第1章 地下室からのメロディ

そのライブハウスは京浜東北線関内駅近く、横浜スタジアムの向かいの地下にあった。

キャパは350人。以前はディスコだったところを改装したものらしく、防音はしっかりしている。

一階は不動産屋。いつも振動で茶碗がカタカタ鳴ると社長が怒鳴り込んでくる。

いくら防音がしっかりしていても、ベースとかの重低音の振動はビルの壁から直接響いてくる。

社長は横浜ベイスターズの私設応援団長なので、ベイスターズが試合に負けると機嫌が悪くなり、怒鳴り込む回数も怒鳴り方も違ってくる。顔を見ただけで、前日の試合結果がわかるくらいだ。


1985年にオープンした、ここ「横浜5th STREET」も今年で10周年だ。


ブッキングマネージャーの宗崎達也は、いつものようにお昼過ぎに無駄に長過ぎる脚をはみ出させたベッドから起き上がり、マンションから徒歩5分の職場へ向かう。

石川町駅近くの、元町や中華街まで歩いて5分という好立地にありながら、家賃は驚くほど安い。

理由はすぐに分かった。

まず、近くには東京山谷、大阪あいりん地区と並ぶ日本三大ドヤ街の一つである横浜寿町があり、隣はガソリンスタンド。

寿町のメインストリートである職業安定所のある通りに停められた車には明らかに燃やされた跡があり、車内は空き缶で埋め尽くされていた。

夜のコンビニでは、棚から直接ソーセージを食べている浮浪者らしき人もいる。

ここ一帯は、日本とは思えないようなカオスな光景が見られる地区なのだ。

極めつけはマンションの1階にヤクザの組事務所があった。

防犯カメラのついた重厚な扉の前で組員と思しきイカっちぃ人たちが「やっぱり叔父貴もたいへんだな」とかいう会話をしている。


宗崎はいつものように一日僅か5分間太陽の光を浴びた後に5th STREETの入ってる雑居ビルに到着し、階段を降り、誰よりも早く(と言っても午後2時くらい)会場に入り、防音の二重扉を開ける。

わずかに漏れる光の中、ステージに上って、メイン電源を入れた後に照明卓へ登り、灯りをつける。

今日はハードロック系4バンドの通常ブッキングだ。出演バンドはほぼ常連なので機材セッティングも頭に入っている。


「達ちゃん、おはよー!」

PAアシスタントの小野寺有希がいつもの真っ赤なドレッドヘアで現れた。

「お腹空いちゃってさあ、中華街で肉まん買ってきたんだけど食べる?」

「あ、ありがとう。丁度お腹空いてたんだよね。萬福楼の?」

「そうそう。あそこのが一番美味しいよね!」

無論、宗崎に異論はない。よくツアーで地方から来たバンドに「中華街でどこのお店が美味しいですか?」と聞かれる事も多いが、萬福楼を教えれば間違いない。

実はそこのオーナーの李成龍もバンドマンだ。「李成龍コーリング」という渋いブルースロックのバンドで、昔からの固定ファンが多い。

李は在日華僑の大物で、いろいろとヤバい筋にも顔が利くが、宗崎たちライブハウスの人間には優しい紳士なのだ。


「10周年のイベントって出演バンド決まった?」

「いや、まだゲストしか決まってないよ」 

「誰?」

「コッカトリス」

「マジ? アタシ、アヲヰの声、大好きなんだよね!」

コッカトリスは京都出身のヴィジュアル系バンドで、以前は5th STREETにもよく出ていた。

今はプロデビューも決まり、動員的にも渋谷公会堂をソルドアウトするくらいの人気なので、最近はライブハウスに出なくなっている。

10周年のゲストを飾るには、これ以上ないバンドだ。

中でもヴォーカルのアヲヰはカリスマ的な人気を誇り、熱狂的なファンがついている。

普段は地味でおとなしい青年なのだが、化粧をすると男でも息を飲む程の美少年に化け、妖艶なパフォーマンスを魅せる。

しかも、魔性の歌声の持ち主だ。

関東初ライブがこの5th STREETで、宗崎はリハーサルでアヲヰが歌い出した途端、鳥肌が立った。

圧倒的な声量、声の張り、表現力豊かで艶やかな歌い方、誰にも似ていないオリジナルな声質。

「こりゃあ、人気が出るな」と思ったそのまま、コッカトリスはライブをやる度に動員を倍々で増やしていった。

コッカトリスを東京まで引っ張ってきたのはライブハウス界隈の有名人で「バンドを見ぬく眼は超一流だけど、私生活があまりにもだらしない」と評判の前田祐樹だ。

今では有名になっている数々のバンドをデビュー当時から面倒見て来たが、必ずなんらかのトラブルでデビュー前に喧嘩別れする羽目になるのだ。

コッカトリスも、前田がファンの娘に手を出した事がバレてから疎遠になっている。


実はコッカトリスはあまりにも急速に人気が出て来た所為で、他のバンドに嫌がらせを受けていた時期がある。

その時に宗崎が間に入って問題を解決した。宗崎は、そういった「バンド間のトラブル・バスター」といった側面も持っていた。

それ以来、アヲヰは宗崎を信頼してくれていて、今回の話もアヲヰ本人が事務所に頼み込んで実現する事になったのだ。


「イベントってここでやるの?」

「いや、コッカトリスが決まったんで動員的に心配なくなったから、クラブシネマ借りようと思ってる」

クラブシネマは川崎にあるキャパ1200人の大型ライブハウスだ。

5th STREETとは立上げ時のプロデューサーが一緒で、宗崎にとっては身内感覚のライブハウスだ。

ここのスタッフとはよく一緒に呑みに行って、通称「タコ部屋」と呼ばれているマンションの寮でみんなで雑魚寝するくらいの仲だ。

その寮では常に毎晩10人くらいが寝泊まりしてるのだが、過酷な労働からか、目覚ましが鳴っても誰も起きない。

お昼ご飯を食べにお店に行くと、みんな定食を2つ頼む。

超体育会系のスタッフ陣が揃っていた。

「でもさ、10バンドくらい出るんでしょ?長丁場だねえ」

「それは仕方ないね。オールナイトにするって手もあるけど、スタッフがシンドいしねえ。ま、あと半年あるからゆっくり考えるよ。ゲスト決まって動員の心配がなくなっただけでも気が楽になったし」

