第32話
黒の男は、ある民間の総合医療検査センターに勤めていた。
アレルギー検査、遺伝子・染色体検査、薬毒物検査、薬物乱用検査。いわゆる一般臨床検査から特殊検査にいたるまで、広い範囲の医療検査に対応できる大きなラボである。
毎日、窓の無い部屋に閉じ込められ、検査着にフェイスマスクと医療用のゴーグルそしてゴム手袋を装着して、送られてきた生検体に検査薬を振りかけ、顕微鏡をのぞき続ける。先進的なイメージとはかけ離れた気が遠くなるような単純作業の繰り返しの中でも、この男はこの仕事が気に入っていた。作業中は誰とも話さなくて済むし、特にこの無菌という自然界ではありえない職場空間が気に入っていたのだ。いつからかわからないが、彼の感性の中では無菌であることが当然化していて、それが有菌である自然空間への嫌悪を産んでいた。
したがって、彼の自宅もほぼ無菌状態であることは言うまでもない。最近の彼は、仕事を終えて自宅に戻ると、この密封化した室内のラボで、殺人兵器の完成にむけて最後の実験を繰り返していた。
静寂であるにも関わらず、男がはなつ邪悪なエネルギーは部屋中に充満し、顔が火照りながらも背筋が寒くなると言う不思議な空気で満ちている。しばらくすると、その邪気に押しつぶされたように、机の上にあるビニール袋が破れて中のミネラルウオーターがこぼれ出た。その時彼のストップウオッチは2時間を示していた。
「もう少しだ…」
地域暴力団の排除を狙った彼の試みは成功したが、ここまで騒ぎが大きくなると、もう不審な配送物は開封してもらえない。
今後さらに駆除を進めるとしたら、封を開けずともある一定の時間になると、二成分化されたソマンが合成され垂れ流れる工夫が必要だ。彼が考えた方法は、ビニールを浸食するウィルスをビニール袋に付着させる。その付着させる量で、袋が破れる時間を調節するという方法だった。しかし、彼が満足する時間に調節するには、まだまだ実験を重ねる必要があるようだ。
男はピンセットで破れたビニールを汚物入れに投げ入れると、使っていたピンセットを壁に貼ってある新聞の切り抜き記事に突き立てた。
『遺族の訴え退けられる。医療事故に病院の責任なし。病院側全面勝訴』
「無力な庶民を泣かせる奴は、即刻排除だよな」
男は次のターゲットが決まって嬉しそうだった。
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