第9話天から降る海の竜の贈り物



――ミナレートのルーネス通りの門、通称南門の出口はミナレートへと向かう広めな街道に繋がっている。



 二時間ほど歩いただろうか。もう日も昇って来ており、街道は荷物を運ぶ商人や旅行客でにぎやかだ。



 中でも目立つのは”ウィールネール”と呼ばれる巨大なナメクジで、馬の代わりとして馬車をひいている。



 ライネンテではメジャーで、あちこちで見かけることが出来る。草食動物で、性格は温厚。馬力もかなりあって、その力は一頭で馬二頭分に相当する。



 背丈の高さは馬と大差ないが横に大きく、横幅も馬二頭分程度はある。



 馬よりはやや遅いが、地表を滑るように這い悪路や斜面もなんのそので極度の乾燥地帯、または寒冷地でなければ悪路など様々な道路状況でも活躍できるライネンテ国内の陸路運輸の要といっても過言ではない存在だ。



 この街道でもウィールネールに荷台を括り付けた商人や馬車をつけて乗っている人たちを多く見かける。



 ただ、欠点としては体表がヌメヌメしているので特製の滑り止めの付いた鞍や手綱を使わないと滑ってしまって上手く固定できない事だ。



 あとは幅が大きいために、小回りの利く乗り物が珍重される一人旅や、街中への連れ込みには向かないという点だろうか。



「うわ~なんですかあのヌメヌメしたのは~」



 リーネがおっかなびっくりにウィールネールを見つめている。



「大丈夫だよ。大人しいし、葉っぱしか食べないから。まぁ、ビジュアル的に受け付けない人も少なからずいるみたいだけど……」



 ウィールネールがニュルニュル音を立てながら横を走り抜けていく。



「ファ、ファイセルさんは気持ち悪くないんですか?」



 リーネは首まで水に浸かって未だにビクビクしているようだった。怖いものに遭遇した時の様子などこういう妙なところで人間臭い。幻魔界にはこれよりもっと気持ち悪い幻魔もいるんじゃないかと思うのだが。



「まぁ都会の子はともかく、田舎には牧場とかあって子供はしょっちゅう触ったりしてるからね。そんなに怖がらなくって大丈夫だって。これからあちこちで見るからいちいち驚いてたらキリがないよ」



 ファイセルはリーネをなだめた。



「わかりました。ちょっと苦手だけど頑張ってみます。あ、あと道を外れた森の中に池がありますね。寄って行きましょう」



 リーネには水源を察知する能力もあるらしい。池があると聞いたファイセルは地図をカバンから取り出して歩きながら見た。術網が水の流れるように青く光る。



「今歩いているここが街道だから、左にそれると確かに地図上に池があるね。あれ、池の名前が書いてないな。旅人が寄っていく様子もない。おっ……これはもしかして”海竜の涙”かな!?」



ファイセルの表情が明るくなった。急いで街道から脇の森へ入り、地図をで自分の位置を確認しながら池を探し始めた。



「”かいりゅうのなみだ”って何ですか?」



 リーネは海岸地域特有のこの現象を知らないようだった。いくら水の妖精とはいえ、山では”海竜の涙”の現象は起こらないので知らないのも無理はない。



「海竜の涙って言ってね、深海に住んでるとされる大きな幻魔のドラゴンが稀に潮を吹くことがあるんだ。それが空高く舞って、海岸近くの森とかに落ちると落下地点に小さな池が出来るんだよ」



「ところで、なんでそんなに嬉しそうなんですか?」



 急に笑みを帯びたファイセルを見てリーネが不思議がった。



「海竜の涙の底には必ず”海竜のウロコ”があるんだよ。海の竜のウロコはアクアマリーネとか呼ばれてるけど。これがすごく高値で売れるんだ。集めて縫い合わせて鎧とか盾にしたり、マジックアイテムの素材とかに使われるんだけど、今の僕が持っていても加工や有効に使う手立てがないから売るのが一番かな。正直ちょっと財布がさみしかったけど、これならお金に悩まされずに旅ができるかもしれないよ! まぁ先客がいなければの話だけど」



