CASE.2-14

 「あれ、あった」と智沙はバックの中から携帯電話を取り出した。

 昨夜焦って探し出せなかったようだ。

 「犬養!」

 突然名前を怒鳴られドキリとした。怒鳴られるゆえんなど…たくさんあったが、直近のものは思い当たらない。

 真鍋が神経質そうに自らの電子ボードをかつかつと手のひらで叩いて浮き沈みさせていた。

 「どうしました?朝から元気そうで」

 智沙の常套句である。機嫌が悪そうなどとは決して用いない。

 「元気そうじゃねえよ。昨日勝手に奴の弁護人依頼を承認したそうじゃねえか。うちの渕上が連れてきた最重要人物だぞ、ややこしくしてくれるんじゃねえよ」

 大友のことを言っていた。昨夜、大友は結局事情聴取を拒否した。何か言いたげではあったが、結局だんまりを決め込んだ。

 それにしても真鍋の言い草はひどいものだった。そもそも弁護人の依頼は憲法に保障されている権利ではないか。真鍋は難癖をつけてでも現場を荒らされるのがいやなのだ。渕上の手柄をここまでつけいるのだ、相当渕上を信頼しているのだろう。

 それにしても真鍋とは嫌な人物だ。智沙はけなげにも真鍋に口答えしないことをいいことに、王様気取りでいた。

 「もう少し態度を改めるべきだ」

 「は?誰が言った?」

 真鍋は声のした部屋の隅を見つめたが、そこには観葉植物の木と土の上の小さなウサギの置物しかない。

 「気味悪いな、聞こえただろ」

 真鍋は智沙に同意を求めた。

 「ええ、変な話ですけど、あのウサギがしゃべったような」

 「馬鹿言え、頭、おかしいじゃないのか」

 (だから変な話だと前置きしたのに)と後悔がよぎった。この男に対しては正直に話すことが正しいこととは限らないのだ。

 「それより、犬養。さっきの件だ。事件が大きく報道されちまったんだぞ、お前がややこしくしたせいで事件解決に遅れが出たら豊坂本部長に面目が立たん」

 大企業のトップの死は大きく報じられた。自殺という見出しが飾られ世間はこの話題に関心を向けていた。

 「責任取ってもらわないとな」真鍋は今思い立ったようにぼそりと口にした。

 「責任ですか?いったい誰に対してです?」智沙は恐れなどおくびにも出さない。

 その毅然として理不尽に答えるさまが返って真鍋の神経を逆なでしているのだ。

 「それは俺だろ。現場をかき乱し、俺の部下を勝手に使っているみたいじゃないか」

 それには智沙も後ろめたさがあった。できれば内密に済ませる気でいたのだから付け込まれれば返す余地はない。

 「報告が後になって申し訳ありません」ここは正直に謝るしかないと智沙は結審した。

 「いや、いいんだ。それぐらい」と言ってにやりと笑った。

 あまりにもあっけない答えに肩透かしを食らった気分だったが、真鍋という男はそんなに甘くはない。

 「それよりもよ、あるんだろ。有力な情報ってやつが」

 「情報なら電子ボードに…」とデスクの端末を示した。

 「いやいや、大概あげていない情報ってものがあるものだ。昨日一日俺の部下を使ったんだ。それぐらいの大きな情報を隠し持っているんじゃないのか」

 「裏が取れていないことは教えられません」

 「どこにも行かせない」

 真横をすり抜けて部屋を出て行こうとした智沙の腕をつかんだ。細腕に真鍋の湿っぽい手のひらが強くくらいついてくる。

 「これでチャラにしてやるって言っているんだ。ここは誠意をもって情報を渡すってのが筋じゃないのかな」

 やはり真鍋は班員の利用に根に持っていたのだ。智沙は意地を張るのをあきらめ、とっておきの情報を渡した。

 「わかりました。まだ、裏取りできていませんけど、サカキの敬語班寺浜龍悟が東郷会長、そして立花景興の事件に関与しているという有力な情報がありました」

 「寺浜?」

 真鍋は電子ボードを智沙から奪い取り男の名前を探した。

 『画像情報なし、SCH警護部長、要人担当

 ・会長の死に関して、立花景興への疑いを供述。事件当時自宅にて休養』

 これが今ある寺浜龍悟の情報であった。

 真鍋はこの少ない情報をじっくり見つめて考え事をしていた。

 「使えない情報だ。犬養、もう好きにしろ。付き合ってられない」数秒の間の後そう結論付けた。当然と言えば当然の文句だった。

 「ですが…」未来からの情報など口が裂けても言えない。

 「俺に構うな。どこかで飯でも食ってろ」

 そうとだけ言い残すとそそくさと真鍋は部屋を出て行った。

 周りの職員は視線を向けることなく無に徹していた。真鍋に絡まれるといつもこんな空気になるのだ。場を濁す重苦しい空気が智沙に追い打ちをかける。


 真夏の日差しはいつにも増して容赦しない。照り返すアスファルトを上から眺めながら智沙は風に吹かれていた。第二恒産ビルの屋上でフェンスに腕をついた智沙の脳裏には、あの夜の光景が浮かんでいた。実際には体験していないはずの二日前の夜である。

