CASE.1-08

 冷蔵庫にむかって偽装を図った容疑者の表情に焦りは一切見られなかった。

 「決定的な証拠。映像にして残っていれば言い逃れはできない」

 渕上はまるで何でもないかのように示して見せた。

 「窓を割ったのは犯行時間を惑わせるためね」と智沙は納得して言った。

 「そうか!被害者の携帯電話の着信音にガラスの音を録音しておいて、良いころ合いにそれを鳴らす。それが旦那からの着信であれば、疑わしいところはないってわけですね」

 碓井は嬉しそうにしていた。

 「そのよいころ合いってのが完全なアリバイができて、雨が弱まるころってことだな。雨の音がすごかったってことは、見てない俺でもわかる」

 倉本は容疑者の肩にぎゅっと力を入れた。竹中は痛そうにして見せたが、容赦なく力は緩めようとしなかった。

 一緒に確保に回っている桑原は思いついたように口をはさんだ。

 「でも、被害者の死亡推定時刻はすぐに判明しますよね。まあ、今時点ではまだ連絡は来ていませんが、それが確認できていたら時間の偽装なんて何の意味もないと思いますけど」

 「そうだ、馬鹿言ってないで離せ!」

 竹中は再び抵抗して見せた。

 「馬鹿はお前だ。みんなで見ただろ。決定的な証拠を」

 真鍋は桑原と倉本に犯人の移送を命じた。倉本は命令に癪だったがおとなしく腕に力を入れた。竹中は観念したのだろう、一切抵抗することなく倉本の指示に従い、おとなしく家から連れていかれた。

 外は午前中の天気が嘘のように空が重たい。

 パトカーに乗せられる直前、竹中は体をひねらせて首を向けながら叫んだ。

 「映像に信ぴょう性がない。なんでそんな映像が事件の前から準備されている?どうして都合よく事件の全貌が映っているんだよ。うちにそんな監視カメラなど置いていないんだ。俺を犯人に仕立てるためにでっち上げたに違いない」

 叫び声にほかの捜査員たちは一同に飛び出した。

 言われてみれば、不思議であった。竹中の悪あがきだとしても意表をついており、無視はできない。誰もがそう思っただろう。

 「まあ、無理もない。事件から24時間ちょっとで、突然自分が犯人だって言い当てられたんだからさ」と言った渕上はジャケットのポケットから茶封筒を取り出すと竹中の目の前に突き付けた。

 「監視カメラの件は奥さんは了承していたようだよ」

 書類には〈お試し防犯カメラキャンペーン〉と見出しとともに、殺害された竹中未希のサインが記されていた。

 「動画の信ぴょう性ならこの書類で十分だよね」

 引っ込められた書類を智沙はすかさず奪い取り、事の真偽を確かめた。他の捜査員たちも確かめずにはいられず書類を囲う。

 「そんな馬鹿な」

 「馬鹿はお前だよ。奥さんが監視カメラを設置してたのにもかかわらず、その目の前で堂々と殺人を犯すなあんてな」

 真鍋は竹中の額をぐっと移送車に押し込めた。

 「こんなの信じられない」

 「今度はなんだ?せっかくの証拠品を疑うのか」

 敵対心むき出しの真鍋は智沙の前に立ちはだかった。

 「別にそんなつもりはありません。ですが…」

 「何だ?事件は見事解決。証拠品にも非の打ちどころはない。犬養、ほかにどんな文句がある?」

 「6月11日から1週間のモニター募集ですよ。事件の前日から試用期間がスタートってことですよね。こんな都合よくカメラが設置されているなんて奇跡的確率を証拠としてよいのでしょうか?」

 「構うもんか。ただの偶然、ただの神のいたずら。あの男に運がなかっただけのこと。これ以上の説明が必要かね?」

 「あなた、これ何処から見つけてきたの?」と書類を上げて渕上に声をかけた。

 「確かリビングの引き出しの中にあったと思うよ」

 「リビングは荒らされていたはずよ。よく引き出しの中に眠っていたわね」

 「偶然さ」と両肩を上げて見せた。

 「難癖は以上でいいな。今回も俺たちの班で報告上げさせてもらうから、後処理は高岡班、犬養班に任せる。特に犬養班、アリバイなんちゃらしっかり裏を取るように。せいぜい論理的な報告を頼むよ」

 真鍋は高笑いするとそのまま本部へと帰っていった。

 倉本はわかりやすい舌打ちをついた後、

 「あいつ、いつか必ず痛い目に合うだろうよ」とつぶやいた。

 「じゃあ、俺たちもここで失礼するよ」

 今回の事件であまり目立った働きをしなかった高岡耕助らがこっそりと現場を後にした。彼ら高岡班にしてみれば外れくじを引かされたものである。

 智沙は「ええ、お疲れ様です」と言葉を交わすと急いで渕上を捕まえた。

 「痴漢なんてしてないよ」

 右手首をつかまれた渕上はおどけて見せた。

 「痛い、痛い、暴力だよ」

 智沙は思いっきり腕をひねらせ、痛がる相手をよそに問い詰めた。他の一同はひやひやして見ていた。

 「いつから真鍋班にいるの?」

 「腕をほどいてよ…」

 予想以上に手ごたえのない言い草に智沙は力を緩めた。

 「ありがとう」と反論どころかお礼をする始末に倉本も碓井も見込みが外れる思いがした。

 「僕は多分、2年ぐらいかな?」と桑原に同意を求めた。

 「僕に聞かないでくださいよ。僕より長くいるじゃないですか」

 二人の大人が僕、僕、と言い合っているのが滑稽に見えた。

 「ああ、そうか」気まずそうに両掌を脇腹でぬぐう仕草を見せた。

 「どうやったか知らないけど、きっと真鍋さんはあなたのおかげで鼻を高くしているのね」

 「どうかな?班長は僕のおかげだって言わないし、僕の貢献度としては大した調査もしていないからね。調査の貢献度って言ったら桑原君のほうが上だと思うけど」

 「え、そうですか」

 桑原はわかりやすく照れていた。

 「そうかお前らのおかげで俺たちはいつもあいつにコケにされるってわけかよ」というなり倉本は桑原の頭を撫でつけた。

 「いやあ、いつもうちの班長が厳しく当たって本当にすみません」

 「桑原さんが謝ることじゃないわ。私たちの力不足ですし」

 「さやの言うことは半分正しいけど、今回の件は別問題。どんな手を使ったのよ?しっかり説明してもらはない限り逃がしませんよ」

 智沙の鋭い眼光が渕上に突き刺さる。

 「こんなきれいな方に逃がさないなんて言われてもねえ」と渕上はおどけて、手を掲げると指輪を見せた。

 「あのね…」

 「まあ、班長、ここら辺にしましょう。彼を責めても仕方ない。証拠品はある。犯人は捕まえた。事件は解決。それで十分だろ。班長の言うように腑に落ちない奇跡だってあるのさ。奇跡を信じるのも人生に必要なものだろ」

 倉本の説得に耳を貸した智沙はため息をついた後、

 「さあ、アリバイを崩しに行くわよ」と改めた。

 渕上は思わず「助かった」とつぶやいた。


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