CASE.2-04

 「さすがだよなあ。手際の良さは俺の見込んだ通りだよ」

 「そうですか?」

 照れているのではなく明らかに動揺している。

 「そうだよ。短時間で大体の関係者に当たれたわけだ。真鍋のもとで活躍していただけはあるよ」

 「何ですか?わざとらしくおだてて、どういうつもりですか?」

 「いや、別におだててるわけじゃないよ。俺はうれしいんだよ。桑原と一緒に仕事ができてよ。なあ、碓井」

 「え?…はい…」碓井は頬を紅潮させ、うなずいた。

 倉本、碓井、桑原の3人はSCH本社A会議室の片隅で次の役員を待っていた。A会議室は3人が聴取に使うには広すぎた。話を聞くだけならもっとこじんまりとした場所をとも要望を立てたが、会社の変な気配りで最も良い部屋を割り当てられたのだ。どうも落ち着かない場所であった。それでもメリットはあった。こう広いと聞き耳を立てるのが容易ではない。防音効果が働いており、空間に声が吸収されるのだ。

 「手際が良かったのはその通りしょう。ですが、それはこの会社の手際が良かっただけではないですか」

 倉本は「ああ、まあ」と歯切れ悪い返事をした。

 「やけに準備がいい。会長の死に動揺しているのはわかりましたが、やけにあっけなく、テキパキと聴取に応じる。いつこの時が来てもいいようにと準備をしていたようにも思えました」

 「そうですね。やはり病気という噂が根底にあったからなのでしょうか?」と碓井は推理した。

 「そうかもしれないな。重役にとっちゃあ会長の病気はなるべく隠したいことなんだろう。噂ってのは噂だからこそ話に真実味を帯びたのかもな。社内全体の空気で覚悟していたってことだろうさ」

 「失礼します」

 役員としては似つかない筋肉隆々の男が次の取り調べ対象者であった。

 「役員警護を担当しております寺浜です」

 「ああ、どうぞ座って」倉本が手をかざして聞いた。

 「役員警護といいますと、我々のようなものですか?」

 「そんなものでしょうか、こんな時代ですから役員の皆様に何かあってはいけませんからね。つまるところ用心棒ですね」

 「そうですか、俺たちの再就職先は何とかなりそうだな」と桑原に肘でついて言った。

 桑原はいえいえ、と大げさにしぐさを示し、

 「こんな大企業に就職するのは大変でしょうね」と倉本からのパスを受けた。

 「当然です。日本を代表する企業ですから、入社前からとんでもない苦労の連続でしたよ。今俺がこうして役員の警護ができているからにはそれなりの実績が必要だったからにほかなりません」

 寺浜は鼻にかけた物言いをした。謙遜ということを知らないというよりは、自分に自信があるということを誇示したがる子供のような調子であった。

 「やはりそういうものですよね」

 「まあ、あなたも努力以上の才能が有るようなら取り立ててやってもいいが…」

 「結構です」

 せっかくの提案をあっさり遮る桑原に寺浜はあからさまにムッとした。

 その空気を察した桑原はすぐに取り繕うように切り返した。

 「私にはこの仕事がありますし、民間のやり方はわからない部分が大いにありますので」

 「早く済ませてください。俺にも仕事があります」

 「すみません」

 桑原は慌てて手元の電子ボードのメモ書きを一見すると裏に伏せて置いた。

 「まず、昨日の東郷氏についてお聞かせください」

 「昨日、会長は出社していない。知っているだろうが、会長は重病を抱えていたんだ。それも自力で歩けなくなるほどのひどいものだ」

 「聞いております。末期癌だったことや上層部しか知られていなかったことですね」

 「おう。株価が大きく下がった時にはもう昏睡状態が続いて、つらい状態だった」

 「…と言いますと、今年度初頭ですね」

 前述にもあったが、3か月前SCHは大きく株価を下げたのだ。だが世間は不景気というわけではなかった。突然の暴落である。

 噂では株主の一人が会社を見限り株式のすべてを売買したことがきっかけとなり、そのほかの株主もこぞって株式を引き渡す事態に発展した。ついにはSCHは事実上の倒産へと追い込まれ日本の産業の存亡が危ぶまれたことがニュースになった。

 「それでも会長は調子のいい日には会社に出勤されていた。本来はお休みになられるべきなのにだよ。だから無理がたたって苦しむこともよくあった。苦しい思いをしてでも会社にはよくなってもらいたいって歯を食いしばっていたよ」

 「そのようですね」と碓井が手帳を読み返していった。

 「東郷氏の側近の医師であった柿木氏によると4月ごろ体調が悪化したのだと」

 「そうだ。柿木に聞いたほうが早い。主治医なんだからな。ずっとそばにいただろうに」

 寺浜は再び機嫌を損ねた言い方をした。

 「柿木さんの裏取りみたいなものですよ。二度手間ですが」

 「じゃあよ、俺の話と何が違うか教えてくれ。俺が答えてやるよ」

 「いいでしょう」と倉本が口をはさんだ。

 桑原は困惑した。本来ならこのような提案は乗らないのだ。

 「柿木さんが言うにはですよ。体調を崩したのはその4月ごろがピークだったと。そのあとは断続的に出社していたが、体調は次第に良くなっていったと。苦しむ姿は見せることなく、何処か活力に満ちた働きっぷりが印象に残っているとも証言しています。このことに関して寺浜さんはどう思いますか?」

