第24話 出発




 午後の予定が決まれば行動に移すのは早い。


 仁子に魅綺城の案内でナカノへ行くことを伝え、昼食はシンジュクを出る前に道中の露店で済ませることにした。


 魅綺城を連れて出ることに仁子は反対しなかった。一目だけ魅綺城に視線を向け、彼女の無言の頷きに頷き返し、それで出発が最終決定となった。

 ちなみに菊は朝早くにメグロ駐屯基地へと帰った。M・COINエム・コインの本部がどこにあるのか、それは一般市民である焔たちの知るところではないが、菊の表上の赴任地はメグロ駐屯基地ということになっている。


 日中の間は魅綺城の世話を乃蒼と仁子に任せ、できる限り夜には神無荘へ帰宅する。それが菊の伝言であり、魅綺城には神無荘での滞在、電脳獣オーガ狩りの禁止、その二つだけを命令として残していた。


 つまり、道案内の非戦闘員としてナカノまで付き添うのは何も問題ないというわけだ。


 各自出発の準備を手早く整え、神無荘の玄関前に集合した。


「準備できたか?」

「もちろ〜ん!」

「お、おやつも持ったよ」

「玄武さんの準備もできました」


 焔の最終確認に綯華たちが三者三様の返答を返し、少し離れて立っていた魅綺城は、乃蒼のサブガジェットであるペットの霊獣:玄武を——その背に組み立てられた座席と、後部に引く荷車を見ていた。


「考えたものだな、これなら車がなくとも多くの荷を運べる」

「でしょ〜! しかもこの荷車、玄武ちゃんのパワーがないと引けないほど重たいし、水の膜で上を覆うから、少し離れても盗られる心配がないんだよッ」


 “機械神デウス・エクス・マーキナー”による世界規模のハッキングで海外からの資源輸入が不可能になった段階で、石油や天然ガスなどのエネルギー資源は入手が困難となり、自動車を走らせるガソリンを初めとした石油資源は競い合うように消費され、国内に備蓄されていた天然資源が底をつくまで数年と掛からなかった。


 マキナ粒子をエネルギー変換して走行する自動車が実用されるようになったのは、ここ数年の話。

 新日本政府が決して公表しない“機械神デウス・エクス・マーキナー”とのコンタクト方法によって要望を伝え、JCDF(新日本電脳防衛軍)だけが高機動車の運用を開始している。


 それすらも実際には公表されていないのだが、生き残った人々やサイクロプスは高機動車を羨んでも、そのバカ喰いするマキナ粒子の量に後退り、どう考えてもそれが引き寄せる災厄を忌避し、一家に一台の自家用車などという時代は終焉を迎えた。


 そのような状況下で、乃蒼がペットを荷車として運用していることに魅綺城は素直に感心していた。


「さぁ、行こう。まっすぐ進めば二時間掛からずにナカノに入れる。道中の狩りハントは控えめに、往復五時間で日没直前にはシンジュクに戻るぞ」


 焔が出発の号令を発し、五人はナカノに向けて進み出した。


「あぁ、魅綺城は玄武の上へ……一緒に歩く必要はないだろ」

「……助かる」


 乃蒼の玄武はサブガジェットのレベルアップと共に巨大化し、今では四ドア自動車よりも少し大きいほどに成長している。

 魅綺城は軽やかに玄武の脚を踏み台にして背に上がると、軽量バックパックを甲羅の座席におろし、即席の座椅子に腰を下ろした。


「上がってみると結構高いな」


 魅綺城は動き出した玄武の揺れに、座椅子の肘掛を自由な右手で掴みながらバランスをとり始めた。


 座椅子はカンエツ遠征の時に作ったものだが、焔や虎太郎はその揺れに慣れるまで時間を要し、微妙な縦揺れに虎太郎は吐くことさえあった。

 それに比べて、慣れたように玄武の背でくつろぎ始めた魅綺城の姿に、乃蒼や虎太郎は目を輝かせて見上げていた。


 魅綺城にしてみれば、JCDF(新日本電脳防衛軍)で個人用の移動手段として重宝している騎馬の揺れの方がもっと難しいし、慣れるのに苦労した。


 石油資源の枯渇は現代社会の文明レベルを、否応無しに過去社会へと引き戻した。畜牛、乳牛として飼育されていた牛は畜力利用が主となり、娯楽として飼育されていた馬も運搬、畜力利用されるようになった。

 だが、牛馬の利用方法が自然と移り変わっていったわけではない。“機械神デウス・エクス・マーキナー”によるハッキングで社会の制御が不可能になった直後から数年は、安全区域セーフティーエリア内の食糧事情は深刻をはるかに通り越した危機的状況になっていた。


