第15話 眠れる姉マーニ
ルーネ草の塗装が完了し、ロプトとソーラは山を降りた。
狼や他の動物たちは、山の異変を恐れてか姿を見せることはなく、そのおかげで二人と一匹は何の障害もなく山を降りることが出来た。
だいぶ歩き、麓が近づいてきた時、騎影が近づいてくるのが見えた。
「おお、ソーラ無事だったか! アンタが見つけてくれたのか」
馬に乗って近づいてきたのは村の入り口で門番をしていた男だった。
男はかなり驚いた様子でロプトたちを見ると、ひらりと馬から降りた。
「いやぁ、良く無事だったな。遺体を運ぶつもりでコイツに乗って来たが、無駄になって良かったぜ」
「ヒドイじゃないフリム、捜しに来てくれたんじゃないの?」
ソーラはフリムと呼んだ男の馬に目を向けて不満そうな顔をする。
フリムはそんなソーラの視線に怯みもせずに肩をすくめる。
「山にあんな大蛇が巻きついてたんだ、生き延びるとは思わんだろ。せめて遺体だけでも村に帰したいっていうレギンの旦那に頼まれて来たんだよ」
『遺体』という言葉に顔をしかめるソーラ。
ロプトはその可能性があったことを今更ながらに意識して、背筋が寒くなった。
そんなロプトをフリムは探るような目で見ていた。
見透かすような視線に居心地が悪くなるのを感じる。
「アンタのおかげかい? なんだか相棒の狼も立派になってるように見える」
目を細め鋭い視線を向けるフリム、その視線にロプトは圧を感じ、ナルヴィは警戒するように唸り声を上げる。
「おっと、よせよせ。詮索するつもりはねぇよ」
降参とばかりに両手を挙げてへらへらと笑うフリム。
しかし顔は笑っていても目だけは変わらずロプトを観察していた。
その視線にロプトは身を固くするが、すぐにフリムは視線をのけた。
「無事なら言うことはねぇさ、俺は一足先に戻ってるぜ。一刻も早くレギンの旦那に報告せにゃならん」
「一緒に戻らないの?」
「一緒に戻ってレギンの旦那の説教のとばっちりを受けたくねぇのさ。諦めてしっかり怒られるんだな、どれだけ心配かけたと思ってやがる」
軽い口調だが、その言葉には重みがある。
フリム自身もソーラを心配していたのだろう。どこか年の離れた兄のような気安さと思いやりを感じた。
ソーラにはそれが感じられなかったのか、怒られる、という言葉を聞いて心底うんざりした顔をしていた。
フリムは再び馬に跨ると来た道を襲歩で戻っていった。
その背中を恨めしそうに睨みながら、ため息をつくソーラ。
そんなソーラを宥めつつ、ロプトは山を降りた。
村に着くとたくさんの村人が出迎え、ソーラの無事を祝い、連れ戻したロプトを讃えてくれた。だいたいはナルヴィのおかげなので褒められても面映いばかりだ。
群がる村人たちの間を抜けて村の奥へと進むと、家の前でレギンが待っていた。
その表情は巌のようで、視線は強い。
「ロプト、良くぞ娘を無事に連れ戻してくれた。村を代表する長として、また一人の父親として感謝する。ありがとう」
しかし一度、ロプトの前に立つと満面の笑みで、目尻には微かに涙を浮かべ、両手でロプトの右手を握った。
その力の強さに戸惑いつつも、改めてソーラを救えたことを実感した。
同時にソーラを危険に晒したのもまた自分だという思いも強く、素直にレギンの感謝を受け取れなかった。
次にレギンはソーラに向き直ると困ったように眉を曲げ、大きく腕を広げソーラを柔らかく抱きしめた。
「バカモノが、心配をかけおって」
レギンの言葉に、最初は怒られると身を固くしていたソーラも、涙ぐんでレギンをしっかり抱き返していた。
周りで見ている村人たちは感動の再会に喜び、涙していた。
