第二章 カンエツ

第9話 遠征




 神無四兄妹が成人を迎え、サイクロプスとして活動を開始してから数ヶ月が経った。


 焔たちは狩りハントを続け、経験値を積み、ネリマから旧関越自動車道——通称“カンエツ“を渡り、ネオ・トウキョウからネオ・サイタマへと遠征に出るにまで成長していた。


 “機械神デウス・エクス・マーキナー”によって日本の各県は壊滅状態となり、ネオ・トウキョウ近県も電脳獣オーガと共に支配者の入れ替わりを謳歌する大自然に飲み込まれ——唯一、高速自動車道だけが人の支配下として今も残っていた。

 このルート以外の道は道として残っておらず、隙間なく建てられてきた高層ビル群や住宅街は、大自然に飲み込まれることで人工と天然が融合した難攻不落の大迷宮ダンジョンへと姿を変えた。

 生き残った人々はサイコ・ディスプリクションと共に大迷宮ダンジョンへ潜り、過去の電化製品を始め、衣類や書物、植物の苗や種、あらゆる旧時代の加工品を安全区域セーフティーエリアへ持ち帰ることで日々の糧に変えている。


 焔たちもスキルカードの他に、神無荘の裏手にある小さな家庭菜園で育てる種子を求めて、ネオ・サイタマまで遠征していた。

 サイクロプスとして活動し始めてまだ日も間もない時期ではあったが、カンエツのネオ・サイタマ遠征は割と人気の狩りハントコースであり、JCDF(新日本電脳防衛軍)の駐留部隊が自動車道を巡回警備して安全性の向上に努めているため、盗賊クラッカーと呼ばれる暴徒集団への対応も期待できた。


 それに加え、電脳獣オーガの発生率を向上させる電気配線を分断することで道路上の出現率を著しく低下させ、安全区域セーフティーエリアに近い環境にまで新政府の支配下に取り戻している。

 JCDF(新日本電脳防衛軍)による巡回警備も、電脳獣オーガ対策よりも人同士の問題に対処するケースの方が圧倒的に多いのが現状だった。


 神無仁子が焔たちのネオ・サイタマ遠征を許したのも、このカンエツの安全性を知っていたからに他ならない。

 そして、この遠征ルートを走破することが新米サイクロプスにとって、一人前に成長した証でもあった。




 焔たちは一日かけて神無荘からカンエツに乗り、そこからサイクロプスたちの前線キャップとなっているミヨシに到着していた。

 ここは旧時代のPA(パーキングエリア)を利用し、広い元高速道路を挟んで宿泊施設とフリーエリアに別れている。

 前線キャンプの運営はJCDF(新日本電脳防衛軍)が行っており、緊急医療病棟を併設した宿泊施設は、狩りハントを行うサイクロプスたちにとって重要な安全区域セーフティーエリアとなっていた。


「とうちゃ〜く!」

「つ、疲れた〜早くゴハンにしよ〜」

「ここが前線キャンプですか、流石の賑わいですね」

「虎太郎、食事の前に部屋の確保が先だ」


 歩き疲れてへたばり掛けていた綯華が周囲を物珍しげに見渡し、虎太郎は漂ういい香りに引き寄せられ、一歩二歩とフリーエリアに近づいて行く。

 乃蒼は道路を行き来するサイクロプスの集団に圧倒されていたが、焔は宿泊施設の空き具合の方が気になっていた。


 当然ながら、宿泊施設には収容可能人数に限りがある。ベッドの大きさも数も不揃いな個室だが、一パーティが雑魚寝するには十分な空間が確保できる。

 そして、野宿とは違って自分たちだけの空間で安全に睡眠を取れることは、サイクロプスにとって何ものにも代えがたい安息のひと時でもあった。


「ならこうしよう! あたしと虎太郎と乃蒼は夕食の確保をする。焔は部屋の確保をする。効率よ〜く、役割を分担して夜にそなえよ〜!」


 綯華が自分と虎太郎と乃蒼を順々に指差し、ビシッとフリーエリアを指差してニカッと笑う。そして焔を指差し、送り出すように焔を宿泊施設へと促した。


「お、おまえ、俺一人に……」


 焔の返答に聞く耳を持たず、綯華は乃蒼と虎太郎の腕を取ってフリーエリアへと突撃して行く。


「……はぁ」


 その後ろ姿に焔はため息をひとつ零し、三人とは反対側の宿泊施設に向かってトボトボと歩き出した。


 宿泊施設といっても、旧時代の大きなフードコートを改築した建物でしかない。その周囲には複数のサイクロプスたちが雨をしのげる仮設天井の下で野営し、食事の準備やテントを張る姿も見えた。


 焔はそれらを横目に中へ入って行くと、そこは想像していた以上に清潔な空間だった。

 

