第5話
その白さが恐怖を増幅させることもある。
『NASA』からやってきたような白い防護服の男達が、慎重に事務内の洗浄処理をしている。事務所からかなりの距離を置いて規制ラインが引かれた。その外側は、管轄のパトカーや消防車が集結し、それを取り囲むように野次馬達が立ち並んでいたから、付近は祭りのように騒然としている。
規制ラインの内側にいる人々のほとんどが、防毒マスクと全身防護服を身につけていることが、ラインの外にいる人々の恐怖心を煽った。この危険な区域に一般の車が迷いこまないように、事件現場へ入る路地のすべての入り口では、白いヘルメットの隊員が白バイを傍らに置いて忙しく車両規制をしている。
「凄げぇ、ホンダ(VFR)の800から、スズキ(GSF)の1200に乗り換えたんですか?」
通りかかったバイク便の若者が、白バイ隊員に話しかける。最初は威厳を保つためにしかめ面だった白バイ隊員も、話しかけられた相手が顔見知りだとわかると、相好を崩して応えた。
「わかるか次郎…」
待ちに待った新車両が支給され、誰かれ構わず自慢したい白バイ隊員ではあったが、今自分は制服を着ている事を想い出し思いとどまった。
「現場で話しかけるなって言っただろう」
「副長、何があったんすか」
「おい…」
「なんスか?副長」
「お互い、もういい大人なんだから、もうその副長ってのは…」
「ガキの頃、さんざんそう呼ばせといて…今さら哲平さんなんて呼べませんよ」
「過去は忘れろ」
「だから、何があったスか?副長」
「チッ…、官が民にべらべら話せると思うか」
「官だ民だと訳分からないこと言わないでくださいよ。ゾクで暴れてた時代、哲平さんのケツを守って走っていたのは自分ですよ」
哲平は口をつぐんで黙ったままだ。
「だったら、副長の命令でナンパした女の数をここで言いましょうか」
次郎の口をふさがなければまずいことになる。さすがの哲平も口を開かざるを得なくなった。
「…バイク便の荷物に毒ガスが仕込まれていたらしい。事務所の若い衆が三人死んだ。荷物届けたお前らの仲間も巻き込まれて亡くなったそうだ」
「そうすか…。どこの便のライダーだろう」
同業者の悲劇に次郎もしばし言葉を失った。
「ところで、今度の団長の命日ですけど…、墓参り行きます?」
「そうか、もうそんな時期か…」
哲平は手袋に縫い込んだ小さなワッペンを見つめた。そのワッペンに描かれた『交差する雷に小さな梅』は、彼らが過ごしたヤンチャな青春のシンボルなのだ。
「もちろん行くつもりだ」
「それならご一緒させてください」
「翔子には言っておいた方がいいな」
翔子とは亡くなった団長の妹である。
哲平は誘導灯を振りながら、初めて団長が妹を連れてきた時のことを想い出す。
当時女子高生だった彼女が団長のバイクから降りてヘルメットを取った時の衝撃は今でも鮮明に覚えている。ヘルメットからが飛び出した長く輝いた髪が、埠頭のライトに反射して、眩しさのあまり哲平は眼を見張った。たった3秒で恋に落ちた。しかし、哲平は副団長である自分の立場を決して忘れることなく、団長の妹としての敬意と親愛でずっと接して来た。それは今でも変わらない。
「翔子さんとはライダールームでよく会うんで、言っときますよ」
「ああ、次郎と同じ会社のライダーだったよな…」
「ええ…それに、もしよかったら仕事が終わったら久しぶりに飲みません。話したいこともあるし…」
「なんだよ…」
「まあ、たいしたことじゃないスけどね」
「そうか、今夜は夜勤だから、明日はどうだ」
「わかりました、それじゃ明日の夕方でよろしく」
ヘルメットを被り直した次郎は、ベルトをあごで止めながら哲平に付け加えた。
「ところで副長…、未だにスケなしですか?」
哲平は急に忙しく誘導灯を振りはじめ、次郎の問いが耳に入っていないふりをする。
「いくらまたがっていても、バイクじゃ子どもは産んではくれませんよ」
「うるせえ。職務の邪魔だ。さっさと移動しろ」
哲平は語気を荒めてニヤつく次郎を追いやった。
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