第14話 スピードペインティング



「よかった、ここは無事みたいね」


 ソーラがルーネ草の群生地を見て、ほっと、息を吐く。

 ロプトたちは蛇少女との激闘のあった森を後にしてルーネ草が群生していた場所まで戻ってきていた。

 山は蛇少女が巨大化して巻きついた影響で、木々は倒れ、地面は抉れ、ところどころに黒い汚泥が残っている。

 だが幸いこの場所は戦いの影響を受けてはいないようだ。


「よし、じゃあとっとと摘んで色を塗ろう」


 ソーラと手分けしてルーネ草を摘み取り、すべてプラモデルに変える。

 ずらりと並べたその本数は10本。

 並ぶと結構な数だが、薬にするにはこれでもギリギリの本数だそうだ。

 まずは組立だが、これはすぐに終わる。

 パチパチとニッパーで切り離し、二つのパーツを接着剤で接着する。

 流れ作業で10分もあれば完成だ。

 ただし、前回とは違ってそれぞれ一箇所だけランナーから切り離さずにゲートで繋がった部分ごとランナーを残してから断ち切った。

 ルーネ草のプラモデルからひょこんとゲートとランナーがくっついている状態だ。


 ここから塗装なのだが、さすがに一本一本塗っていくのは面倒だし、時間がかかりすぎる。

 ここはスピードペインティングをする必要があるようだ。

 スピードペインティングというのはその名の通り、素早く塗装する、という事で特に決まったやり方があるわけではない。

 プラモデルの塗装の際はあまり馴染みはないが、ボードゲームの駒にすることもあるミニチュアモデルの塗装をする際には耳にする機会がある言葉だ。

 ゲームの駒にするモデルなので同じような格好のキャラクターを10体以上塗ることがあり、それを少しでも早くゲームボードの戦場に投入するために、短い時間で塗装しよう、という試みなのだ。


 ロプトは虚空から一本のスプレー缶と10本のクリップ付きの竹串を取り出す。竹串は『持ち手』と呼ばれる塗装用のツールで、その名の通りプラモデルを挟んで持っていてくれる棒だ。

 クリップの反対側は尖った竹串になっているので保持したプラモデルを発泡スチロールや段ボールなどに刺しておくことが出来る。

 ロプトは残しておいたランナー部分をクリップで挟みこむ。そうやって竹串に保持されたルーネ草を10本作り、地面に刺しておく。


 スプレー缶の方は下地を塗るためのベースコートスプレーだが、元々若草色になっているスプレーだ。

 普通ベースコートスプレーは後から上に塗る塗料の邪魔をしないように黒や白、灰色をしている。

 しかし一部のベースコートスプレーは最初からベース塗料の色がついているモノがあるのだ。今回はベース塗料を塗る時間短縮のためにコレを使う。

 ロプトは缶をよく振りながらソーラの方を見る。


「ソーラ、また臭いがすると思うから離れてた方がいいぞ」

「……覚えてたんだ」

「いや、そりゃ覚えてるだろ。怒られたし」

「怒ってないわよ!」

「いや、怒ってんじゃん」


 何故だか顔を真っ赤にして怒ったソーラが背を向けて離れて行く。

 やはり異世界であってもスプレー塗装と近隣トラブルの問題は根が深いようだ。

 ロプトの断片化した記憶の中でも、家族や隣人から白い目で見られながらスプレー塗装をしていた事が思い出される。

 だいぶ距離があいたのを確認してから、地面に刺しておいたプラモデルをひとつ取って若草色のベースコートスプレーを吹いた。

 スプレーを吹くときは、吹き始めと吹き終わりをプラモデルにかけないようにするのがコツだ。始めと終わりはスプレーを止めているので吹きすぎてしまったり、塗料のダマがついたりする。

 なので、プラモデルを持つ手は動かさず、スプレーを持った手を左から右にさっと動かして、プラモデルを通過させるように吹く。

 こうした動きをリズム良く、シュッシュッと繰り返す。

 スプレーを通過させるたびにプラモデルに若草色が乗っていく。

 プラモデルを直接持ち手で挟まないのは、そうすると挟んでいるクリップに色が乗ってその下に色がつかないからだ。

 また持ち手のクリップはしっかりとプラモデルを保持するためにギザギザの歯がついていて、直接挟むとプラモデルに傷が残ってしまう。

 それを防ぐためにも、今回はランナーを残してそれを持ち手で挟むことで問題を回避した。

 ただもちろんこのままではゲート部分に色はつかない。なのでスプレー後にゲートを切り離して、点のように残る未塗装部分は筆で塗る予定だ。


 ルーネ草のプラモデル自体が小さいこともあり、スプレー塗装はあっという間に完了する。成型色の灰色だったプラモデルはすべて若草色に塗られた。

 これがスプレー塗装の良いところだ。

 非常に短い時間で広い範囲、たくさんの数の塗装を出来る。

 ただ一方で悪いところもある。

 噴射する時には独特の臭いがするし、塗料が拡散するので外で塗装するか、専用の塗装ブースが必要だ。また天候や湿度を気にする必要があり、あまり湿度が高いと塗料が水気を吸って塗料がまだらになったりする。