 ファイセルはガサガサ草をかき分けながら街道から離れた方へとどんどん進んでいく。



 腰丈くらいの雑草に行く手を阻まれながらも地図上の小池を目指していくと小さな木が数本倒れて日が差し込んでいる一角が見えた。



 草をかき分けてさらに進むと、森の中に空いた浅い小さな泉のような池があった。しゃがんで水を飲んでみる。



「このアクアマリン色の水、そしてこのしょっぱさ。間違いなく海竜の涙だね。いい機会だしリーネも入ってみるかい?」


「はい。海竜さんのダシってどんなですかね?」



 ファイセルはビンのフタを開けてリーネを池に垂らした。



「こ……これは、力がわいてきます!! こんなの初めてです」



 ビンの中の水がキラキラ光って、リーネの体も光を帯びた。



「この水、みんなに分けてきてもいいですか?」



 リーネは身内の水属性の幻魔に不思議な力を秘めたこの水を分けようとしているようだった。



「わかった。僕はウロコを探すから行ってきなよ」


「はい!」



 リーネが沈黙するとビンの中のアクアマリン色の水はほとんど消え、わずかな水だけが残った。



 さきほどはリーネに知ったように語ったファイセルだったが、実物の海竜の涙に遭遇したのは実はこれが初めてだった。



 授業や話には聞いていたが、いざ実物を見ると潮だまりのあまりの美しさとウロコの魅力のためにこれは夢ではないかと思えてくる。



「え、えっと、ウロコの特徴は……掌くらいの大きさで濃い青色のフチで水色に透き通った本体……」



 池の周りをクルクル回りながらウロコを探す。日の光りが反射して水底が見えない。池自体は浅かったので、ファイセルは手を突っ込んで慎重に底をあさった。すると土や泥や木とは明らかに感触の違うツルツルとしたものに触れた。



「これだッ!!」



 ファイセルは水底からそのツルツルしたものを取り上げた。大きさは手のひらくらいで青い縁取りの水色のウロコ。まるで装飾用の煌びやかな盾のようだ。



 日にかざすと水色の部分が薄い魚のウロコのように透けて虹色に反射する。



 観察しながら触ってみると柔軟性があり、反ったりひねったり変形できる。それにもかかわらずかなり頑丈だ。



 予想外の出来事に感動のあまり声がでない。水中から取り上げてからしばらく無言で”アクアマリーネ”を見つめていた。



 金銭的に儲けものをしたという認識はあったが、金勘定以前にこのトレジャーに遭遇することの出来た感動の方が上回っていた。



 どのくらい見つめていただろうか、割と長い時間、その美しさに見とれていた気がする。



「おまたせしました!」



 リーネの声でふと我に返る。ビンの中身はいつの間にか再びアクアマリン色の水で満たされていた。



「あ、ああ。戻ったんだね。ほら、これが海竜のウロコだよ」



 リーネもファイセルと同じく目を輝かせてウロコを見つめた。



「これが海竜さんのウロコですかぁ~。そ、それはそうとちょっと大変な事に……」



 リーネが嬉しいような、困惑しているような複雑な表情で語りだした。ファイセルはウロコを大事にカバンにしまい、リーネの方を向いた。



「あのですね、なんと海竜さん……じゃなくて海竜様は幻魔界では滅多に会えないような滅茶苦茶エラいお方でした。我々水属性の幻魔の中では知らない者はいないくらいです!」



 リーネは興奮気味に続けた。



「で、そのお方の潮である池の水を持ち帰ったらお母様も姉様方も他の水属性の幻魔の皆さんからも大変高評価をいただいてですね。よくわからないんですが、私の幻魔としての格付けが何段階か一気に上がったそうです。私は大したことしたわけではないのでなんだかフクザツなんですが、姉妹の中で一番、位が高くなってしまいました……」



 ――どうも幻魔の社会には厳しい格差があるらしい。多くマナを蓄えている者や人間界での活動実績が多いものほど地位や権力を持ち、低級な者には発言権さえ与えられない。



 そのため権利や地位を欲して人間界に現れる幻魔も多いと聞く。サモナーの使う魔法はマナの契約において、幻魔と人間との利害関係を一致させ、幻魔界から人間界に幻魔を呼び寄せる術法だ。マナを欲している幻魔にと手はうってつけと言える。



 そんな世界で生まれたリーネが一気に格を上げ、苦労しながらマナを集めている者や、地位の低さに苦しむ者、昨日まで先輩と呼んでいた幻魔達をあっさり抜き去って上回ってしまったのだ。戸惑うのも無理はない。



