CASE.1-09

 事件の一報から3日後。

 犬養班は松浦敦子を逮捕した。

 「犬養さん、お見事でした」

 豊坂優太郎の優しそうな雰囲気はいつも変わらない。やわらかい口調と白髪交じりで整えられた髪、にんまりとした顔が印象的で神様のような存在だ。豊坂を仏本部長と揶揄する職員も少なくない。

 「ありがとうございます」と智沙は素直に頭を下げた。

 「さあ、さあ、座ってください」

 豊坂に誘導されるままに2人は応接椅子に腰を下ろした。

 座り心地がとてもよく、つい腰を預けてしまいそうになった。

 「真鍋さんのスピード逮捕も見事でしたが、私は犬養さんの丁寧であり、無駄のない解決のほうが好きだなあ」

 「そんな、とてもとても。部下の働きのおかげです」

 智沙は恐縮して姿勢を正した。

 「本部長、私の何が良くないと」

 豊坂に食って掛かるのは真鍋だけであろう。智沙の態度とは正反対。真鍋は腰をどっかりと下ろして足を組んでいた。

 「スピードは大事だよ。真鍋さんの証拠固めは本当にすごい」

 褒められているが真鍋は表情一つ変えることはしない。礼の一つもしないどころか、

 「犬養には無理な芸当だ」と同僚を侮辱する始末だ。

 「よかったら、犬養さん。事件について教えてくれませんか?真鍋さんのスピード逮捕から新たな進展が出てきたことに私は何とも興味深いのです」

 「は、はい」

 興味を持ってくれたことに智沙は感激した。

 どこから話そうかと思案していたところ、真鍋はのそりと立ち上がり、

 「私は忙しいので失礼します」と本部長の有無を言わせず退出した。

 「犬養さんも忙しいですか?」

 (こんなに気遣ってくれる本部長を心配にさせる真鍋は人でなしね)と思いながら、

 「滅相もありません」と智沙は恐縮しっぱなしであた。

 「私の想像ですが、あと数時間逮捕が遅れていたら犯人は逃亡していたと思います」

 「なぜです?」

 「逮捕直前会社に休暇申請を出していたことと、飛行機チケットを予約していたことが挙げられますが、それらはもともと逃亡の計画を立てていた可能性に行き当たりました。これは竹中逮捕の際、訴えた謎に当たります」

 「謎とは?」

 豊坂は前のめりで、いかにも興味津々といった様子でいる。

 「事件発生時刻の偽装です。死亡推定時刻は遺体の司法解剖で正確に判明するでしょう。それを知りつつ、偽装強盗の発生時刻を狂わせた。犯人にとってこれはアリバイ工作以上に事件をかき乱す効果を及ぼします。空き巣事件で捜査を進めていたら捜査は暗礁に乗り出し、死亡推定時刻が判明した時にはすでに犯人は逃亡しており、逮捕は難しくなる。これが犯人たちの狙いだったと思います」

 豊坂はふうと胸をなでおろすとお茶を一口飲みほし続けた。

 「犯人の手のひらで踊らされることなく犬養さんは真犯人を逮捕できたと」

 「おそらくは犯人の計算ミスがあったのです」

 智沙は豊坂を楽しませるような展開の持ち方に内心満足気味であった。

 「まず、はじめから空き巣の線での操作を疑いました。これは現場の捜査官たちは直感していたでしょう。不自然な事件現場でした」

 豊坂は何度もうなずいた。

 「それでも、アリバイ作りに余念がなかった竹中はそのまま現場にとどまりました。本来なら隙を見て逃亡を図り、連絡がつかない状態に持っていきたかったはず。それでも捜査官が目を離さなかったのです」

 「なるほど」

 「事件発覚当時、奥さんが死んでいるのを発見した旦那という様子は駆け付けた捜査官に植え付けることはできたでしょうが、付着した血液に違和感があったと後になって話していました」

 押収したワイシャツとズボンには血痕が付着しており、血液に渇き具合に違いがみられた。駆け付けた警官はその違いを感じ取り、竹中勇哉を無意識に監視対象としたのであった。

 「竹中は殺害時の衣服をそのまま事件発見の際の衣装に再利用したのでしょう。付着した衣服は洗うことはできたでしょうが、外は雨です。洗い、乾燥する手間よりも衣装という発想に向けたほうが効率が良いと思ったのだと思います」

 「衣装の再利用ね…面白いたとえだ」

 豊坂は上機嫌に「フォ、フォ、フォ」と笑った。サンタクロースのようだ。

 「それと、真鍋班のスピード解決は計算ミスの何物でもなかったはずです」

 間接的に真鍋を称賛していることは癪だったが、豊坂の上機嫌さで不快さは薄れていた。

 「竹中の逮捕は何処にも報道されていません。事件が報道されたのは月曜日の朝、電子新聞ぐらいだったでしょうね。その間竹中から一切連絡がなかった松浦は彼からの連絡を待っていたはずです。きっと松浦は一人で逃亡することに躊躇していた…それか、自分は逮捕されるに至らないとでも思っていたのでしょう。結果的に逃亡を決意した当日に私たちに逮捕されたということです」

