第28話 恐怖




「さぁ、皆さんはこちらの荷台に乗って下さい」

「だ、だが工場が!」

「お父さん、無理を言わないで! 工場はいつでも再開できるけど、技術を知るお父さんや職人さんたちが死んだら終わりなのよ?!」

「うっ……」


 トロールド・ストレンジ・バンプキンと焔たち三人が交戦する位置より少し下がった場所で、職人親子とサイクロプスのメンバー二人を連れて下がってきた乃蒼は、職人親子にペットの霊獣:玄武の後方に連結した荷車に乗り込むように促した。


 職人親子は口論を続けながら引っ張られるようにして下がってきたが、娘の叱責に父親の方がついに折れた。

 

 JCDF(新日本電脳防衛軍)から依頼の報酬の一つとして譲り受けた荷車は、大人なら四〜六人は乗り込める広さがある。

 その上部に玄武の周囲を流れる水流を膜のようにして覆い被せることで、電脳獣オーガの攻撃をある程度防ぐことができるほか、人の手が通過することも防ぐことができる。防御面でも、防犯面でも有用な荷車になっていた。


「乃蒼、あそこの交差点まで下がれるか?」

「えぇ、大丈夫です」


 親子が乗り込み、荷車の両側にサイクロプスの二人が守るように立つと、魅綺城は焔たちの状況を確認しながら、乃蒼に声をかけた。


 乃蒼は玄武をゆっくりと後退させ、周囲を警戒しながら焔たちの状況を見守る。


 トロールド・ストレンジ・バンプキンは、元を正せば電脳獣オーガの一種でしかなく、サイコ・ディスプリクションというゲームの中のモンスターでしかない。

 そこにプログラミングされた以上の行動指針はなく、多少のAIによる感情表現はあれど、人間と同じように目まぐるしい感情の変化や揺れ、精神崩壊が存在するわけではない。

 システムとして敵対心ヘイト管理がなされ、人間側もそれを逆手にとって身の安全を確保することをすでに覚えていた。


 それは乃蒼やサイクロプスの面々も当然のように熟知しており、神無四兄妹の中でも特に勉強熱心な乃蒼は、自身が後衛のサポート役であることも自認しており、自身が起こす行動が電脳獣オーガに対してどのような影響を与えるのか、それをしっかりと把握していた。


「皆さん、お怪我はありませんか?」


 バンプキンの鈍くも激しい猛攻を躱しながら、焔の的確な指示で敵対心ヘイトをコントロールしていることに乃蒼はひとまず安堵し、まずは自分の役目を果たすことに集中することにした。


 乃蒼の役目はパーティのサポート役だ。固有武器パーソナルウエポンであるサイコのアスクレピオスの杖には、初期スキルとして〈リカバリー〉が備わっていた。

 それはサポートにとって最重要とも言うべき、HP(ヘルス・プロテクション)を回復させることが出来るスキルだ。

 対電脳獣オーガ戦においてHP(ヘルス・プロテクション)は大切な命綱であると同時に、敵対心ヘイトコントロールを大きく揺れ動かす要素でもあった。


 攻撃を当てた際のダメージ値がそのまま敵対心ヘイトを向上させる数値となるのだが、回復させた場合にはその数値に倍率補正がかかる。


 つまり、攻撃よりも回復の方が敵対心ヘイトを急激に上昇させるのだ。

 

「だ、大丈夫だが……彼らこそ大丈夫なのか?」


 玄武が牽引する荷車に乗り込んだ職人の親父が心配そうに焔たちとバンプキンの交戦を見つめていた。

 娘の方は父親が退避してくれたことに安堵しつつも、その腕の服を握りしめながら同じように視線を向けている。


「こっちで確認できるHP量の動きは安全圏内と言っていい。若いのによくやる、君たちは結成何年目だ?」


 職人親子の護衛を兼ねて、乃蒼と一緒に下がってきたサイクロプスの一人が手首の“PBサイコ・バンド”を確認しながら、レイドを組んだ焔たちのHPを確認して言った。


「今年成人したばかりです」


 油断なく推移を見守る乃蒼が、チラッとだけその男の方を見て言う。


「ほ、本当か……」


 それを聞いて僅かに目を見開き、声にならない声で呟くが、それにはもう乃蒼が答えることはなかった。




 その様子を見ていた魅綺城は、サイクロプスの男の驚きも無理はない、と心中で感じていた。

 魅綺城自身も焔たちがこれほどに冷静で、協調性を持って行動できていることに驚いていた。対電脳獣オーガ戦において、サイクロプスが最初に超えなくてはならない壁は、“恐怖”だ。


 人外の魔物、想像上の魔獣、幻想的な生き物たち、信仰心を揺さぶる悪魔との対峙、そのどれもがホログラムであると判っていても、心が——脳がそれを現実だと訴えてくる。

 恐怖の荒波が心を、感情を何度も打ちつけ、一瞬の理解を飲み込み捕える。


 その中であって、地に足つけて立てるかどうか。立てなければ溺れ死ぬだけ、立てた者だけがこの現実を生き抜くことが出来るのだ。


 その点において、焔たち四人は電脳獣オーガという存在に対して、電子創世記サイコ・ジェネシス以前からの生存者と比べると、ごく僅かな恐怖心しか抱いていなかった。

 それは電脳獣オーガという存在が彼らにとって未知の恐怖ではなく、いつも隣に存在する敵であり、仇であり、死であった。

 と同時に、生きるための糧であり、狩りの対象であり、生きるために必要なものであったからだ。


 恐怖に縛られない強い心——それこそがサイクロプスにとって最も必要な要素なのではないか?


 魅綺城はそう思えてならなかった。


(誰しもが恐怖に負けぬ強い心を持っていれば、ミナトの大敗は……)


 満面の笑みを浮かべながら希少種ネームドであるトロールド・ストレンジ・バンプキンを殴り蹴る綯華を、自分のスキルに振り回されて絶叫を上げつつも巨大なハンマーを振り下ろす虎太郎を、まだまだ荒いが声を張り上げて指揮をする焔を、そして戦闘に参加はしていなくても周囲の警戒にHPの推移を見逃さずに監視している乃蒼。


 魅綺城は神無四兄妹の戦いを見守りつつも、そこに自分がいないことに僅かな憤りを感じ、自身のサイコである大太刀——“蛍丸ホタルマル”の鞘を少しだけ強く握りこんだ。


「お、おい! さらにトロルが湧きそうだぞ!」


 その時、乃蒼たちの護衛として一緒に下がって来たサイクロプスの“PBサイコ・バンド”が、電脳獣オーガの出現を報せる警報アラームを鳴らしだした。



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