 柿木の証言と寺浜の証言は矛盾しているのは明白だった。苦しんで働いていたことと、活力に満ちて働いていたのでは印象がまるで真逆だ。

 「柿木は医者だからな。会長は医者の前では強がっていたのだろうさ」

 「なるほど。ではやはり東郷氏の体力は衰えが顕著だったということだ」

 「毅然とした方だったのは確かだ。無理をしてでも出社する姿が好印象として記憶に残っていたんだろう」

 寺浜は遠い眼をして言った。

 その様子に桑原は違和感を受けた。故人を偲ぶにしてはあまりにも遠いような、古い話をしているようなそんな印象をうけたのだ。

 「しかしですよ。それほど尽力してこられた方が、自殺をしたわけです。引き際としてはあっさりしていませんか?」

 「そうだ。疑わしいね」

 寺浜は前のめりになると、憎悪を宿した目で桑原をじっと見つめた。

 「疑わしい?自殺ではないと?」

 「ああ、あれは自殺じゃないね」

 「まるで見ていたかのように言いますが、あなたもあの現場にいたわけですか」

 寺浜は舌打ちをすると一瞬の間を置いたて言葉をつづけた。

 「いや。事件直後に呼び出しを受けただけさ」

 「つまり、自殺の瞬間は見ていないと?」

 「そうだよ。おかげでひどい失態だ。警護担当の俺が現場にいなかったんだ。会長の身に何かあってからではいけないはずなのに事件が起きた。この後は俺の必要性が問われるだろうさ」

 言葉ほど落ち込んでいない。むしろ怒りを持った言い方だった。

 「しかしまあ、難儀ですな」と倉本が口をはさんだ。

 「昨日は日曜日、そして事件発生時刻は9時過ぎでしょう。あんたには業務時間外だ。それに対して責任を取れというのは酷な話だ」

 「責任を問われるのは当然だ。会長は俺の恩人だった。さすがの俺も実力だけじゃあ今の地位にはいなかっただろうからなあ。俺を重役にまで押し上げてくれたのは会長のおかげってわけだよ。いずれは跡を継いでほしいとも言っていただいた。今となっては恩を返せない。その場に居合わせられなかったことが残念だ」

 「泣けるじゃないか」

 何処がですか、と言いたい気持ちを抑えて桑原は本題に戻した。

 「変な話ですが、疑っていると証言されたのはあなただけですよ。口々に自殺に違いないと断定していました」

 「あんたらも疑っているんだろ。そうでなければ、こんな出向いてくるなんてことしない。そうだろ?」

 「今は何とも」と頭を掻いてみせた。

 当然嘘である。自殺と断定するには不審なことが多い。名目上は自殺判定の真偽調査だが、殺人事件としての捜査であることは彼らの中の共有意識に持っていた。

 「ところでさあ、タチバナって名前、捜査に上がっているか?」

 「どうでしょうか?」

 桑原は電子ボード操作しそれらしい名前を探した。

 「ありませんね」碓井のほうが早かった。手帳から情報を検索する能力は異常だ。

 碓井はどれだけの情報量を書き入れ、どうやって読み取っているのかということは長いこと同じ班にいる倉本でも不思議に思っていた。

 「それはおかしい。立つに花の立花だよ。もう一度調べてみてくれ」

 「ありません。『立木』ならありますが」

 「確かに立木は重役の一人だが、立花の名前を一人も上げなかったのかよ」

 「それほど重要な人物というわけですか?」と桑原は腕を組んだ。

 「俺の中では立花が第一容疑者だ。あいつには東郷会長を殺害する動機も準備も完璧に備わっているだろうよ」

 「なぜです?」

 「以前立花は会長に食って掛かったことがあったんだよ。それも聞いていないのか?」

 桑原は首を横に振って、

 「よろしければ詳しくお聞かせくださいませんか?」と訊いた。

 寺浜は面倒くさそうにして説明を始めた。

 立花という男が会社の経営不振に直談判したが、その甲斐なく会長は無視。その結果会社は崩壊、さらに人員削減により部下が相次いで離れて行った。掻い摘んでいえば英雄になれなかった一人の会社員の話である。

 「確かまだあの男は会社に残っていたはずだ。きっとリストラ候補の最優先に回されているはずだ」

 あまりにも他人事すぎるその言い方に碓井は悲しみを覚えた。

 本来なら褒めてしかるべき愛社精神であるのに、会社のほうが無下にした。原因は会社にあるはずなのにそれを顧みることもしない。それを寺浜はへらへらと笑い流している。このような男を重用し、会社を傾かせた張本人が重病の体に鞭を打って会社のために尽力したなどとは到底信じられないでいた。

 そんな思いの碓井を横に桑原は淡々と聴取を続けた。

 「つまりそれが動機だと…。準備って話は?」

 「さっき話した辞めて行ったっていう立花の部下なんだが。会長がなくなったビル、そうだな、この場合は飛び降りたとされるビルにいるんだよ。確か…トザワ製鉄会社だか、なんだか」

 碓井はピンときてその言葉を口にした。

 「戸崎熱鐵工」

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