 「やっぱり松浦と竹中の関係は…」

 「はい、想像通りです。事情聴取の際に過剰な反応を示しました。その時に気が付けていてもよかったと思います。竹中のアリバイは見事に嘘で塗り固められたものでした。それに片棒を継がされたのが部長の吉川です。吉川は松浦に脅されていました。吉川もまた浮気が絡んでいました。松浦の逮捕で吉川は簡単に白状しました」

 再度の聴取に訪問した時には即座に洗いざらい白状したのだった。

 吉川は浮気写真をちらつかされ指示に従うよう松浦に脅されていた。

 本人曰く松浦からの指示は事件のあった当日にされたということであった。竹中の供述にあった午前中の打ち合わせというのはこのことである。当然その場には竹中の存在はなく、松浦と吉川の二人のみのものであった。

 「供述に真実味を持たせたのが清掃のおばさんの存在です。彼女は嘘はついていないでしょう。見たまま、覚えているままを証言していたと思います。会議室には3人いたとの話でしたが、はっきりとその姿を見たのかは定かではないのです。吉川の話によると、いつ第三者が入って生きても3人いるように見せる必要があったそうなのです。事実第三者の存在は供述に真実味を持たせました。なので松浦はそれを想定して人影に見えるように人型のパネルとジャケット、遠隔会議の映像を用意し、室内を暗くしていました。清掃のおばさんもうす暗い中の一瞬の出来事です、会議の音声が聞こえていたら首を突っ込んで人の様子を気にすることはなかったでしょうね」

 「つまり、清掃のおばさんは第三者に担ぎ込まれたってわけですなあ」と豊坂は顎を撫でながら言った。

 智沙は深くうなずいて真相へと話を続けた。

 「それに吉川も事件への関与は薄いとして処理しました。吉川は殺人事件に巻き込まれていることを知らなかったようです。翌日の訪問時に初めて自分が何にかかわったのかを知り、打ち合わせ通りの供述をした。と言ってもほとんどが真実です。証言に抜かりはなかったはずです。午前中に容疑者がいなかったという嘘だけは守っていたのでしょうね。吉川の逮捕は見送りました。まあ、浮気に関しては家族に知れてしまいましたが、せめてもの罰ですね」

 「今回の事件は共通して浮気心から来ていたというわけだね。映像も見せてもらったが、殺害された奥さんも浮気の疑いがあったみたいだしね」

 智沙はあいまいな様子で複雑な表情を見せた。

 当てが外れたことに豊坂は首をひねった。

 「真相はわかりませんが奥さんは浮気をしていたとは思えませんでした。確かに殺害時の映像には竹中は奥さんの浮気を疑っていたようですし、同僚の男は同僚以上の関係をにおわせていました。ですがそれだけです。竹中を殺害に差し向けた張本人は松浦です。松浦は吉川にしたように浮気の証拠画像を竹中に見せ、妻の殺害を指示した。

 これが事件の根幹です。ここに竹中未希さんの欲はなかったのではないか、彼女はいわれなき不倫で殺害されたのではないかと、私は思うのです」

 「ふむ…」

 豊坂は窮したような変な声を上げた。

 「断定はできませんが…」

 さっきまでの盛り上がりが嘘のように智沙の心に闇を落とした。


 浮気をしている男に浮気を疑われて殺されるなんて私は男運がなかったわ…。

 未希は死の直前悟った。

 せめてこの男がすぐにつかまりますように。可能であるならば、私の無念を晴らしてくれる理解者に巡り合いますように。

 そう願うと未希は息を引き取った。


 「ありがとう」

 智沙の耳元にそう聞こえた気がした。それに憶することはなかった。

 かすかに聞こえた女性の声はふさぎ込みそうになった彼女を前向きにする力があった。

 「どうかしたのかな?」

 智沙は我に返るとポケットティッシュを差し向ける豊坂の姿が目の前にあった。

 慌てて眼がしらを手でぬぐうと差し出されたティッシュを遠慮して、自らのハンカチでぬぐった。

 「もしかして、わがままな報告につき合わせてしまったかな?疲れているよね。気が付かなくて申し訳ありません」

 豊坂は本気で心配している様子であった。

 ずっと「大丈夫?大丈夫?」と孫をあやす好々爺のように顔中を見回した。

 「いいえ、申し訳ありません。何ともありません」

 「何ともないって、本当?」

 「はい」

 智沙は笑顔で答えて見せた。

 この現象は今に始まったことではなかった。いつからかは智沙自身にも覚えていない。事件を解決する以外にもふと心が軽くなる瞬間があり、救われる気分になるのだ。

 「やっぱり少し疲れました」

 智沙は仏本部長に意地悪したくなった。ふと思いついたことだが、勝算に自信があった。

 「本当に申し訳ありませんねえ。私にできることはありませんか?言ってくれれば何とかしますよ。今回も非常に頑張ってくれましたから。少しの要望なら何とか…」

 智沙はここぞとばかりに確かめたいことを質問した。

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