CASE.2-05

 「次は戸崎熱鐵工ね」

 智沙は四階に着くと指差した。

 現場となった第二恒産ビルは四階建て、エレベーター完備、屋上付きのたたずまいである。各フロアーに最大二社を前提に設計されており、各社広々とした空間を使用できる。密集したオフィス街では割と優良なオフィスに分類されるだろうことが想像できた。難を言えば、三階のフィットネスジムぐらいだろう。防音に施されているが、振動だけは防げなかった。とはいっても震度を観測するほどのひどい揺れではない。

 「いいや、どちらかと言ったらこっちの尾崎武昭法律事務所だよ。サカキの顧問弁護を引き受けているかもよ」

 言われてみれば可能性はあると思ったがなぜか否定したかった。

 「自殺する場所に法律事務所は関係あるかどうか」

 「いいよ。僕一人で聞くからさ」と渕上は面倒くさがって智沙に意見しない。

 「それはダメ。わかったからそっちからにしましょう」

 さっきからずっとこの調子なのだ。渕上は意見が分かれると単体行動を望んだ。3階に至ってはフィットネスジムへの聞き込み一択のはずなのに聴取相手をお客を先にするか、従業員を先にするかで意見が分かれ「僕一人で聴取するよ」と、口にしていた。

 「そうですか、何かあったらお知らせください」

 法律事務所は結局空振りだった。

 反応と言えば自殺事件の影響で、ビルの評価が落ちることを懸念している程度のものであった。

 「ごめん。無関係だったね」

 「いいわ。どっちにしろ聴取は必要だもの」

 「じゃあ、戸崎で終わりだね」

 「戸崎熱鐵工ね。この会社が無関係なら東郷会長とこのビルを結びつけるものはなかったってことになるわね」

 「まあ、そんなことだってあるさ。何気なく選んだビルがここだったってことも考えられるだろう」渕上は両手をポケットに入れてつまらなそうに言った。

 「それに、運命ってのはいろいろある。奇跡的にたどり着いた先を運命というかもしれないけど、当然の成り行きで向かった先も運命なんて言われる。結局運命なんてものは良くも悪くも一つしかないものだよ。運命を変えるなんてことは良くもならないし、悪くもならない。変えることも運命の一端さ。会長は必然的にこの場所で亡くなった。これは紛れもない事実。理由はきっと些細なことだったろうさ」

 「何それ?結果がすべてだって説得しているの?」

 「そうだね。君は過程が知りたいだけなんだよね」

 「結果だけで終わっていたら私たちの仕事は必要ないわね」

 「そうかもね」

 渕上は自分の捜査官としての職業について無関心であった。

 普通はこんな自虐的無関心を示す同僚を叱責するだろう。だが、智沙はそんな渕上を割り切って理解しようとした。それには理由がある。豊坂本部長から渕上という男の存在を聞いていたからだ。

 渕上は警察上層部からスカウトされて現在は豊坂本部長所属の捜査官として任務についている。上層部からのお達しによると、もともと渕上には警察組織に身を固めようという気はさらさらないらしく、当然あこがれもしなかったそうだ。それでもスカウトを受けたのは都心事件がきっかけにあるらしい。とはいっても事件をきっかけに正義について考えさせられた若者はたくさんいただろうが、渕上の思想はそれとは少し違うようだと豊坂は教えてくれていた。

 つまり本人には警察捜査官としての自覚はほとんどないのは豊坂本部長を超えた上層部としても承知のことなのだ。

 ではなぜそんな男を警察上層部はスカウトしたのか、それを探るのが智沙の極秘任務であった。場合によっては半ば強引な人事権の行使に上層部を非難することも視野に入れるつもりでいた。

 「遺体が出ている以上、このビルと無関係なはずはない」

 「それじゃあ賭けるよ、仮に戸崎熱鐵工がサカキと結びつきがあったらお昼を奢ってあげる」

 「いいわ。乗ってあげる」とドアノブに手をかけた。

 渕上は目を丸くさせたて言った。

 「驚いたよ。賭け事は禁止だとかいうかと思ったのに」

 「悪いけど私の勝ちよ」満面の笑みとともにドアノブを引いた。


 「やっぱりその立花景興って社員が怪しいわね」

 智沙は冷たいミルクティーを一口含んだ。

 『容疑者候補としては申し分ありませんね』とスピーカ越しに碓井の声が聞こえる。

 いつものように車内会議が開かれていた。昼食時間を使った恒例行事である。しかし、少しいつもとは違う雰囲気であった。

 「全く、戸崎が怪しいのなら先に教えてほしかったよ」とエアコンの風をシャツの中に通しながら渕上は悪態をついた。

 今回初めての試みで、桑原、渕上を含めた少し大きい会議だった。

 「おかげで私の勝ちね」

 智沙はおいしそうにお寿司を口にほお張り込んだ。おごってもらったお寿司は格別の味がした気分だった。

 コンビニのお寿司でこれほど満足そうにしている姿を見て、渕上は負けたはずだが満足そうにして見ていた。

 食い入るような視線に智沙は、悪びれもせず満面の笑顔で言った。

 「あげないわよ」

 「くれないの?」

 「今度は気安く私に勝負を挑まないことね」と笑った。

 『お~い。聞こえていますか、と言うか忘れてませんか?』と倉本が割り込んできた。

 「ごめん、ごめん。あまりにもおいしくって」

 智沙は赤面した。部下にこんなところを見せる(聞かせる)ことは一度もなかっただけに、やけに恥ずかしそうにした。

 『すみません。邪魔でしたか?』

 「いや、いや,いいの。続けて下さい」

 『じゃあ』と倉本から碓井に声が変わった。

 『立花という容疑者なのですが、本日は欠席でして、話が聞けませんでした。なので、これから自宅のほうにと思っています』

 「欠席とはまたタイミングが良いよね」と渕上が言った。

 『そうですね。電話にも出ませんから、もしかしたら、すでに逃亡したとも考えられますね』

 『それにしてもですよ。10人近くいる会長の側近に聴取して、立花の名前がほとんど上がらなかったというのがどうも不気味です』

 そういったのは桑原だった。スピーカーの音量からして桑原が後部座席に位置しているのだろう。

 『そうでした』と碓井は思い出したように報告を続けた。

 『会社の命運にとって重要人物であったはずの立花という名前をみんな口にしませんでした。あえて隠していたのでしょうか?それとも単に忘れていたのでしょうか?私たちも寺浜という男から情報を聞くまで立花という存在は一切マークできなかったのです』

 「確かにそれもおかしいわね」と智沙は返答した。

 「そうでもないさ」と反論したのは隣でくつろいでいる渕上であった。冷房が心地よかったのだろう、シートを倒し腕を組んでいた。

 「どうして?」

 「役員たちにとって、その立花って男は取るに足りない存在だったのだろうさ。存在自体を否定していたから、名前すら出なかったとも考えられる。この場合は役員は白だろうさ。ただ、あえて立花の存在をまるで忌まわしいものの存在として口にしていない、口にするのを禁じていたのなら役員は黒だろうね。まあ、どちらにしても立花って男は役員どもから何かしらの因縁を吹っ掛けられていたってことだよね」

 『立花を疑わないこと、それはある意味で会社は彼の存在価値を見出していないということ…』と桑原はスピーカーの向こうで明らかに落ち込んでいた。

智沙は「黙殺」とつぶやくと自分でも思いがけない推理を口にした。

 「場合によってはもう一人の被害者かもしれないわ」

 なぜか会いもしない男の意をくみ取った気分であった。

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