1.3 総評。この部屋に存在するのはコンピューター、椅子、机が各一つ。机に引き出しはなく、壁にも床にも隠し扉はない。出る術はない。
クイズに不正解してから三時間後。本日はすでに放課となった私と先輩は所属が同じである同好会活動教室で再会した。そしてすぐに腹が減ったと申されたので、私たちは今日の小説の書き出し同好会の活動は休止として駅の方へ向かうことにした。ちなみに小説の書きだし同好会とは、小説本文一行目の素晴らしい作品をひたすらに褒めまくる会である。先輩が褒めて私がそれに賛同するのが活動内容だ。
駅に着いた私たちであったが、そこでいきなり私が社会の厳しさに直面する。自分の周囲がどれだけ優しくても赤の他人にとっては、やはり他人の都合などお構いなしなのである。
***
一件目に覗いたお洒落な〝かふぇ〟ではパンケーキ一皿が千円を自動速度違反取締装置通称オービスが即座に反応する速度で超えていったので諦めた。隣の店はコーヒーショップで、先輩が腹は満たせないがショーケースのケーキでも良いというので私はメニューを眺めた。そしてコーヒー一杯をスモールサイズではなくショートで提供している店の値段に慄き、コーヒーも贅沢品であることを再認識するだけで終わった。
不甲斐ない私。埒が明かない様子を見兼ねた先輩は、すっと私の手を引っ張った。そして、結果我々はファーストフードを提供するハンバーガーショップに落ち着くことになる。
しかし、日本国産を高らかと主張するこの店も値段は総じて高かった。先輩はお腹が満たされるのを求めていたので「もうここでいいよー」と嘆いていたが、私はリーズナブルを求めてこの世を嘆いた。
「この世は理不尽だ! 不公平だ! 金銭を持つ者だけが普遍的な幸福を得られる社会などどうかしている! 貧乏人にも幸せを! しかるべき青春に相応の投資的補助金を! 今すぐに!」
と叫びだしたくなる衝動が全身を襲ったが、私は過去に紳士的理性の化物と揶揄された人間であったので何とか胃液と共に飲み込むことで堪えた。結論、先輩が二つ頼んだセットのドリンクを頂戴し、少しだけフライドポテトを摘み取る許しを与えられることで妥協させられた。
***
私は先輩との夕食を済ませ、駅で別れて一人私の帰路へと就いた。私の住居は非常にシンプルで、南から陽が入らなければ北から風が入り込むような格安アパートである。学校からは先ほどの最寄りの鉄道の駅から十三駅分の距離を日々徒歩で往復しているので今日も帰りは徒歩である。ちなみに自転車は壊れてから買い替えるお金がないので所持していない。通学定期券を買うぐらいならお米券を買いたい私であるため、役所に自転車若しくは交通手段が欲しいと申請したら丁重に断られた。また今度再戦するつもりではあるが、歩きもまた自分の時間を確保できて悪くないと思う。なにせ三時間以上もあるのだ。考え放題だ。
私が歩き始めて二時間と二十八分経過した頃にいつも通りかかる商店街がある。そこは商店街と言っても九割の店が朝から深夜までシャッターを降ろしたまま「売り」と書かれた張り紙が点在するシャッター商店街である。本州のことを内地と呼ぶくせに××銀座商店街と銘打ったその区間は今ではたったの二丁の距離。
旧店舗と旧店舗の隙間のすべてが猫の住処となり、暴力団の事務所だと噂される廃ビルが存在し、唯一商売を行っているのは露商の絵葉書屋さんだけ。
この絵葉書屋さんはとても誠実で性格の良い、素晴らしいお方である。通学で何度か通りかかっていたために何度か話す機会があったのだが、その際商品の絵葉書を一枚下さったのだ。お金がないことを口癖のようにさえずった私だったが、彼が自分は裕福な家の息子だからお金に不自由はしていないという。この絵葉書も好きが講じた延長だと彼は話す。私も話の流れで身の上を多少話した。お互いの境遇を嘆きあい、そして仲良くなった。
確か名前は――。あれ、えっと――。絵葉書屋の名前は――。なんだ、視界が急にぼやけて――。えっと、絵葉書は――『湿原と一羽の丹頂鶴』…………。
そこで私は目が覚めた。意識を取り戻した。私は無機質な白い机に突っ伏していた。目の前にはパソコンへ入力信号を送るための機械、つまりキーボードがあった。
さらに、ブラウン管テレビのようなディスプレイモニターがキーボードの奥にセットとして並んでいる。他には……なにもない。
机の上にはそれだけだった。
机の下はどうか。
机の下にはパソコンの本体があった。そこでようやく私は目の前にある机上のデスクトップが、かなり古いものであることを認識した。
ウィンドウズエヌティー。ふむ、古い。
周囲を確認する。なぜか床に散らばっていたマウスを探し出して接続し、あちこち調べた結果、このコンピューターはウィンドウズエヌティーという種類であることを確信した。本体に貼り付けてあるシールにそう書いてあったからだ。
