第23話 灯りと服




「もうこんな時間か……魅綺城、寝る前に風呂に入って包帯を変えておこう。神無の風呂は大きいぞ。綯華、乃蒼、お前たちも手伝ってくれ」

「了解です、特佐」

「は〜い」

「わかりました」


 神無荘の風呂は女子が先に入る。それが暗黙の了解であり、男子は夕食の後片付けをしながら女子が上がるのを待つ。

 これは菊が戻って来ても、新たに魅綺城が神無荘で暮らすことになっても、決して変わることのない不文律だった。

 

 “機械神デウス・エクス・マーキナー”によってあらゆる電子機器の制御が人の手から離れた現代、電脳獣オーガを狩ることで手にはいるマキナ粒子を、“機械神デウス・エクス・マーキナー”に利用料金の支払いにも似た形で収めることで、電気や水道などの公共設備の稼働に必要なエネルギー供給を受けている。

 だがそれを、電子創世記サイコ・ジェネシス以前の時代に合わせ、二四時間止まることなく供給し続けることは不可能だった。

 定期的な点検整備が行われなくなった送電線や水道管は、老朽化とともに断線、破裂し、供給ラインが途切れることも珍しくない。そうなった場合は修理よりも、給水車や別の照明器具に頼る必要がある。

 

 エネルギー供給を受けるためのマキナ粒子は新日本政府が代行して支払っているが、生き残った一般国民も税金として新日本政府に支払うことでその恩恵を受けている。

 そして、エネルギー供給は朝六:〇〇から夜二一:〇〇までの時間制限が設けられていた。


 神無荘では二〇時〜二一時の間は寝るための準備をする時間であり、一日の終わりを迎える時間なのである。




 翌日、カンエツ遠征から帰って来た焔たちは、しばらく留守にしていた間に生えた雑草の草抜き、神無荘の掃除など、できていなかった家事に朝から精を出していた。

 “機械神デウス・エクス・マーキナー”の支配を受け入れて一六年、大都市の半分以上は自然の緑に飲み込まれ、手入れを疎かにしていれば瞬く間に人の生活空間は無遠慮な草の根たちによって侵されていく。


「午前のうちに終わらせて、午後は少し狩りハントに出るぞ」

「えぇー、遠征から戻ったら数日は休むんじゃなかったの?!」

「しょうがないだろ、菊姉に魅綺城もいるんだ。基地から持って来てくれた食料なんてすぐになくなるぞ」

「そ、それに……向こうで手に入らなかった服をなんとかしないと……」

「そうですね、服飾の行商人を捕まえるには、商店街に足繁く通うしかありません」


 神無荘の庭で抜いた雑草やゴミを燃やしながら、焔たち四人は焚き火を囲んで今日の予定を立てていく。


「服屋を探しているのか?」


 その話声が聞こえたのか、縁側に毛ばたきを持った魅綺城が現れた。


「凪ちゃん、服を売ってる場所知ってるの?!」


 たった一晩で一体どこまで仲良くなったのか——綯華は魅綺城に駆け寄ると、縁側に両手をついて乗り出すように魅綺城に迫った。


「あ、あぁ……ナカノにまだ稼働している裁縫工場があって、そこでは腕のいい職人親子が服作りを続けている。基本的に危険区域デンジャーエリアだが、サイクロプスたちが狩りハントを集中させてエリアの安全確保を続けているはずだ」


