛かったところで、僕は咄嗟に足を止めた。


 表の市道へ通じる路地には、駐輪場がある。

 そちらへ目を凝らすと、人影が見て取れた。


 しかも街灯の下で直立しているのは、よく見知った女の子だ。

 ガーリーなカットソーとショートパンツの、涼しげな私服姿。

 セミロングの黒髪は左右非対称な形状で、大きな瞳は薄墨色。

 傍らには、彼女の乗ってきたものらしい自転車が留めてある。


 紛れもなく、バイト仲間の晴香ちゃんだ。


 ――こんな時間なのになぜ、晴香ちゃんがここに居るんだろう? 


 その場で思わず、少し考え込んでしまう。

 晴香ちゃんは最近、退勤前の挨拶に来てくれないため、店から出るところを見ていない。

 しかし通常通りなら未成年の女性従業員なので、午後九時半頃には帰宅しているはずだ。

 いったん家まで戻ってから、店内に大事な忘れ物でもして引き返してきたのだろうか? 



 予期せぬ事態に戸惑っていると――

 そのとき晴香ちゃんが顔を上げて、こちらをつと振り返った。

 僕が店の裏手から出てきたのを、それとなく察知したらしい。

 ゆっくりした足取りで、暗がりの中を歩み寄ってくる。


「アルバイトお疲れ様です、先輩」


 目の前まで来ると、晴香ちゃんは神妙な物腰で言った。

 スーパーの脇を通る路地には、通り掛かる人も他に居ない。

 街灯から降る淡い光の他は、深い静寂が辺りを包んでいた。


「いったい、夜遅くにどうしたの」


 僕は、事情を把握できないまま、ひとまず注意をうながした。


「こんなところに女の子が一人で居たら、危ないよ」


「先輩はあたしのこと、心配してくれるんですか?」


「当然じゃないか。晴香ちゃんは未成年なんだから」


「……そうですか。あたしが未成年だから、ですか」


 当たり前の事実を指摘すると、しかし晴香ちゃんの声音が多少沈んだ。

「未成年」という言葉が出た途端、瞳の奥に暗い陰が落ちたかに見えた。

 そこでまた二、三秒ほど、双方のあいだに僅かな沈黙が生じる。



「あのですね、先輩」


 酷く気詰まりな空気が漂う中で、晴香ちゃんの方から切り出してきた。


「実は大事なお話があって、ここで先輩がお店から出てきてくれるのを待っていました」


「……晴香ちゃんが僕に大事な話? まさか先に退勤してから、ずっと待っていたの?」


 軽い驚きを覚え、当惑しつつも反射的に訊き返す。

 晴香ちゃんは「はい」と、真剣な様子で首肯した。


 どうやらアルバイトを退勤したあと、こんな場所に一人で居たようだ。

 ぱっと見ただけの印象でも、虚言をろうしているようには感じられない。

 だが事実とすれば、およそ二時間半近くも僕を待っていたことになる。


「どうしてメッセージとかで、事前に話があるって連絡してくれなかったの。そうすれば、深夜

に駐輪場なんかで長い時間待たなくても済んだだろうに」


「それはその通りなんですけど……。あたしの話を聞いてもらえるようにメッセージで頼んだと

しても、万一日時の都合が付かずに断られたらと思うと」


 素朴な疑問を投げ掛けてみると、晴香ちゃんはやや体裁悪そうに言葉をにごした。


「何となく、同じことを二度お願いする勇気が、出そうにもない気がしたというか……」


 だから待ち伏せみたいな真似をして、いきなり僕と直接会って話そうとしたのか。

 そんなにまで大事な話だったら、無下に突き放して聞かないことなんかないのに……

 と思ったけど、晴香ちゃんは最近の状況をかえりみて、不安に感じていたのかもしれない。

 いくらか互いに距離を置いていたような、ちょっと気まずい雰囲気があったからなあ。


「言おうかどうしようか、散々迷って。マリナにも何度か相談したりとかして――そうしたら、

あの子からは『止めておきなよ』って、忠告されたりもしたんですけど」


 晴香ちゃんは、訥々とつとつと続けた。

「大事な話」について、南野さんには先に打ち明けているらしい。

 女子高生同士で、身近な友達でもあるわけだから、当たり前か。

 そうして南野さんは「大事な話」を、僕へ伝えることに反対しているという……。


「でも、何も言わずに後悔したくないから、やっぱり言うことにします」


 晴香ちゃんは、友達からの制止を、素直に受け入れるつもりはないみたいだった。



 頭上の街灯がほんの一瞬、ちかちかと明滅する。

 あたかも何かの警告を発しているかに思われた。


 まだ店の中には従業員が残っているけど、ここへ来る人は居ないだろう。

 なぜなら、これから退勤するスーパーの関係者は全員、マイカー通勤だからだ。

 従業員用駐車場は、敷地の反対側にあるので、逆方向の路地から帰宅するはず。

 二人だけで話すには、いかにもあつらえ向きの条件が整っている。


「もしかして」と「まさか」という相反する予感が、僕の脳裏でせめぎ合いはじめていた。

