第11話 ロプトという男
「よし」
目の前の男性、ロプトという旅人は小さく呟くと小さい模型を手に持つ。
ロプトはソーラの村に来たひさしぶりの旅人だ。
久しぶり、と言ってもソーラ自身が旅人を見たことはない。
村の住民や、村長である父レギンの話から聞いたことがあるだけだ。
旅人は、屈強で、たくさんの荷物を持って、何人かでかたまって旅をする。
夜になるとニヴルヘイムの怪物たちが現れるからだ。
しかしロプトは話に聞いた旅人はまったく違う人間だった。
たった一人で、一頭の狼だけを連れて、驚くほどの軽装でふらりと村に現れた。
いま考えれば怪しいのだが、それを見たソーラは自分でも嘆きの山に入れるかも、と思ってしまったのだ。
人間は自分の都合の良い部分しか見えないものだ、という父の口煩い教えを痛感している。都合の良い判断で山に入ったソーラは狼に襲われて死ぬところだった。
その後に出会った蛇の化け物はともかく、最初に出会った狼は一頭だと思っていたが、実は群れだったので、ロプトが来てくれなければ死んでいただろう。
それに、とソーラは腰につけた皮袋に目を落とした。
そこには時期はずれの青々としたルーネ草が入っている。
これはロプトがいなければ手に入らなかったものだ。
ソーラはロプトに視線を向ける。
ロプトは不思議な黒い渦から、何か円筒状のものを取り出して振りはじめる。
そして蓋のようなものを開けると、手に模型を持って円筒の上の突起を押す。
ぷしゅー、という空気が漏れるような音と共に灰色の霧が円筒から噴出す。
するとロプトが手に持った模型がみるみる灰色に染まっていく。
「ねぇ、なんか色変わってないけど、いいの?」
「まだ下塗りだからな、これでいいんだ」
先ほどまでとは違った自信に満ちた口調で言い切るロプト。
その表情は記憶がない、というのにへらへら笑っていたさっきとは打って変わって、不敵とも言えるような表情だ。
なんだかちぐはぐな人だな、とソーラは思った。
見た目も口調も大人なのだが、どこか無邪気な子供のようなところがある。
おそらくソーラよりも年上のはずなのだが、どこか放っておけない弟のような感覚があった。
そんな事を考えて、ソーラは慌てて頭を振る。
少し頬が熱い。変なことを考えてしまった。
するとソーラの鼻が異臭をとらえた。
何とも言えない刺激臭が漂っている。
臭いの元を探ろうとして、すぐに見つかった。
どうやらロプトの出した霧から臭っているらしい。
「ちょっと! ロプト、それ何なの、凄い臭いするんですけど!」
「あ、悪い。ベースコートスプレーだけは変な臭いするんだ。これが済んだらもう臭わないからちょっとだけ我慢してくれよな。大量に吸い込まなければ身体に害はないからさ」
「そういうことは先に言ってよ!」
「すまん、すまん」
口では謝りつつも、ロプトの注意は模型に向いているのが分かる。
よほど集中しているのだろう、ソーラへの対応はおざなりだ。
これ以上言っても意味がなさそうなのでソーラはロプトへの文句を飲み込んでため息をついた。
やはり、出来の悪い弟みたいな男だ。
ソーラはなんだかおかしくなった。
自分が妹だったから味わった事のないような、姉のような気持ちが湧いているのだ。
腹立たしく思いながらも、なんだか放っておけない気持ち。
そんな気持ちに自分がなることが、妙におかしかった。
ソーラの姉のマーニは慈母のような女性だ。
姉という存在の理想像と、母という存在の理想像を足した存在なのだ。
実際、幼い頃に母を亡くしたソーラにとっては姉でもあり、母でもある。
マーニにとってソーラもまた、このロプトを見るような気持ちだったのだろうか。
そう思うとなんだかくすぐったい気持ちになる。
ロプトの方を見ると真剣な表情で筆を握り、模型に色を塗っている。
いま塗っているのは白色のようだ。おそらくナルヴィという狼の毛を塗っているのだろう。全体的に白色を塗ってから、毛先の部分に銀色を塗っている。
一見すると筆に塗料がついていないようなのに、何度も筆を往復させると毛先の部分だけに銀色がついていくのは魔法のようで不思議だ。
不思議と言えば、ナルヴィという狼もまた不思議な存在だ。
初めて見たときは、ちょっと立派な体躯の狼、というだけだった。
しかし、その後、巨大化したときにはソーラは驚きのあまり腰が抜けるかと思った。
思わず攻撃を仕掛けてしまったが、今思えば、あの時ロプトが止めてくれたのは幸いだった。
巨大化したナルヴィはまさに神狼と言えるような力と風格を持っていた。
