こじらせお姉さんと僕だけのラブコメ

坂神京平

第一章「初めてのお姉さん」

1:お姉さんの急なお誘い

「端的に言うと、もう裕介ゆうすけくんは働かなくてもいいよ?」


 五月下旬の、ある土曜日――

 僕は、星澄ほしずみ駅前の喫茶店で、とんでもない申し出を受けた。


「私と同棲してくれるなら、君のことは扶養ふようしてあげる」


 目の前に居るお姉さんの顔を、思わずまじまじと見詰めてしまう。


 今、僕とテーブルをはさんで座っている相手の名前は、花江はなえ美織みおりさん。


 ふわふわした栗色のロングヘアが印象的な女性だ。

 たしか先日二八歳になったばかりだそうだから、僕より七つ年長ということになる。

 もっとも、傍目はためだと面立ちは女子大生ぐらいにしか見えないんじゃないかと思う。

 白いレースブラウスとピンク色のフレアスカートを、ゆったりと着こなしていた。


「え、えっと。働かなくてもいい、というのは……?」


「そのままの意味だよ。代わりにずっと私の傍に居て」


 わけがわからずき返すと、美織さんは明快に答えた。

 真剣そのものの口調で、頬は薄く桜色に染まっている。


「それでもちろん、将来的には私と結婚することも考えてもらえると嬉しい……」



 僕は、予期せぬ急展開に驚き、戸惑わずにはいられなかった。

 ひょっとするとだまされているんじゃないか、なんて疑念さえ抱いてしまう。

 なので、いったん気持ちを落ち着けて、きちんと現状を整理したくなった。


「あー、あのですね美織さん」


「どうしたのかな、裕介くん」


「僕らが初めて顔を合わせたのって、たしか二月下旬でしたよね。およそ三ヶ月前ぐらい」


「そうだね。お互いネットでやり取りするようになってからは、もう一年以上になるけど」


 改めて確認を求めると、美織さんは補足しつつ肯定する。


 そう、僕らが面識を得たのは、Web上の友人知人を集めたオフ会がきっかけだ。

 元々は短文投稿サイトツイッターゆるい接点を持つ、同じ趣味の人間同士だったに過ぎない。

 でも実際に会ってみたところ、僕は美織さんに何となくかれる部分を感じた。

 そして美織さんも僕に対し、初対面の日のうちにおおむね同じ印象を抱いたらしい。


 以来何度か、駅前で顔を合わせて、益体やくたいもない話をする間柄になりつつあった。

 最初は美織さんから誘われ、次はお返しに僕が誘った。三度目は美織さんから。

 その後は代わる代わる、半月に一、二回の頻度で互いに相手を呼び出している。

 尚、今回は僕が美織さんに呼び出され、喫茶店で同じテーブルに着席していた。


「でもって、たしかに今日は大事な話がある、って事前に聞いてましたけど……」


「うん。どんな反応をされるか不安だったけど、どうしても君に伝えたかったの」


 美織さんの瞳は、枯葉かれは色っぽくて、時折物寂ものさびしそうに見える。

 だが今は決然とした光が宿っていて、強い意志が感じられた。


「私が扶養してあげるから、同棲して、ずっと一緒に居て欲しいって」


 いましがたと同じ言葉を、もういっぺん繰り返す。

 ……どうやら、目の前のお姉さんは本気みたいだ。



「あの、僕が今日、美織さんと会って話す前までに考えていたことを、正直に言います」


 僕は、居住まいを正して、美織さんに向き直った。

 自分なりに精一杯、誠意ある態度を意識して話す。


「もしかしたら、美織さんから交際を申し込まれるのかと――つまり、お互い恋人同士になろうって、正式に告白されるかもしれないと思ってました。もちろん、我ながら自惚うぬぼれているなあ、とも考えたんですけど」


 これは本当に嘘偽りない事実だ。

「僕と美織さんは両想いだ」という、ぼんやりとした予感はあった。

 よくある恋愛漫画の主人公ほど、自分は鈍感じゃない自信もある。

 とはいえ、物事には過程プロセスとか段階ステップというものがある、とも思う。


 一般的に考えると、互いに好意を持つまでの過程を経た二人にとって、次なる段階は恋人同士としての正式なお付き合いをはじめることだろう。

 そういうわけで、美織さんから交際を申し込まれた場合にどういった返事をすべきかを、今日は自分なりに心の準備を済ませて、この場へ来たつもりだったんだ。


 ――けれど、まさか突然「同棲して」なんて言われるとは。


 どう考えても、途中の過程を随分省略しているし、いくつか段階を飛ばしている。

 おまけに要求を呑めば、もう労働しなくていい、扶養してもらえるだって……? 