 (この真下で東郷は亡くなったのよね)

 ぼんやりと上の空となっていく智沙の脳にあの日の光景が次第に思い出されていった。オレンジ色の夜だ。街灯と騒然する周囲の人々。特に大勢のウェア姿が目立っていたことも。そして、その場から逃げようとしていた立花景興は涙を流していた気がした。あの日見えていなかった出来事も思い浮かんでいった。だが、どうしても立花が最後に耳打ちした言葉だけが思い出せなかった。それは事件に重要だったかもあいまいである。

 智沙は足元を見た。靴と遺書が添えられた場所である。何者かが仕組んだ装飾品。東郷はこの場所から飛び降りていない。だからと言って地面で亡くなったとも言い難い。

 そう考えるとこの下のフロアーの何処からかの飛び降りということになる。

 1階や2階からの飛び降り程度では死に至るほどの大けがはない。すると3階フィットネスジムか4階戸崎熱鐵工だろう。法律事務所は部屋の位置的に可能性は薄い。

 智沙はビルについてから早々に一人でその2件を念入りに調査した。

 3階フィットネスジムは当日10時過ぎまで営業している。そしてベランダのある位置には監視カメラが設置されているので確認したのだが、異常は見られなかった。問題はないようだった。

 では4階戸崎熱鐵工はというと、当日は日曜休業日。事件発生時刻には誰もいない。大友が関わっているという点では最も怪しいのだが、怪しい点は一切見られない。飛び降り地点を見下せる部屋はいたってシンプルなオフィスであった。監視カメラなど都合の良いものはないので確認はできなかった。

 智沙はため息をついた。

 成果がなかったことだけが要因ではない。今朝のことが頭を離れないのだ。

 もう一度ため息をつこうとしたとき電話が鳴った。

 倉本だった。挨拶もそこそこにいきなり本題だった。

 『立花の件でとっておきの情報が手に入りました』

 いつになく嬉しそうな男の声だった。競馬で当てた時のような喜びようだった。

 反して智沙は落ち着いていた。

 『なあに。驚くことなかれ~……』

 その情報は智沙に衝撃を与えた。思わず「嘘!」と声を上げたほどだった。

 『本当さ。班長も元気になっただろ。真鍋とやりあったらしいじゃないか』

 相棒の桑原から聞いたのだろうか、真鍋がわざわざ部下に言ったとは想像できない。いずれにしてもこの手の情報は周りが速い。

 「別にやりあったなんてわけじゃあ…」

 『また何かあったら連絡するわ』智沙の弁明の余地なく倉本は電話を切った。

 真鍋との一戦など大したことではない。

 ため息をつきたくなったのは人の命について考えていたからなのだ。本人でも説明のつかない嫌な感覚で彼女の胸の内はぐちゃぐちゃだった。

 ついでに碓井にも状況報告を促した。碓井と渕上はサカキで経営陣周辺を嗅ぎまわっているところである。

 着信早々にこちらも挨拶をそこそこに済ませると、手際よく本題に移った。

 『どうやらサカキは産業スパイを送っていた可能性があります』

 「それは確かなの?」

 『はい。数名の社員によりますと、辞めて行った人たちの羽振りの良さに疑問を抱いていたらしく、問い詰めると契約付き解雇があると言っていたそうなのです。これが本当なら大きなスキャンダルですよ』心なしか碓井は声を抑えていた。

 「よく証言してくれたわね」

 『ええ、渕上さんがその糸口をつかみまして』

 「へ~」智沙の返答は乾いていた。

 『以前サカキで働いていた社員に亡くなった者がおりまして、その方がなんと立花の部下だったんですよ。名前は島村と言います。話によると島村さんは立花さんのことを大層慕っていたそうでして、かなり落胆されていたそうです』

 「部下思いだったのね…」

 『そのようです」

 智沙は立花を思い出した。目元が朱かったのは目をこすったからに違いない。あの、過去で立花はまぎれもなく泣いていたのだ。理由は…倉本の報告に結び付く。

 智沙は立花が最後に口にした言葉を思い出した。

 「オヤジがあ~なったのは俺のせい」

 『何です?』碓井は電話の先で不思議な顔をしているに違いない。思わず口にしたフレーズがノイズになることなく受話口で読み取ったのだ。

 「何でもない」智沙は恥ずかしそうにした。

 『また、何かを共感したんじゃない?』

 碓井ではなかった。いつの間にか碓井の電話はスピーカーになっていたのだろう。そばにいた渕上に駄々洩れだったみたいだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る