 建ち並ぶ高層ビル群、隙間なく都市を埋め尽くす住宅と交通網、どこにも食糧を生産する場所はなく、補充されることのない加工食品は瞬く間に食い潰され、世界に誇る近代都市は飢餓の大波に飲み込まれていた。


 電脳獣オーガを討伐することでマキナ粒子を手に入れ、それを“機械神デウス・エクス・マーキナー”が用意した移動販売車で貨幣として利用し食糧を買う。


 今では当たり前になった流れも、当時は誰もが受け入れがたい方法だった。目の前に落ちたチョコレートの箱、ビスケットの一枚を奪い合い。

 都市部の危機を聞きつけて首都圏周辺から馬や牛で荷車を引き、電脳獣オーガの攻撃から逃げるように農作物を運んできた者に対しても、飢餓に狂う人々の欲望は止まることなく襲いかかった。

 運ばれてきた農作物を奪い合い、荷車を引いてきた牛馬すらも撲殺して切り刻み、肉片一つ残らず持ち去った。


 今では安全区域セーフティーエリア内でJCDF(新日本電脳防衛軍)以外に馬を移動手段に利用するものはおらず、迷い込んだ野生動物は貴重な——過去を懐かしむタンパク源として狩り獲られるようになった。


 ネオ・サイタマやネオ・グンマなど、農耕地を安全区域セーフティーエリア内に確保できた地域では、畜力利用されている牛馬を人命以上に保護し、農地を電脳獣オーガからではなく、人の手から守っている。

 そうしなければ、社会の文明レベルは数十年の後退では済まされず、数百年、一千年レベルで後退しても、なんら不思議ではない状況にあった。




 神無荘を出発した焔たちは、かつて都道だった道路に沿ってナカノを目指した。


 雑草や蔦に覆われたマンション群は大樹のごとく天まで緑で覆い尽くし、緑の切れ間から玄武と後ろに引く荷車の姿を見下ろす住人たちの姿が視界に入る。


 ハッキリいって焔たちの運搬手段は目立っていた。多くのサイクロプスたちが手や背に背負える量しか持ち運べないのに対し、玄武に引かせる荷車の最大積載量は一トン近くあり、荒れ果てた道路の上も車輪を水流が保護して回転させることで、荷車を傷つけることなく運ぶことができた。


 カンエツ遠征の最中では有料で荷物の運搬を手伝ったり、怪我人を乗せて運んだりしたことも少なくない。

 そして何より、玄武の背に座る魅綺城の姿が人の目を引き寄せていた。微風に揺れる長髪に整った目鼻とピンっと伸ばした背筋の色気。

 玄武の前を歩く綯華や虎太郎と乃蒼は、さしずめ姫の乗る馬車を先導する従者であり、最後尾を歩く焔はお付きの護衛のようだった。


 マンション群を抜けて廃屋が並ぶようになってくると、先頭を歩く綯華たちの表情に緊張の色が浮かんでくる。

 チラチラと“PBサイコ・バンド”のディスプレイに視線を落とし、電脳獣オーガの出現を知らせる警告アラームが出ていないか確認しながら進む。


 次第にナカノとの境界線の一つ、今は名もなき鉄骨の橋が見えてきた。


「そろそろ出すよ?」


 前を歩く綯華が玄武越しに焔へ確認をとった。


「あぁ、そろそろいいだろう」


 焔が何かを許可するように答えると、綯華は満面の笑みを浮かべて大きく頷いた。


「よ〜し皆の者、戦闘準備じゃ〜! リンカネーション!」


 綯華に続いて虎太郎と焔がサイコ・ディスプリクションを装着する起動言語を唱え、各々がメインアームとサブガジェットを装着した。


「……リンカネーション」


 そして、玄武の上から見下ろす魅綺城も起動言語を唱え、あの時に見た大太刀を手元に呼び出すと、その胸に抱くようにして静かに戦闘体勢へと入っていった。


「魅綺城、あんたは案内役だからな、今回は俺たちに守られていてもらう。その傷を悪化させるようなことになれば、俺たちは菊姉から大目玉だ」

「判っている。私も特佐を怒らせたくはない……だが、自分の身は自分で守る」


 焔はそれすらも自重してもらおうと考えたが、玄武の上から焔を見下ろす魅綺城の目には、有無を言わせぬ強い意志の光が宿っていた。

 安全区域セーフティーエリア危険区域デンジャーエリアの境界線を目の前にして、口論などしている余裕はない。

 焔は一つ大きく息を吐き、「そこから降りるなよ」とだけ声をかけて、最後尾の警戒に戻った。



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