 想定外な上、あまりに都合のいい話で、かえって怪訝けげんに感じられてしまう。


「そういうわけで、いきなり一緒に暮らそうと言われても、ピンと来ないというか……」


 包み隠さず心情を打ち明けると、美織さんは納得した様子でうなずいた。


「あはは、そっか。正式に告白して、お互い恋人同士にね」


 ちょっぴり相好そうごうを崩して、優しい声音でつぶやく。


 僕もそれに釣られて、自然と安堵の笑みが漏れた。

 ああよかった、こちらの当惑が伝わったらしい――

 なんて一瞬思ったのだが、すぐに誤解だとわかった。


 なぜなら、お姉さんが驚くべき主張に同意を迫ってきたからだ。



「でもまあ、恋人になるのも同棲するのも概ね同じだよね」



 …………。


 ……はい? 


 僕は、反射的に目を剥き、次なる言葉に詰まってしまった。

 どんな答えを返すべきなのか、咄嗟とっさに判断が付かなかったからだ。

 テイウカ、コノオ姉サン何ヲ言ッテルンデスカネ……?(片言)


「だって裕介くん、私たちってもう大人でしょう」


 ほんの少したじろいでいると、美織さんが前へ身を乗り出してきた。

 ぱっと見た感じ、到底二〇代後半には思えない顔がこちらに近付く。


「いいかな? 私の方が年上ではあるけど、お互い二〇代の大人なんだよ」


 美織さんは、生徒を指導する女教師みたいな仕草で、人差し指を立てて言った。


「言い換えると成人済み。むしろ法改正でもうすぐ一八歳でも大人だから」


 さらに数センチ、お姉さんの可愛らしい顔がずいっと接近する。

 僕は、ついあべこべに上体を反らして、わずかに距離を取ろうとしてしまった。

 謎の圧迫感を覚えたせいだ。やばい、なんかわからんけど額から汗出てきた。


 しかし美織さんは、こちらの反応なんておかまいなしに話を続ける。


「知ってる裕介くん? 成人済みなら、えっちな動画やDVDを視聴しても怒られないって」


「え? ええ……。そりゃ、常識的に知ってますけど。僕も人並みには見たことありますし」


「しかも大人は三次元のえっちなものだけじゃなく、漫画やゲームや同人誌みたいな二次元媒体のえっちなものでも、男女問わず合法的に購入して楽しめるんだよ?」


 なぜか成人向けコンテンツに関する認識を、唐突に問い掛けられてしまった。

 面食らって話を合わせてみたものの、ますます意味不明で混乱するばかりだ。

 しかしお姉さんの口調は、いっそう熱を帯びた。


「そうだよ、一八歳以上なら! 純愛系のエロ漫画やエロゲやエロ同人誌の登場人物さえ、好きな相手とあんなことやこんなことするの! 架空のキャラクター、非実在男女すらえっちな行為に及ぶわけ!! ――だったら現実で二〇代の健全な男女は普通に同棲するし、二八歳と言えば一八歳より遥かに年長なんだよわかる!? これはもはや両想いならば当然同棲する流れ!! というか同棲しなきゃ手遅れにならないうちに!!」


 それはなぜか、半ば悲鳴じみた訴えだった。


 僕は、いささか呆気に取られ、数秒余り口をつぐんだ。

 それから、何となく嫌な気配を感じて、目だけで店内の様子をうかがってみる。

 案の定、付近のテーブルに着席している他のお客さんたちが、ひどく不思議なものに出くわしたような顔つきで、ちらちらと僕らを盗み見ていた。気まずいってもんじゃない。


 と、さすがに美織さんも周囲の視線に気付いて、我に返ったらしい。

 こほんとちいさく咳払いしつつ、取りつくろうように紅茶のカップを手に取った。

 ダージリンティーを一口飲んでから、こちらへ再び微笑んだ面差しを向ける。


「……ということで、私と同棲しましょう裕介くん。ねっ?」


 上辺の体裁は整えても、お姉さんの要求自体に変化はないみたいだ。

 ていうか「ねっ?」って軽く誘うような話じゃないと思うんですが。



「あの、美織さん」


 僕は、努めて平静を保つと、仕切り直すように話し掛けた。

 現状における懸念を、改めて説明する必要性を感じながら。


「とりあえず、僕は自分が美織さんと恋人同士になってもいいものか、かなり迷っています」


「えっ。これって、まだの話だったの……?」


 あからさまに落胆した様子で、美織さんはかぶりを振りつつ嘆く。

 でも、これから話す件は大切な問題なので、かまわず先を続ける。


「以前に話したことがあるはずですけど、僕は世間的にはいわゆるフリーターってやつです」


 自分で言及しながら若干羞恥しゅうちを覚えたものの、事実だし誤魔化すわけにはいかない。


「美織さんのことを考えたとき、僕みたいな男が果たして恋人として相応しいかどうか……」


 親元を離れ、星澄学院ほしずみがくいん大学へ進学したものの、一年足らずで中退――

 以後、僕はスーパーでアルバイトしながら、気ままな一人暮らしを続けていた。

 当然の成り行きで仕送りは止められ、両親とは二年以上も連絡が途絶えている。

 非正規労働で生活費を稼ぎ、現状は別段将来の展望なんてものもありゃしない。


 正直言えば、それだけに持ち掛けられた提案は魅力的なものだ。

 可愛いお姉さんと恋人になれて、同棲して、扶養してもらえるという。

 こんな美味しい話が他にあるだろうか? 


