第14話後悔の残る決断なんて僕はしたくないから

ザティスが起きる前の2時間ほど前、ファイセルは制服を上から羽織り、部屋から出てきた。



「おはようございます。よく眠れましたかな?」



 老婆が紙状の新聞を読みながらにこやかにほほ笑んだ。



「ええ、おかげさまで。ところで、新聞を少し読ませていただいていいですか?」


「ああ、どうぞどうぞ」



 新聞を受け取ってみて紙面を見た瞬間、ファイセルは呆気にとられた。


「!?」



 なんと昨日の取材がトップニュースで載っている。「匿名で」と言ったのにイニシャルが書いてある。おまけに軽く外見にまで触れられている。普通、匿名と言ったら完全な匿名にするべきだと思うのだが。



 取材を受けた地域が学院と近いため、恐らく今頃、学園中の名前の綴りにFがついている生徒が尋問にあっているところだろう。とんだとばっちりだ。



 紙面に釘付けになっていると宿の主の老婆が尋ねてくる。



「このウロコを売った方の人、記事を見るに雰囲気が剣士さんに似てるねぇ。剣士さんのチェックインネームも”Ficel”さんだし。まさかとは思うけど」



 そりゃ気づかれるよなとファイセルは思いながらも適当な言い訳を考え付いた。



「もしウロコなんか手に入れてたらこんなボロい制服着てないで、新しい服を買ってるはずじゃないですか? 人違いですよ」



 老婆はそれ以降、特に詮索や追及はしなかった。なんだか客たちの視線を感じたファイセルはすぐに部屋に戻り、荷物をまとめ、マントを羽織ったまま朝食を済ませてそそくさと出発した。



 田舎街道を歩き始めて、ビンを三回ノックしてリーネを呼び出す。



「ふぁ~ぁ、おはようございます。こちらはだいぶ落ち着いてですね、水質チェックに集中できそうです!」



 ファイセルはカバンから地図を取り出しながらリーネに微笑みかけた。



「それはよかった。じゃあまずはこの村の川からチェックしてみよう」



 そういいながらリーネを川に垂らす。川の流れが明らかに速くなっている。標高が上がってきているので川の流れが急になるのは当然なのだが、いやに速く流れているように見える。それに、水の色が薄く濁り始めていた。



「ノール村の川、マーク完了です!! 普通の川の水ってところですが、なんだか泥臭いですねぇ。」



 リーネがビンに戻ってきたのを確認し、街道をとぼとぼと南へ歩いていく。その調子でファイセル達は水質をチェックしながらいくつかの村に寄りつつ、穀倉地帯を抜けて酪農が盛んな地域を通って更に南下していった。



 北部の水源はさほど街道から外れておらず、スムーズにチェックが進んだ。特に変わった性質をもつ水源もなく、北部はおおむね水質が安定しているのだなと確認出来て、ファイセルとリーネは安心した。



 だが、南に進むたび、川の水の濁りが濃くなって、流れが強くなってきている点が気になった。



 休みを挟みながら1日10時間前後歩き続けて、この頃にはミナレートを旅立ってから6日が経過していた。ヨーグの森の話をだいぶ前に聞いたのにまだ着かないのはファイセルが歩いて旅をしているためだ。



 ウィールネールに乗った旅人ならノールの村から2~3日でヨーグの森の近くの村、ケルクまで到達できるが、歩きだと丸一日歩いても6日程度かかる。



 ファイセル達が続けて街道を進むうちにあたりの景色は一変し、平地から起伏のある地形になり、草木の生えない荒地が目立ち始めた。



 朝に出発した村で買った鬼火ガエルのサンドイッチを昼食として食べて、しばらく歩き続けていると村が見えた。北部と中央部の境目付近のというラウスという村だ。



 ノールの宿屋からここまで5日分の半分くらい歩いた。このまま順調にいけば、明日にはケルクに到着するはずだ。



 長時間の徒歩に疲れ、正午からだいぶ経った頃に休憩を取ろうと村に入るとなんだか様子がおかしい。人が少ない上に、女性しかいない。しかも、皆慌ただしく家財道具をまとめている。