 安全な個室で睡眠をとる——その目的のためだけに改装された内部はひんやりとした空気が流れ、白い簡素な壁の一画には“お静かにお願いします”との注意書きすら貼られていた。

 焔は入り口に立って内部を左右に見渡すと、左奥に受付カウンターがあるのが見えた。


「お疲れ様です。ミヨシへようこそ」


 受付カウンターにはJCDF(新日本電脳防衛軍)の制服を着た男性が一人立っていた。


「部屋を借りたい」

「はい、パーティの人数は何名ですか?」

「四人だ」

「それですと、二段ベッド二台の部屋とシングル四台の部屋がありますが、どちらが希望ですか?」


 カウンターには簡素な利用料が書かれたシートが置かれていた。焔は二つの部屋の料金を見比べ、支払うマキナが少ない二段ベッドの部屋を借りることにした。


「二段ベッドの方を」

「部屋のレンタル期間は最長で三日です。予定している滞在期間は何日間ですか?」


 このカンエツ遠征に向けて、焔たちは十分な量のマキナ粒子を稼いできた。仁子からは遠征時の宿泊地はできる限りJCDF(新日本電脳防衛軍)が管理する施設内、もしくはその近くにするよう言われている。

 そのための宿泊費に食費、そして——ミヨシの先にある前線キャンプ地、タカサカとの道路を往復しながら、いくつかの大迷宮ダンジョンに潜る予定でいる。

 さらに両キャンプ地を往復しながら商売をする行商人から、シンジュクでは手に入らない生産物を購入することを目的としていた。


「とりあえず、三日で……更新の方法は?」

「基本的に更新はありません。狩りハントに出る際には部屋の鍵をこちらに預けてもらいますし、三日目の昼前には退室してもらいます。再び当施設を利用する際には、改めて空室状況を確認し、部屋を取り直してください」

「了解した」

「それでは“PBサイコ・バンド”のプロフィールを提示してください」


 “PBサイコ・バンド”に搭載されている初期機能の一つだが、DNA情報に基づくプロフィール情報は、何物にも代えがたい身分証明証になりえた。

 受付カウンターの男は焔が提示したプロフィールを書き取り、続いて一つの小さなBOXを焔の前に差し出した。


「通信用コードをここへ、利用料を引かせてもらいます」


 焔がそのBOXを見るのは初めてだったが、これがJCDF(新日本電脳防衛軍)だけが使っているマキナ粒子の小型充電BOX“Mチャージャー”だとすぐに見当がついた。


 “PBサイコ・バンド”から通信用コード伸ばしてMチャージャーに差し込むと、“PBサイコ・バンド”が表示するウィンドウモニターに部屋の利用料金分のマキナ粒子をMチャージャーに転送するかどうかの可否が表示された。


 焔は転送量を確認し、ポップアップしているYESの選択肢をタッチする。


 これで支払いは完了だ。受付の男もそれを確認し、カウンターの下から細い長方形のキーホルダーが付いた鍵を取り出した。


「ありがとうございます、部屋はS8です。それでは良い休息を」


 カウンターに差し出された鍵を受け取り、焔も「ありがとう」と返答して部屋に向かった。


 宿泊施設の中には何本もの短い廊下が走り、その左右にいくつもの部屋が設置されていた。並んでいる部屋番号を示すプレートで借りた部屋がある通りを探し、Sの部屋が並ぶ廊下へと進んで行く。


 個室を前にしても宿泊施設の中は静かだった——それもそのはず、フードコートの改装に使用された防音壁は、軍用施設にも使われる軽量で吸音性に優れた建材だ。

 命をかけてマキナ粒子を稼ぎ、危険区域デンジャーエリア電脳獣オーガを掃討して安全区域セーフティーエリアへと近づける作業は、精神をすり減らす作業とも言えた。

 そんなサイクロプスたちにJCDF(新日本電脳防衛軍)ができることは、安全な休息地の確保とあらゆる物資の交換場所の提供——それがカンエツの前線キャンプなのだ。


「ここか……」


 焔が借りたS8の部屋は6畳間ほどの広さに木の二段ベッドが押し込められ、その間のスペースは畳一畳ほどの幅もなかった。

 ベッドに手を置いて押し込んで見ると、フワッと草の香りがした。どうやら藁を敷き詰めた上に厚いシーツを被せているだけのようだ。

 刺々しい感じはしない、柔らかく、深く沈むベッドは神無荘の薄い布団よりも寝心地がいいのではないだろうか? そんな感触を何度も確かめながらも——。


「——しかし狭いな」


 思わず溢れた初見の感想だが、マキナ粒子は少しでも節約し、物資の確保に当てたかった。


 一先ず部屋の場所と内装を確認すると、壁際の小さなサイドテーブルには一枚のガイドが置かれていた。焔はガイドを手にとって宿泊施設の利用に関する細かいルールを読み込んで廊下に出ると、部屋に鍵を掛けて再び受付カウンターに戻った。

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