57:お姉さんはご奉仕したりお仕置きされたり

 僕と美織さんは、日頃からWeb通販を利用する機会が少なくない。

 食料品や日用雑貨、衣類などを定期的に注文し、宅配便で受け取る。


 その日も配送業者がマンションを訪れ、ダンボール箱で梱包こんぽうされた荷物が届いた。

 美織さんが買った品だったので、印鑑を借りて玄関で受領し、伝票をたしかめる。

 で、ひと目見た途端に変な声が漏れて、絶望的な気分になった。


 そこには「品名:メイド服」と、はっきり書いてあったからだ。

 どう考えても先日、お姉さんが購入を検討していた品物だった。


 ――そう言えば配送業者さん、メッチャ白い目で僕を見ていた気がするな……。


 配送票の受取人氏名の欄に記載されているのは、美織さんの名前。

 にもかかわらず、受領したのは男の僕で、荷物の中身はメイド服。

 ひとつ屋根の下で暮らす男女が、いったい何のためにコスプレ衣装を注文したのか? 

 仮にそんな疑問を抱いたとすれば、誰でも恥ずかしい事情を想像するかもしれない。



 ……果たして深夜になると、美織さんは本当に想像通りの行為を実践してしまった。


 アルバイトから帰宅してみると、見事なメイド姿で僕を出迎えてくれたのだ。

 白いフリルやエプロンと、黒い生地の楚々そそとしたワンピースは、ひらひらした形状がいかにも清楚で可愛らしい。色合いはごくシンプルだけれど、コントラストが美しい。

 栗色のロングヘアもヘッドドレスで飾り付けられ、目を奪われてしまった。


 思わず立ち尽くしていたら、お姉さんは僕をそそくさと寝室へ招き入れる。

 例によってデジカメをこちらへ差し出し、自分の恰好を撮影するように強請ねだってきた。

 僕は、半ば混乱した頭の中を整理する間もなく、言いなりになってシャッターを切る。


 それから写真を撮り終えると、いつものように性行為をうながされた。


「ねぇ裕介くん。今夜は特に目一杯、私が君にご奉仕してあげるね……」


 美織さんは、おもむろに僕の腰へ手を掛け、ベルトの金具をそっと外す。

 ボトムスと下着トランクスを順に下ろすと、自らは床の上で立ち膝の姿勢になった。

 次いでメイド姿のまま、僕の下腹部に綺麗な顔を近付け、いつくしみはじめる。

 熱くなった箇所に優しい刺激が加わり、愛しさでうめかずにいられなかった。


「あっ、ああ……。凄いけど、お、おかしいよ美織さん、やっぱり――」


 いったんたかりをほとばしらせたあと、僕は軽い眩暈めまいを覚えながら言った。


「美織さんみたいに素敵なお姉さんが、こういうことしてくれるなんて」


「あははっ。やっぱり、おかしい? 私って、駄目なお姉さんなのかな」


 美織さんは、ベッド脇のテーブルへ手を伸ばし、ウェットティッシュを箱から抜き取る。

 唇や指の汚れをき取ってから、こちらを振り向いて微笑んだ。頬が赤く染まっている。

 枯葉色っぽい瞳は、透明で温かな光彩を宿し、何かを期待するようにうるんでいた。


「だったら、いけないメイドのお姉さんには、裕介くんがお仕置きしてくれる……?」


 甘い声音で言ってから、美織さんはメイド服を自らの手ではだけさせた。

 正面のボタンが外され、内側から白いブラに包まれた双丘が露出する。


 僕は、蠱惑的こわくてき懇願こんがんを受けて、たちまちこらえ切れなくなった。

 お姉さんの手首をつかみ、ちょっとだけ強引に手前へ引っ張る。

 ベッドの上へ一緒に倒れ込みつつ、身体の位置を入れ替えた。

 僕が上になって、おおかぶさる。美織さんはされるがままだ。


 せわしなくブラをぎ取ると、ふくらみの頂点に夢中でしゃぶり付く。

 一方ではメイド服の裾をめくり、脚の付け根の敏感な箇所をこすった。

 その後も普段より幾分荒っぽい動作で、次々と一連の行為に及ぶ。


 美織さんは時折、かすかな悲鳴を漏らしていたけれど、まるで嫌がるような気配はない。

 かえって微妙な抵抗を示すことで、僕の征服欲をあおり、挑発しているかとさえ思われた。

 もしかすると、お姉さんは被虐性愛的マゾヒスティックな嗜好の持ち主なんじゃないか、とたまに考える。

 以前にイルカショーを見た際には、たしか「好きな男の子からしつけられるのが好き」というようなことを言っていたからなあ。



 やっぱり、美織さんは普通じゃないのかもしれない。

 メイド姿のままで、ご奉仕とかお仕置きとか言って。

 率先して性愛に身を委ね、喜びに震えているなんて……


 でも、そんなお姉さんが大好きで、誰より愛しくてならない僕も居るわけで。

 だとすれば、普通じゃない恋人を好きな僕も、普通じゃないのかもしれない。



 そうして、きっと普通じゃない僕らは、普通じゃないままで。

 互いを愛して強く求め、け合うようにひとつにつながった。




     〇  〇  〇




 そのまま夜更けまで、熱っぽく愛し合ったあと――

 僕らは二人で、ベッドの上に並んで横になっていた。

 双方共に一糸いっしまとわぬ姿で、まだほのかに汗ばんだ肌と肌とを触れ合わせている。

 お姉さんのメイド服も行為中に汚れてしまったせいで、脱がざるを得なかった。


「はあぁ~……。それにしても、まさか二八歳アラサーにしてコスプレの魅力にハマっちゃうだなんて」


 美織さんは、僕の腕を枕替わりにしながら、溜め息混じりにつぶやく。


「まあ本当にコスプレ好きな人から見れば、私の場合は単に特殊性癖なのかもしれないけど」


 と、特殊性癖としてのコスプレですか。うーん、いったいどうなんだろう。

 ひと口にコスプレと言っても、色々な方向性のものがありそうだからなあ。



 たしかアニメやゲームのキャラクターを再現するようなコスプレは、作品に対する愛情表現の一種だと聞いたことがある。たぶん根底には、二次創作活動と似た感情があるんだろうね。

 でもメイドや巫女、ナースなどのコスプレについてはどうか? これはよくわからない。

「特定の職業に対する憧れがあって、同じ服装を着用に及ぶ」という話もあるようだけど。

 アイドル志望の女の子がステージ衣装を着たいと思うのに近いのかな。それならわかる。


 ただいずれにしろ美織さんのコスプレには、そういった志向性が含まれてそうもないよね。

 本人が「単に特殊性癖かもしれない」と言っているのは、その辺りを踏まえているのかな。


 あと、美織さんは絵が描けるから、キャラクターに対する愛情表現もコスプレするより同人誌を作る方が早いと思ってそうだし。だからこそ、オタクで美人であるにもかかわらず、これまで人前で特殊な衣装を着用しようと考えたりしなかったのかもしれない……。