 いきなり近くの家の窓からおばさんが大声を上げて声をかけてきた。



「あ、アンタ冒険者かい? もう濁流にのまれてこの村は終わりだよぉ!! アンタも速く川から離れな!!」



 ファイセルは思いだしたように地図を引っ張り出して見た。



「そういえば確かこの村の上流には大きな天然ダムがあるんだ……! リーネ、川がどっちかわかるかい?」



 リーネは村の外の森を指差した。ファイセルがそれにしたがって村のそばの川を見に行くと濁流が流れており、川の姿は一変していた。



 しばらく街道が川沿いから離れていたのでこんな状態になっているとは今になってわかった事だった。



 ファイセルは天然ダムの崩壊による激流を回避しようと、逃げる方向を考え始めた。すると脇で女性が喚いている。



「離せッ!! 離しておくれ!! ミルルちゃんや男どもが水を食い止めてるってのに、あたしたち女衆だけ逃げていい道理があるかい!!」



 周りの女性たちに制止されながら女性は泣き叫び続けた。



「なんのためにあいつらが水を食い止めてくれると思ってるんだい!! アタシらは生き延びなきゃならないんだよ!! あいつらのためにも!!」



 他の村人が必死に言って聞かせるのを聞いてファイセルは愕然とした。



「まだ人が残っているのか!? あの流れを見るにもうそんなに長くは持たないぞ!!」



 珍しくファイセルが声を荒げた。強い危機をジリジリと肌に感じて焦りを感じた。すぐ逃げ出せばいいものの、残っている人のことが気になり、そこに立ち尽くして動けない。



「ファイセルさん!! ファイセルさん!! 濁流に飲まれればさすがにあなたを守りきれません!! 死んでしまいます!! ここは私たちも逃げましょう!!」



 その言葉を聞いてファイセルは突如自身に降りかかった命の危険を再認識させられた。それでもダム決壊を食い止めている人たちのことが気がかりでしょうがない。



「このままじゃ、抑えている人たちは濁流の飲まれて死んでしまう! というか彼らは死ぬ気だ!! 何とか……何とかならないのか!!」



リーネが気乗りしないような様子で言う。



「溢れている水源に近づければ、泥水の好きな幻魔の方がいますので水を吸い取ってもらえるかもしれません。しかし、この距離ではダムが決壊したらまず回避不可能です!! 逃げるなら今しかないです!!」



 リーネは再びファイセルに避難を強く促した。ファイセルは村人を助けられる可能性と自身の命の危険性の間で板挟みになった。こういう時に限って、自分の欠点であると自覚している優柔不断さが顔を出す。



「さぁ、早く川から離れて!!」



 リーネは悲鳴のように警告の声を上げる。だがもし、ここで水を抑えている人たちを見過ごして逃げたとしたらきっと自分は生き延びたとしても一生後悔することになるだろう。



「それでも可能性が……助けられるかもしれないなら見殺しには出来ないッ!!」



 ファイセルは優柔不断な自分を思い切って振り切り、意を決して川上に向けて走り出した。もうあとは天然ダムが決壊する前に到着できることを祈るしかない。



「ああ……ファイセルさんなんてことを……」



 リーネは絶望しながらも祈るように手を合わせた。



 ファイセルはたまった旅の疲れのせいでよろけて思うように走れなかった。ふとリーリンカのくれた薬のなかに滋養強壮剤があったのを思い出し、走りながら取り出して一気に飲み干した。



「うわあああああああああああああ!!」



足の痛みや疲労感を無視し、力を振り絞って叫びながら走る、ひた走る。極度の緊張状態でもはや自分の体がどうなっているのかさえわからない。足はもげていないか、本当に走れているのか、果たして前に進んでいるのか。



 迫り来る死の恐怖と戦いながらそれを振り払うように絶叫しながら更に走る。やがて遠くに土手が見えた。川幅は広がり、すぐ隣では真茶色な水が全てを飲み込まんとする勢いで流れている。



 もし天然ダムが決壊すればこの数倍の水に押し流されることになるだろう。自分はおろか、おばさんの言っていたようにラウスの村は壊滅だ。



 徐々に滋養強壮剤の効果が表れて全身に力が漲り、足に手に感覚が戻ってくる。叫びはいつの間にか勇ましい雄叫びに変わっていた。



「うおおおおおおおおおおおお!!! ハァ、ハァ……リーネ!! 間に合いそうだぞ!! スタンバイしてくれ!!」



 ファイセルは走りながら腰のビンをベルトから抜き、右手に持って森の中を疾走した。恐怖を感じているのは決して自分だけではないと自分に言い聞かせながら勇気を奮い立たせる。



