第12話 神を喰らいし魔狼ナルヴィ・フェンリル



「完成だ!」


 ロプトは出来上がったナルヴィの模型をうっとりと眺める。

 全身灰色だったナルヴィは銀色に輝く白毛を持つ神々しい狼に生まれ変わった。

 シェイド塗料によって毛の奥は暗く、毛先に向かって銀色に近づくグラデーションが実現されており、塗装前ののっぺりした印象が消えている。

 暗灰色の爪と角は冷たい輝きを放ち、額にはソーラに教えられたルーン文字が描かれている。塗装筆で文字を書くのは非常に難しかったが、ルーン文字が直線ばかりなのが幸いした。フリーハンドで曲線を描くのはロプトには無理だからだ。

 書いていて気づいたのだが、おそらくこの文字は木の板などにナイフなどで刻み付けていたのが始まりなのだろう。だから曲線がほとんどなく直線でのみ出来ている。

 おかげで筆で描く時に楽で助かった。


 足枷とそれについた鎖はかなり明るめの金色に仕上げてある。

 ナルヴィを縛るほどの鎖なのできっと神器か何かなのだろう、と思ったからだ。

 キレイな金色の縁にかすかに銀色を塗ってある。これによって金色が光にあたって輝いているように見えるのだ。

 ナルヴィが咥えている腕の籠手も同じ金色で塗った。

 あとで自分がつけることを考えると、もう少し大人しい色にしたかったのだが、あまり地味にすると、たいしたことない相手にナルヴィが捕まった、みたいに思えてやめた。ナルヴィほどの巨狼を捕らえたのだからきっと強い神のハズだ。

 