「だねえ。頑張ってね!」


 そうこうしてる内に、PAエンジニアの由井耕三が出勤してきた。

 由井は有能なエンジニアで、バンドの信頼も厚い。

 5th STREETが音が良いライブハウスとして評判なのは、彼の功績だ。

 最近は、頼まれてプロバンドのオペレーターをやる事も多くなってきた。

「おはよう。今日もよろしくね。小野寺、セッティング表頂戴」

「はい、今日はこんな感じです。今のところ、どのバンドも前回とセッティングは変わってません」

 セッティング表にはバンドごとに持ち込み機材、コーラスマイクの本数、ドラムのタムの数、ベースはPAからライン出力するのか、アンプで鳴らすのか、あるいはその二つをミックスするのかとかの、ステージ進行やミキサーの回線を組む上での必要事項が書いてある。

 事前にバンドに提出して貰って、それを基に出順を決めるのだが、当日になって変更する事もあるので、バンドが来たらそれを確認するのも有希の仕事だ。

 

「おはよー。なんか今日さあ、周りに女の娘多くない?そんな派手なバンド出るっけ?」

 受付の鬼塚未散が咥え煙草で現れた。

 彼女は超ヘビースモーカーなのだ。

いつも受付の灰皿は山のように吸殻が積まれている。

 5th STREET開店時からのスタッフで、ドンとかヌシと呼ばれる存在だ。

 19歳で5th STREETに入ってから毎日ここでチケットの連番スタンプを捺してるので、神業のように正確に速くチケットを作成出来る。

 初めて目の前でそれを見たバンドが例外なくびっくりするくらいだ。

「お姉さん、凄い技術ですね!」と感心して賞賛しても「こんなのクソの役にも立たないよ! アタシの青春を返せ!」ととばっちりを受けてしまう事も多々ある。


「達ちゃん、何か聞いてる?」

「いや、特に何も」

 可能性として高いのは、どこかのバンドがゲストで誰か有名なバンドマンを呼んでて、それがファンの娘たちにバレてるケースだ。

 宗崎は嫌な予感がした。

 心当たりがあるからだ。

 まだバンドの入りまで時間がある。宗崎は事務所に入り、電話をする。

 

「もしもし、達ちゃん?」

「佳太、今どこ?」

 電話の相手である美島佳太は宗崎の昔のバンドメンバーで、今は「ビュースター」という中堅レコード会社の宣伝部で働いている。

「今はTVKの音楽制作班にいるよ」

 TVK(テレビ神奈川)は、音楽番組の制作班だけ本社ビルとは別の場所にある。5th STREETから歩いてすぐのところだ。

「近いな。なんで電話したか分かる?」

「さっき会社から電話あったよ。やっぱ、携帯電話なんて持つの考えもんだね。いや、女の子との連絡には凄く便利なんだけどね」

「てことは、やっぱりそうか!」

「そうそう、アヲヰが今日のライブに飛び入りするみたいね」

 コッカトリスがデビューするのは美島の働いてるビュースターからだ。

 都内のホールを完売し、インディーズで出したCDが5万枚を超えたコッカトリスは大手のメーカーとも競合して争奪戦になったが、宗崎がいち早く美島に情報を流していたのと、最後はアヲヰが「宗崎さんのお友達がいるところなら」と言ったのが大きかったようで、正式にビュースターとの契約に至った。

 レコード会社の前に決まっていた「チェッカーフラッグ」という事務所も、割りとアーティスト側の意向を聞いてくれるところで、インディーズ時代のスタッフもろとも引き受けてくれる事になった。


「じゃあ、こっち来る?」

「うん、1件打ち合わせ終わったらそっち向かうよ」


 しばらくすると、続々と出演バンドが集まって来た。一斉に機材が運ばれてくる。

 一日4バンドのブッキングだと持ち込み機材を制限するライブハウスがほとんどだ。

 特にドラムは1バンド毎に差し替えてると、転換時間10分では結構キツい。

マイクの位置も全てやり直さないといけなくなるからだ。

 しかし、5th STREETは「なるべくバンドのニーズに応える」というポリシーの元、持ち込み機材は何でもOKにしている。

 要塞みたいなドラムセットでも、冷蔵庫みたいなベースアンプでも大丈夫だ。

 今日の出演バンドは4バンドともギターアンプ、ベースアンプ、ドラムセットを持ち込んでいた。

 リハーサルは通常「逆リハ」という出順とは逆の順番で行われるので、出番が最後のLiving Dollsというバンドがステージの上で機材を組み立てている。

 ベーシストが有希に「今日はアンプが何時もと違います。あと、今日はミックスじゃなくてDIのみでお願いします」と変更点を告げていた。

 宗崎はLiving Dollsのヴォーカル、ナオキを呼んだ。

 ヴォーカルはリハが最後なのでまだ余裕があるのだ。

「なんか言う事あるんじゃない?」

 その言葉にナオキは首をすくめた。

「すみません、昨日アヲヰと呑んでて急にそんな話になっちゃって」

「どこからバレたの?」

「なんか呑んでた居酒屋にコッカトリスのファンの娘がいたらしくて」

「うーん、そうなっちゃったもんはしょうがないなあ。もうちょっと早ければ警備のバイト増やせたんだけど。まあ、今から連絡してみるかな」

「申し訳ないです!」

「ま、ウチも売上、上がるし。でも次からはもうちょっと早く連絡してね」


「てな訳で、未散ちゃん今日非番のバイト君たちに電話してみて」

「まったくもー! 余計な仕事ばっかり増やしやがって!」

 ブツブツ言いながらも未散は咥え煙草で従業員連絡表を取り出し、電話を掛けだす。


 しばらくすると美島がやって来た。

「おはよー! 未散ちゃん元気?」

「うるさい! 今忙しいんだ! 気安く声かけるなイタロー!」

 どうしてイタローかと言うと、見た目も性格もイタリアンな美島を、未散は最初は「イタ公」と呼んでたのだが、本人から「そんな差別用語は良くないよ」とクレームが入ったので「じゃあ、イタ公のイタローだ!」てな感じになったのだ。