「でもですね、良い事があってですね。マスターの幻魔のグループは皆、実力派とは言われつつも、生み出されてから間もないので水幻魔界隈での地位と言うか権利が軽視される傾向にあったんです」



 リーネは少し俯きがちだったが、表情が明るくなり顔を上げた。



「でも今回、私が海竜様の潮、すなわち”海竜の賜りもの”を発見し、入手したことは偶然ではないとその界隈で判断されまして、マスターの幻魔とマスターと通常契約している水属性幻魔さんたちの地位や権利が一気に拡大することになりました。もしかしたら海竜派閥の後押しでお母様をリーダーとした新派閥が成立するかもしれません!!」



 授業で幻魔には派閥も存在するらしいという事を聞いたのをファイセルは思いだした。格差社会に派閥、そして他者からの厳しい評価、さらには激しい属性同士の対立、差別。幻魔界には窮屈で厳格な印象を抱かざるを得ない。



 もっとも、人間社会も似たような現状ではあるのだが。それより気になるのは「お母様」だ。リーネに母親が存在するとは初耳だった。



「リーネにはお母さんがいるのかい?」


「え? あ、ああ、はい。一応。ポカプエル湖に住んでますよ」



 ファイセルは首をかしげて記憶を振り返った。師匠の使役幻魔は大体見てきたはずなのだが、湖で一度も大人の女性型の幻魔は見たことが無いし、師匠から聞いたこともない。



 もしかして、サモナーの適性が無ければ見る事も感じる事も出来ないタイプの幻魔なのかもしれない。



 リーネが派閥のリーダーになると言っていたことがらすればかなり位が高い事がうかがえる。そしてきっと「お母様」と言うだけあって、リーネはその幻魔から人格を受け継いでいるのだろう。



 リーネの完成度だけでも仰天モノなのに、その母とは一体どんな幻魔なのだろうか。ファイセルは興味が湧いて、次に帰った時に師匠に聞いてみようと思った。



 ぼんやり考えているとリーネが悲鳴に近い声を上げた。驚いてビンの方を見つめる。



「うわ~、そんなに食べられないですよ~!! それにもう飲めませんって~!!」



 いきなりビンの中のリーネが膨れて容器の外まではみ出してきた。幻魔界で何か起こっているらしい。



「そんなに貢物とかおさけとかいらないですから! あ、あ~大勢の方が来すぎですぅ~!! ちょっと押さないで押さないで!! 並んで並んで!!」



 リーネはそのまま膨れ続け丸々と太り、ビンの倍くらいの大きさになってしまった。破裂寸前と言ったところだ。ファイセルは慌てたが、何か打てる手があるわけでもなく、見守るしかなかった。



「ぽひゅ~~~」



 空気が抜けるようにしてリーネが元の大きさに戻っていく。混乱が収束していくようだ。



 きっと今の状況を人間に例えるとすれば年端もいかない無垢な少女、リーネがたまたま拾った宝くじで1等をとってしまい、莫大な資産を手に入れてしまった。故にそれのおこぼれを欲する大人たちにチヤホヤされているといったところだろうか。



 どうやら大きな富を儲けたのはファイセルだけではなかったようだ。



「大丈夫? まだ旅が始まったばかりだけど、問題なく水質チェックできそう?」



 ビンを覗き込んで尋ねる。



「はい……まだ少し手にした大量のマナに混乱気味ですが、水質チェックは出来ます。周りの方々はなんで水質チェックなんて地味でおきゅーりょ~の少なそうな事やってんだってつっついてきますが……」



 ファイセルは安心したようにうなづき、ビンのフタを閉めて腰にビンをかけた。



「よーし! 地図を見るに隣街のカルツまでは水源が無いね。カルツはミナレートの隣街だから人通りや物流が多いんだ。だからこの高額なウロコを売れると思うんだよね。これ以上、南下するとこんな高い物買う人がいないし、居たとしても相場が相当下がっちゃうから、ここが売り場の妥協点かな」



 ファイセルは服に付いた葉っぱをはらいながら、森から抜けて街道に戻りつつそう話した。



最寄りの町、「カルツ」を目指してファイセル達は歩みを進めた。

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