CASE.2-03

 取り巻きからの呼び出しは連絡から1週間後のことであった。企画がとん挫したのではないかと半ば疑いを持ったころであった。

 呼び出しは社屋で最も広い会議室であった。

 立花は部下二人、島村と大友を連れて会議室の大扉の前で息をひそめた。いまだかつてこれほどの緊張感を経験したことがなかった立花は扉を開くのをためらった。

 「先輩。俺は入社面接を思い出します」声を潜めて島村が言った。

 「そうですね。面接にここよく使いますものね」と大きな体に似合わない小声で話した。

 「俺は初めてだ」

 「使ってないってことですか?」

 「島村、今はどうでもいいだろう」

 扉の前でもじもじと囁きあっている様は不気味に映っただろう。

 意を決して扉を押すと、四角く整えられた机とともに彼らが鎮座していた。室内の広さにそぐわないこじんまりとした空間に3人は恐縮した。

 「さあ、こちらに」

 福田が手をかざした先には一つの長机に3つのパイプ椅子が設けられていた。

 誘導されて席に着いた一同はぎょっとした。向かいの席に東郷会長が腰を下ろしていたのだ。

 当然会長の出席は訊かされていたので、驚くようなことではないのだ。問題はその成りである。

 東郷は無数の管につながれており、見るからに病に侵されている。数日前まできびきびと歩いていた姿とは打って変わった姿がそこにあった。

 立花らは事の異常さに呼吸も憚れた。

 「さあ、まずは計画というのをお聞かせください」

 福田が代表して進行を促した。

 「いえ…その前に会長について教えてほしいのですが…」

 立花はどうしても会長が気になった。計画を聞いてもらう云々よりも、まずは会長の状況を優先させたかった。

 「末期の癌です」

 側近の一人が口にした。いかにも医師らしい風貌の男であった。

 立花は泣きそうになった。

 「そうです、あなた方の計画を聞くためにわざわざお越しいただきました。本来なら会社のことよりもご自身のことを心配なさるべきなのですが、あなたの話をどうしてもお聞きしたいとの要望でこうして無理を承知で時間を割いたのです」

 「そう…ですか。まことに…ありがたいことです」

 立花は言葉を放つのに苦労した。どうしても伝えたいことがあるはずなのに口をつぐんでしまう。複雑な気持ちは久しぶりであった。

 「あなたが心配なされることは何もありません。あなた程度の身分でも会長を思う気持ちがあるのはよく伝わりました。しかし、それが会社の貢献とはつながらないのはご存じのはず。さあ、始めてください」

 「ですが…」

 立花は言葉に詰まらせた。そして情けなさに思わずこうべを垂れてふさぎ込んだ。

 「早く始めたらどうだ。あの時の意気はどうしたんだよ」

 立花を蹴り飛ばした男がいやらしくヤジを飛ばした。

 「先輩。できそうですか?」と島村が心配そうにのぞき込んでいた。顔を上げると大友も戸惑っていた。そして何よりも東郷会長が笑っているように見えた。

 「サカキグループの今後の件です」

 自分にできる会社への最大の貢献はここにいることである。そう言い聞かせ、長年温めてきた奇策を発表した。

 「つまり、サカキは自動車産業を捨てるべきだと?」

 「平たく言えばそうなります。今一番の赤字は自動車製造です。子会社全体を思うのであれば過去の成功を切り捨てる覚悟が必要になります」

 「自動車製造はわが社の中核、心臓だ。なくてはならない。子会社も下請け会社も会社をたたむことになる。会社の存在価値を否定することになるのだぞ」

 「当然です。心臓なくては会社は機能しない。ですが、もう自動車製造で利益を得る時代は終わったのです。いつまでもガソリンエンジンでの大型機械だよりではいられません。自動車の内需要は頭打ちに会い、飽和状態です。日本にはサカキ自動車以外にも競合メーカーは複数存在します。これを出し抜くことはサカキグループにはできません」