「やっぱ、表はエラい騒ぎになってるね」

 美島は未散が相手してくれないので、宗崎に話しかける。

「そうかあ、また不動産屋の社長に怒られるなあ」

「昨日、ベイ負けてるしねえ」

その時だった。

「おはようございます、宗崎さん、美島さん」


「あれ? アヲヰ、もう来てたの? 外は大丈夫だった?」宗崎が驚く。

 外でまったく騒ぎになっていなかったからだ。

「はい、Liveng Dollsのローディ君たちにも手伝って貰って」

 ローディというのは、バンドの機材搬入や片付け、ステージでのセッティングや転換等を手伝ってくれるスタッフだ。

 ほとんどが後輩のバンドマンで、彼らもローディをやる事によってステージのあれこれを勉強し、人脈を広げる「軟派系縦社会」の主従制度なのだ。

「おかしいなあ、まったく外は騒いで無かったみたいだけど」美島も不思議がる。

「ご迷惑お掛けします。じゃあ、僕リハやってきますね」

 アヲヰは少し謎めいた笑顔を見せて去って行った。


「どう思う? 達ちゃん」

「いくつか可能性は考えられるね」

「例えば?」

「知っての通り、アヲヰは普段、地味で目立たない。変装してローディに紛れ込むのは簡単だと思う」

「でも、表にいた娘たちは熱狂的ファンだよね? それくらいで誤魔化せるかなあ?」

「俺もそこがちょっと引っかかってる」


 リハーサルが始まった。

 アヲヰとナオキは共犯者の顔をしている。

「あの二人、何かやりやがったな!」

 美島は確信していた。


 開場してもしばらくは落ち着いたものだった。

 Living Dollsの出番が最後なのはオープンになっている。

 おそらく表で張ってた娘たちはご飯でも食べに行ったのだろう。

 嵐の前の静けさだ。

 一人、美島だけが陽気だった。

「いやー、未散ちゃん、俺ってここの受付の前が世界で一番落ち着く場所なんだよねー」

「うるさい! 邪魔だ! どけ!」

 取りつく島もない。

「そんな冷たくしないでさあ。のど飴あげるから」

 美島もまったくめげない。

「バイト、捕まったの?」

 未散に訊いても答えてくれなさそうなので宗崎に訊いてみる。

「なんとか2人は。あと、ライブ終わりくらいにフライドエッグの西さんが来る」

 西一馬はインディーズバンド専門のイベンターで、家が近いので仕事じゃなくてもよく5th STREETに顔を出してるのだ。

「じゃあ、なんとかなるかな。ウチの会社からも2人くらい来るし」

「お偉いさん?」

「いや、宣伝の若いのだから使っていいよ」

「じゃあ、タクシーせき止め隊に入って貰うかな」

 熱狂的な娘たちはライブ終わって機材搬出の済んだ機材車が打ち上げ会場に向かうのをタクシーで追っかけようとする。

 その時に、機材車が出るまでタクシーの前後に1人ずつ立って、出発させないようにする係りが必要なのだ。

 女の子たちは狂ったように運転手に「早く追いかけて!」と叫ぶが、いくら怒鳴られようがクラクションを鳴らされようが、テコでも動かない鉄のハートが必要だ。

「あれを経験すると、多少の罵詈雑言は気にならなくなるしね」

「今日来る奴らは多少Mっ気があるから逆にご褒美だと思って喜ぶかもよ」

「ま、若い女の子に罵詈雑言浴びせられる機会って、大人になるとなかなか無いしね」

「あんたら、くだらない話してないで、さっさと弁当食べてきなよ!」

 未散に怒られたのを機に、2人で事務所に引っ込む。

「一応、未散ちゃんも若い女の子か」

「おれらの3つ下だからもうすぐ三十路だね」

「微妙なお年頃だねえ」

 事務所では一足先に由井と有希が弁当を食べていた。

 PAが手が空くのは開場から開演までの間だけだ。

「美島君、久しぶり。元気?」

「ご無沙汰してます。今度若手バンドのデモ作るんですけど、由井さんミックスお願いして良いですか?」

「イイよ、今度音源聴かせてね」

 性格がイタリア人の美島は、当然有希にも声を掛ける。

「有希ちゃん、相変わらず派手だねえ」

「美島さんには言われたくないな」

「なんでよ? 全身黒で地味じゃん?」

「確かに色は地味だけど、形は独特だし、何よりも美島さんの顔立ちとか雰囲気が派手だから」

「そりゃあ、直しようがないなあ。困ったなあ」

 美島は全然困って無さそうに笑っている。

「小野寺は知らないだろうけど、美島君ってこんなキャラなのに、昔は凄く暗い歌を歌ってたんだぜ」由井が弁当を食べながら有希にチクる。

「えー! 意外!」

「由井さん、勘弁してくださいよー」

「宗崎君がベース弾いててね、凄く人気あったのにね。なんで解散しちゃったの? もったいない!」

「いやあ、いろいろありまして…」

「ま、バンドの解散理由ってバンドの数だけあるけどね」

「でも大別すると女か金の取り合いですよね!」

「小野寺、それを言っちゃあ…」

 美島と宗崎のバンド「レプリカンツ」は横須賀で結成され、一時期カルト的な人気を誇っていた。

 哲学的な歌詞にブリティッシュ・テイスト満載の曲で、海外でも評価が高かった。

 美島の天性の個性も相まって、ライブはいつも超満員。

 しかし、大きなハコでやる事はなかった。

「所詮おれら、アンダーグラウンドだし」というのが美島なりの理由だったようだ。

 音源も、4曲入りのデモテープを1本作っただけだ。