 まあコスプレ好きな絵描きさんも、世の中には少なくないらしいけれど。



「ていうか改めて今更だけど、裕介くんはどう思う? その、つまり――」


 美織さんは、僕の顔をのぞき込み、微妙にたどたどしく問い掛けてきた。


「コスプレ衣装を着た私のこと。やっぱり、痛くて恥ずかしいおばさん?」


「……毎回、凄く可愛いって思ってるよ。それに見ていて興奮してくるし」


 ふわふわした栗色の髪をでながら、僕は恋人の耳元で答えを囁く。

 発した言葉に嘘はない。本気でお姉さんのコスプレは可愛いと思う。

 それでいて艶めかしくも感じるし、つい見蕩みとれてしまう引力がある。


 何より美織さんのコスプレからは、美織さんらしさが伝わってきた。

 たとえ「世の中には、白い目で見る人間が居るかもしれない」と感じていても、どんなことであれ好きなものを好きだと曲げず、あるがままで居られる心が美しい。


 ただし一方で、それを万人に肯定されようとは考えていないらしかった。


「そ、そっか。――あの、でもね。私もコスプレがしたくなるのって、君の前でだけだから」


 美織さんは、安堵の表情を覗かせつつも、うっとりした口調でつぶやく。


「裕介くんに見てもらうのが、好きなの。君にだけ、色々な私のことを見てもらうのが……」


 互いを見詰める二人の視線が、にわかに間近で絡み合った。

 次いでどちらからともなく、相手の唇を自分のそれで吸う。


 時折、性交渉セックスは単純な生殖行為じゃなく、複雑な精神活動だと感じる。

 双方が裸身をさらけ出し、相手にすべてを委ねることで、互いを受け入れ、通じ合う。

 綺麗な部分も、けがれた部分も、魅力的な部分も、愚かな部分も、不思議な部分も……

 二人が交わり合うなかで、何もかもを愛しさへ変えていく、儀式のようだと思う。

 美織さんがコスプレして、僕だけに見せてくれる姿さえも、いまや例外じゃない。


 もっとも、こんな幸せを味わえるのは、たぶん僕の恋人が美織さんだからだろう。

 これほど素敵なお姉さんと愛し合うことができる事実を、感謝せずに居られない。



 僕は、また胸の奥から、ささやかで温かな気持ちが湧き上がってきた。

 それは愛しいお姉さんを喜ばせてあげたいという、素朴な願望だった。

 僕を喜ばせようとする恋人に対して、同じように応えたくてならない。


「ねぇ美織さん。次にお互い仕事を休めそうな日が来たら――」


 僕は、たっぷりキスを済ませてから、ベッドの上でお姉さんを抱き締めた。


「このあいだみたいに二人で、どこかへデートに出掛けようか」


 水族館でデートした日から、もうすぐ一ヶ月が経つ。

 そろそろ今月も、遊びに出歩いておきたいところだ。

 じゃないと、皐月さんに色々言われそうでもあるし。


「一緒に行ってみたい場所とか、興味のある行事イベントとかはない?」


「……う、う~ん。デートで行きたい場所や気になることかあ」


 唐突な提案だったせいか、美織さんはややきょかれた様子でつぶやいた。

 こちらへ裸身をり寄せると、僕の身体に手を回しつつ、僅かに沈思ちんしする。


 それから、五、六秒の間を挟んで、ふっと思い出したように言葉をつむいだ。


「次のデートは、二人で映画が観たいかな」


「へぇ、映画か。気になる作品でもあるの」


「うん。今泉いまいずみ監督の『星空の庭』が観たい」


 映画鑑賞とは案外無難だなと思ったけれど、詳しく要望を訊いて納得した。


 映画『星空の庭』――

 今年度最大の注目作と言ってもいい、劇場版アニメだよね。僕も作名は知っている。

 マスメディアも、すでに「公開後の興行収入が一〇〇億円を超えた」と報じていた。

 原作者でもある今泉しん監督の作風は、近年若年層を中心に絶大な支持を集めている。


 美織さんは元々アニメ好きでオタクなんだし、興味を持っていたとしてもおかしくない。