 「できないなどハナから決めていてはできることもできなくなる。わが社の自動車はそれなりに客からの需要はあるんだ。よくしてくれるお客に申し訳が立たないだろう」

 「それでは生き残れません。これからの時代は国内メーカーだけが敵ではないのです。日本のメーカーを上回る技術が世界中に存在します。過去にサカキが得意としたブレーキ技術や操作性の技術は海外に流出して、今ではそれがもっともの強敵と化ししているのですよ。だから、今後は自動車を捨てて、不動産事業、給水事業そして新たな事業の創造に移るべきだとおっしゃっているのです」

 「新しい事業は置いておくとして、やはり子会社や下請けには自動車は不可欠だ。長年自動車製造に貢献してきた彼らを切り捨てることはできない。サカキは自動車製造あってのサカキ、下請けがあってのSCHであることを忘れてはいけない」

 「いつまでも子会社だとか、下請けだという扱いが良くありません。上下の関係ということをまず改めませんか?もっと、こう…水平です。横の関係に置ければ子会社の扱いに困ることはなくなるはずです。それぞれの得意分野を生かした製造品をお互いで検討し、親離れ、子離れを積極的に取り組むのです。最終的には大きな目標、日本の産業の再興に貢献できる、新しい企業のあり方を作り上げる最初の会社を目指すべきなのです」

 「しかし、目標だけ高くても、実際は自動車は…」

 取り巻きたちは経営に大きくかかわる次期会長や社長候補ばかりである。非難が絶えないであろうことは予想していた通りであった。

 この自動車製造を捨てる捨てないの応酬は長いこと続いた。

 結論が出ないまま会議は終了、全体会議は開かれず、結局その年の収支は赤字に終わった。ふたを開ければ、数社の下請け企業は提携を打ち切り、いくつかの子会社も倒産、事業縮小を余儀なくされた。

 「先輩、今まで本当にお世話になりました」

 「島村、本当に辞めちゃうんだな」

 島村は気丈にふるまっていたがやはりさみしさが垣間見えた。

 「俺の中で、先輩のあの直談判はいい思い出です」

 「余計なお世話だ。どうせ、俺がぼこぼこに殴られてたってことを言いたいんだろ」

 「いいえ、先輩のあの勇気、俺にはまねできません。気概を持って立ち向かっていく姿はとってもかっこよかった。俺にとって少しでも先輩と上の連中に立ち向かえたことはきっとこの先も誇りをもって生きていけます」

 そう言って立ち去っていく後輩の後ろ姿をうらやましく見つめた。

 社内でも人員削減は必然だった。皆がいつ首を切られるか戦々恐々としており、殺伐とした空気が流れていた。

 「やっぱり島村はすごいよ」と立花は独り言をつぶやいた。

 それを聞いた大友が体を縮めて立花に耳打ちした。

 「実は俺も出て行こうかって考えているんですが…」

 耳に寄せた手をどかして、

 「無理にいてくれとは言わんぞ」と頭を押しのけた。

 「そんな。少しは引き留めてくれても…」

 「当てはあるのか?」

 「まあ、一応は。先輩も一緒にどうですか?先輩ならきっと重用してもらえるはずですよ」

 「俺がねえ…」

 立花はぼんやりと肘をついて顎を乗せた。

 「実は、ここだけの話なんですけど、サカキに提携を切られた下請け会社に来てほしいと言われているんですよ。ほら、あの計画を立てるときに調査に言った、戸崎熱鐵工ですよ。あそこなら先輩の提案を受け入れて事業を新たに立て直したいって申し出があるんですよ」

 「へえ~」

 「何ですか、そのさえない返事は。絶好のチャンスじゃないですか」

 「言っただろ、無理にいてくれとは言わないと。大友にとって絶好なら逃すのはもったいないだろ。俺に相談する必要はないはずだ。まあ、俺を誘ってくれたことは感謝するが、俺はサカキを離れないよ」

 「それって、応援してくれているってことですよね。そういうことは素直に言ってくださいよ。さえない言い方ですよね」

 「うるさい」と軽く頭を小突いた。

 大友は嬉しそうに戻っていった。

 立花は手を振る大友を見つめながら腕を組んだ。

 (さえないのはこの会社だよ。島村や大友のような前向きで、希望を持った有望な社員を手放すんだから…)

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