 限定500本のデモは、1回のライブと、インディーズ音源専門のレコード店、そして海外通販で完売してしまった。

 確かに由井の言うようにもったいなかったのかもしれない。

 しかし、それには仕方ない理由があった。


「でもアタシ、美島さんとカラオケ行った事あるけど、普通だったよー」

「そりゃあ、カラオケじゃあシャウト出来ないし」

「つーかお前、いつの間に有希ちゃんと?」宗崎がツッコむ。

「いや、接待カラオケの練習したくて」

「小野寺、気をつけないと一緒に食事しただけで妊娠させられるよ」由井がからかう。

「何言ってんですか! 俺はファンの娘とスタッフには手をつけないって固く心に誓ってるんですから」

「他に気をつけてる事は?」宗崎が軽く振る。

「同じ池で釣って良い魚は1匹だけ!」

「それは重要だね。たまにバンド・クラッシャーって種類の魚がいるしね」

「○○○○の×××の悪口はやめろ!」

「え? 今なんて言った? バンド名と個人名がよく聴こえなかったなあ」

「やめろ! 仕事に支障が出る!」

 宗崎と美島は同じバンドをやっていただけあって、会話の息もぴったりだ。

 美島がいると、いつも場が華やぐ。

 そしていつの間にか美島がその中心にいる。

 それはもう、持って生まれた才能なのだろう。

 そういった意味でも本来は表舞台で活躍する人種だとみんな思っている。

 が。


宗崎だけはそれが出来ない理由を知っていた。


開演が近づくと由井も有希もPA卓に上って行った。

事務所には宗崎と美島だけだ。

「ねえ達ちゃん、さっきの話の続きだけどさ」

「なに? 同じ池で魚は何匹まで釣れるかって事?」

「違うよ! そんなボケはいいから!」

「アヲヰの侵入経路の事?」

「うん、俺の知らない秘密の出入り口とかある?」

「それはないね。ここの入口はあの階段だけ。確かにビル全体の入口はあるけど、あそこは別の警備員さんがいて、いつも問題児のウチには厳しいから出入りは出来ない」

「そーかー。じゃあさ、例えば機材の中とかは? ドラムのスタンド入れるケースなんて『棺桶』って呼ばれるくらいだから人ひとりくらい入るよね?」

「じゃあ、どうやってドラムのシンバルスタンドとか運ぶんだよ」

「あ、そっか!」

「しかもLiving Dollsのドラムって2バスでシンバルも10枚くらい使うしね」

「そうだねえ。さっきマッチョなローディ君たちがヒーコラ言って運んでたしねえ」

「彼ら、酒屋の配達のバイトで鍛えてるらしい」

「階段でしか運べないってのは辛いだろうね。キャスター、意味無いし」

「でもなんとなく分かったかも」

「え? マジ?」

「まあ、いくつか確認しなきゃだけど」

 そう言い残すと、宗崎はPA卓に上って行った。


 開演5分前に有希が事務所に顔を出した。

「オンタイムです」

 時間通りに始まるという意味だ。

 そして開演と同時に爆音が鳴り響いた。

 ディスコ時代の名残か、事務所の防音はしっかりしていたが、それでもベースの重低音は壁の中の緩衝材を揺らすくらい響いてくる。


 美島は一人で考えていたが、すぐに止めた。

 こういった謎解きみたいなものは宗崎の守備範囲だ。

昔から、そういった役割が出来上がっているのだ。

 美島が好き勝手にやってトラブルを呼び寄せ、宗崎が解決する。その頃から宗崎はトラブル・バスターだった。


 PA卓から戻って来た宗崎はセッティング表を持っていた。

「なるほどね」

「一人だけ分かってるのはズルいぞ!」

「まあ、ちょっと待ってよ。最後のLiving Dollsの演奏が始まったらハッキリするから」

「え? なんで?」

「それはその時までのお楽しみ!」


 時間が経つにつれ、会場は人で溢れていった。

 ファンの娘たちはポケベルのメッセージで連絡を取り合い、入り時間より数倍の女の子たちが会場の外にたむろしていた。

 この時間になると一階の不動産屋は営業が終わってるから怒鳴りこまれる心配はない。

 それでも念の為、バイトを一人外に立たせて見張らせる。

 中には常識外れの事をする子もいるし、事故が起こる可能性もあるからだ。

 ましてや未成年が多い。下手したら警察に通報されるかもしれないのだ。

宗崎も、つい美島に愚痴る。

「あの娘たち、全然言う事聞いてくれないからなあ」

「そうだね。彼女たちが言う事聞くのは自分が好きなミュージシャンがステージ上で言った事くらいだからね」

「アヲヰにMCで『みなさん、ライブハウスの迷惑にならないように、交通法規と道徳を守りましょう!』って言って貰うかな」

「ファンが減りそうだね」

「そもそもアヲヰ、MCあんまりやんないし」

 不毛な会話を交わしてるうちに、美島の後輩であるビュースター宣伝部の若手2人が到着した。

「達也、紹介するよ。こっちが山崎。で、こっちが沢口ね」

「よろしくお願いします。美島先輩からお噂はかねがねお聞きしています」代表して沢口が挨拶する。

「コッカトリス、よろしくお願いしますね」

「こちらこそ、良いバンドを紹介して戴いてありがとうございます。正直、部長クラスはみんな『どこが良いのかサッパリわからん!』って言ってたんですけど、僕ら若手が推したんですよ」山崎は宣伝部らしく、人当たりが良い性格のようだ。

