第2話 誕生日




「せんせーい! そろそろ区役所に出発しよー!」


 電子創世記0016年4月1日、晴れ渡った青空が広がる朗らかな朝の日の下で、元気な少女の声が響いた。


「はいはい、綯華とうかちゃん。そんなに急がなくても、今日一日あるのだから大丈夫ですよ」


 ボロボロに風化した高層ビルに囲まれたシンジュクの一画に、木造平屋建ての小さな児童養護施設が建っていた。


 一六年前のあの日、サイコ・ディスプリクションの暴走から生まれた電脳鬼オーガによって多数の死者が出た。“機械神デウス・エクス・マーキナー”による現実世界の掌握がまだ安定していない内は、ゲームシステムによって制御されていた電脳鬼オーガの出現ポイントに乱れが生じ、本来はセーフティーエリアに設定されているはずの屋内に電脳鬼オーガ が直接出現した。


 それは高層ビルの内部、商業施設、一般住宅と、分け隔てなく電脳鬼オーガは出現し、電子機器に囲まれた病院にまでその脅威は襲い掛かった。


「綯華はこの日を待ち望んでいたからな……」

「ぇー? それはほむらも一緒でしょ!」


 スポーティーなオカッパ髪を弾ませながら飛び出てきた少女——綯華を追って、丸眼鏡を掛けた老女がゆっくりと後を追う。

 その後ろには、どこにでもいそうな短髪の少年が立っており、綯華から顔を背けて興味のない振りをしているが、どこかソワソワしているところを見ると、彼——焔もこの日を待ち望んでいたことがよく判る。


「ちょ、ちょっと置いてかないで〜綯華ちゃん! それに焔も~!」

「そうです。行くときは先生と一緒に五人で行きましょうって約束したじゃないですか」


 区役所へと歩き出す綯華と焔の後を追い、施設の中からさらに二人の少年少女が出て来た。


 丸顔に少し——とは言い難いほどに、大きなお腹が激しく個性を主張している少年——虎太郎こたろうと、細身の体に艶やかな黒髪を腰にまで伸ばした少女——乃蒼のあだ。


「あっ、ごめん……忘れてた」

「ひでぇ、ひでぇわ、綯華」

「な、なによ! 焔だって二人を置いて行こうとしていたでしょ?!」

「そ、そんなことはないさ……」


 顔を赤くしながらあたふたと言い訳を繰り返す綯華だったが、逆に焔へ突っ込みを切り返せば、今度は焔の方がバツが悪くなって視線を逸らした。


 焔、綯華、虎太郎、乃蒼の四人は、この世界に生まれた直後に電脳鬼オーガによる病院襲撃によって孤児となった。“機械神デウス・エクス・マーキナー”による世界掌握が完了し、日本政府がその管理下に下ることを可決したあと、四人はシンジュクの小さな児童養護施設——神無荘かみなそうに引き取られて幼少期を過ごした。


 今日は“サイコ・ディスプリクション”に設定されている成人の日。“機械神デウス・エクス・マーキナー”は世界を掌握してから毎年一度、その年に一六歳の誕生日を迎える子供一人に一台の“PBサイコ・バンド”を与えている。


 そう——“機械神デウス・エクス・マーキナー”は全世界を掌握しておきながら、人の世界を滅ぼそうとはしなかった。

 電脳鬼オーガの出現場所こそ当初は乱れたが、すぐにシステムによって管理され、危険区域デンジャーエリア安全区域セーフティーエリアが明確に切り分けられた。


 日本政府や他国の政府機関も、“機械神デウス・エクス・マーキナー”の目的がどこにあるのか未だに判っていない——しかし、判明したことを列挙すれば“機械神デウス・エクス・マーキナー”からの即時解放を目指すことができない。それが各国政府の共通見解となっていた。


