第12話狂犬には愛のちゃぶ台返しを



 裏赤山猫の月、4日目。ザティスは伸びをしながらベッドから起き上がった。



「そうだ、ラーシェの奴と9時頃待ち合わせしたんだっけな」



 今日は休暇4日目で、打ち上げでしたラーシェのグリモア読解の課題を学校のコロシアムで手伝うという事になっている。



 ザティスはざざっと制服を着てその上に古びたウィザーズローブを羽織った。



 基本的にリジャントブイルは個性を尊重する校風なので制服を着てさえいればどんな物を身に着けたりしてもかまわない事になっている。



 マジックロックをかけ、寮を出る。ファイセルの住んでいる部屋からはだいぶ遠い位置にあるので彼の部屋にはあまり顔は出さない。



 そのまま歩いて本校舎隣りのコロシアムに入った。円形のコロッセオと呼ばれる伝説の闘技場を模した作りとなっていて、入口から入るとまず観客席に転送される。



 休暇中という事もあってか、多くの学生が観戦や賭けに興じていた。色とりどりの制服をした生徒たちで観客席は彩り鮮やかだ。



 学院の制服の色はエレメンタリィが群青、ミドルが深緑、エルダーが暗いえんじ色をしている。



 基本的に普段のコロシアムは学院生以外入場禁止なので、私服の生徒は居ない。学院生のアナウンサーが次の対戦カードについてアナウンスする。



「え~、次のカードは6連勝中のエレメンタリィ所属、ホッジス選手対、9連勝中のミドル所属、アリア選手のカードとなります!! 評判や過去の対戦成績から見てオッズはホッジス選手勝利なら5.1、アリア選手勝利なら2.7です。では賭けの受付を開始します。なお、繰り返しになりますがコロシアムの収益金は学院の運営費に充てられます。非公式の賭け事は禁止されており、校則違反ですのでご注意ください」



 勝利数が近い者同士が当てられて連勝数を競う。それがコロシアムの基本ルールだ。さきほどのオッズを聞いて学院生たちが学生証を触って掛け金を決め始めた。



「お~い、ザティス~。ここだよここ!!」



ラーシェが大きな声で手を振ると金髪のポニーテルがゆらゆら揺れた。周りが騒々しいのでここでは別段目立つことはないが、普段からこいつは少し声がでかい。



「おう、待たせたな。そんで、ホッジスとアリア、どっちに賭けんだ?」



 ラーシェはグリモアの課題に詰まり、それどころではなさそうだった。ザティスはコロシアムの観客席にどっかりと座って、学生証をいじり、ホッジスに5000シエール賭け、ラーシェの詰まっている箇所を見た。



「ここから文法が滅茶苦茶でさ~。どうしていきなりこんなに崩れるわけ?」



 講義でやる内容に詰まっているラーシェをみてザティスは呆れた。



「お前な~、文法崩壊の文法って習っただろうが。そういう場合はな、グリモアを逆さから読んで、崩壊してないとこだけ拾ってあとは捨てるんだよ。捨て字があんの捨て字が!」



「あ、なるほど~。あ、それはそうとさ~、今朝の新聞見た?」



 起きてからすぐ約束を思い出し、あわただしく寮を出たので新聞を読んでるヒマはなかった。



「どうした? なんかおもしれぇ記事でもあったのか?」



 ラーシェは今朝、情報を受信した新聞の記事を指差した。



「これこれ。6年ぶりに海竜のウロコが見つかったらしいよ。で、それがカルツの街で取引されたみたいなんだけどさ、取引価格550万だってさ!」



 ライネンテの平均的な家庭の収入が200万シエール程度と考えるとその額、実に年収の二倍以上である。



「んで、どんなやつが拾ったんだ?」



「それがさ~、記事によるとウチの学院生らしいんだよね。群青の制服を着ていたって書いてあるからエレメンタリィの生徒だと思うんだけど、黒い髪が印象的な”F”さんだって」



