CASE.3-02
「まだ夏だよね~。いったい残暑っていうのはいつまでを言うのだろうか」
渕上はうちわを仰ぎながら空を見た。
「残暑を思うにはまだ早いわ。まだ9月になったばかりよ」
今日も運転しているのは智沙だった。いつもの軽自動車(彼女の中では愛称ミニー)で現場に向かう。
「僕の地元は北海道だからさ、お盆を過ぎると急激に寒くなるんだ。まったく、日本の夏はどうしてこうも毎年暑くなるのやら」
助手席は決まって渕上だった。高級車を持っている割には現場出動には使ったところを誰も見ていない。
「渕上さん、北海道なんですか。なんか、東京の人だと勝手に思っていました」
後部座席の碓井が驚いた風に会話を続けた。隣の席には何やら荷物で占領され、少し窮屈そうにしている。
「どの辺を東京人とみるかだよね。東京ってある意味アメリカ合衆国みたいじゃない?アメリカって移民の国だけどさ、東京は地方からの上京者の都市だもんね」
「確かに」
「僕も上京組。都心事件が起こる5年前に会社の人事異動で移ってきたのがきっかけ」
「じゃあ、こっちに来て11年ですか?」
最近ではオリンピックか都心事件の年を基準にして年を数えたりする。そしてオリンピックか都心事件かを選ぶのはそれぞれどちらが印象的なのかで選ぶわけだ。人にとっては東京オリンピックを基準にしたりするが、事件のほうがより後であるので、後者を自然と口にする人のほうが多数だった。
「そうだね。もうそれぐらいになるね…」と渕上は再び空を見上げた。遠くの方で入道雲が見える。暦の上ではすでに秋だが、気象的には秋はまだ先だ。
「渕上さん、さっき会社って言ってましたが、どんなことをしていたのです?」
「ただのセールスマンさ。もうその会社も潰れてないけどね。物理的にも」
「じゃあ、事故の犠牲に?」
「もうすぐあの日だ」
それは都心事件の発生日を意味していた。渕上にとって大事な日。渕上だけではない智沙にも、ともすれば碓井にも誰にだって忘れられない大事件。日本国民がそれぞれ深い悲しみに沈んだ事件日である。
重たい空気の中で渕上は悪態をついた。
「それにしても、どうしてこんなに離れた場所まで管轄しているわけだよ。もう、半分山じゃないか?」
「さあ、なんでも町役場の指名だとか。もともと人手不足に悩んだ末、私たちに白羽の矢が立ったのだそうよ。案外左遷の一歩手前なのかもね」
智沙はカーナビを頼りに舗装された道を走らせた。
「僕らも行きつくところまで来たのかもね」
「よしてくださいよ。縁起でもない。私たちに能力が評価されたってことで良いではありませんか?」
二人の冗談に碓井は慌てていた。
「どっちだろうね?吉なのか凶なのか…」
渕上はにやりと不敵に笑った。
「ただの説得理由かもしれない。本当に人手不足かもしれない。変に勘繰らないように」と智沙は中立を心掛ける。
「わかっているさ。白黒付けられないのが下っ端の弱いところ。仰せのままに」と弱々しく敬礼して見せた。
「それにしても、碓井さん。その荷物…」渕上は運転手後ろの座席を見て言った。
「だって、泊りになるかもしれないって…」と碓井は恥ずかしそうに弁解した。
「別にとがめる気はないけど…」
「何ですか?」紅潮させた頬がかわいらしく、若さを醸し出していた。
「ね、班長」
「やめて…」と左手で払いのけるしぐさをした。
その顔を赤らめていたが、正面を見据え運転に徹しようと懸命だった。
悟られまいとする智沙の姿が愛らしく、渕上は思わず笑いをこらえながら再びうちわを仰いだ。
「お疲れ様です~」
3人の到着に気が付いた桑原が車の前で手を振っていた。駐車場案内を仰せつかったのだろうか、やけに張り切って誘導している。
駐車場は小石混じりで舗装されてはいないが、町の診療所としては想像以上に大きい。勝手に古臭いイメージがあったが、建物自体は最近建て替えられたのだろう。清潔感ある外壁が印象的だった。
「結構、いるみたいね」
智沙は駐車場に止まる関係者車両を眺めた。
「ほとんどが今回の事件の関係者です。事件が事件ですからね」
「倉さんは?」
倉本も桑原とともに前日入りしているはずなのだが、姿が見当たらない。
「それが…。ちょっと訳ありでして…。とりあえず行きましょうか」
「いつになく歯切れが悪いね」と言った渕上は汗だくになっている桑原にうちわで仰いだ。
「まあ、つまるところ、今回の事件。僕らの班にとっては無関係ではないということが分かったということでして…」
エアコンの効いた診療所内は思った通り数名の関係者が陣取っていた。
「三矢さん~」桑原が集団に手を振って何者かを呼んだ。
「おお、特区からの応援か?」
集団の中から、細身のポロシャツ姿でハンチング帽をかぶったおじさんが出てきた。室内でも暑いのだろうか扇子で仰ぐ手だけは動きを止めない。
「辛峠町署の巡査部長をしています三矢です」
どうやら班長だと思ったのだろう、まず渕上に頭を下げた。
「そんで、あそこで若い衆指示している奴が緒形といいます」と背後の集団の一人を指した。若い衆と言っても智沙よりもだいぶ年齢的に上の方々を言っているのだ。
「区警本部から来ました犬養です」と智沙は捜査員証明章をかざした。
三矢は思わず大笑いし非礼を弁解した。
「えらい別嬪さんの応援かね。俺はてっきりこの方が代表だと思っていたが、失礼した。またむっさいおっさんの一団が来ると思っていたから驚いた」
