第38話

「達也先生。なんか歩き方変ですよ」


 上田総合病院。午前最後の仕事で入院患者の往診に向かう途中、背後についていた看護師がくすくす笑いながら言った。


 確かに達也は、意味もなく両肘を上げて歩いている。しかも曲がり角では一旦スピードを緩めると、曲がる方向に身体を預け、パタンと曲がる。そして少し体重を後方に寄せると、今度はアクセルを開けたのごとく歩くスピードをグンと早める。その歩行スタイルの理由を、達也は看護師に説明しなかった。説明しても解るわけが無い。

 タンデムレッスンで翔子から体感したものを忘れまいと、歩く時にもそんな身体の使い方をして練習しているのだ。確かに、これで『ブー、ブー。』などと口走りっていたら、すぐに精神科病棟へ連行されかねない。それでもそんな練習に夢中になっているのは、来るべきコースチャレンジのためだけではない。明日に迫ったツインドライブで、翔子にいい走りを見せたいというのが本音なのだ。


 達也が病室のドアを開けると、ベッドに半身を起こした心配顔の患者に迎えられた。達也も医師モードに戻って、幾つかの質問を投げかけながら、カルテをチェックする。


「検査の結果も良好です。もう退院していいですよ」


 患者の顔がパッと明るくなった。ベッドのそばに控える家族も嬉しそうに達也に礼を言う。実は達也もこの瞬間が大好きである。達也のひと声が、ここに居あわせるすべての人々に対して理屈の無い嬉しさをもたらす瞬間だ。回復は患者自身の生命力に他ならないのだが、その喜びの一角に自分が居あわせることが出来て彼も自然に嬉しくなる。


 達也は病室から出ると、心も軽やかにまたバイク歩きをしながら、職員食堂へ向かった。


「おい、ペケジェー」


 小児病棟を抜けようとしていた時に、達也は声を掛けられた。そんな名前で呼ばれても思わず振り返ってしまう自分が悲しい。案の定、白いスカーフを巻いた哲平が居た。


「えっ、副長?なんでこんなところに?」

「その呼び方はやめろよ…」


 哲平は、職務中なのか正式な白バイ隊の制服を着用していた。

 もともと骨太の骨格に、養成所で鍛え上げられた筋肉を纏った身体は制服を着ると壮観である。路上でバイクを呼びとめられたわけではないので、今は威圧的な官と言うよりは、頼りがいのある正義漢といった印象だ。あのララバイジャンパーを羽織った哲平とは大違いだった。


「まあいいや、ちょっと手伝ってくれ」

「警察の仕事を手伝えって言われても…」

「いいからこれを着てくれ」


 哲平が差し出したのは、黒の地に骸骨が描かれた全身タイツだ。


「えーっ、なんでまた?」

「いいから、着ろって」

「嫌ですよ、そんな全身タイツ。忘年会の余興じゃあるまいし…」

「しょうがないだろう、次郎が仕事で捕まらないんだから…」

「自分だって仕事中ですよ」

「そんなこと言わないで…お前んとこの入院患者の為なんだから、ひと肌脱げって」


 達也は哲平に白衣の襟を掴まれて、トイレに連れ込まれてしまった。力では哲平にかなうわけが無い。

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