CASE.3-19

 「お名前は?」

 「音羽昭子です」

 智沙は目の前の女性をにらみつけた。隣の倉本は信じられないといった様子で呆然と女性を見ているだけだった。

 「本名を聞いているのですが…」

 女性は観念したようにため息をついて口を開いた。

 「一時萌絵です」

 倉本の脳内に彼女の現在の顔立ちと20年以上前に見知った顔が重なった。年月を重ねた丸い顔に目鼻立ちが一致する。

 「どこにいたんだ?」その疑問がつい口に出た。

 「倉さんは会ってないだろうけど、実は私たち会っていたのよ」

 母親である凛子のテレビ台の上に載っていた若かりし頃の写真とものを思い出すときの仕草。それで智沙の頭にはピンとくるものがあった。

 「挨拶しなくてごめんなさい」

 萌絵は倉本に頭を下げた。その作法が様になっている。

 「辛峠町の旅館、辛松山翠よ。そこの若女将さん」

 「え!」倉本は声を上げて驚いた。

 「本当にすみませんでした。本来ならお泊りいただいたお客様には挨拶するべきなのに倉本さんにはしなくて」

 あの日挨拶を交わしたのは智沙と渕上のみである。他の三人は女将の存在を知らなかったのだ。

 「どうして。お父さんはずっと君を探していたんだぞ!」

 「父は死んだと聞かされておりました。それに怖かったんです」

 萌絵は肩を前に寄せて体を縮こませた。

 「怖い?誰が?」

 「実は私、3年間記憶を失っていたんです」

 「記憶が?」と智沙は前で手を組んで顔を覗かせた。

 「はい。その間、身元不明の私を辛松山翠が面倒見てくださいまして、何とか生きてこれました。3年目のある日です。何気なくテレビを見ていると突然記憶がよみがえってきました。知っている顔の人間が映っていたのです」

 「それは?」

 「阿部力男でした」

 「は~」と倉本が息を吐き捨て背もたれに体を落とした。

 倉本の様子に萌絵は構わず話を続けた。

 「初めは懐かしい記憶に歓喜しました。記憶が戻ったことで周りの先輩方も喜んでくれたんです。これでおうちに帰れるねって。でもその晩です。すべての記憶が夢の中から戻ってきたのです。私は彼に殺されたことを思い出したのです」

 「まるで生き返ったみたいな言い方に聞こえます」

 「そうですね。失礼しました。正確に言います」

 そう言って萌絵はこぶしを握って神妙な面持ちで話を続けた。

 「この話をするにはある一つの事件について話さなければならないのです」

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