第10話 フジミノ大迷宮




「買い物に出るので鍵を」

「はい、お預かりします。戻られたらこちらを提示してください」


 受付カウンターに戻ってガイドにあった通りに鍵を預け直すと、受付の男は細く長いキーホルダーを真ん中で二つに分離し、鍵と離れたキーホルダーの一部を焔に返した。

 これが部屋を借りた証の割符になり、外出から戻った時に受付カウンターに出せば部屋の鍵が戻ってくる仕組みなのだ。


 分割されたキーホルダーを受け取り、焔は宿泊施設を出て周囲を見渡したが、綯華たちの姿はまだない。


 かつては広い駐車場だった場所にはいくつもの野営テントが張られ、大勢のサイクロプスたちが行き来している。

はげ落ちて消えかけながらも残る自動車の停車位置を示す白線の囲いが、そのまま野営テントを張る際の区画として再利用されている。そこをはみ出す事なく整然とテントを張る几帳面さは、文明が滅びかけても日本人気質の現れだと言えた。


 焔は整列するように張り並ぶテントを見て、サイクロプスの野営テントはこのように張るのだと自然に受け入れる。そうして、サイクロプスたちの新しい文化が受け継がれていく。


 柱と雨風を防ぐためだけの屋根で造られた簡素な炊事場にも大きな人集ひとだかりが起きており、下手に動けば綯華たちと再合流するのは難しそうだった。


 だが、サイコ・ディスプリクションの“PBサイコ・バンド”にはパーティメンバーと連絡を取るためのツールが内蔵されている。かつての携帯電話と同じで、ショートメッセージを送る機能と、ビデオ通話機能だ。


 焔は“PBサイコ・バンド”のビデオ通話機能を起動し、乃蒼を呼び出した。


 ピピピッ! ピピピッ! と、相手を呼び出す電子音が鳴り、すぐに乃蒼の顔が“PBサイコ・バンド”のウィンドウモニターに映し出された。


「はい、乃蒼です」

「焔だ。部屋を借りられたんで合流したい、今どのあたりにいる?」

「え〜と、フリーエリアの南側、串物屋が連続して並んでいるあたりです」


 ウィンドウモニターに映る乃蒼が周囲を見渡し、目印になるものがないか探しているが、モニターの外から綯華と虎太郎の声が僅かに聞こえてくる。


「と、綯華ちゃん! これ美味しいよ、ナスの生姜焼き串だって!」

「ふぁって! このホヘイヒョフハンホおいひい!」


 はっきり言って何を言っているのか判らない——ただ一つわかった事は、三人がすでに買い食いを始めているという事だけだった。


「そこを動くなよ、俺もすぐに行く」

「わかりました。待っています」


 焔は乃蒼とのビデオ通話を終わらせると、すぐさまフリーエリアに向かって駆け出した。乃蒼にはその場を動かないように伝えたが、綯華と虎太郎が大人しく待っているとは思えなかったのだ。


 そして、その予想は見事に的中した。


 焔が息を切らせてフリーエリアの南に広がる露店の一つにたどり着いた時には、そこに乃蒼の姿しかなかった。


「はぁはぁ……あの二人は?」

「……ブドウのジュースが売っていると聞いて、飛んで行きました」

「まったく……それで、タネは買えた?」

「はい、目的の種子も含め、珍しい種子もいくつか買えました」

「第一目標は達成だな……で、ジュースはどこに?」


 焔を待っていた乃蒼は、すでに両手に抱えるほどの食料や植物の種子を買い込んでいた。いや、正確には荷物として預かっているだけだろうが——。

 薄汚れた布のバッグから固そうなパンと干したブドウの瓶詰め、それに干し肉のジャーキーを束にしたものが飛び出ているし、厳重に包装された紙の包みは植物の種子と思われた。


