第2話

 いらいらする……マルムは、「仕事」をしながらそう思った。

マルムは移動の時はいつも野宿で済ませている。ところが今は他人……しかも「巫女」として生きてきた少女が一緒にいる。こんな状況で野宿をする気には、いくら身分制度を理解できていないマルムでもなれなかった。だが、盗みで何とか食いつないでいるマルムに、毎晩宿屋に泊るほどの金は、今回の「仕事」の前金をもらっているとはいえ、どこを探しても無かった。


 だから、行く先々で「仕事」をして旅費を稼いでいたのだが、その「仕事」の内容を知った巫女がこう言ったのだ。


「盗みだなんてよくありません。窃盗はルーメン教の教えに反します。即刻やめてください」


 それを聞いてマルムは正直吐き気がした。マルムにとってルーメンの教えなんて、嘘っぱちを並べ立てたものに過ぎない。「王族は神の子だ」「王族を崇めれば幸せになれる」なんて、信じる方が馬鹿らしい。


 巫女から放たれている偽善の臭いにいらいらしながら、睨みをきかせてこう言い放った。


「どの口がそんなこと言えるんだか。偽善並べてる余裕があるなら、野宿でもしやがれ、この世間知らずの馬鹿女!」


 そう言って宿屋を出てきたせいで、今夜は無性に腹が立っていた。いつもならスリ程度で済ませていた旅費稼ぎを、この街のルーメン教の施設の宝物庫に行くという、大がかりなことをわざわざやることにしたのは、巫女から説教されたのが原因だ。


 ルーメン教の教えは、「ウィンクルムの王族は天から使わされた神の末裔である。王族を敬い、祈れば困難へ立ち向かう道が開ける」といったものだ。そのため、「喜捨」という形で集められた財産は、各地のルーメン教の施設に集められ、王都ウィンクルに納められる。そうやって、ウィンクルムという国は成り立っているのだ。


 マルムの予想通り、この街のルーメン教の施設にも、金銀財宝が隙間なく並べてある。中を物色すれば、この国ではめったに採れない金剛石の指輪や、これまた海の無いこの国ではお目にかかることも少ない、真珠のネックレスがあった。女性の名前が刻印されてはいるが、「裏」の界隈で売れば、しばらくは「仕事」をする必要もないだろう。


 その二品を手にして、軽々と施設から抜け出したマルムは、近くの「裏」の界隈の商人の所まで急いだ。




 彼女は普段寝ていた神殿のものよりもベッドが固いせいか、この生活が始まってから、以前よりもぐっすり眠れなくなった。それに加えて昨晩のマルム(名前は旅の途中で教えられた)の言葉を思い出してしまい、結局眠る前に朝日が昇ってしまっていた。


 神殿にいた頃は朝日の日の光と共に起きていたから、布団をどけて起き上がる。すると、マルムが重そうな袋と、小さな箱を持って部屋に入ってきた。


「おはようございます。マルムさん」

「……なんだよ。お前眠れなかったのか? 目の下にくま出来てるぞ」

そんな他人事のような口を利かれたのでたまらず、

「昨日あなたがあんなこと言うから、気になって眠れなかったんですよ! もう少し言葉を選んでください!」


 そう言い放った。憤慨する彼女の言葉をマルムは、話半分に受け流している。

「だって、事実だろうが。お前が神殿から一歩も出たことが無い、世間知らずだってのは」

 反論が出来なかった。なぜなら、物心が付いた時にはすでに「巫女」としての扱いしか受けていなかったから。たまに王宮に行き、民衆の前に立ってルーメン教のことについて語る以外に、神殿の外へ出たことは無い。「巫女は世俗と関わりを持ってはいけない」──そう教えられてきたから、神殿の外に出ていくことすら、考えたことは無かった。だから、世間知らずと言われても、仕方の無いことなのかもしれない。


 マルムの顔をまともに見ることが出来なくて、視線を落とす。するとマルムの持っている小さな箱に文字が刻印されているのが見えた。


「マルムさん、その箱、どうしたんですか?」


「『戦利品』に決まってんだろ? 金剛石の指輪は高値で売れるからな。それに加えて真珠のネックレスもあったから、そいつを売ってきたら、この国じゃとれない珍品だってんで、予想より高値で売れたんだ。これで一か月は食うのにも寝る場所にも困らねーよ」


 彼女は言葉を失った。昨日「窃盗はルーメン教の教義に反する」と言ったばかりだというのに。それに、小箱に刻印されているのは女性の名前だ。きっと、男女が永遠の愛を誓う時に用いられたものだろう。


 怒りで拳を震わせていると、マルムから意外な言葉が返ってきた。

「これは、この街のルーメン教の施設から盗ってきた。どうせこの指輪もネックレスも、元の持ち主にとっては大事なものだったんだろうが、ルーメン教への『喜捨』とやらが払えなくなって、金目の物すべてをルーメンの連中に渡さないといけなくなった。この意味が理解できるか?」


 信じたくはなかった。ルーメン教の教えでは「喜捨」とは、自らが「困難に立ち向かうための力を得るために必要な、神の子孫への供物」のはずだ。まさか、民の大切なものすら残らず搾り取っていたなんて、そんなことは教えられていなかった。


 そんな彼女をよそに、マルムはさらに続ける。

「まあ結局それは全部、ルーメンと王族の奴らの懐に入るんだ。こうして『巫女』様が食べていく金になったんだから、これの持ち主も、ルーメンの奴らに使われるよりも、幸せかもしれねーな」

 

 「『巫女』様」……かつては、そう呼ばれることに何の違和感も抱いていなかった。だが今神殿を離れて、マルムからそう呼ばれた時、マルムとの壁を感じた。今までは、「巫女」として民に寄り添いたい。そう思っていたのに。マルムから「巫女」と呼ばれると、どうしても距離を感じてしまう。


「マルムさん。一つお聞きしてもよろしいですか?」

「なんだよ」

「マルムさんが、その……教義に反するようなことを自分の生業としているのは、どうしてなんですか?」


 マルムは畜生、と呟いてから、拳を握りしめこう言った。

「俺は親に捨てられた」

え、と彼女が驚いたのもお構いなしに、マルムは続ける。

「俺のクソ親は、ルーメンへの『喜捨』のせいで、毎日生きることすら、ままならなかったんだ」


 淡々と語るマルムの顔が、どんどん険しくなる。

「そして、食ってくことすら、ままならなくなったとき! 俺のクソ親はどうしたと思う? 巫女様よお」

マルムの口調がだんだん荒々しくなっていき、瞳の奥にはっきりとした怒りの情が隠しきれないほどになっていることに、驚きを隠せないでいた。彼女が問われた事への答えを見つける前にマルムは彼女を睨みつけて、こう言い放った。


「自分の子供を森に置き去りにしたんだ! 『喜捨』は家族の人数で奪われる量が決まるからな! どうせ、自分らが生きていくのに、自分らの子供が邪魔になったんだろ? 俺はルーメンのせいで親を失ったんだ!」


 「ルーメン教のせいで親を失った」……その言葉に返す言葉も、マルムにかけるべき言葉も見つからない。彼女は「ルーメン教の『巫女』」として生きてきた。だから、ルーメン教の教えを疑ったこともない。そんな彼女にマルムが追い打ちをかける。


「そんなとき、俺を救ってくれたのは、盗賊団の親分さんだったのさ。だからその時俺は決めた。『ルーメン教や王族っていう偽善者の、全てを奪いつくしてやる』ってな!」

 マルムの言葉が彼女へと突き刺さり、その価値観を根底から揺るがしていた。


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