「これからはこういうのが売れますって」沢口も同調する。

「いやあ、あの人たちが決めたのは、ライブ動員とインディーズのCDの売上実績だよ」

 美島が口を挟む。

「インディーズで5万枚売ってりゃあ、どこも手を挙げるってもんだよ」

「ま、そりゃそうですね」

「でもな、俺たちの仕事は、インディーズで5万枚売ってたアーティストを、10万、20万、30万枚売れるようにする事だからな!」

 普段はC調で、社内でMr.C(ミスター・ツェー)と呼ばれてる美島も、たまに熱く語る時があるのだ。

「50代の部長とか取締役に、ロックを理解しろって言う方が土台無茶な話なんだし」

「それを考えると、30代の専務が決定権持ってるあのメーカーとあのメーカーが業績を伸ばしてるのは必然ですね」沢口が具体的なメーカーを思い浮かべる。

「ヨソはヨソ、ウチはウチ!」

 今はどこのレコード会社も、一時期のイカ天、ホコ天のバンドブームが去った影響で、ロックバンドに厳しいのが実情だ。

 ブームの頃は、何の実績もライブの動員も無いバンドに億単位の契約金を出して海外レコーディングをやってたような、狂った時代だったのだ。

「ま、今は健全化されたとも言えるね。君たちも考えようによっては良い時代に入社したのかもよ。しかも宣伝は一応花形部署だし」

「でも僕ら、二人とも制作志望だったんですよね」山崎も元々は学生バンドでギターを弾いていた。

「新人がいきなり制作なんかに行ったら碌な人間にならないよ! まずは人に頭を下げてお願いする事を覚えなきゃ!」

 二人とも美島が頭を下げて宣伝してるところなんて見た事無いのだが、そこは大人なので、否定するような事は言わない。

 宣伝部に配属された効果は既に出ているようだ。


 ライブが進み、3番目のバンドの演奏が中盤に差し掛かる頃には会場は満杯になっていた。

 そうなると、5th STREETのスタッフも大忙しだ。

 ステージと客席の間にある柵の下に3人スタンバイする。

 後ろから押された最前列の子が柵で肺を締め付けられ、気絶するかもしれないのだ。

 ただでさえ空気が薄い。気絶した子を柵から引き摺りだし、楽屋で介抱する事になる。

 幸い、急遽駆けつけてくれたバイトの中に、元5th STREETスタッフで、現在看護師の女性もいる。

 ライブハウスにとって、事故対策、安全対策は何よりも優先しないといけない最重要事項なのだ。


 3番目のバンドの出番が終わり、機材の転換の時間になると、会場内の緊張の度合いも増してくる。

「アヲヰってどのタイミングで出るの?」

 美島が宗崎に確認する。

「本編終わって、アンコールだけらしいよ」

「ま、そりゃそうだよね。最初からは出ないよね」

 Living Dollsも実力派のバンドだ。演奏陣のテクニックも申し分ないし、ナオキのヴォーカルも、音にうるさいハードロックのオールドファンからの折り紙つきだ。

 ただ、それでもナオキとアヲヰの間には越えられない壁が存在した。

 無論、ヴォーカルは楽器と違ってテクニックよりも好き嫌いが判断基準になるものなので単純に比較は出来ないのだが、アヲヰのヴォーカルには、人を魅了し、狂わせる「何か」があった。

 そしてその「何か」は、かつての美島にも備わっていたものだ。

(そういった意味では確かに「もったいなかった」よな)

 宗崎は一人でそんな事を考えていた。

 宗崎がプロミュージシャンの道を諦めてスタッフとして生きて行こうと決めたのは、美島が歌うのを止めたからだ。

 他に理由は無い。

 レプリカンツを解散した時、ルックスもテクニックも申し分なくて、固定ファンをいっぱい持っている宗崎はいろんなバンドから声が掛かったが、全部断った。

 それくらい、ミュージシャンとして美島に惚れ込んでいたのだ。

 二人の見た目の良さが災いして「デキてるんじゃないか」と噂になり「月ノ光」というカルト雑誌の読者欄で一時期騒がれた。

 それを目ざとく見つけた「JUNE」という美少年雑誌がモデルをやってくれないかと打診してきたほどだった。


(嫌な事思い出しちゃったな)

 宗崎は身震いしながらトイレへ向かう。

 ライブハウスでは女子トイレはいつも満員だが、男子トイレは空いている。

男に生まれて良かったと実感する場所だ。

 そこでよく知ってる顔を見つけた。

 コッカトリスのマネージャー、三浦伊緒太だ。

「あれ? 三浦さん今来たんですか?」

「あー、宗崎さん、おはようございます!」

三浦は用を足しながら頭を下げる。

「今、アルバムのTD中で、スタジオ抜け出して来たんですよ」

 つまり録音は全部終わってて、レコーディングエンジニアが音をミックスしてる段階なので、アヲヰは立ち合いを楽器隊のメンバーに任せて、いち早くここへ来る時間が出来たって事だ。

三浦はいつも「僕、クリエイティヴな仕事やってます感」を全身から発していて、今日もアニエスのハンチング、白山眼鏡店の黒縁メガネ、あごひげ、アニエスのボタンカーディガンにジルボーのジーンズ、beauty:beastの肩掛けバッグと、一分の隙もない。

「なんか珍しい靴履いてますね」

「あ、分かります? これナイキの新作なんですけど、黄色が入ってるスニーカーって珍しいでしょ? 今までスニーカー界では黄色は売れないってのが定説だったんであんまり作られてないんですよね」