神々の時代から蘇ったかのような威圧感がある。
しかしその実態がロプトの作った模型だ、というのは驚きだ。
ロプトはナルヴィの毛を塗り終えて、今は足枷やそこから繋がっている鎖を金色に塗っている。
金色に塗ってから、薄い茶色を上から塗って汚してから、また金色を塗っている。
なんでそんな事をしているんだろう、と見ていると最後には毛のときと同じようにかすかに銀色をつけ始めた。
金色に塗っていたのに、何で銀色を、と見ていると出来上がった鎖は、影の部分は茶色がかった金色に、光があたっている部分の縁は銀色になってより立体感が増したのが分かった。
思わずソーラは、おお、と感心してしまった。
それと同時に、鎖に繋がれた巨狼、について思いを馳せる。
かつて邪神ロキが産んだ神殺しの魔狼フェンリル。
危険視されて山の民によって作られた魔法の鎖グレイプニルに縛られ幽閉された存在だ。
しかしその間際、自らを捕らえた天空神テュールの腕を噛み千切った、と言われている。
ソーラがナルヴィの模型に目を向ける。
ちょうどロプトがナルヴィの口の中を塗っている最中だった。
口の中を一度肌色で塗ってから、薄い赤茶色を塗っている。
するとほんのり赤味のついた肌色が口内のように見えてきた。
絵の心得のないソーラは、口の中って赤く塗るんじゃないんだ、と感心した。
そのナルヴィの口には肘からちぎれたような右腕が咥えられている。
ロプトがそれをくすんだ金色に塗っている。
手足に鎖で枷をつけられて、口に腕を咥えた巨大な狼。
ロプトはナルヴィと呼んではいるが、ナルヴィこそがフェンリルではないか、という思いは強くなる。
そうなると、そのナルヴィを模型として作り出し、ナルヴィ自身も飼い犬のように懐く存在。ロプトは神話に語られる邪神ロキなのだろうか。
ソーラがロプトを見ると、ロプトはキラキラした目で完成に近づくナルヴィの模型を眺めて仕上がりをチェックしている。
その姿は、子供が河原で見つけたキレイな石を宝物のように扱う姿に似ている。
とてもロプトが邪神には見えない。
だが、模型を実体化させたり、模型作りに必要な道具を虚空から出すなど、普通ではない力を持っているのは確かだ。
(結局、何者なんだろう)
考えれば考えるほど、よくわからない男だ。
ソーラがそんな事を考えながらロプトを見ていた時、ロプトはなにやら慎重に模型の目を塗っていた。
脇を締め、手首をくっつけた窮屈そうな姿勢で塗っている。
村にいる木工職人も精密な細工を彫るときに同じようにしていたのを思い出す。
随分と集中して塗っているので、いたずら心が出てきて、足音を忍ばせて近づいていった。
背後からそっと覗き見るとロプトの掌に載るサイズの模型の、小さな目に青い色が塗られている。
よく見るとその青も同じ目の中で濃さに違いがあり、光の反射を表現しているのか小さな白い点も打たれている。
ため息が出るような細かな作業だ。とてもソーラには出来そうにない。
ソーラは姉のマーニがしていた刺繍を思い出してしまった。
姉は慣れれば簡単よ、と笑っていたがあんなものを作るぐらいならソーラは鹿狩りをしていた方がいい。
「出来たの?」
ロプトが筆を離したのを確認してから声をかける。
するとロプトはビクリと身体を震わせて、目を丸くしてこちらを振り向いた。
期待した通りの反応にソーラはニンマリと笑みを浮かべる。
村の青年たちと同じように顔を赤くして恥ずかしそうにしている。
きっと驚いた顔を見られたのが恥ずかしいのだろう。
「い、いや、まだだ。なんかちょっとモノ足りない気がして」
「モノ足りない?」
「白い毛の部分が大きいからかな、ちょっとぼんやりしてないか?」
「うーん、良くわからないわね。ルーン文字でも刻んでみれば?」
そう言ってソーラは地面に木の棒でルーン文字を刻む。
ナルヴィに刻むというのなら、力が増したり、守護を与える文字がいいだろう。
ソーラはアルジスやテイワズといった戦士が武具に刻むような文字を書く。
「なるほど、ルーンか。いいかもしれないな、ありがとう!」
ロプトは本当に嬉しそうに、幼い子供が母親にするような笑みを浮かべた。
それを真正面から見たソーラはうろたえてしまった。
その笑みがあまりに無防備で、正直で、まぶしかったからだ。
ロプトはそんなソーラに気づくことなく、筆を取りさっそく模型にルーンを描き始めた。そんな背中をソーラは恨めしい視線で見つめるのだった。
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