しかしロプトは近くにいたせいで聞こえてしまった。
「あとで儂の部屋に来い」
怒気を凝縮した結果、平坦になったような声音でぼそりとレギンが呟いたのだ。
ソーラは顔色を真っ青にして小さくコクコクと頷いて、ゆっくりと離れた。
このままでは一日中説教されかねない、と思ったのかソーラは慌てて袋からルーネ草を取り出した。
「父さん、ロプトが協力してくれて薬草が集まったの。まずはお姉ちゃんに薬を作らせて、いいでしょ?」
「なんだと? この時期に若いルーネ草があったのか」
レギンは驚いた顔でソーラの持つルーネ草を見つめる。
それからロプトに視線を移して、ふかぶかと頭を下げる。
「娘のわがままにつき合わせてすまない。こんな時期にこれだけ探すのは大変だっただろう?」
「あ、ああ、いやたまたま。たまたま群生したのを見つけただけなんです」
ロプトは誤魔化すように言った。
いずれはレギンにも自分の能力を申告するつもりではあるが、この場で説明するのは難しい。
ソーラが村人の前でルーネ草を出したものだから、村人たちが大したものだ、姉思いだ、すぐ処方してあげろ、と言い出してレギンは仕方なさそうにソーラを解放する。
「ロプトも一緒に来て」
「俺も? なんで?」
「いいから」
ロプトはソーラに引っ張られてレギンの家に入る。
家に着くとソーラは使用人に何か言いつけてすぐ二階の部屋に向かった。
「随分急ぐな、そんなに病気が重いのか?」
「違うわよ、ぐずぐずしてたら父さんに捕まるでしょ?」
よほどレギンの説教が怖いらしい。
ソーラが二階の角部屋のドアを開けると、かすかに花の匂いが漂ってきた。
恐る恐る部屋を覗き込むと、部屋には淡い紫の花が花瓶に入って置いてあった。
「お姉ちゃんの好きな花なの、匂いで起きないかと思ってね」
「――――っ」
ロプトはベッドに眠るソーラの姉を見て、思わず息を飲んだ。
部屋の中央に置かれたベッドにはゆるくウェーブのかかった黄金の髪を広げ、静かに眠る美女の姿があった。ソーラ同様、レギンに似た部分はほとんどなく、線の細い色白の女性だ。
透明感のある色白の肌と、目鼻がハッキリしたキレイな顔立ち、目を引く場所は多いが、ロプトが思わず凝視してしまったのはその大きな胸だ。
「ちょっとどこ見てるのよ! やらしいわね」
「あ、いや、ち、違うんだ。そうじゃなくて」
ロプトが弁明する間もなくソーラが姉マーニの胸元までシーツをあげて隠す。
しかし、そうやって隠したというのに、ロプトが注目したモノは隠れなかった。
ロプトが凝視したのは、その豊かな胸の谷間、ではなく、その胸に木が寄生しているのが見えたからだ。
その木はマーニの胸に食い込むように根を張り、丸く長い葉を茂らせ、白い実をつけていた。
ロプトが呆然とそれを見ている横で、ソーラは使用人からすり鉢を受け取って手馴れた様子でルーネ草をすりつぶし始めた。
ソーラはその木をまったく気にしていなかった。
ロプトはこれが記憶がない無知のせいなのか、マーニの病が特殊なせいなのか分からずに口を閉ざした。
部屋に青臭い匂いが漂い始める。
ソーラはすりつぶしたルーネ草を目の粗い布で搾り、その汁を木のお椀に入れる。
更にそこに小さな壷から掬い取ったとろみのある液体を入れる。
「それは?」
「蜂蜜よ、さすがにこのままじゃ苦くて飲めないもの」
そういってソーラはそこに更に沸かしたお湯を入れてゆっくりかき混ぜる。
分離していた草の汁と蜂蜜、お湯が混ざり薬湯が完成した。
ソーラはそれを持ってマーニの枕元に立った。
「飲めるのか?」
「水やスープは飲んでくれるのよ。でもずっと食事はしてないの」