「このすぐ先です」

「……持つよ」

「重いですよ?」


 ブドウジュースを売っている露店の場所を聞きながら、焔は明らかに重そうな布バッグを奪い取るように乃蒼から受け取って肩に掛けた。

 ずっしりと肩に布紐が食い込む——焔の表情が一瞬強張ったが、すぐに何ともない表情を浮かべて歩き出した。


 それがちょっとしたやせ我慢だと判っている乃蒼は、その背中を微笑ましく見つめながら離れずついて行く。


 綯華と虎太郎の姿はすぐに見つかった。二人は蕩けるような顔をして、果実ジュースを販売している露店前のテーブルに突っ伏していた。


「ぁ〜、乃蒼と焔やっときたぁ〜」

「ふ、二人の分も頼んであるよ〜」


 確かに、綯華と虎太郎が座るテーブルには深い葡萄色えびいろの液体が注がれたグラスが四つ置かれていた。内二つは既に半分ほどに減っている——綯華と虎太郎の飲みかけだ。

 ほのかに顔を赤くする綯華と、鼻の先まで真っ赤にしている虎太郎の様子を見ると、どうやらブドウジュースというのは果実酒の一種のようだった。


「綯華、お酒なんて飲んで大丈夫か?」

「おさけぇ〜? コレがおさけなんだぁ〜、あはは〜」

「こ、これがお酒なの〜?」

「飲み過ぎないようにして下さい。明日の探索に支障が出るかもしれませんから」


 焔と乃蒼は綯華と虎太郎に注意を促すが、二人が飲んでいるブドウ酒に興味がないわけではない。

 シンジュクでもアルコールの類は手に入るが、成人したばかりの焔たちがそれを口にする機会はなかった。

 彼らの親代わりである神無仁子も、神無荘ではお酒を嗜む事はしなかった。それが苦手なのか、それともマキナ粒子を節約するためだったのかを焔たちが知る事はなかったが、焔たち四人にとってお酒という飲み物を嗜む事は、成人し、サイクロプスとなった後の目標の一つでもあった。


 厳しい口調ながら、足を止める事なくテーブル席についてグラスを握る乃蒼の姿に焔は苦笑を一つ漏らし、その向かいへと座った。


「ほ、焔くん部屋はどうだった?」

「二段ベッドが二つの部屋を借りた。三日おきに部屋を取り直すことになるが、とりあえずは探索拠点として使えそうだ」

「二段ベッドぉ〜! あたし上がいぃ〜!」

「私は下でいいです」

「乃蒼が下でぇ〜あたしが上でぇ〜」

「虎太郎……綯華にどれだけ飲ませたんだ?」

「ど、どれだけって……まだ一杯目の途中だよ……」


 生まれて初めての飲酒なのだから、アルコールへの耐性なんて知るはずもない。だがそれでも、綯華がこれほどアルコールに弱いとは、焔たち三人には予想外のことだった。


「お水か普通のジュースを買ってきましょうか?」

「えぇ〜、お金が勿体ないよ乃蒼ぁ〜。それにぃ〜このジュースおいしぃ〜し、気に入ったぁ〜」


 グラス半分程度のアルコールで呂律ろれつが回らなくなる綯華を三人で見つめ、流れるようにその視線がお互いを見合う。

 言葉は必要ない——焔と乃蒼と虎太郎は小さく頷きあい、綯華には今後お酒を飲ませないことを目で誓い合ったのだ。


 そんな焔たちの周囲には、多くのサイクロプスたちがいた。そして、彼・彼女らを相手に商売をする多くの露店商たち。

 ゆっくりと日が沈み、赤い夕日に照らされるフリーエリアには篝火がたかれ、一日の探索を終えて成果を誇り、語り、得たものに対して失ったものへと盃を掲げ、また明日の成功を祈って騒ぎ、歌う。