 ロプトがそっとナルヴィの模型を床に置くと、また模型が光を放って大型犬サイズのナルヴィになった。その全身は白銀に輝いている。

 ナルヴィは実体化すると尻尾をちぎれんばかりに振って、ロプトに飛びかかってきた。

 そのままロプトはナルヴィに馬乗りにされて顔を嘗め回される。


「わわっ、待て待て! よしよし、分かった! 分かったから!」

「ふふふ、何やってんのよ」


 ソーラが嘗め回されるロプトを見て柔らかく笑う。

 この鍾乳洞に入ってから、ロプトはほとんどナルヴィの塗装をしていただけなのだが、何故かソーラの対応が優しくなった気がする。

  どう見ても年下であるソーラにそんな優しげな目で見られると、ちょっと居心地が悪い。自分が子供になったような変な感じがする。

 ナルヴィを撫で回して落ち着かせ、全身をくまなくチェックする。

 耳の後ろや、お腹の周りなどを念入りに調べたせいでくすぐったがってナルヴィは逃げてしまった。


「うん、どうやら塗り残しもないし、上手く塗れたみたいだな」

「これで強くなったの?」


 ナルヴィは、わふ、と肯定するように吠えているが、ロプトには実感はない。

 ただ塗装の出来に関しては自信を持って、よく塗れた、と断言できた。

 もちろん、所詮は趣味で塗装をする日曜モデラーだ、不出来な部分や改善点は山ほどあるだろう。

 その一方で自信を持って断言できる部分もある。

 それは全力で楽しんで塗れた、ということだ。

 毛先のかすかな銀色が表現出来たのは満足している。

 爪の暗灰色に縁の部分だけ青色を入れて冷たい輝きがあるように見せているのは何度もやったやり方だが効果的だった。

 目の部分をはみ出すことなく一発で塗れたのはまぐれだろうが、爽快感があった。

 鎖の輪に一個一個かすかに銀色を入れていく作業はちまちまと面倒だが、逆にその面倒さが妙な被虐的な快感があった。

 とにかく楽しかった、それだけは間違いない。


 ロプトたちが鍾乳洞を出ようとしていると、ぽつぽつとにわか雨のように水滴が一斉に落ちてきた。

 天井を見ると、ぱらぱらと石の欠片のようなものも降ってくる。


「なんかまずいぞ! 早く出よう!」


 外に出ると、山全体がかすかに揺れている。

 それだけではなく、そこかしこから木が折れ、何かが這いずるような音が響いている。

 そしてその恐るべき音の正体がロプトたちの目の前に現れた。

 屹立する蛇の鱗を持つ壁。

 それがゆっくりと動き、目の前に迫ってくる。

 途中に木があろうが、岩があろうがおかまいなしだ。すべてなぎ倒し、すりつぶしながら、まるで山を締め上げるかのように蠢いている。


「な、なに、なんなのこれ……」

「蛇の、胴体? ま、まさか……」


 ロプトの脳裏に下半身が蛇のあの少女が思い浮かぶ。

 しかしあの少女はここまで巨大ではなかったはずだ。

 見渡すとこの蛇の胴体のようなモノは、どこまで見ても端が見えない。

 すると、林の向こうから別の這いずる音が聞こえてきた。

 ナルヴィが素早く反応して、唸り声を上げる。

 そして口を開いて、再び光の中から籠手を出した。

 この籠手もロプトの塗装を反映して、金色になっている。

 素早く装着すると、籠手が以前よりも強く光ったような気がする。


 ロプトたちが警戒する中、何匹もの大蛇がロプトたちの前に現れた。

 以前、蛇少女が使役していたのとは大きさが違う。

 あの蛇は、せいぜい指二本分ぐらいの太さの蛇だったが、この大蛇は人間の胴体ほどの太さの異常な大きさの蛇だ。

 隣でソーラが素早く矢を番え、蛇を狙っている。

 しかし、それが放たれるよりも早く、ナルヴィが短く吠えて突っ込んでいった。

 一瞬で白い閃光となったナルヴィは、迫り来る大蛇の群れを一文字に引き裂いた。

 

 弾丸のように飛び出したナルヴィが通り過ぎると、金色の軌跡が無数に流れ、後にはずたずたに切り裂かれた大蛇の死骸が残っていた。

 そのままナルヴィは留まることなく、四方八方を駆け回り、辺りの木ごと大蛇を蹴散らしていった。

 次にロプトがナルヴィの姿を捉えたときには、動く大蛇の姿は無く、木々の生い茂っていた森だった場所は、開墾作業をした後のように見晴らしの良い広場になっていた。

 広場には金の鎖に断ち切られたであろう、幹の太い木や、胴体の太い蛇の輪切りがそこかしかに散らばっている。

 なんとも猟奇的な有様だ。

 その真ん中でナルヴィは嬉しそうに尻尾を振ってこちらを見ていた。


「す、凄い!」

 

 ソーラが興奮した声で呟く。ロプトは唖然として口が開きっぱなしだ。

 二人の視線を受けて、ナルヴィは不思議そうに首を傾げた。

 何を驚いているのか分からない、といった風情だ。

 ロプトが苦笑して、褒めてやろうとした時、急に広場に影が差した。

 夕立が降る前のような急激な変化。

 何か、大きなモノが太陽を遮ったのだ。


「見つからないから山ごと抱きしめようと思ってたけど、来たのね、お父様」


 頭上を振り仰ぐと、そこには巨大な少女の姿があった。

 姿かたちはまったく変わっていない。

 青味がかった髪を左右で縛り、人形じみた感情の見えない表情を浮かべている。


 ただ、そのサイズは大きく変わっていた。

 肩まで伸びた髪は、崖から注ぐ滝のようで、その顔は芸術的な造形の岩山のような大きさだった。

 少女はロプトから順番に、その無機質な瞳を向けていたが、ナルヴィの姿を見た途端に、瞳孔を大きく縦に裂き、恐ろしい形相で睨みつけた。


「オマエ、お父様にシてもらったのか!」


 機械音声のように平坦だった声がいびつに歪み辺りに響く。

 蛇少女はその巨大な手をナルヴィに向かって伸ばした。

 縮尺が違うのでゆっくりに見えるが、実際には凄まじい速度で迫ってくる。

 ナルヴィは一声吠えて巨大化すると、金の鎖で少女の手を薙ぎ払い、そのまま手の甲を足蹴にして駆け上がっていく。

 蛇少女は、腕を凄い勢いで駆け上がってくるナルヴィを捕らえることが出来ない。

 ナルヴィの牙が蛇少女の首をかすめて、一筋の赤い線を走らせる。

 そこから、たらり、と赤い血がにじんだ。


「生意気、生意気、ナマイキ、ナマイキ!」


 狂ったように腕を振り回し、ナルヴィを捕らえようとする蛇少女。

 しかしナルヴィの動きはそれを上回り、左右の腕に乗り移りつつ、少しづつ攻撃をしている。蛇少女の巨大な腕が傷つき、辺りに血の飛沫が飛び散る。

 巨大な身体で山全体を締め上げる蛇少女と、その周りを跳びまわり圧倒する巨大な狼のナルヴィ。その戦いはまるで神話のような壮大さと、現実感の無さを感じさせた。

 時折降り注ぐ巨大な血の雫と、山を揺るがすような振動が、これは現実だ、と伝えてくる。


「凄い、本当に覚醒したんだ」

「あれが、ナルヴィ本来の力、なのか」

 

 狂ったように攻撃する少女、それをかわし攻撃するナルヴィ。

 まるで神話のような戦いにロプトとソーラは加わることも出来ずに地上から眺めていることしか出来なかった。


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