 ラーシェは他の学院生同様、誰がこんなラッキーな思いをしたのかが気になって仕方がないようだった。



「カルツにいるFさんねぇ……」



 ザティスは自分で言葉にしてみてまさかと思った。ラーシェもザティスが何を言わんとしているかすぐに理解した。



「まさかな!!」「まさかね~~!!」



 思わず二人共同時に同じリアクションをとってしまった。それはさすがに無いだろうと思いつつも、どこかでひっかかるものがある。それを確信に変えられない以上、事実かどうかわかり得ない事柄なのだから。



「ま、まぁアレだな。Fさんなんてうじゃうじゃいるしな」


「そーそー、黒髪の人だってそれなりにいるし!」



 もはや何を言ってもウロコを売った学院生の正体がファイセルにしか思えない。



 適当にはぐらかしたが、ザティスもラーシェも心内ではファイセルに会ったらコッソリ聞いてみようと考えていた。お互いに出し抜く気満々だった。



 すこし会場から目を離していると観客たちの声援が盛り上がりだした。試合が開始したようだ。こんな騒がしい場所で勉強しているのは彼女だけだろう。



 いくら気兼ねが無いからとはいえ、コロシアムは勉強に向かなかったなとザティスは反省した。



「お~っと!! どう考えても不利に思えた格下のホッジス選手、粘る粘る!! 対するアリア選手、怒涛の連射魔法、アイシクルシュートで応戦だ~!!」


アナウンサーが盛り上がるのを聞いてすぐにコロシアム中央に目線を移す。


「おっ!おおっ!!」



 思わず声が出た。コロシアムの舞台で連続で放たれる氷のつぶてをホッジスが次々と剣で弾き落としていく。



「ザティス~、ここもわからないんだけど。マナロックが解けないよ~」



 ラーシェには悪いがこの試合は見過ごせない。聞こえていないふりをして観戦を続ける。



「ホッジス!! 距離をつめるホッジス!! アリア、押され気味だアリアーッ!!」



 近距離に強そうなホッジスの剣の間合いが後衛のアリアに迫る。アリアはさほど近距離戦を得意としていないようだ



「お~っ、これはイケるぜ!!」



 ホッジスは左右にステップを踏み、攻撃魔法を回避しながら突きをアリアめがけて放った。これは当たると誰もが思った時だった。



 ホッジスの足元が光り、電撃の柱がホッジスをつつむ。バリバリバリという激しい音を立てながら稲妻がホッジス選手を襲い続けている。



「おーーーっと!! アリア選手、押されているように見せかけて設置型トラップ呪文ボルテイク・ピラーを仕掛けていた~!! ホッジス選手立ち上がれるか?」



 雷撃をモロに食らったホッジスは倒れ、体からはプスプスと煙が立ちあがっていた。



 カンカンカン!!!



 乾いたゴングの音が鳴り響く。



「KO!! アリア選手がミドルの余裕を見せ、10連勝の大台に乗りました~!!」



 会場は悲喜こもごもの叫びに包まれた。勝利を手にした女生徒が笑顔で観客席に手を降っている。



「チッ!! アリアに賭けとくんだったぜ。頭に来た。ケンカを売りにいってくるか」



 ザティスは立ち上がり、受付の方へ行ってしまった。



「あ、あ~。あ~あ~。ちょっとまっ……しょうがないなぁ。応援してやるかぁ」



 ラーシェは諦めたように膝の上に頬杖をついてコロシアム会場を見下ろした。



「――え~、次のマッチングが決まりました。ミドル所属で7勝のカイル選手対、エレメンタリィ所属で11連勝中のザティス選手です。きました! 勢いに乗った狂犬ザティスがまた喧嘩を売りに来ました~!!」