 焔たちも周囲の喧騒に流されるように、初めてのブドウ酒を片手に前線キャンプ到着の夜を過ごした——。


 そして翌朝、初めての飲酒に頭痛を覚える綯華を介抱しつつ、焔たちはミヨシの北に位置する大迷宮ダンジョン——フジミノ大迷宮ダンジョンへと入って行った。


 シンジュクに比べ、フジミノ大迷宮ダンジョンは我が世の春を謳歌する動植物たちに飲み込まれていた。

 道路のアスファルトはヒビ割れ、そこから雑草が好き放題生えて住宅を絡め取るように包み込んでいた。

 電柱は蔦に絡め取られた大樹へと姿を変え、街の住人は人間からかつての畜産農家から抜け出した豚や鶏、山から降りて活動範囲を広めた猿や鹿にとって代わられた。


 サイクロプスはあくまでもマキナ粒子を目当てに電脳獣オーガを討伐する者達の総称だが、大迷宮ダンジョンへ潜る者たちの中には野生動物を狩る狩人ハンターも多い。

 パーティ自体がその混成であることも珍しくなく、大迷宮ダンジョン内で狩猟された動物たちは現地で血抜きや加工がなされ、ミヨシなどの前線キャンプへ運ばれる。


 その輸送を専門に行うパーティも存在し、人々は様々な作業を専業化して命の糧を紡いできた。


 焔たち四人のパーティは純粋な電脳獣オーガ狩りを主目標とするサイクロプスパーティだったが、自然に飲み込まれたフジミノ大迷宮ダンジョンを探索する以上、廃墟となった住居跡から一つでも使える物を持ち帰ることをサブ目標としていた。


 その為には、生い茂る草木や瓦礫を掻き分ける杖やナイフ、ロープにマスクなど、様々なサバイバルキットが必要になる。


 焔たちも前線キャンプで購入したマスクを口元に着け、目元にはゴーグルを付けている。そうしなければ、廃墟に繁殖するカビやキノコの胞子に体を犯されてしまうからだ。

 手には鉄杖を握り、崩壊した住居跡を慎重に掘り進めながら探索していた。


「フジミノの入り口付近はほとんど回収されているから、瓦礫を越えてその先へ向かうぞ」

「ほとんど腐食しているね」

「も、木造は一年持たなかったらしいよ」

「狙い目は鉄筋コンクリート造ですけど、中に入る時は慎重に」


 “機械神デウス・エクス・マーキナー”による世界支配より一六年、人が住めなくなった住居は驚くべき速度で腐敗していく。

 それは建物自体だけではなく、中の家具に服や本、家電製品に至るまで、その全てが腐り、酸化し、使い物にならなくなる。


 だがそれでも、奇跡的に保管されていた乾電池の一つでも見つければ、“機械神デウス・エクス・マーキナー”の管理から外れて“電気”そのものを利用することができ、高値で取引される宝物となる。

 また、姿形を維持している筒や皿、ガラスの破片などは売れ筋だ。特にガラスは第一回収目標だ。薄汚れたガラスでも、綺麗に洗い落として溶かせば再利用ができる。

 アルミ缶なども良い。耐食性に優れ、660℃程度で溶かすことができ、鋳造し直すことも様々な元素を取り出すことも可能だ。


 それらを溶かす炉は生き残った融解炉や自作の電気炉でもいい、それほど多くないマキナ粒子の消費で稼働電力は十分に補うことが可能だった。


 焔たちは“PBサイコ・バンド”の表示に注意しながら、瓦礫を踏み越えて進んでいく。


 フジミノ大迷宮ダンジョンは当然ながら危険区域デンジャーエリアに位置している。廃墟を捜索していれば、自ずと電脳獣オーガとの遭遇戦が勃発する。


警告アラームが鳴ったぞ。広いところに出ろ!」


 焔が崩壊した家屋の瓦屋根をひっくり返していると、“PBサイコ・バンド”のディスプレイに電脳獣オーガ出現を知らせる警告アラームが走った。

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