 改めて特殊な状況を理解すると、これがただならぬ展開なのだと意識せざるを得ない。



 晴香ちゃんは、背筋を伸ばすと、何度か緩く呼気を吐き出した。

 左右の手にちからを込め、自らをふるい立たせるようににぎこぶしを二つ作る。

 そうすることで、か細い肩の震えをじ伏せようとしているらしかった。

 互いの視線が重なって、互いの目と目が相手の姿を内側に映す。



「――あたし、先輩のことが好きです」



 晴香ちゃんの唇が開き、透き通るような声音が漏れた。


「もう二年も前から、好きだったんです。単にバイトの先輩だからとかじゃなく、一人の男性として、小宮裕介さんのことが好きです」


 僕は、突如として息苦しさに襲われ、手足を強張こわばらせた。

 身動みじろぎすることもできず、暗い路地に呆然と立ち尽くす。


 晴香ちゃんは、僕の顔から目を逸らさず、尚も先を続けた。

 もはや退くことを放棄し、強い意思を固めた面持ちだった。


「だから先輩に訊きたいんです、先輩にあたしのことはどう思われているのか。未成年のバイト仲間じゃなく、先輩に女の子としてどう思われているのか……」


 そこでもうひと呼吸挟んでから、晴香ちゃんは問いただす。


「もしお願いすれば、あたしを先輩の恋人にしてもらえますか」



 ……僕は、およそ信じ難い事態に直面し、動揺を抑えるのに必死だった。

 晴香ちゃんが僕に対して、好意を抱いている。驚くべき想定外の事実だ。


 いや無論、晴香ちゃんとは過去二年余り、何かと仲良くしてきたと思う。

 アルバイトで休憩時間を一緒に過ごしたり、顔を合わせるたびに挨拶を交わしたり……

 しかし、それはあくまで「同じ店で働く従業員同士としての親しさ」じゃなかったのか。


 たしかに時折、やけに親交を求めようとしてくることがあるな、と思っていたけれど。

 妙な連想が浮かぶ都度、過剰な自意識が生んだ勘違いだと、自ら打ち消してきたんだ。


 晴香ちゃん本人から告白の言葉を聞かされてさえ、容易に信じられない。



 そうだ。何があろうと、晴香ちゃんは僕を好きにならないと考えていた。

 それこそ日頃からアルバイトで、彼女を身近に眺めていたから――……


 ――うんうん、いいことですよなのは。


 ――あたしですか? あたしは全然、ですけど。


 ――お菓子を手作りする方がっぽいなら検討したいと思います。


 晴香ちゃんとのやり取りを思い出す。

 事ある毎に彼女が口にするのは、常々「普通」という言葉だった。

 そうして、いつしか僕は晴香ちゃんの強い信条に気が付いたんだ。

 何事にも「普通」であることを、この子はとても大切にしている。


 おそらく、アリストテレスが語るせいとは異なるにしろ、中庸ちゅうようこそを美徳としていて。

 あるいは「たったひとつの正しさ」の存在を、そこに見出しているんじゃないかと思う。


 そうした晴香ちゃんの心情は、僕にもある程度なら理解できた。

 むしろ、中高生だった頃の自分によく似ている、と感じている。

 インターネットが発達した現代では、あまり世界が優しくないことを、僕らは知っていた。

 どれだけ努力しても報われるかわからない現実を前にすれば、万事をほどほどにやり過ごし、大人しく「普通」にしている生き方こそ、最適解じゃないかと信じてしまいそうになる。



 ――だから、自分はこの子の恋愛対象外だと思ってきた。


 僕は、大学中退のフリーターだ。

 自分で「普通じゃない」ことを選んだ人間なんだ。

 晴香ちゃんの信条と照らせば、決して相容あいいれない。


 それゆえ、たった今の告白には、驚きと共に懐疑の念を抱いてしまう。



「どうして、晴香ちゃんは僕のことがいいと思ったの」


 僕は、どうしても気になってたずねた。


「フリーターを恋人にしようなんて、普通じゃないよ」


 若干たしなめるような言い方になったのは、いたし方ないと思う。

 もっとも晴香ちゃんは、くじけることなく、うったえ掛けてきた。

 ちいさくかすれた声色だけれど、かたくなさを感じる口調だった。


「……あたし、本当なら先輩はフリーターなんかしているべき人じゃない、って思っています」


 薄墨色の大きな瞳で、こちらへ射抜くような視線を寄越よこす。


「凄く真面目で、優しいし。もっとちゃんとした、普通の生き方ができるはずの人なんだって」


「でも現にフリーターじゃないか、就職活動だってしていないし。それは単なる買い被りだよ」


「いいえ、買い被りじゃありません。きっと先輩ならできます、みんなと同じ普通の生き方が」


 事実を述べて反論しても、晴香ちゃんは聞き入れようとしなかった。

 まるで神託を告げる聖女のごとく、もういっぺん同じ言葉を繰り返す。



「先輩だったら、必ず普通になれます」

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