第8話餞別の薬詰めバッグ

裏赤山猫の月、3日の早朝、ファイセルは旅支度を整えていた。遠出だからといって携行する荷物を多くすればいいとは限らず、むしろ基本的に軽装で必要なものを現地調達していく方がスムーズに旅ができるというのがファイセルの経験則だ。



 テーブルの上にリーネのビンを置いて荷物のチェックを行う。リーネも目をこすりながら顔を出した。



「――とりあえずまず持っていくのは非常食『ライネンテ海軍のレーション』かな。これがあればまず空腹に苦しむことはないと思う。軽いし、少量でも満腹度と栄養が摂れる優れもの……なんだけど、すっごいマズいんだな。これが。実習の時、マズすぎてみんな泣きながら食べてたっけな……」



 パッケージにつつまれた拳大のレーションを棚からとってカバンに入れる。手を触れた瞬間、かつて実習で味わった時の激マズな味がフラッシュバックする。



 これは本当に最後の手段としてとっておき、出来る限り食べるハメにならないようにしようとファイセルは密かに心に誓った。



「せっかくならおいしく作ればいいんじゃないですかね……」



 リーネが至極真っ当な感想を述べる。



「このマズさに非常食用のからくりがあるらしんだよね。あれこれ機能性を求めすぎると何かを犠牲にせずにはいられないって事かな」



 リーネは納得いかないような様子でレーションを眺めていた。



「で、次はサバイバル定番グッズのリーヴィアブランドのナイフか。薪を作ったり、食材を切ったりまぁ色々使えるね。刃こぼれしないように作られてるから多少荒っぽい使い方にも耐えうるかな。あくまで作業用だから戦闘とかには向かないけどね」



 ファイセルは刃の部分が真っ青に輝く片手用ナイフの刃を確認して、鞘に納めてカバンにしまった。



「あとは魔術局の地理課発行の地図とマジカルコンパス。地図には地理課から最新の情報が配信されてきて、地名や道の変更もすぐに反映されるんだよ。あと地味に役立つ天気予報機能つき。地図自体はただの紙なんだけど、魔力を受信するための網状の術式、術網が裏に記されていて、使用者のマナを消費することによって地図の機能が使えるんだ。」



 ファイセルは地図を丸めてカバンに入れた。



「まぁマッピング系の魔法が使えるようになるマジックアイテムって言えるかな。マジカルコンパスは基本的に地図とセットで使う物で、コンパスの位置と地図が同期してて地図上で自分の大体の場所がわかるっていう優れもの。地図もコンパスもセットで買うと結構高いらしい。僕は旅立ちの餞別としてもらったんだけどね」



 コンパスは紐をベルトに結んで腰から吊るした。



「あとは懐中タイプのマジカルウォッチ。まぁこれは普段から身に着けてるから特別に旅用に用意したものじゃないけど」



 ファイセルは懐の内ポケットから時計を出して眺めて、時刻があっているのを確認して、しまった。



「――後は……この間買っておいた爆裂海藻ヨウカン。これは師匠へのおみやげだね。師匠もリジャントブイルに通ってたらしくてさ。爆裂海藻ヨウカンが懐かしいかなとおもって」



 買い置きしていたヨウカンを棚からとってカバンに入れた。



「結局そのヨウカンはおいしいんですか? 普通、お菓子の名前に”爆裂”なんてつけないと思うんですけど……」



 リーネは固形物が味わえないのでこればかりは口頭で解説するしかない。



「味自体は控えめな甘さで海藻の風味がしてかなりおいしい……と思うんだけど、口の中が痛くなるほどはじけるんだよね。で、シュワシュワいいながら舌に風味と刺激を与えながら溶けていくという。そのはじける感触と刺激を受け入れられるか否かによって好き嫌いがきっぱり別れるかな。僕はあんまり好きじゃないね」



 一応、解説しては見た物の、あの味というか刺激は実際に食べてみないとわからない。



「マスターは爆裂海藻ヨウカン好きなんですかね?」



 リーネは恐る恐る聞いた。



「う~ん……わからないなぁ。この前に帰省した時には『懐かしいなぁ』とか言いながら無口無表情で食べてたけど」


「そ……そうですか」



 リーネはおみやげのチョイスに疑問を感じながら、ファイセルの姿を見てまた一つ疑問を抱いた。



「服装は相変わらず制服なんですね」



「いやー、学院の制服は性能高くってね。攻撃や魔法に対する耐久力がそこら辺の布とは段違いだからね。下手したら軽量の鎧くらいの耐久力があるかもしれない。制服で旅をするのは僕だけじゃないと思うよ」



 上着をざっと羽織り、準備を再開する。



「そういえば、私、ファイセルさんが武器を持っているのを見たことが無いんですが、呪文で戦うんですか?ウィザードさん?」



 そういえばまだリーネはファイセルがどんなバトルスタイルなのかを知らない。



「あぁ、気づかなかったのかぁ。いつも腰のベルトの内側に挿してあるから見えないのもしょうがないかな」



 そういってファイセルは腰のベルトから何かを抜き取ってリーネに見せた。



「これは……ブーメランですか?」


「そう。メインに使ってるのはこの”リューン”って名前を付けたブーメランと今、上着として羽織ってる制服の上着、”オークス”なんだ」



 リーネは目を真ん丸にして驚いた。



「ほぇ~、その制服さんは魔法生物だったんですね~」



「さすがに衣服を魔法生物にしてる人は少なくて、黙ってれば僕の能力はバレにくいって長所がある。だからオークスを奇襲に使う事はしばしばあるね。まぁモンスター相手には関係ないけど」