 持ち手を用意したり、準備が面倒なところもある。

 結局、一長一短、これ一つあれば大丈夫、なんていう万能な塗装方法はないのだ。

 だから面白い、とロプトは思う。

 簡単に上手くいかないからこそ、上手くいったときに最高に嬉しいのだ。


 ロプトは一番最初にスプレーを吹いたルーネ草のプラモデルを持って、鼻に近づける。プラモデルからはもう独特の臭いは漂ってこなかった。

 臭いがしなくなるのが乾燥の目安だ。独特の臭いは塗料に含まれる有機溶剤が揮発する際に出る臭いなので、臭いがしているうちはまだ乾燥していないのだ。

 本来なら半日から一日程度は時間を置かないと乾燥しないハズだが、ロプトが出した道具はどれも異常な性能を発揮していて、このスプレー缶も乾燥時間は異様に早い。

 乾燥を確認したロプトは、手早くゲートを切ってランナーからルーネ草のプラモデルを切り離す。ゲートの跡が残らないようにヤスリで削ると、塗装してあった部分も多少色が取れてしまう。なのでそこはベース塗料で塗りなおしておく。

 10本全てにその作業をほどこしたら、シェイド塗料を取り出して影を付ける。

 ここも流れ作業だ。極端な筆ムラがつかなければ全体的に満遍なく塗るだけなので気を使う必要も、気合を入れる必要もない。

 記憶の断片からは、好きな音楽をかけながら塗っていたのを思い出す。

 その記憶を頼りに鼻唄を歌いながら次々と塗る。

 後でソーラが近くに居たのを思い出して恥ずかしい思いをするのだが、このときロプトは塗装に夢中で気づいていなかった。

 

 次は以前と同じならベース塗料で影ではない部分を塗りなおして明るさを戻すのだが、これを丁寧に一本一本塗っていくのは時間がかかる。

 そこで『ウェットドライブラシ』という手法を使う。

 これは筆につけた塗料を一度ほとんど拭き取って、乾いた筆にかすかに残る塗料をプラモデルの造形のエッジ部分にのみつける『ドライブラシ』という手法の派生テクニックだ。

 ドライブラシ同様に筆につけた塗料を一旦拭き取るのだが、ドライブラシが筆の水気を完全に拭き取るのに比べてウェットドライブラシはほんの少し水気を残す。

 その上でプラモデル全体を撫でるように筆を動かすことでエッジだけでなく、凹凸の凸部分にもカラーがのる。

 しかし水気がほとんどないため、カラーは流れず奥は塗られない。

 こうすることで影は塗らず、明るい部分だけ色を塗りなおすことが出来るのだ。


 この手法はどの程度、塗料と水気を拭き取るのか、の調整が難しいのだが、一度ちょうど良い分量に出来れば、後は何も考えずに全体を撫でるように塗るだけなので簡単で速い。

 その一方で、分量を間違えると塗料が想定以上にのってしまい、せっかくシェイド塗料で影つけした部分まで塗られてしまう。

 ロプトは慎重に拭き取り、何度か自分の手で色の付きを確認してから塗る。

 ちょうど良い分量で塗料の付いた筆は、何度か撫でるだけであぶり出しのように黒ずんだルーネ草から若草色のルーネ草を浮かび上がらせる。

 一度分量が決まれば、後は10本一気に塗るだけだ。


 最後は派生ではなく通常の『ドライブラシ』を使って完成させる。

 ドライブラシは微かに残った塗料が何度もプラモデルの上を往復することで、エッジ部分にのった微かな色が重なり発色する。

 毛皮や髪の毛、鎖帷子などのエッジが多い造形のものを塗るのに最適なテクニックだ。ナルヴィの毛皮もこの手法で塗っている。

 今回のルーネ草の場合は、実はあまり有効とは言えない手法だ。

 ドライブラシは曲面が多い造形だと色がつかず、少々粉っぽい印象を残してしまう。

 葉の縁部分は色がつくのだが、表面の盛り上がった部分は色がつかない。

 

 ただこのルーネ草のプラモデルはかなり小さいので縁に色がのっていればそれだけで立体感は表現できる。

 こういったミニチュアモデルの場合は、近づいてまじまじと見ることはほとんどないため、ある程度雑に色を置くように塗ることもある。

 ロプトは若草色よりも少し明るい若苗色のカラーを筆につけて、徹底的に拭き取る。

 ウェットドライブラシと違って少しでも水気が残っていると、せっかく塗り重ねた部分を上からビャッと塗りつぶしてしまう事があるので要注意だ。

 完全に水気が取れたのを再び自分の手につけて確認してから、サカサカを箒で掃くようにルーネ草のプラモデルの表面を何度も往復させる。

 最初はまったく色がついていないように見える。しかし何度も筆を往復させているうちに、徐々に葉の縁に色がついていく。

 それを繰り返すと10本の若草色のルーネ草が出来上がった。


「出来たの?」

「お、おう。で、出来たぞ?」


 ソーラに声をかけられてようやくロプトは近くにソーラが居たことを思い出した。

 忘れていたことが後ろめたくて声が上擦ってしまう。


「ずいぶんと楽しそうに塗ってたのね?」


 からかうように鼻唄を歌われて、自分がソーラの前で鼻唄歌いながら塗っていたのを思い出して、かぁ、と顔が熱くなった。

 ソーラはそんなロプトの反応を楽しげに見てから、出来上がったルーネ草を見た。


「うん、問題なさそうね。これで薬が作れるわ」

「ソーラが作るのか?」

「誰でも作れるわよ。材料潰すだけだもの」


 ルーン魔術という不思議な力のある世界だ。

 薬もまた不思議な力で出来るのかもしれない。

 ロプトはそう考えて頷くに留めた。


「さぁ、帰りましょう。お姉ちゃんが待ってるわ」

「レギンさんも待ってると思うけどな」

「……そ、そうね。父さんも待ってるわね」


 恨めしそうにこちらを見るソーラを見て、お返しだとばかりに笑いかけるロプト。

 そんな二人の様子を不思議なものを見るような目でナルヴィが見ていた。


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