第 8話 はじめての塗装
結局、ロプトはソーラの笑顔に圧されて薬草を探すことになった。
ソーラに先導され、警戒しつつ山頂に向かって歩いていく。
獣道ばかりで歩きづらいが、ナルヴィとソーラはすいすいと進んでいく。
ロプトはついていくので精一杯だ。
ただ体力だけはあるのでバテて足を引っ張るようなことはなかった。
しばらく登ると森が開けた場所に出た。
ぽっかりと木がなくなりそこに日光が降り注いでいる。
そこに真っ赤に染まる草が群生していた。
「……ここもダメか、もう色づいている」
ソーラが赤い葉を手にとってため息をつく。
探しているルーネ草はこの赤い葉の植物だ。
ただし、探しているのはまだ『赤くなっていないモノ』なのだ。
このルーネ草と呼ばれる薬草は、若く成長しきっていない葉に強い薬効があり、それは万病に効く、らしい。
しかし今の時期はルーネ草が種を実らせるために成長し紅葉してしまう。
そこでまだ山頂に雪が残っているこの『嘆きの山』の山頂付近まで行って紅葉していないルーネ草を見つけよう、というのがソーラの目論見だった。
「もう少し上に行ってみましょう」
「分かった」
ソーラの言葉にロプトは静かに頷いた。
幸いにして、ここまで危険な生き物には出会っていない。
猪や鹿などを見かけることはあるが、ナルヴィに視線を向けられると硬直したように固まって、すぐに逃げ出してしまう。
狼も遠くからこちらを見ているときがあるが、ナルヴィが唸るとすぐに消えてしまう。
野生動物は賢い、よほど餓えているのでなければ勝てそうにない相手をわざわざ襲ったりはしないのだろう。
そうして歩き続けて、遂に森を抜けた。
再び山の山頂付近に戻ってきたのだ。
神殿があったのは山の反対側のようで、今居る場所からは見ることが出来ない。
山の斜面に目を向けると、森と山の境界、森林限界の付近に群生している草が見えた。
「あそこ!」
ソーラは声を弾ませて駆け出した。ロプトもその後を追う。
生い茂った草むらには赤色だけでなく、緑の葉も見える。
ソーラがいち早くしゃがみこんだのが見える。
ロプトも同じように足元の草を見た。
目に入ってきたのは赤く染まったルーネ草と、緑の葉を持つ別の草だった。
遠目から緑に見えたのはこの草だろう。ルーネ草ではなかった。
ロプトも途中でいくつもの赤く染まったルーネ草を見てきたので、どれがルーネ草の葉かはすぐ分かるようになっていた。
だから残念ながら間違えることはない。ここにも緑のルーネ草はなかったのだ。
「そんな、ここもダメなんて……」
ソーラの方を見ると呆然とした表情で赤いルーネ草を見つめていた。
この場所は森林限界の境界、この先は山頂に近づけば近づくほど植物は生えなくなって岩が転がるばかりになってしまう。
つまりここに生えていなければ、もうこの時期に緑のルーネ草を手に入れるのは無理だということだ。
それでも諦めきれずに四つん這いになって必死で探すソーラ。
ロプトももう少ししっかり探してみる事にした。
だがそう簡単に見つかる事もなく、どれだけ草を掻き分けても見つかるのは赤いルーネ草だけだ。
ふと思い立ってルーネ草を一本手折ってみる。
ロプトの掌ふたつ分ぐらいの大きさの赤いルーネ草だ。
茎からは汁がにじみ、葉は赤いがまだ瑞々しさが残っている。
ロプトはこのルーネ草がプラモデルになるよう念じてみた。
すると予想通りにルーネ草は光につつまれてプラモデル化した。
ナルヴィの時と同様に20分の1のサイズらしく、手の平に収まる大きさだった。
ロプトは背後のソーラをそっと伺う。彼女はまだルーネ草を探していてこちらを見ていない。
ロプトは手早くニッパーを取り出すと、ささっとランナーからルーネ草のプラモデルを切り離し、二つに分割されたパーツを接着剤でくっつける。
プラモデルも小さいし、パーツも二つだけなので簡単だ。
