第25話 トロル




 橋を渡ると“PBサイコ・バンド”に表示されるミニマップは、周囲すべてを危険区域デンジャーエリアへと変えた。

 ここからは電脳獣オーガの出現に警戒しつつ、すでに湧いている電脳獣オーガとの遭遇戦にも気をつけなくてはならない。


 電脳獣オーガと接敵し、相手がこちらを敵対者として認識すれば、ミニマップに赤点となって位置情報が表示される。

 進行方向に現れる保証などなく、前後左右だけでなく、見上げる廃屋の屋根やその上空も警戒する必要があった。


 自然と進むスピードが一段階落ちるが、無警戒に進んで包囲されるよりかはマシだ。扱う武器やシステムはゲーム由来でも、すでに世界とリンクした現実——コンティニューなどないのだ。


 ナカノに足を踏み込んで少し進むと、先頭を歩く綯華の足が止まった。


「何か来るよ」


 綯華の耳に聞こえてきたのは、重量級の何かが歩く足音だった。足に装着しているサブガジェットのヘルメス越しでも、一歩進むごとに地面が揺れるのを感じ取れていた。


 焔たち四人の脳裏に、ナカノを中心に闊歩する長身の電脳獣オーガが思い浮かんだ。


「乃蒼、玄武を止めて後退。虎太郎、上を取れ!」


 ショルダーホルスターからフライクーゲルを引き抜いた焔が乃蒼と入れ替わるようにして前に出る——同時に、虎太郎は背中に背負う〈ジェットスラスター〉を吹かしながら、廃屋の屋根へと上がった。


 綯華には指示が出なくとも、彼女は正面で手のひらを拳で打ちながら電脳獣オーガが出て来るのを今か今かと待ち構えている。

 

 そして、十字路の角より一体の電脳獣オーガが姿を表した。


 緑に沈む廃屋の角から伸びてきたのは真っ黒な長い指、節も関節も見分けがつかないそれには、星の煌めきに似た小さな光点が斑点のように散りばめられ、続いて出てきたのは長い腕と同じ真っ黒で斑点模様の頭部にやたら長い胴体。


「トロルだッ!」


 綯華が電脳獣オーガを確認して開口一番叫んだ。


 トロルは廃屋の屋根よりもさらに高い頭身を持つ、細身の人型電脳獣オーガだ。上から下まで闇色と斑点模様で覆われ、目も鼻も口も、そこに穴が空いているだけで何もない。

 空洞の眼底に見えるのは、吸い込まれそうなほどの漆黒。動きはゆっくりとしているが、まるで伸縮するように蠢く手は間合いが測りにくい。


 それでも——。


「うぉりゃぁ〜!」


 綯華は気合が抜けそうな気勢をあげて走り出すと、何もない中空を踏みしめて空中へと駆け上がった。

 サブガジェットのヘルメスが持つ固有機能〈空中ダッシュ〉によって空を駆ける綯華は、トロルの振る長く黒い手をかい潜り、両脇を引き締めて頭部の目の前にまで躍り出た。


「ッてやぁ〜!」


 白銀の手甲——ヤルングレイブから繰り出した左右の連撃がトロルの頭部を綺麗に打ち抜く。


 トロルは人とも動物とも思えない、機械的な絶叫を上げて仰け反り倒れた。


 その後方にあるのは虎太郎が登った廃屋とは別の建物なのだが、トロルの巨体が倒れこんでも建物を倒壊させることはない。

 トロルたち電脳獣オーガは、サイコ・ディスプリクションの基幹システムが見せているホログラムに近い。それ自体に建物を破壊し、樹々をなぎ倒す物理的な力や質量を持ち合わせてはいないのだ。


 それでも人々の身を殴り飛ばし、踏み潰し、握りつぶすことができるのは、マキナ粒子の存在があるからに他ならない。

 