 ……だがひとつ、この申し出には大きな問題がある。

 それはすでに僕が、かなり美織さんのことを好きになってしまっている、ということだ。

 好きな人には、幸せになって欲しい。ところが、僕には誰かを幸せにできる自信がない。


 美織さんは、本当に素敵な、可愛らしいお姉さんだ。あこがれさえ感じる。

 時折、挙措を見ていて「ちょっと変な人だなあ」と思うこともあるけれど……

 それもある意味じゃ愛嬌あいきょうだろうし、二人で一緒に居ると優しい気持ちになれた。

 たしか普段は、デザイナー(?)みたいな仕事をしている、と聞いた気がする。

 僕を扶養したいだなんて言い出すぐらいだから、高収入なのかもしれない。


 ――それらを踏まえた上で、もし僕が美織さんの恋人になったら? 


 この素敵なお姉さんに対して、迷惑を掛けてしまうんじゃないだろうか。

 ましてや同棲したり、将来結婚することを前提にお付き合いするなんて。

 美織さんの幸せを、逆に僕が食い物にしてしまう気がしてならなかった。

 だいたい「働かなくてもいい」と言われたって、アルバイトすら辞めて女性から養われるようになったら、もう本格的にってやつになってしまう。


 体面上の見栄みえを差し引いても、自分が相手の不幸の種になるような真似は避けたい。

 だから今度こそ、きちんと気持ちを伝えるべく、真剣に語り掛けたつもりだった。


「……なるほど。裕介くんの言い分は、だいたいわかりました」


 ひと通り僕が話し終えると、美織さんは再度穏やかに微笑む。


「それじゃあ、まずはお姉さんと同棲してみよっか裕介くん?」


「全然わかっちゃいないじゃないですかあああァァ――ッ!?」


 間髪入れずに大声で、全力のツッコミを入れざるを得ない。


 だが直後、身の縮む心地を味わったのは、むしろ僕の方だった。

 他のお客さんが皆、いぶかしげな目でこちらを見詰めていたからだ。

 これじゃ、僕だって美織さんのことをとやかく言えないな……。



「まあまあ落ち着いて、私の話を最後まで聞いて欲しいの裕介くん」


 美織さんは、おもむろに年長者振った余裕を示して、なだめるように言った。

 まるで「君が衆目を集めるような恥ずかしい態度を取ったりしても、お姉さんはちゃんと受け止めてあげるよ?」とでも言いたげな素振りだった。

 自分も直前に恥ずかしい態度で注目されていたことは、もはやあっさり棚上げしている。


「決して、君の話を聞いてなかったわけじゃないから。お互いにもう少し歩み寄ろうよ」


「それで少し歩み寄ると、どうしてまた二人でいきなり同棲するって話になるんですか」


「そこはそれ、ちょっぴり私の言葉が足りなかっただけだよ。補足して言い直すと――」


 妙に熱っぽい目つきになって、美織さんは僕の顔を覗き込んだ。



「ひとまず今夜一晩、お試し同棲してみない? 



 僕は、またまた夢想だにしない誘いを受けて、不意に全身硬直してしまう。

 息が詰まって、視界がかすんだ。そのくせ、左胸の鼓動が急加速しはじめる。


 いったい何なんだ、突然どういうことなんだ。思わず頭を抱えたくなった。

 お試し同棲って……単に美織さんの家で、外泊していけってことですよね。


 そりゃ本当に少し歩み寄っただけで、やっぱり急展開じゃないですかあァ――……ッ!? 






 僕は、すっかり混乱の渦中におちいっていた。


 それゆえ、この日の出来事を客観的に振り返ることができるようになったのも、まだいくらか先のことだった。


 なぜ、お姉さんがこんな僕と同棲することを望むのか。

 果たして、僕にお姉さんを好きになる資格があるのか。

 そうした疑問に答えを得るまでには、しばらく時間の経過を待たねばならない。


 ただし近い将来、やがてきたるべき時期が来れば、僕もお姉さんも多くを悟ることになる。


 これは、たがいを知る前からはじまっていて、恋をはじめてからもなあ続く……

 そんな僕とお姉さんにとって、自分らしさを認め合うための物語だってことが。

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