 むしろ言われてみれば、今まで映画館へ足を運ぼうとしなかったことの方が意外に思う。

 まあ、お盆前後は仕事もプライベートも色々と忙しそうだったし、単に映画のことにまで意識が向いていなかったんだろうね。コスプレ衣装を選ぶのにも夢中だったからなあ……。


 とはいえ、明確な希望があるのなら話は早いよね。


「いいね。じゃあ近々、映画館に『星空の庭』を観に行こう」


 寝転がって抱き合いながら、互いの額を寄せて囁く。

 美織さんは「うん、そうだね……。楽しみだな」と微笑んだ。

 そんな有様が無垢な少女みたいで、とても可愛らしく見える――

 ついさっきまでは、性行為で艶めかしい嬌声を漏らしていたのに。


 ――お姉さんは、とんでもなく卑怯ひきょうな恋人だ。


 僕は、美織さんと裸同士で体温を交換しながら、そう考えた。




     〇  〇  〇




 僕にとって、アルバイトのシフトが直近で休みになる日は、八月第四月曜日だった。

 それで美織さんは月末〆切のイラストを、前日までに描き上げて提出してしまった。

 取引先から納品査収の連絡が来るまでの合間を利用して、外出しようというわけだ。


 市内で映画『星空の庭』を鑑賞するのなら、たぶん中央区へ出向くのが一番手っ取り早い。

 駅前に「星澄セラフタワー(通称・星澄タワー)」という、昨年開業した高層ビルがある。

 そこの一六~一七階では、市内最大規模の複合映画上映施設シネマコンプレックスが営業しているんだよね。



 デート当日は、昼食を済ませてからマンションの部屋を出た。

 今回はタクシー会社に配車を頼んで、星澄駅前まで移動する。

 駅前広場にある大時計付近で降車すれば、目的地は目の前だ。

 そこには地上三〇階に及ぶ、真っ白な外壁の高層建築物――

 星澄セラフタワーがそびえ立っている。


 ちなみに「セラフ」というのは、位階が高い天使のことだったっけ。

 星澄市内には、星や天使に因んだ名称の施設や団体が多いんだよね。


 僕とお姉さんは、タワー正面の出入り口をそろってくぐると、ホールを抜けて奥まで進む。

 コスメブランドやジュエリーショップの前を横切り、中央エレベーターに乗り込んだ。

 およそ数秒の軽い浮遊感を味わってから、一六階で降りる。フロアエントランスの先はもう、映画館「シネマコネクトHOSHIZUMI」の施設だった。



 さて、『星空の庭』本日二度目の上映開始は、午後一時五〇分からだ。

 スマホで時刻を確認してみると、現在午後一時半。まず予定通りかな。


 とりあえず券売カウンターで、大人二人分のチケットを購入した。

 それから上映時刻までのあいだ、売店であれこれと買い物をする。

 コーラとオレンジジュース、ポップコーン二つを順に注文し、僕が受け取っていると――

 美織さんは、グッズが並ぶショーケースを覗きながら、店員さんに早口で話し掛けていた。


「まずはパンフレット、次にアクリルキーホルダーを各キャラ一個ずつ下さい。それとポスターにクリアファイル、ポーチとマグカップも。――えっと、そこのトートバックを買ったら、そのなかに他のグッズはまとめて入れてもらえますか。あと、こっちのアクリルスタンドフィギュアですけど……もう売り切れですか? うーん、じゃあ代わりに文具セットを――……」


 …………。


 片っ端から『星空の庭』の関連グッズを確保しようとしている。

 うんまあ、お姉さんってそういう人ですよねー。知ってました。

 ていうか映画自体を観る前から、こんなに色々と買い漁るとは……

 ひょっとして、すでにメチャクチャこの作品に肩入れしてません? 


 何はともあれ、あと一〇分弱で上映時刻になっちゃうから、早く会計済ませてね……。

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