 会場中から歓声やらブーイングやらが上がった。ザティスはコロシアムでは割と有名で、悪名だったころの狂犬というあだ名を引きずっている。



 エレメンタリィで選手の中では珍しい10連勝を超える実力を持ち、ミドルの選手と比べても実力に差がないと言われている



「え~っと、オッズはですね……あ、待ってください。緊急の連絡です」



 学院生たちがアナウンス席に注目する。マイクの前にバレン先生が現れた。



「お前ら~、休暇に入ったってのにケンカや賭博にあけくれてるこの悪ガキどもが~。お前らお待ちかねの”ちゃぶ台返し”の時間だ。愛の鉄拳制裁で体に教え込んでやるからな。覚悟しろ~。まずは10勝そこそこで調子に乗ってるザティス君が俺の対戦相手だ。教え子を直々にツブすってのは悲しいねェ」



 バレン先生はわざとらしいジェスチャーで悲しみを表現した。定期的に連勝記録をストップさせるために教師が遊び心でコロシアムに乱入してきて、連勝数を止める事がある。



 これは”ちゃぶ台返し”と呼ばれている。予告されないイベントなので連勝数を折られるのを回避することはまず出来ないが故に、選手たちには恐れられている。



「あ、あと、バレンは脳味噌筋肉だから大丈夫だとか思っている奴、安心してくれ。今回は副校長のファネリ先生も駆けつけてくれたぞ~」



 白髭で昔ながらの魔法使い帽をかぶった老人が席を入れ替わる。なんだかニヤニヤ笑っていて、とても嬉しそうだ。



「え~、そういうわけじゃから、物理・近距離攻撃が苦手な選手はバレン先生が担当し、魔法・遠距離攻撃が苦手な選手にはわしが相手してやるから安心してくれという事じゃ。ザティス君はそれに従うと儂が相手なんじゃが、バレン先生の強いリクエストでな」



 予想外の乱入にコロシアム全体がブーイングした。これでまた誰が勝つか全くわからなくなる混乱期に戻るためだ。賭ける側にとってはたまったものではない。



「ちなみにこれ以降は連勝数の多い選手を指名して片っ端から俺らがツブしていくからな。なお、拒否権やギブアップする権利はない。足掻いて見せろ!!」



 バレンが指で首を横に掻っ切って落とすジェスチャーを見せた。あまりにも慈悲の無いちゃぶ台返し宣言に会場は騒然とした。これは1か月ぶりくらいのちゃぶ台返になる。



 ラーシェは老人の方を見て身震いした。



「うわ~、あれって炎焔のファネリじゃん。あたしが滅茶苦茶苦手なタイプだよ~。参加してたらファネリ副校長が相手だったろうな。真っ黒コゲにされて終わりだよ~。ザティスもこのタイミングでエントリーしちゃうとはツイてないなぁ……」



 一方、コロシアム中央のザティス自身はちゃぶ台返し返しについては絶望視していたが、一泡吹かせてやろうとあれこれ考えていた。



「あんだよ……よりによってここでこれかよ。本来、11勝くらいならお目こぼししてもらえるんだが。ツイてねぇな」



 アナウンス席に放送部の学生が戻る。



「えー、ではベッディングタイムです。ちゃぶ台返しの場合は教師に賭ける事は出来ません。挑戦する生徒側のみに賭ける事が可能です。バレン先生と戦うザティス選手のオッズは……16.7です!! では皆さん、気を取り直していきましょーーー!!」



 再びコロシアムが熱気を帯びてきた。まれに弱い教師などが連れてこられて参加させられ、生徒側が勝つこともあるが、今回はバレンにファネリというバリバリの武闘派の二人組だ。



 まずちゃぶ台返し返しはありえないだろう。それでも一攫千金のロマンを追って生徒たちはザティスに賭けていく。



「それではッ!! バレン先生 VS ザティス選手の対決の開始です!!」



 ゴングがけたたましく鳴り響いて2人の戦いの始まりを告げた。



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