智沙はから笑いを浮かべた。彼女なりに照れているのだ。
「よかったね」と渕上は彼女の肘をついた。
それを智沙はやんわりとかわし、状況確認を迫った。
「そう、まずは遺体の確認にと思って待っていたのさ。あんたらも一応確認しておきたいだろうから」
「こちらです」
一行は桑原の案内の元に診療所裏手に位置する遺体安置所へと移動した。安置所だけあり、空気が重い。
「倉本さん!班長達が来ましたよ」
廊下のベンチに腰を下ろした倉本が力なく桑原を見ると、「おう」といつになく元気のない返事をした。
「いったい、どうしたのですか?」
不審に思った碓井は倉本の前にしゃがみこみ顔を覗き込んだ。
いつもの倉本なら「余計なお世話だ」とか「俺をガキ扱いするな」といちゃもんをつけるはずなのだが、さえない顔でうなだれている。
「実は、遺体が山中から発見されたのですが…」と桑原はまた歯切れが悪い。
もたもたしている一同を待ちわびたのか三矢が我先にと安置所の扉を開けてこまねいていた。
中央に台が置かれ、その上に遺体袋が乗っている。確認するまでもなく本件の遺体だ。
「どうぞ」と三矢に促された智沙は恐る恐る袋のファスナーを引いた。
目は落ちくぼんで頬ややつれ、肌は土の汚れが際立ち、全体的に白骨化していた。
息をのんで遺体を見た後、それぞれに手を合わせて礼儀を重んじた。
「まだ遺体の一部が見つかっていないから、また捜索に出るところなんだわ」
「そうですか…。身元のほうは何か?」
「班長、ここでの調査は終わりかもしれない。少なくともここらあたりの町には無関係だろうさ」
倉本がのそのそと体を揺らしながら一同を押しのけ遺体を覗き込んだ。
「俺はこの人を知っているんだ」
「誰なの?」
「一時さん。言ってしまえば俺の先生。元警視庁捜査一課所属の警察官だ。長いこと後輩指導に当たっていた人なんだよ。まったくどうしたもんか…」
倉本は必死に涙をこらえた。
「この事件、思った以上に僕らと無関係じゃなさそうだ」
「そのようですね…」
何の気なく言った渕上の言葉に碓井はつぶやいた。そして事件の深刻さをそれぞれが予感した。
一同は再び合掌して安置所を後にした。来た時よりも空気が重たく感じたのはみんな一緒だった。
「えらい長旅だったろうに、遺体のすべてが見つかるまでゆっくりしていきなされ」と歩きながら三矢が提案した。
「せっかく応援に来たのですからゆっくりできません」
ここで断るのが智沙なのだ。堅物と言われても仕方ないと自分でも思っていた。
「まあ、そう言わず。今はこちらの方々にお任せしようよ。一息ついてからでも遅くないって」
「そうですよ。班長、ずっと運転してきたじゃないですか。資料はお借りしましたから、お昼休憩しましょうよ」
部下二人に背中を押されやっとのことで堅物は首を縦に振った。自分が良くても渕上、碓井も朝早かったはず。身勝手な押し付けだけはしたくなかった。
診療所の一同にあいさつを早々に犬養班は彼ら地元おすすめのそば屋に足を運んだ。みんながお勧めするだけあって店内は賑わいを放っておりゆっくりできそうになかった。
だが、何処からか聞きつけてきたのか犬養班がのれんをくぐるとお店のおばさんが「特区から来た方たちね、ささ、こちらへ」と奥の個室に案内した。個室はこじんまりとしたお座敷で風通しが良く快適そうだった。いかにもVIP待遇席である。
「特区も大変でしょう。大火事だったものねえ~」とおばさんはお冷を注ぎながらしみじみと話した。
「復興の兆しは見えていますが、まだまだ、6年前の風景とまではいきませんね」
智沙が代表して会話の相手をした。おばさんは都心事件以来の首都に興味があるようだった。
「そうよね。ビルが崩れた映像なんて何度も見たわ。あれも東京の都心なんだって?ほんとあの日は目を疑ったもの、地下鉄が爆心地だったんですってねえ~」
「みたいですね…」
当時の映像は6年たった今でも衝撃的で脳裏によみがえる。中でも倒壊していくビルの屋上から助けを求め力いっぱい手を振る民間人の姿を収めた映像は人々の心に深い衝撃を与えたであろう。
「またあの日が来るわけよね~」とおばさんは考え深そうに座り込んでいた。
「オッカア、何処で油売っている」
店の亭主だろういつまでたっても帰ってこないおばさんを呼んだのだ。
「今、行くから、あんたも器の小さい男だね」おばさんはカッカとして言葉を返した。
亭主はおばさんが怖いのだろうか、それ以上怒鳴り返そうとはしなかった。
「悪いね。こんなところでさ。うち、特区からのお客さんなんて珍しくて。あれ、なんて言ったっけな、テロリスト集団。世界…思想?」
「世界仮想現実思想体」
渕上は誰よりも早くその団体名を答えた。一時的に話題になったきり、二度とその名がささやかれることはなかったはずのその名を渕上は即答したのだ。
「そうそう、ずっと、この首元まで出ていたんだけど、なかなか思い出せなくて…聞きたかったのよ。とってもすっきりした」
おばさんはひとしきり満足したのだろう膝を伸ばして個室を出て行った。
一行は呆気に取られていた。何か忘れ去られているような、なんだろう?お互いに顔を見合っていた。
すると外の方から慌ただしく足音が近づいてきた。おばさんが顔を息を切らせながらのぞかせて訊いた。
「ご注文は?」
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