 廃屋に寄りかかるように倒れたトロルが動きを止めると、その隙を待ち構えていた虎太郎が再び〈ジェットスラスター〉を吹かして空高く飛び上がった。


「くぅ〜〜〜〜〜ぶ、ブースターオンッ!」


 〈ジェットスラスター〉で上空へと上がった虎太郎が、今度はメインアームであるミョルニルの円錐型推進装置を発動させ、ジェット噴射によって急速落下し始めた。


「ン、ン————ッ!」


 初陣したばかりの頃とはもう違う。虎太郎は急加速に悲鳴をあげることなく歯を食いしばり、ハンマーヘッドの角度を細かく動かしながら落下ポイントを微調整。

 トロルに肉薄した瞬間に推進器の噴射を止め、その勢いを利用して体を一回転させながらミョルニルのハンマーヘッドをトロルの胸部へと叩きつけた。


 再びトロルから機械的な絶叫が上がり、寄りかかる建物には衝撃が貫通した蜘蛛の巣のようなフェイクグラフィックが広がった。

 強打を打ち込んだ虎太郎は跳ね返るようにトロルの前に着地すると、そのまま〈ジェットスラスター〉を小刻みに吹かしながら後退する。


「虎太郎ぅナイスぅ〜!」


 こうなれば後は追い討ちをかけるだけ——退がる虎太郎を走る綯華が追い越し。


「ドロップキ〜ック!!」


 走る勢いそのままにジャンプし、虎太郎が強打したポイントに寸分たがわず両足を揃えた飛び蹴りを叩き込んだ。


「割れたッ!」


 虎太郎と綯華の攻撃によりトロルの胸部にヒビが入り、斑点模様の黒い表皮が陶器が割れ落ちるように砕けた。

 割れた表皮の内側にも深い闇色が広がっていた。外側と同じく内側も黒く、内臓も何も見えない。


 だが、虎太郎と綯華が砕いた胸部の一点に、赤く光る水晶球だけが浮いているのが見えた。


「よし、退がれ!」


 トロルを倒す方法は一つしかない。


 黒い斑点模様の表皮をいくら叩いても、トロルを狩ることはできない。表皮を破壊し、内部の弱点ウィークポイントを完全に潰さなくては倒すことができないのだ。


 ナカノを徘徊する電脳獣オーガの多くが、このトロルだ。サイクロプスとして活動を続けていれば、自然と同業者との会話が生まれ、美味しい狩場や渋い狩場、電脳獣オーガに関するあらゆる情報を交換するようになる。

 シンジュクと隣接するナカノを徘徊するトロルの情報は、当然焔たち四人も入手済みだった。


 飛び蹴りから跳ね返るように着地した綯華は、焔の指示に従って中空を蹴りながら廃屋の屋根に上がった。同時に、強打の衝撃から立ち直りかけたトロルが、長い手を伸ばして綯華を追う。


「リフレクタービット——綯華!」

「はいよ〜ッ!」


 トロルの伸びる手を遮るように、焔が投げた“二枚”のリフレクタービットがその直前に展開した。

 

 ガラスの割れる音がほぼ同時に二度鳴ると、トロルの手が弾かれたように後方へ跳ね返り、ビットを踏み台にした綯華の体はさらに勢いを増して上空へ上がって、虎太郎が待機している廃屋の屋根にまで飛び退がった。


「いい連携だ」


 トロルとの接敵からここまで、魅綺城は黙って焔たちの様子を見つめていた——いや、見極めていた。

 菊に激しい運動や電脳獣オーガ狩りを禁止されているが、自分が前に立って電脳獣オーガを斬り伏せるべきか、それとも玄武の上で大人しくしたままでいるか。

 その判断をつけなければ、ナカノへの案内を割り切って行うことは不可能だった。


 焔たちのことは神無荘で再び顔を合わせるまで完全に忘れていた。正確には、記憶するに値しない新米サイクロプスたちだったのだ。

 それでも記憶の片隅にある自然公園前での狩りを思い出せば、今の焔たちの狩りハント一端いっぱしのサイクロプスと比べても、なんら遜色がないものと思えた。


「焔君は私たちのリーダーですから、サイコ・ディスプリクションの能力が平凡だと綯華さんにいつも茶化されていますけど、それを誰よりも実感しているのが彼……そして、私たちが安全に狩りハントできるように、一番勉強熱心なのも彼」


 魅綺城が感心したように呟いた一言に、玄武の横で周囲の警戒をしながら待機する乃蒼が答えた。


 魅綺城の視線がトロルの剥き出しとなったウィークポイントに銃弾を撃ち込む焔の背中から、それを見つめる乃蒼の横顔へと移る。

 その横顔が見せるのは、焔に対する強い信頼——かつて——いや、ほんの少し前までは自分も仲間に対して持っていた同じ感情の色に対し、魅綺城は無意識に羨望の眼差しを向けていた。



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