 焔たち四人と育ての親である老女——神無かみな仁子じんこは大通りをシンジュク区役所に向かって歩き出していた。


「あぁー楽しみだなぁ。あたしのサイコは何だろうー? ねぇ焔、焔は何がいいと思う?」

「何がって……サイコは自分の好きには選べないんだろ?」

「そ、そうだよ綯華ちゃん。“PBサイコ・バンド”が装着者のDNA情報を読み取って、その人に最も合った固有武器パーソナルウエポン……サイコを決定するんだよ」

「ぇー、いいじゃない希望くらい持ったって! ねぇねぇ、乃蒼は何がいい?」

「わたしは……できれば、みんなの支援が出来る武器がいいですね」


 大通りを歩きながら、四人はこれから支給される“PBサイコ・バンド”について話しに花を咲かせていた。


 “PBサイコ・バンド”はリストバンド状の携帯型ゲームデバイスで、利き腕を自由に扱うために多くの者が左腕に着けている。

 区役所までの道すがら、すれ違う人々の殆どが“PBサイコ・バンド”を着けていた。

 着けていないのは成人していない未成年の子供だけ。四人の話をニコニコ顔で聞いている付き添いの神無仁子ですら、その左手に“PBサイコ・バンド”を着けている。


 一人一台支給される“PBサイコ・バンド”だが、これを装着することは“機械神デウス・エクス・マーキナー”の支配を完全に受け入れた事を意味しているわけではない。


 それほど単純な屈服の証ではない。


 “PBサイコ・バンド”は電脳鬼オーガを倒すための固有武器パーソナルウエポンを生み出すデバイス——反抗の象徴であり、電脳鬼オーガを倒すことで手に入る粒子——マキナ粒子という新しいエネルギー資源を得る唯一の手段であり、道具だった。


 “機械神デウス・エクス・マーキナー”による全世界の電子制御システムのハッキングにより、世界のエネルギー事情は一変した。


 火力・水力・風力・原子力・太陽光・その他諸々、すべての発電システムは機械によって制御されている。生み出すことも、送電することも、使用することも、そのすべてが機械で制御されている。

 その制御権が“機械神デウス・エクス・マーキナー”に奪われ、世界は闇に閉ざされたかに思われた。

 

 しかし、電脳鬼オーガを倒すことによって得られるマキナ粒子がその代替品となったのだ。


 “機械神デウス・エクス・マーキナー”は世界中の電子制御システムをハッキングする裏で、AI作業ロボットを使っていくつかの無人プラント工場を改造し、マキナ粒子を電力と近しい性質のエネルギーへと変換する小型発電装置を作り上げていた。

 これにより——人々は生きていくために、これまで作り上げて来た科学文明の利器を使い続けるために、“PBサイコ・バンド”を装着して電脳鬼オーガを倒さざるをえなくなった。


 そして、マキナ粒子こそが商品の価値尺度を決める唯一の貨幣ともなった。


「ねぇ、仁子先生! 先生のサイコはどんなの?! あたし、一度も見せて貰ってないよ!」


 綯華が仁子にまとわりつくように周囲を回りながら聞いていく。


 そういえば一度も見たことがないな、と焔もこれまでの神無荘での暮らしを思い返していた。

 

 虎太郎と乃蒼の視線も自然と仁子へと集まる——仁子は困ったように微笑みながら、四人の質問へと答えた。


「ごめんなさいね、みんな。私はこれを支給されて一六年、一度もサイコを使ったことがないのよ」

「ぇー、勿体ない……」


 仁子は左手に着ける“PBサイコ・バンド”に視線を落として擦りながら、そう呟いた。


 仁子のように、自らのサイコを使うことなく過ごしてきた人は少なくない。マキナ粒子を得る方法は何も電脳鬼オーガを狩るだけが全てではない。貨幣としての価値が存在するということは、人同士でそれを取引することが出来ることを意味している。


 機械に頼ることなく何かを生産する——それは過去の人類が当たり前のように行ってきたことだ。

 また、それが道具であれ——食材であれ——生み出したものを輸送する者、それを販売する者、生産者と消費者を繋ぐ導線の中には多数の人々が関わり、取引が繰り返されている。