私は電源を入れてみた。パソコンである。電源を入れなければ鉄くずでしかない。
壮大なロボットが出撃するような音と共にパソコンは無事起動した。画面には『ウィンドウズNT ver5.0』と表示された。私は何かファイルやデータはないか、ネットへの接続はできないか試みたが、駄目だった。このコンピューターにはなにも保存されていない。
次に私は私のいる部屋を観察し始めた。
そこは学生が親から一人部屋として割り当てられるには相応しい広さの部屋で、壁の色はくすんだ白。扉がひとつ。しかしこの扉、明らかに存在しているのだが、なにせ取っ手がないので使えない。壁や床との隙間は無いに等しく、覗いても光も見えない。大きな声を出してもむだである。
総評。
この部屋に存在するのはコンピューター、椅子、机が各一つ。机に引き出しはなく、壁にも床にも隠し扉はない。出る術はない。
私は仕方がなく再びコンピューターへ向かった。
先ほどまでの夢のような学園生活は夢であったのか。この部屋が現実世界であるというのであれば、私はなぜこの見知らぬ部屋にいるのだ。この部屋に心当たりはなく、このコンピューターにも見覚えはない。机と椅子に愛着はない。つまり私はこの部屋を知らない。しかし、私はこの部屋にいる。なぜだ? しかし、残念なことに、私はこの部屋に至るまでの記憶が欠落しているらしかった。
私は残りの調べていないコンピューターの本体を弄り始めた。すると、机の下にコンセントを見つけた。コンセントは差し込むことのできる穴は一つだけで、既に本体の電源コードが支配している。ネット回線の有線は……やはり見当たらない。
本体に異状はなく、正常に稼働しているように見えた。中身は解体しないとわからないが、ファンも、ランプも、フロッピーディスクも……。
……フロッピーディスク?
私は本体に一枚のフロッピーディスクが差し込まれていることに気がついた。取り出してみると、何か記載されている。机上で確認。そこにはこのように書かれていた。
⁂ ⁂ ⁂
「これは……なんだ?」
アスタリスクが三つ、漢字の森のようにならんでいる。このアスタリスク三つが合計で三個、フロッピーディスクの記載欄にボールペンで書かれていた。私はこの記号の名前も意味も知らない。
ふと、思い立ってコンピューターに再び向かい合う。やっぱり。フロッピーディスクのデータがコンピューターに表示されていない。何度読み込み直しても、まるで認識しない。本体とモニターの接続が切れているのかと思ったが、線は正常に差し込まれており、回線は通常運行。だとすれば、このディスクはなんだ? 不良品か?
私はとうとう投げ出した。
この部屋、コンピューター、先程の夢のような学園生活の記憶。どれも何一つとして自分では理解できない。しかし、現にこれらは存在している。私に関わりがあるのは事実だ。しかし記憶がない。つまり私が始めからこれらについての知識や記憶を持っていなかったのか、それとも記憶喪失か。希望が残されるのは後者であるが、それでも復元されなければ希望のままで終る。
私は手近にあったマウスを投げ出した。
「どうなってるんだ……これも夢なのか……」
ここには生命を維持するための水がない。食料も見当たらない。空気も新鮮さに欠けている。ここが現実であるなら、このままではやがていずれかの要素によって私は死に至る。
「なんだっていうんだ……夢なら早く覚めてくれ……」
私は椅子から立ちあがり、扉らしき壁に向かって歩き、再び何もないことを確認して額を軽くぶつける。相変わらず扉はびくともしない。ため息と共に開いた視界には知らない床と転がしたマウス、マウスパッド。マウスパッドに至っては裏返っており、赤い文字で何か記されているのが見えて……赤い文字?
私は壁から頭を剥がしてマウスパッドの裏面を手に取った。そこにはメールアドレスが書かれており、それも自分の文字であることが私には理解できた。もはや気力も戦意も削がれているが、私は必死にコンピューターにインストールされているであろうメール送受信アプリを探し、そして見つけた。
アドレスを打ち込み、何かを記入しようと考えたが無記入で送信。するとコンマ一秒で自動返信されてきた。やはり、使われていないメールか。それともこのパソコンではメールもできないのか。少し動かすだけでものすごい音を発するし。
心がやたらと着せたがる期待を気にせずして、私はメールを開いた。
1:key_
送ったメールは確かにどこかへ届いていて、返信のメールで何かを伝えてきた。そしてこのキーワードが先ほどのフロッピーディスクに書かれていた記号のような気がした。私はkeyの続きに記号を打ち込み、送信した。
するとパソコンは画面全体を青色に変化させて起動音を発し、私の意識は私の意思に相反して再び夢幻の旅を始めた。
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