 三浦はスニーカーマニアで、200足くらい持ってるという噂だ。

 宗崎は「芋虫みてえ」という言葉をグッと飲み込んだ。

 後にこのスニーカーが社会現象を巻き起こすほどの人気になるとは、この時点では知る由もない。

「じゃ、僕、アヲヰについてますんで」と言い残し、三浦は楽屋に消えて行った。


 会場に荘厳なパイプオルガンの音色が鳴り響いた。

 Living dollsの登場時のSEだ。 

それを切り裂くように演奏が始まった。

 ドラムとベースのリズム隊がしっかりしているので、重低音が凄い。

 そしてナオキの声は、全くそれに負けていない。玄人好みの良いバンドなのだ。


 演奏は終盤に差し掛かっていた。

「さて、そろそろかな」

 美島が宗崎に声を掛ける。

「そうだね。この曲がアンコール前のラス一かな」

「さっき楽屋行ったらアヲヰはすっかり化け終わってたよ」

「あの化粧は凄いよなあ。眼なんて3倍くらい大きくなってるし」

「デビューと同時に、『ギャルズティーン』って雑誌でアヲヰの化粧講座の連載が始まるのが決まったんだよね」

「マジ?」

「我々宣伝マンは、媒体に対していろんなアプローチを考えてるんだよ」

 美島がいつもの調子で女性編集者を口説き落としたに違いないと宗崎は確信していた。


 Living Dollsの本編が終わり、メンバーは一旦楽屋に引っ込む。

 その途端、客席からはアヲヰの名前を呼ぶ女の子たちの声がうねりを伴って鳴り響いてきた。

「みんな、もうちょっとLiving Dollsに気を遣うべきじゃね?」

 客席の一番後ろで「如何にも業界人」という体で腕を組みながら美島が呟く。

「あの年頃の女の子って、世界で一番残酷な存在だから」

 宗崎の言葉には、毎日そういった子たちの相手をしている重みがあった。

  

 やがてステージに楽器隊が現れ、それぞれの楽器の確認をし出した。

 ますますアヲヰを呼ぶ声は大きくなる。

 そしてまずはナオキが登場した。

「えー、こんな出にくいステージは初めてです」

 女の子たちは笑う。

 宗崎たちは苦笑してる。

「みんなも待ってるし、ジラしても仕方ないし、時間が押したら5th STREETの皆さんにも怒られるんで、そろそろ呼び込みますか!」

 客席のヴォルテージは最高潮だ。

 女の子たちのアヲヰコールは絶叫に近くなり、みんながステージ前に殺到する。


 ドラムがカウントを取り、高速リズムでツーバスを踏む。

 ベースもそれに合わせ、ダウンピッキングのみで叩きつけるように弾く。

 ギターは特徴的なリフを刻み続ける。


 そして。

 カリスマが降臨した。


「かかって来いよ!」

 その一言で、会場を支配した。

 女の子たちがアヲヰを見る目は、殉教者のようだ。

モニタースピーカーに脚を掛け、前のめりになって歌い出したアヲヰは、美しい獣のように見えた。

そして、圧倒的な歌声はLiving Dollsの力強いリズム隊をものともせず響いてくる。

会場中、ヘドバンの嵐だ。

みんな、首も折れよと激しく頭を振っている。


「いや、やっぱ凄いなアヲヰは!」

 美島が同じく最後尾に陣取っている後輩たちに声を掛ける。

「1曲、ポップな曲が出来たら、ひょっとしたら化けるかもな」

「ですねえ。今は音楽雑誌中心の宣伝プランですけど、曲次第ではタイアップとかも取れるかもしれませんね」沢口も同意する。

「最初からCMは敷居が高いから、取りあえずテレビ局系の音楽出版社を当たってみるかな」

 音楽出版社というのは音楽雑誌を出版してる会社ではなく、楽曲の権利を管理している会社の事だ。

新人がテレビの歌番組に出たり、番組主題歌をやるには、出版権という権利をテレビ局系列の音楽出版社に預けなければならない。

 美島は既に今後の宣伝プランを変更する必要性があると考え始めていた。

 アヲヰが、当初考えていたより遥かに「メジャー感」を持っている事に気付き始めたからだ。

「シングル用の曲作り合宿とかも考えなきゃなあ。山中湖が良いか、観音崎か、川奈だとスタジオに温泉あるしなあ」

「なんか目的違ってません?」

 山崎がツッコんだ。


 所謂「ギョーカイの人たち」がいろいろ思案している間に、ステージでは1曲終わっていた。

 ここで改めてナオキがアヲヰを紹介する。

「コッカトリスが東京にツアーに来た時は、ウチに泊まってた。逆に俺たちが関西ツアーの時はアヲヰんちに泊めて貰ってた。そんな、昔からの友達です!」

アヲヰもコッカトリスの時とは違って、かなりリラックスして、ナオキのMCをニコニコしながら聴いている。


「達ちゃん、実はさ」

「なに?」

「アヲヰ、ウチとの契約が決まってすぐの打ち合わせで、Living Dollsのデモテープ持って来たんだよね」

「え?」

「『僕たちの友達の、凄くいいバンドなんです』って」

「アヲヰ、イイ奴だなあ」

「ナオキの事、ホントに好きなんだろうね」


「じゃあ、最後の曲は二人で歌います。昔、良く一緒に聴いてた思い出の曲です」

 ドラムソロから特徴的なギターリフが乗ってきた。

 THE DAMNEDの「NEW ROSE」だ。

 THE DAMNEDはSex Pistols、The Clashと共に3大パンクバンドと言われている。

世界で最初にデビューしたパンクバンドでもある。

 NEW ROSEは物凄く手数の多い高速ドラムの曲で、ハードロック界隈でも人気が高いのでセッションでの定番になっている。

「あー、懐かしいねえ。俺らも昔コピーしたねえ」

「カヴァーって言いなよ」

 レプリカンツもよく「後期ダムドっぽい」と言われていたのだ。


 結局この後、同じくTHE DAMNEDの「LOVE SONG」「Machine Gun Etiquette」と3曲高速メドレーが続いた。

 観客は大喜びで、ステージにダイヴしてくる子たちもいた。

 宗崎も念の為にステージ脇に走り、ダイヴしてくる子たちを受け止める羽目になった。

 