 そう言われても一見ただの布にしか見えないのでこれをどうやって戦闘に使うのかリーネは疑問に思ったようで首をかしげた。



「だからそんなに繕った跡があるんですね……」


「あとは、連れて行くかで悩んでる奴が一匹」



 ファイセルはクローゼットを開けて立てかけてある剣を手に取った。



「1万シエールで買った安物の剣。攻撃力を上げたくて初めて買った剣なんだけど滅茶苦茶凶暴でね。危うく斬られるところだったんだよ」



 ファイセルは刀を抜いて刀身を眺めながら思い出すように軽く振ってみた。



「え……で、それは持っていくんですか?」



 リーネが不安そうな表情を浮かべながら聞いた。



「一応、腰から剣を下げていれば戦闘能力のある冒険者だと思われて厄介ごとに巻き込まれずに済んだりするから、使うかどうかは別として差していこうかなと。名前はそのうちつけよう。出来れば新規生物素材開拓として使っていきたいけどまぁ無理だろうね」



そういいながらファイセルは剣を左側の腰のベルトに差し、黒に近い紫色のアルマ染めのマントを羽織った。



「うわ~、綺麗なマントですね~」



「出かけてくるときに着てたマントだよ。まぁもうこれは色だけでほとんど飾りなんだけどね。よし、準備ってほどたいした準備はしていないけど、これで旅支度は完了だ。心もとないように思えるけど、傷薬とかは必要だと判断した時点で調達していくから」



 ファイセルはリーネのビンのフタを閉めて、取っ手を腰の右側のベルトにひっかけた。



 少し重いがちょうどよく引っかかり、走ったりしても問題なさそうだ。ホムンクルスとの試験会話などに使うためだろうか、ビンのフタを閉じたままでもリーネの声が良く聞こえてくる。



 部屋に鍵をかけて寮の階段を下りて、街の外へつながる門を目指した。早朝のルーネス通りはいつもの喧騒が嘘のように閑散としている。人影もすれ違う人がいるかいないか程度で、静まり返っている。



 喧騒の無い通りは味気ない物であっという間にルーネス通りの端、街の出口への門へと着いていた。



「しばらくはミナレートともお別れだな……」



 出口の門を見上げるファイセルの顔つきは休暇中の学生のそれから緊迫感ある冒険者のものに変わっていた。



 出発しようと街に背を向けた瞬間、ファイセルはビン同士がぶつかるような音を聞いた。気のせいかと思ったが、振り返ってみると音は近づいてくる。



「あれは……リーリンカか?」



肩からいつも愛用しているバッグをかけたリーリンカが長い髪を振り乱して走ってきた。



「ハァ、ハァ……ま、間に合ったか……」



リーリンカは前かがみになり、膝に手を当てた。



「リーリンカ。どうしてこんな時間に?」


「いいから……持っていけ……」



バッグの中にはリーリンカ特製の薬品類がいっぱいに詰められていた。



「どうせお前の事だ、軽装でふらふら出かけていくだろうなと思ってな……しょうがないやつだ」


「わざわざありがとう! ありがたく使わせてもらうよ。リーリンカも休暇と帰省を楽しんでね」



「あ、ああ…………」


リーリンカはこちらの笑顔に返すように普段見せないような突き抜けて明るい笑顔を見せた。



 ファイセルはその表情にすこし違和感を感じたが、同時に勇気づけられて手を振って街に背を向けた。リーリンカはファイセルが見えなくなるまで手を振っていた。



今回の旅はミナレートの外れに流れ込んでいる大河”ラグランデ川”をさかのぼり、南下してシリルを目指す計画だ。



「ラグランデ川の河口、マーク完了です。流れの上層は普通の水ですが、底の方はしょっぱいですね。これがウワサに聞く”きすいいき”ってやつですかね……」



 リーネがビンに戻るとファイセルがリーリンカから受け取ったバッグの中身を見ていた。



「何々?飲用傷薬に塗り薬、マナ強壮剤、擬態香水に催涙薬……あとはなんだこれ。死にそうになったら飲め?リーリンカが走ったからかカバンの中がグチャグチャだよ。使うときはしっかり確認したほうがよさそうだなぁ」



 薬を分類しながらファイセルはある事を疑問に思った。



「それにしてもこのバッグ、普段リーリンカが身に着けてる愛用のバッグじゃないか。僕に預けちゃっていいのかな?」



 リーネはその様子をビンの中から見ながら推察した。



「自分の大切にしていた物を相手に預けるってことは、お守り的なジンクスがあるんではないですかね? きっとファイセルさんの無事を願っての事ですよ!」



 ファイセルは納得したようにリーリンカのバッグを閉じて、自分の肩掛けカバンと交差させるようにバッグを肩にかけた。肉体エンチャントが殆どできないファイセルの歩き旅にはこの重量が地味にのしかかる。



「ちょっと重いなぁ。まぁ使ううち軽くなるでしょ。本音を言えば薬を使い切るような事態には陥りたくないんだけど。無事に旅を成功させてバッグも大事に扱って返さなきゃね」



「そうですね! いきましょうか」



ファイセルとリーネは街道を歩き始めた。

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