俺は勇者じゃなくて、釣り人なんだが

夢野楽人

序章 異世界なんか行きたくない!

第1話 俺はしもべじゃない

「あなた、私の下僕しもべになりなさい!」


 前触れもなく、俺の前に座った女がいきなり言った。


 その声は大きく、周りにも聞こえ、皆がざわめきだす。


 ただでさえ、目の前のデカい女は目立つから、騒ぎはドンドン広がっていった。


 ざわ…ざわ…


 日々平穏に過ごしたいと思っている俺は、頭を抱えながら女をチラリと見る。

 

 俺より高い身長で、優に一メートル八十センチはあるだろう。


 ショートパーマに釣り帽子フィッシングキャップをかぶり、体つきは女豹めひょうを思わせる。


 誰が見ても美人の部類に入り、スタイルも抜群だ。

 生まれの良さも相まって、求婚者は引きも切らないらしい。


 もっとも、性格の悪さを耳にしている俺は、御免こうむる。

 こんな高慢ちきな態度をとるのは、世間知らずのお嬢様だからだ。


 海神穂織わだつみほおり、二十二歳。年は俺と同じだ。


 日本中の誰もが知ってる、海運財閥の御令嬢。


 海神わだつみグループの取り扱う商品は、釣り針からタンカーまであり、総資産は一兆円を超す。


 政治・経済あらゆる面で影響を与えている、超お金持ちだ。


 庶民の俺は関わりたくないのだが、「お詫び」と言っては絡んでくる。


 発端ほったんとなった、去年の事件を思い出していると、苛立った穂織が声をかけてくる。


 俺が視線をそらし黙っていたので、返事を急かしてきのだ。


 ほっとけば居なくなるのを期待したが、それは甘い考えだったらしい。


 目の前で居座ったまま、俺をにらみつけているので、仕方なく喋ることにした。


「断る」


「どうしてよ!」


「普通……いや、アンタは一般常識を知らんから、理解できんかもしれんが、俺は下僕なんぞになりたくない。他にやりたいことがあるんだ」


 他の奴から見たら、怖い物知らずとあきれられるか、愚か者に見えるだろう。

 穂織の命令に逆らって、後々あとあとの事を心配するのが、一般庶民だ。


 海神グループの力は絶大だ。その気になれば俺なんかは、消し飛ぶだろう。

 それでも、俺は意地があるので権力には、逆らいたくなる。


 反抗心が強いのだ。あと、少し恨みもある。


 拒絶された穂織が、食ってかかってくると思っていたが、お嬢様は意外に冷静だった。

 冷笑を浮かべ、右手で指を鳴らす。


「セバスちゃん!」


「はっ! お嬢様ここに!」


「うおっ! どっから現れた!? 爺さん?」


 突如とつじょ、白髪・白ひげの老紳士が、穂織の横に現れる。


 赤い蝶ネクタイをつけて、白手袋に燕尾服。絵に描いたような執事バトラーだ。

 俺達が目を丸くしていると、穂織は執事に命令する。


「セバスちゃん、この男に説明してやって」

「御意」


 老執事は礼儀正しく挨拶してくる。主人の穂織とはエラい違いだ。

 年長者に腰を低くされては、俺も話を聞くしかなかった。


「下僕というのは訂正させて頂きます。あまりにも失礼ですね。貴方様を、お嬢様の付き人として、雇用したく存じます」


「おほほほ! 有り難く思いなさい。庶民にしてみれば、非常に光栄なことよ」


 穂織の高笑いにむかつくが、俺は黙っていた。

 むしろ、わがままな主人を持った老執事に俺は同情する。


「ごほん。それで待遇ですが、お屋敷勤めとなりますので、食事・光熱費・家賃はすべて無料。十畳ほどの個室を御用意します。危険物でなければ、持ち込みは自由です。そして年収は一千万」


「少ないわねー、せめて二千万にしなさい。それじゃーバックも買えないわ」


「分かりました」


「……いきなり倍かよ。いいのか? 爺さん」


「はい、問題ございません。いかがでしょうか? 幸坂様」


 名字を呼ばれた俺は、呆れるばかりだった。やはりセレブの金銭感覚にはついていけない。

 毎日の食費すら汲々きゅうきゅう としてる、貧乏人の生活は知らないのだ。

 やっぱり、住む世界が違いすぎる。


 普通だったら、誰もが飛びつきたくなるような、破格の待遇だ。

 汚職政治家だったら、賄賂としてもらうだろう。だが俺はきっぱりと断る。


「悪いが、他所よそをあたってくれ」


「どうしてよ? お金が足りないの!?」


「金じゃない。コンニャク百万円だろうが、二つレンガ二千万円を置かれても、俺はやりたくない。アンタの御機嫌取りをしたくないだけだ。毎日、顔を合わせるかと思うだけでも、ゾッとする」


「なっ!」

 

「第一、俺は学がないから話し相手にもなれんぞ。インテリかセレブ同士でつきあえよ。それが、お互いのためだ」


「……私の汚い顔なんか見たくない、ですって――――!」


「そんなことは言ってね――!」

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