出来上がったルーネ草のプラモデルはもちろん未塗装なので灰色だ。
今度はいつも使っていた水性アクリル塗料が出てくるように念じてみる。
相変わらず自分の素性は思い出せないが、その塗料を愛用してプラモデルを塗装していた事だけはしっかりと覚えている。
塗料が虚空から現れた。しかも記憶にある愛用していたメーカーとまったく同じパッケージのものだ。
ロプトは出てきた若草色の塗料をよく振って中身を撹拌する。
塗料は塗る前にこうして撹拌しないと中身が分離している場合があるのだ。
撹拌が終わったら今度は細筆とウォーターポット、ペーパーパレットとキッチンペーパーも出す。
ウォーターポットは筆を洗ったりする水入れ、ペーパーパレットは紙製のパレットで塗料を水や他の塗料と混ぜたりするところだ。キッチンペーパーは水や汚れの拭き取り用だ。
ティッシュペーパーを使わないのは、ティッシュペーパーだと細かい毛が筆に付着して塗装する時に邪魔になるからだ。
ウォーターポットには既に水が入っており、ペーパーパレットは数十枚がノートのようになっている。キッチンペーパーはロール状で一本出てきた。
細筆をウォーターポットにつけて水を含ませると塗料のフタを開けて、筆先に塗料をつける。それをペーパーパレットに乗せて、ウォーターポットに筆を軽くつけてその水でパレット上の塗料をこねてなじませる。
ちなみにこのときに筆の根元まで塗料をつけないようにするのがコツだ。根元まで塗料が付いてしまうとそれが乾いて筆先が開いてダメになってしまう。筆を長持させるためにも塗料は筆の半分ぐらいまでしかつけないようにした方が良い。
ロプトは早速その若草色の塗料をルーネ草のプラモデルに塗りつけた。
本当は塗料の食いつきを良くするためと、塗装剥がれ防止の為にアンダーコートスプレーなどで下塗りするべきなのだが、とりあえず今は試したいだけなので省く事にした。
モデルに塗料を付けると下塗りしていないのでちょっと弾く。
今回は仕方ないので気にせず塗って、乾いたところから重ね塗りして満遍なく塗る。
塗料を濃くのせてボテっと塗ってしまうと塗りむらも出るので、薄く塗って乾いたら重ね塗りする方が良い。
元々このメーカーの塗料は乾燥が早くテンポ良く塗れたのだが、今使っている塗料は見た目はそのメーカー製とそっくりだが、中身は別物になっているらしい。
乾燥の早さが異常だ、塗った端からすぐ乾いていく。その割にはパレットに出した塗料はまったく乾いていかないのだからデタラメだ。ただ非常に都合は良い。
「ようし、塗り残しはないかな?」
ルーネ草を全体的に若草色に塗り終えた。これで色は変わったが、これで終わってしまうとのっぺりとして立体感がない。そこで陰影付け用のシェイドカラーを使う。
ロプトが虚空から取り出したのはトーンが暗く、粘性の低い水っぽい深緑色の塗料だ。
それをよく振ってから筆に含まさせて、パレットに出す。パレット自身の白色が塗料越しに見えるほど水気が多い。
このシェイドカラーを若草色に塗ったルーネ草のプラモデルに塗っていく。
粘性の低い塗料なので塗ると自然にプラモデルのディテールの奥、葉の葉脈や茎の股などの暗く見える部分に溜まりこんでいく。これで自然と影の部分を塗装できるのだ。
全体に均等に塗るが、塗料が流れて影の部分により多く塗料が残る。
乾くと全体的に色がトーンダウンして暗くなり、茎の股の部分や、葉の葉脈などの影部分は更に暗い色となって立体感が出た。
ただしこのままだと全体的に暗すぎるので、影以外の所を再び最初に塗ったベースカラーの若草色で塗り直す。今度は全体に塗るのではなく、葉の盛り上がった部分や茎の光の当たる部分など限定的な部分だけを塗る。
これで影の部分は暗く、それ以外の部分は若草色に戻った。
「中々いい感じだけど、もう少し、だな」
影が塗れたので、今度は光に当たる部分を塗っていく。