「2曲の予定が結局4曲か。やりやがったな、あの二人!」

 肩で息をしながら、宗崎はステージを終えたばかりのナオキとアヲヰの元へ向かう。


 宗崎を見つけるや否や、ナオキとアヲヰは走って来る。

「宗崎さん、すみません!」ナオキが頭を下げる。

「いやあ、なんか盛り上がっちゃって、やらなきゃいけない雰囲気だったんで」

「嘘つけ! 最初からやるつもりじゃなければあんなにスムーズにドラムがカウント取る訳ないだろ! しかもあれってアルバムと同じ並びじゃん!」

「ですよねー」ナオキは思わず笑ってしまっていた。

「すみません。5th STREETで歌う事も当分ないかもしれないと思うと、思いっきり悔いなく歌いたいなって思って」アヲヰが殊勝な顔で答える。

 そんな事言われたら、宗崎としても怒る訳にもいかない。

「まあ、盛り上がったから良いけどさ。後で由井さんにも謝っときなよ」

「はい、すみませんでした!」二人は歌ってる時のようにユニゾンで言い、同時に頭を下げた。


 宗崎たち5th STREETのスタッフはこれからがたいへんだ。

 お客さんを全部会場の外に退出させ、掃除をし、機材を片付ける。

 照明とPAの確認も。

 売上を計算し、バンドに手売チケットの枚数を確認してギャラを渡す。

「今日のLiving Dollsのギャラ、凄い事になってるよ」

 計算を終えた未散が分厚い封筒を用意しながら宗崎に報告する。

「あんだけお客さん入ればねえ。今日の打ち上げのビールは美味いだろうね」

「アヲヰのギャラ、どうすんだろう?」

「三浦さん来てたから、事務所に渡すのかな? まあ、俺らの関知するところじゃないけど」

「それより、どうやって打ち上げ会場まで辿り着くつもりなんだろうね? 外、女の子たちでいっぱいだよ?」

 確かに5th STREETの周りは女の子だらけだった。

しかも当日券でも入りきれなかった子たちが、せめてアヲヰを一目だけでも見ようと、百人以上がまだたむろしている状態だった。

「なんか、アヲヰたちは秘策があるみたいよ」


「宗崎さんたちも打ち上げ来ますよね?」

 ナオキが精算を終えて声を掛けて来た。

「どこでやるの?」

「いつもの福富町の『ランブル』です。今日は貸切にして貰ってます。ギャラもいっぱい貰えたんで、今日のみんなの打ち上げ代はそこから出そうと思ってます」

 ランブルは5th STREETのスタッフや常連ミュージシャン御用達の地下にある洋風居酒屋だ。

「じゃあ、ウチのパックステージパスそのまま使いなよ。ファンの子たちが入って来ないように入口でローディ君たちにチェックさせて」

「ありがとうございます。じゃあ、後で!」


「あ、達ちゃん」

美島が少し慌てた風で宗崎を呼び止めた。

「佳太、どうしたの?」

「アヲヰがいないんだよ」

「早いなー」

「表が全然騒いで無いから油断してた! 山崎も沢口も何も言って来ないし」

「じゃあ、無事脱出できたんだろうね」

 美島が口を尖らせる。

「達ちゃんだけ分かってるのはズルいぞ!」

 宗崎は少しいじわるっぽく微笑んだ。

「多分、由井さんと有希ちゃんも薄々気付いてるんじゃないかな」

「え?」

「まあ、それは仕方ないよ。我々はLiving Dollsの演奏を何回も聴いた事があるし、セッティングも分かってる。佳太とは情報量が違うからね」

「ズルいぞ!」

「ま、打上げ会場で教えてあげるよ」

「嫌だ! 早目に話を聴いて、後輩の前でイイカッコしたい!」

「小学生か!」


 結局、打上げ会場に向かうタクシーの中で説明するという事で話がついた。

 美島は壊滅的な方向音痴なので、夜の歓楽街では歩いてお店に辿り着けない。

ランブルにも何度も行ってるのだが、いつも宗崎が一緒なので、そもそも覚える気もないのだ。

 終演から一時間は経っていたので、表には出待ちの女の子たちもいなかった。

 Living Dollsのメンバーを張ろうとしてた子たちもいたようだが、人数が少なかったので上手く撒けたようだ。

 場所が分かったところでランブルの鉄壁の守備を崩せる訳もないのだが。


「達ちゃん、早く教えてよ! 5分くらいで着いちゃうよ!」

「そんなに慌てなくても大丈夫だよ。会場に入って、アヲヰに確認も出来るんだし」

「嫌だ! 早く知りたい!」

「小学生以下だなー。まあいいや。そもそも、佳太はバンドやってたのにあんまり音を気にしないよね?」

「え?」美島の眼が泳ぎだした。

「いまさらキョドらなくて良いよ。ライブのリハでも、自分のモニターの返りとか気にしてなかったよね?」

「そうだっけ?」

「そうだよ! そもそも『転がし』を足掛け台だと思ってたんだろ?」

 転がしとは、ステージで各人の前の床に置いてあるモニタースピーカーの事だ。

 客席に向いているスピーカーはステージでは聴こえないので、バンドはここから出てる音を確認しながら演奏する。

「いやあ、ステージ歩き回ると自分の声が聴こえにくくなるなあ、って不思議だったんだよね」

「それじゃあ気付く訳ないな。実は今日のLiving Dolls、いつもと出音が違ってたんだよ」

「どんな風に?」

「いつもより音が薄く感じた」

「そうなんだ?」

「いや、ただ今日は客席がいっぱいだったろ? お客さんがいっぱいいると、人間が吸音材になっていつもと出音が違うってのもあるんだけど、リハから音が違ってたからね」

「そんな事があるんだね」美島はのんびりと相槌を打つ。

「なんでバンドやっててそんな事も知らないんだよ!」

「だってステージにいたら出音聴こえないし」

「普通はリハの時にステージ降りて客席の音を確認するんだよ!」

「だって、マイクがハウるじゃん」

 通常は、間奏の時にヴォーカルがマイクを持たずにステージを降りて確認する。

「…まあいいや。とにかく、リハの時から違うのは分かったから、有希ちゃんにセッティング表見せて貰ったんだよ」

「何かいつもと違ってたの?」

「うん、ベースのセッティングと、持ち込んだアンプがいつもと違ってた」

「そうなの?」

「佳太はベースの音ってどうやって出してるのか知ってる?」

「え? どういう意味?」

「いつも俺がライブのリハの時にPAさんに『DIでお願いします』とか言ってたの聴いた覚えない?」

「まったく無い!」

清々しいほど堂々と美島は答えた。

「…そうか」宗崎も諦めたようだ。

「ベースって、ヘッドからダイレクト・ボックスって機械に繋ぐと、ラインから直接PAのミキサーに音を送って外のメインスピーカーから音が出せるんだよ」

「日本語で説明してくれ!」

「日本語だよ!」

「つまり、分かりやすく言うと?」


「ベースアンプは、ヘッドさえあれば、下のキャビネット(スピーカー部分)が無くても音が出せる」


「そうなの?」

「もちろん、スピーカー鳴らすベーシストもいるし、ラインとスピーカーからの出音をミックスでやってくれって人もいる。そういう時はベースアンプの前にマイク立ってるから分かるけどね」