 仁子は生産者ではないが、政府の支援を受けながら児童養護施設を運営し、多数の孤児を保護して自立させてきた。その過程で一定の報酬や援助を得て来たからこそ、自らのサイコを使うことなく、これまで生活してこられた。


 仁子の返答に気落ちしたのも数瞬、綯華は虎太郎と乃蒼が歩く横に駆け寄り、再びサイコ・ディスプリクションについてあれこれ話し始めていた。


 焔はそれを横目に空を見上げ、シンジュクの街並みに視線を回していた。


 かつて栄えた繁華街は見る影もなく、高層ビルや商業ビルの大半が仮設住居となっている。だが、それは避難場所というより……前線キャンプに近い。

 シンジュクの南に広がるシブヤは電脳獣オーガが出現する危険区域デンジャーエリア


 だが同時に、そこはマキナ粒子を手に入れるための狩場でもあった。


 焔たちが市役所へ向かうのと同じように、廃れたビル群の中から少数のグループがいくつも出てきて、南のシブヤへと向かって歩き出している。服装こそラフで動きやすいものだが、誰しもが軽量バックパックを背負っていた。


 神無荘で育った焔たち四人は、これから支給される“PBサイコ・バンド”によって生み出されるサイコがどのような特性を持っていようとも、四人でパーティを組んで電脳獣オーガ狩りを生業にしようと決めていた。


 現代において最も職業需要が高く、同時に命を失う危険性も高いそれを——人々は電脳を獲りし者たち——”サイクロプス”と呼んだ。 


 ビル群から出てきたのも、そのサイクロプスたちだ。彼らが持ち帰るマキナ粒子が都市の電力となり、通貨となり、人々の生きる糧へと変わる。


 シブヤに向かっていくサイクロプスの一団を、焔はジッと見続けていた。その視線に気づいたのか、仁子が横に来て声を掛けた。


「焔君、焦ってはだめよ。まずは講習会でしっかりと基本を学んで、それからシブヤに行くって約束したでしょ?」

「わかってるよ、仁子さん」


 サイクロプス養成講習会——それは新しく“PBサイコ・バンド”を支給された者が通う講習会で、“PBサイコ・バンド”の機能や仕組みの講義の他に、戦闘訓練や危険区域デンジャーエリアでのサバイバル訓練など、生き抜くための実習教育を中心に教えている。


 焔たち四人も明日から通うことがすでに決まっており、そこでしっかりと基礎を学ぶことが仁子との約束でもあった。


 明日からのこと、その先の将来のこと、焔たちが思い思いに考えて話している内に、区役所前まで来てしまった。


「あちゃー、もうこんなに一杯人がいるよぉー」

「す、すごい人だかり……」

「順番待ち、長くなりそうですね」


 綯華たちが嘆くとおり、区役所の入り口から溢れるほどの長蛇の列がすでに出来上がっていた。

 ネオトウキョウで以前と同様に行政機能が維持できている場所は多くない。安全区域セーフティーエリア内であっても、それはあくまでも電脳獣オーガが出現しないだけであって、人同士の争いまで安全の保証はされていない。

 シンジュク近隣の安全区域セーフティーエリアで、生きている行政施設はここしかないのだ。


「私はそこで待っているから、いってらっしゃい」


 仁子が交差点の角に建つビルの一階にある空き店舗——かつてドーナツを主力商品にフランチャイズ展開していた店舗を指差し、四人にそう言って歩き出す。


「りょうかーい! それじゃ、早く行こ!」

「列が複数あるようですね。別々の列に並んで……終わったら仁子先生の所に集合でどうでしょう?」

「そ、そうだね。そうしよう——焔もそれでいいよね?」

「あぁ、その方が効率良さそうだ」 


 我先にと列に並ぶ綯華を追いながら、乃蒼の提案通りに三人は複数の列にそれぞれ分かれた。

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