その言葉に思わずロプトはマーニの寝姿をまじまじと見た。
顔は小さく細いが痩せこけているという感じはしない、シーツから外に出ている白い腕も細くはあるが、骨と皮だけ、というわけでもなく健康そうだ。
なによりシーツに隠されてもその双丘は大きく盛り上がっている。
「その割には、なんというか痩せていないな」
「どこ見て言ってるのよ、やらしいわね」
睨まれて、ばつが悪くなって目を逸らす。
ソーラが不機嫌そうに鼻を鳴らし、スプーンに薬湯をすくった。
それをゆっくりとマーニの口元へと運び、傾ける。
少しづつ薬湯が口に注がれ、やがてこくり、とマーニが薬湯を嚥下した。
薬湯に濡れて艶めく唇がなまめかしい。
思わずその様子に見入っていると、マーニの胸元に寄生している木の根が嫌がるように少し浮いた。
そして同時にマーニの呼吸が大きく、短くなったような気がする。
「これで少しは良くなるといいんだけど」
「なぁ、この木みたいなのは取り除けないのか?」
「えっ? どれのことよ」
「いや、だからお姉さんの胸に木みたいなのが寄生してるじゃないか」
「……私には、何も見えないわ」
「あれ? ハッキリ見えるんだけどな……」
ロプトが首を傾げながら、じっくりと見てみる。
すると確かにマーニの胸元から木が生えているのが見えるのだが、良く見るとそれは半透明になっている。
ロプトがそっとその半透明の木を触ろうとすると、すり抜けて触ることが出来ない。
更にじっくりとマーニの身体を見ると、マーニの身体が透けてそこにプラモデルとなったマーニの姿が見えた。
20分の1に小さくなったマーニのプラモデルは既に完成しているのだが、その胸にはロプトが見たのと同じ木が生えている。
「どうなってるんだ?」
「ちょっと、私にも分かるように説明して!」
ソーラに凄い形相で迫られて、ロプトは見えたものをそのまま説明した。
マーニの胸から木が生えていることや、マーニの身体が透けてプラモデルに見えていること。
既にロプトの能力を知っているソーラは真剣な顔で考え込んだ。
「……お姉ちゃんが眠り続けているのは、それが原因?」
「そこまでは分からん、たださっき薬を飲んだら根が少し離れた。あの薬が効いたのだとしたら、身体に良いものではなさそうだな」
ロプトの言葉にソーラは黙り込んだ。
つられるようにロプトも黙り込む。
今まで自分がプラモデル化できるのは死んでいるモノだけだった。
理屈は分からないが、生きているものがプラモデルに見えたり、プラモデルに出来たりしたことはない。
唯一の例外は、ナルヴィのように一度プラモデル化して実体化させたものだけだ。
そして今、マーニがプラモデルに見えかけている。
これはつまり、マーニは死の淵に立っている、と言うことではないのだろうか。
しかしロプトはそれを伝えるのを躊躇った。
根拠のない話だし、それを伝えてどうするというのか。
死に掛けているのが本当だったとして、何が出来るというのか。
いや、本当は出来るかもしれないことをひとつ思いついている。
だがそれを言いたくない、言って欲しくない。
ナルヴィを塗装したり、ルーネ草の色を変えたりするのとはワケが違うのだ。
そんな迷いがロプトの口を重くした。
長い沈黙が過ぎ、ソーラが真剣な表情でロプトを見た。
「ねぇ、ロプトならお姉ちゃんのプラモデルからその木を取り除けるのよね」
無常にもソーラから告げられた、言われたくなかった言葉に、ロプトは小さく、本当に小さく頷いた。
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