「知らなかった!」

「Living Dollsのベースも、いつもはラインとマイクのミックスなんだよ」

「今日に限ってセッティングがラインだけになってたって事?」

「そう。だからアンプの違いだけじゃなく、いつもと出音が違った」

「それで由井さんと有希ちゃんも分かったのかあ」

「それに、ラインだけって言ってもほとんどのベーシストは、スピーカーから出る音をモニターに使ってるしね」

「それを切っちゃえば、確かにいつもより出音も小さく感じるよなあ」

「で、Living Dollsのベースアンプが今日持ち込んだのはAmpegのデッカいのなんだよね」

「冷蔵庫みたいなの?」

「そう。いつもはSWRってメーカーの、キャビネットが二つに分かれてる奴なのに。あの方が分けて運べるから便利なんだけど」

「じゃあ、ひょっとして…」


「そう。あの冷蔵庫みたいにデカいベースアンプ、キャビネットの中は空だったから、アヲヰはその中に入って脱出したんだろうね」


 タクシーはランブルの入ってるビルの前で停まった。

 地下への階段を降りると、入口の前にLiving Dollsのローディ達が受付をやっていた。

「宗崎さん、お疲れ様です!」

「お疲れ様! 今回、君たち大活躍だったね」

「いやあ、そうでもないですよ。階段に板を敷いて滑らせましたから、3人でやれば楽勝でした」

「僕たちよりアヲヰさん、降りる時は怖かったんじゃないですかね」

「なーんか、疎外感感じるなあ…」

 美島がブツブツ言いながら中に入る。

 既に宴は始まっていて、みんなそれぞれのテーブルで盛り上がっている。

 美島は一直線に一番奥のアヲヰとナオキのテーブルへ向かう。

 アヲヰは美島に気づくと、悪戯っぽく微笑んだ。

「どうやらバレちゃったみたいですね」

 美島は表情で嘘がつけないのだ。

「いやまあ、逆にこれは今後使えるなって思ったよ」これは本音でもある。

「誰が思いついたの?」

「僕です」アヲヰが手を挙げる。

「僕、前はベーシストだったんですよ」

「そうなの? そりゃあ転向して正解だったね」

「で、僕はAcorsticってメーカーのベーアン使ってたんですけど、それも人が入れるくらいデッカいので」

「そこで思いついたんだ?」

「バンドマン以外はみんなベースアンプのヘッドだけで音が出るなんて知りませんからね」

「バンドマンでも知らない奴はいるしね」

 いつの間にか宗崎も話に加わっている。

「うるさいなー! でもさ、別に実際使うアンプじゃなくても、別にもう一台用意すれば良かったんじゃないの? アンプじゃなくてもドラムの棺桶でも良いんだし」

「機材車に乗りきらないんですよ」

 確かにliving Dollsの機材車は芸術のように隙間なく機材が詰め込まれている。

ローディが優秀な証拠だ。

順番が一つでも違うと積めなくなるらしい。


「じゃあ、みんな揃ったようなんで改めて乾杯しますかね」

 ナオキの音頭で、みんなグラスを持つ。

 Living Dollsのメンバー、ローディ、スタッフ、アヲヰ、レコーディングを終えて駆け付けたコッカトリスのメンバー、三浦、宗崎、美島、沢口、山崎と、総勢20人のこじんまりした打ち上げだ。

「では、乾杯のご発声をコッカトリスのアーティスト担当の美島さんにお願いします」

「え? 俺?」突然の指名に、慌てて美島が立ち上がる。

「えー、皆さん今日はお疲れ様でした。まんまと騙されました!」

 会場は笑いに包まれる。

 美島が笑うと、みんな『誘い笑い』に巻き込まれてしまうのだ。

「この方法は今後いろんなところで使わせて頂くとして、今日は乾杯の前に一言言わせてください」

 どうやら真面目モードに入るようだ。

「コッカトリスもようやくデビューが決まりました。メンバーも事務所の方も一安心だと思います。でも、ここはゴールではなくスタートです。ここからが始まりなのです。Living Dollsのメンバーにも覚えておいて欲しいのですが、これから全てが始まるのです。いろんな事が待ち構えているとは思いますが、我々ビュースターのスタッフは、出来る限りのサポートをしていきたいと思います」

 山崎も沢口も頭を下げる。

「長く続くバンドになるには、スタッフや媒体の方、ライターさん、編集者さん、みんなに感謝し、みんなに愛されてシンパを作らないといけません。皆さんも、今日の日を忘れず、いくら売れても決して驕らず、謙虚な気持ちを持ち続けてください」

 宗崎は、ちゃんとした話が出来るようになった美島を見て感無量だった。

 雛が成長したのを確認した親鳥の気分だった。

「周りの皆さんも、コッカトリスのメンバーが調子に乗って、レコード会社の事を『メーカー』と言い出したり、フジテレビの事を『CX』とか呼び出したら注意してあげてくださいね」

 ちゃんとオチも用意してたようだ。

 コッカトリスのメンバーは緊張からの緩和で大笑いしている。


「それでは、今日の主役であるLiving Dollsとコッカトリスの前途を祝して、乾杯!」

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