 少し先に木が川の流れでなぎ倒されて森が開けているのが見えた。滑り込むようにそこから森の外へ出ると今にも決壊しそうな土手が目の前に広がった。



 それを3m位はある岩の塊が塞いでいる。大きな岩の左右から抑えきれない濁流が流れ出す。



「ここが最後の砦か!!」



 十数人の男たちと1人の少女が水を抑えていた。男たちは土嚢を積んだり、直接体で水をふさいだりする作業に集中していたが、ファイセルの叫びを聞いて誰かが森から飛び出してきた事に気づいたようだった。



「頑張って~!! お願い!! あと少しだけ耐えれば村のみんなは逃げられるから~!!」



 一人だけ男たちに混じり、その場に似つかわしくないそばかすの少女が泣き叫びながら岩に向かって声をかけている。



 焦っていて気付かなかったが良く見れば固まった岩は人の形をしていて、土手に背中を押しつけて水をとめつつこちらを向いている。



「これは……ロックゴーレムか!!」



 人型をしたこの大岩はロックゴーレム。ファイセルの魔法生物と原理は似ているが、こちらは岩石に術式を彫って動かすタイプの岩の傀儡だ。



 物理攻撃には強いがめっぽう水に弱い。今はかろうじて水をふさいでいるが、相当なダメージを負っているはずだった。



「ファイセルさん、準備OKです!! ただし、流れがあると思うように吸えないので土手の上側からビンを水面につけてください!!」



 そんな事を言われても土手の斜面は急過ぎて、とても自力では登れそうにない。とっさにファイセルはゴーレムに指示をしていると思われる少女に頼んだ。



「君! ゴーレム使いなんだろ? 僕を土手の上まで投げて!! 早く!!」



 女の子はいきなり現れた冒険者にポカーンとしていたがすぐに言われた通りゴーレムを動かし始める。ゴーレムは水を抑えていた片手をぐいっとこちらに伸ばし、ファイセルを鷲掴みにした。



 抑えていた箇所から一気に水が噴き出す。それを男たちが必死の思いでふさいだ。



 ゴーレムは背中を向いているので直接ファイセルを土手の上に置くわけにいかなかったが、絶妙な力加減で土手の上めがけて後ろ向きに投げた。



 ゴーレムのコントロールが正確だったおかげで、ファイセルは上手く着地に成功し、すぐに土手の上から天然ダムの水面めがけてビンを突っ込んだ。



 ゴオゴオと轟音を立てて、ビンが水を吸い込んでいく。水位はぐんぐん下がり、やがて、ゴーレムだけで抑え切れる程度まで減った。



 ファイセルは安堵して土手の縁に立って下の男たちと少女に手を振った。下に居た全員がそれに答え、同じように安堵の表情を浮かべて笑い、手を振り返した。男衆からは歓声が上がった。



「ふ~、ラウス村北の天然ダム、マーク完了です! それにしてもファイセルさん無茶しますね。さすがに今回はファイセルさんが死んでしまうかと思いました」



リーネはハラハラしすぎたからか疲れの色が隠せない。



「全くだよ。我ながら無茶をする。師匠から『勇敢と無鉄砲は違うよ』って説教されそうだね……」



 ファイセルも命の危機を乗り越えて力が一気に抜け、土手にしりもちをつくように座り込んでそのまま仰向けに草むらの上に横になった。鳥がゆったり飛んでいるのどかな風景が広がる。



「いや~、走ってる最中は必死すぎて気にも留めなかったけど、リーリンカの栄養剤、マズいなぁ。のどごし最悪だよ。ドロドロしてたし、未だにベロはヒリヒリするし、生臭いし……」



 なんとなく薬貨店で売られていた怪しげなゲテモノ材料のビンを思い出してしまい、かなり気分が悪くなったが、これが無かったら死んでいたかもしれないと思うとリーリンカにただただ感謝するしかなかった。



「こうやって噂をしたら今頃、くしゃみとかしてたりしてね」



 ファイセルは泥水を制御し終わったリーネと見つめ合って笑いあった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る