 綯華の勢いに若干引きながらも、魅綺城の情報に綯華が目を輝かせながら振り返った。


「焔ッ! そこに行こう〜!」

「だ、だけど……僕たちナカノにはまだ行ったことがないよ?」

「その通りです。それに距離的なことも考えると、午後からの出発では日暮れまでに戻れるかどうか……」


 安全区域セーフティーエリアのシンジュクであっても、街灯の明かりが点く時間帯はごく僅かだ。

 マキナ粒子を変換したエネルギーの消費を抑える為ではあるが、根本的に送電線が繋がっていない区画も少なくない。


 だが、衣類の調達は焔たちにとってクリアしなければならない直近の最優先課題でもあった。


 “機械神デウス・エクス・マーキナー”が無人プラントで製造し、マキナ粒子と交換で提供している製品は数あれど、衣類だけは下着一枚、布一枚製造されることはなかった。


 新日本政府の“機械神デウス・エクス・マーキナー”研究チームは、コンピューターAIである“機械神デウス・エクス・マーキナー”には、“服を着る”という行為が認識できない、との公式見解を出しているが、それを生き残った日本国民全員が聞き知っているわけではないし、そんな見解に何の意味もない。


 ただ現実として、“機械神デウス・エクス・マーキナー”は衣類を販売しない。それだけは実感として理解していた。


 そして今、焔たちは生活していく上での衣類不足に悩んでいた。“機械神デウス・エクス・マーキナー”の支配が始まって一六年、様々なインフラが整備し直され、生産を再開している裁縫工場も存在はする。

 だが、その数はまだまだ少なく、原材料の綿花栽培、蚕の養殖など、現状の日本国内で用意できる素材を加工し販売するにはあらゆるものが足らず、また危険を孕むものであった。


 サイクロプスとして活動し始める前はまだよかった。服を汚し過ぎたり、破れたりしないよう、日々の生活の中で衣類を大切に扱って来た。

 だが今は違う——自分の体が資本のサイクロプスにとって、日々の筋力トレーニングから戦闘訓練、実際の狩りハントではHP(ヘルス・プロテクション)によって電脳獣オーガの攻撃やスキルから身を守ってくれるとはいえ、それ以外の現実的な怪我や事故からは一切守ってはくれない。


 荒れ果てた都市部を歩き、崩れた廃屋やビルの中を歩き回る狩りハントでは、通常の衣類などすぐにダメになってしまう。

 実際、有力なサイクロプスグループや小さな組織の中には、紡糸工場や裁縫工場を整備し、マキナ粒子をエネルギーに変換して機械を稼働させているところもある。

 そこで狩りハント専用の頑丈な防護服を製作したり、資金稼ぎに一般家庭向けの下着類や布巾などを製造しているのだ。


「仮にナカノまで行ったとしても、その工場の場所がわからなくては行く意味がないぞ」

「あっ……」


 服は欲しい——だが、焔が指摘する最大の障壁に綯華の口も思わず開いたままになった。


「なら……私が道案内でついて行こうか?」


 口を開けたまま固まる綯華を哀れに思ったのか、魅綺城が毛ばたきを肩に抱えるようにして言った。


「え? 怪我は大丈夫なのか?」

「ナカノに行くぐらい平気だ。それに、体を動かしていないと鈍ってしまう」

「わ〜ん、凪ちゃんありがと〜!」


 再び綯華が魅綺城へ振り返り、その大きな胸へと抱きつこうと飛びかかったが、魅綺城は毛ばたきを握る右手の指一本で綯華のおでこを押さえつけ、抱きつきを見事に防ぎきって見せた。


「綯華、それはやめて」

「えぇ〜、凪ちゃ〜ん、凪ちゃ〜ん!」


 そのどこかマヌケにも見える姿に、思わず焚き火を囲む三人たちから笑い声が溢れた。


 どの程度の期間になるのか判らないが、魅綺城はこの神無荘で暮らす。歳は焔たちの一つ上、今年一七歳の姉的存在になるが、四人にとっては間違いなく先輩サイクロプスであり、その実力も自分たちを遥かに上回っているのだと予想していた。

 その相手と良いコミュニケーションをとっていけるかどうか、それは思春期の少年少女たちにとっては、日々の生活以上に重要で、深刻な問題でもあった。


 だが、どうやらその心配は杞憂に終わり。魅綺城が醸し出す冷たさはこの瞬間にも感じてはいたが、神無荘での暮らしを拒否しているわけではない——そう、焔たち四人は感じることができた。



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