影を塗るときは若草色から明度を下げた色を使ったので、今度は明度をあげた萌黄色のカラーを取り出す。
このカラーはレイヤーカラーと言うハイライト塗装用のカラーで明るい色が多く、また濃度によっては若干だが下の色を透過させる。
このカラーを少し薄めて、葉の縁や盛り上がった部分だけに塗っていく。
ハイライト塗装とかレイヤリングと呼ばれる手法だ。こうして明るい部分を塗る事で、レイヤー・ベース・シェイドと三層の明るさが表現されて、プラモデルに立体感を与えてくれる。
本当ならここは時間をかけてゆっくりと塗りたい工程なのだが、ソーラがいつ気づくか分からないので、簡単に済ます。
「とりあえず、完成かな」
ロプトは、若草色になったルーネ草のプラモデルを指で摘んで眺めた。
近くで見るとレイヤーカラーが大雑把にのせられていて、あまりリアルさがない。
だがこれでいいのだ。
ロプトは摘んだルーネ草を、腕を伸ばして少し離して見てみる。
すると油絵のように、離せば離すほどリアルに見えてくる。
こうしたミニチュアモデルは、元々の大きさが小さいので、細かい部分までリアルに写実的に塗っても実際に見る距離だとなんだか分からなくなるのだ。
それよりもこうやって大胆に広い面積に色を置いた方が、至近距離から見ると粗があってもなんだかんだそれっぽくリアルに見える。
プロモデラーなんかはそれを両立した近くでも遠くでもリアルに見える塗装が出来るのかもしれないが、ロプトにはこれが精一杯だし、充分だろう。
「さて、これで完成だが、どうなるか」
塗り終えたルーネ草をそっと地面に置くと、小さく光ってプラモデルのルーネ草は本物のルーネ草になった。
ロプトはそっと若草色のルーネ草を手に持つ。
手折ったときには確かに葉が赤くなっていたのだが、塗装されたことによってその面影は一切ない。心なしかルーネ草自体も若々しい印象がある。
ロプトがソーラに声をかけようと振り返ると、ちょうどソーラもこちらを見ていた。
そして目を丸くして駆け寄ってくる。
「すごい! 見つけたのね!」
「あ、ああ、これでいいのか?」
どこかズルをしたような後ろめたさを感じながら、ルーネ草を差し出す。
思いつきで塗装してみたが、果たしてこれで薬効があるのかどうか。
そんなロプトの心配をよそにソーラはルーネ草の茎を少し齧って味を確認して、頷いていた。どうやら大丈夫なようだ。
ちなみに、使った塗料は間違って口に入れても大丈夫な安心素材で作られているらしい。メーカーの公式ペイントチームは洗った筆の筆先を尖らせるために口に含んで舐める、と聞いた覚えがある。
「他にもないか探さないと! 薬を作るにはもう少し数が必要なの」
ロプトが関係ない事を考えている間にソーラはルーネ草を腰の革袋に入れて、期待に目を輝かせて再びしゃがみ込む。
「あ、いや、ええと……」
そんなソーラにロプトはなんと声をかけるべきか分からない。
他にも探すとなると、プラモデル化の能力のことを説明する必要があるだろう。
どれだけ探してもこの群生地には赤いルーネ草しかないのだから。
どう説明すべきかロプトが迷っていると、突然、ナルヴィが低い唸り声をあげて木々の向こうを睨み付けた。
ソーラもそれに気づくと薬草探しを中断して、すぐに弓に矢をつがえる。
気配の察知など出来ないロプトはうろたえて、二人が見ている方向をただ見る。
山の麓側の木々の奥、鬱蒼とした茂み。
その茂みからガサゴソと何かを掻き分ける音が聞こえてくる。
やがてその音はどんどん近づいてきて、ひときわ大きな音が茂みから響いた。
ロプトは思わず、息を呑む。
一瞬の沈黙が流れ、ガサリ、と音を立てて小さな影が茂みから現れた。
「……あれ?」
幼い声とともにひょっこりと現れたのは小さな女の子だった。
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