第 7話 長の娘ソーラ
レギンの村を出て、降りてきた山に再び登っていく。
ナルヴィは迷うことなくすいすいと登っていき、時折ちゃんとロプトが付いて来ているか確かめるように振り向いてくる。そのたびに尻尾がくるん、と回って可愛い。
ナルヴィが案内するルートはロプトが村に降りてきた道とは別の道だった。
ロプトが降りてきたのは木の少ない見通しのよい斜面だったが、こちらの道は鬱蒼とした木々の生い茂る森の道だ。
道といっても何かが通った跡のある程度の獣道で、歩く時には腰まであるような草を掻き分けないと歩けない。
ナルヴィに元の大きさに戻ってもらって背中に乗ることも考えたが、その姿をソーラが見て怯えると困るのでやめた。
登りはじめて一刻ほどであまりの登り辛さにそのことを後悔したが、結局そのまま自分の足で歩いた。
苦労しながらしばらく山を登っていると、ナルヴィの耳がピクピクと動いて止まった。そしてさっと、その場に身を伏せる。
その動作に思わずロプトはきょろきょろと辺りを見回してしまう。
耳を澄ますと遠くから獣の唸り声のようなものが聞こえてきた。
ナルヴィは立ち上がると、そちらの方へとゆっくりと進んでいく。
ロプトも慎重についていくと、一人の少女が一頭の狼と対峙しているのが見えた。
少女は男物の乗馬服のようなものを着て、狩猟弓を構えて狼と対峙している。その表情に焦りはあるものの怯えはなく、しっかりと前を見ている。
白磁のような肌に大きなアイスブルーの瞳をした綺麗な少女だ。
成人するかしないかぐらいの、まだ幼さの残る顔立ちで、華奢だが鹿のようなしなやかな身体つきをしている。
あれが探しているソーラという少女なのか、ロプトには判断がつかなかった。
何せ親であるはずのレギンと似ている場所がほとんどないのだ。
あえて似ている場所をあげれば赤みがかった髪の色くらいだろうか。
その少女の周りを狼はぐるぐるとまわって隙をうかがっている。
狼は群れで狩りをする動物だ。迂闊に一頭で攻撃はしてこない。
一方で少女も狼に鏃を向けて、いつでも矢を放てるように引き絞っている。
膠着状態に陥っているようだが、ロプトの位置からは狼の数が一頭、また一頭と増えてきているのが見えた。
対峙している一頭が引きつけている間に増援が来ているのだ。
このまま長引くと危ない。
「……ナルヴィ」
ロプトは小声でナルヴィに呼びかける。
ナルヴィはロプトの意図を察したようだが、不服そうにぐるる、と唸る。
どうやらナルヴィはロプトに反対なようだ。
それでもロプトは意志を込めた目でナルヴィを見つめる。
「頼むよ、俺はここで大人しくしてるからさ」
ロプトが重ねてお願いすると、ナルヴィはくぅ、と小さく鳴いた。
そしてがばっと口を開くと、口の奥が光って何かを吐き出した。
それは今のナルヴィと一緒の薄灰色の籠手だった。
表面には蔦が絡まったような紋様が刻まれており、ずいぶんと立派な籠手だ。
ロプトはその籠手をどこかで見たような気がして首を傾げる。
少ない記憶を探っていると、プラモデルを組み立てた時にナルヴィが口にくわえていた腕がつけていた籠手だったと思い出した。
「これを、つければいいのか?」
ロプトはナルヴィに促されてその籠手を身につけた。
騎士が付けるようなすっぽりとはめるガントレットではなく、表面だけに装甲がついたベルトで腕に留めるタイプの籠手だ。
何となくつけた右手が熱くなったような気がする。
ナルヴィはそれを確認すると、そのまま音も立てずに走り出した。
矢のように飛び出したナルヴィは一直線に狼に向かって跳び、その首筋に噛み付く。
鋭い牙は狼の首をやすやすと切り裂いた。
そのまま首をぶん、と振ると狼の首が、ぽーん、と宙を舞う。
首から滴る血が放物線を描いて辺りに飛び散った。
本当に一瞬の出来事だった。
その光景を見て呆気に取られていた少女が鏃をナルヴィに向けるのが見えた。
ぎょっとしたロプトは思わず声をあげながらナルヴィの方へと飛び出した。
「待て! 味方だ、撃つな!」
少女とナルヴィが同時にロプトの方を見る。
その一瞬の隙を狼たちは逃さなかった。
辺りに潜み少女を狙っていた狼たちが一斉に襲いかかってきたのだ。
その狙いはナルヴィだった。
四方八方からナルヴィに向けて狼たちの顎が迫る。
しかしナルヴィは目にも留まらぬ速さで狼たちの間を駆け抜ける。そして立ち塞がる一頭を体当たりで吹っ飛ばすと囲みから抜け出した。
そして狼たちを睥睨し一声吠えた。同時に身体が光り、元の巨大な狼の姿に戻る。
「――ひっ!」
少女がその姿に息をのみ、狼たちは怯んだように少し後ずさる。
だがナルヴィは容赦しない。その大きな前足で群がる狼を叩き潰し、足首についた鎖を振り回して薙ぎ払った。
吹き飛ばされてなんとか立ち上がった狼たちは、既に戦意は無く引け腰だ。
巨大化する前ならともかく、今はどう考えても勝てる相手ではない。
ナルヴィが鬱陶しそうに、がう、と吠えると狼たちは一目散に逃げ出した。
ロプトはほっとしてナルヴィの方へと駆け寄った。
ナルヴィは褒めて欲しいのか、睥睨した状態から頭をロプトに近づけた。
しかし、それが傍目からは噛み付こうとしているように見えたのだろう。
「危ない!」
少女が矢を放った。
飛んで来る矢を目視できるはずはないのだが、この時ロプトはナルヴィの目に向かって飛来する矢が見えた。
思わず右手を割り込ませる。
掴めると思ったわけではない、ナルヴィが危ないと思ったら自然と手が出てしまったのだ。
矢はロプトの手の平めがけて直進してくる、このままでは貫通する。
しかし鏃が手のひらに接触する瞬間、バチリバチリという音と共に電光が発生し、矢は消失した。
「――はっ?」
ロプトの口から間の抜けた声が漏れた。
少女も矢を放った姿勢のまま呆然としている。
そんな中でナルヴィが真っ先に、グルル、唸り声をあげた。
その視線は少女に向いており、彼女を敵と見なしているようだ。
それに慌てた少女が再び矢をつがえようとする。
「ちょっと待った! ナルヴィ! ステイッ! お座りっ! 君も武器を構えるのは止めてくれ、コイツは俺の相棒だ」
少女は矢を構えるのは止めてくれたが、まだ警戒は解いていない。
ナルヴィもロプトの指示に不承不承と言った感じで座る。手足の鎖が先端を少女に向けている辺り、こちらも警戒を解いていないのだろう。
ロプトはナルヴィを落ち着かせるために、座っているナルヴィの前足を撫でる。
ゆっくりと気持ちを込めて撫でてやると、ナルヴィは、わふ、と小さく吠えて、再び身体を光らせて小さくなった。
それを見て、再び少女は驚いた表情を浮かべる。
そこでようやく少女はロプトの顔を見た。
「……あなたは、旅人の」
「ロプトだ。レギンさんに頼まれて彼の娘ソーラを探しに来たんだ」
少女はようやく安心したのか、ほぅ、と息を吐く。
「そうなのね、私がそのソーラよ」
予想はしていたが、改めて言われると驚きが隠せない。
思わずロプトはまじまじとソーラを見てしまった。
ソーラはそんなロプトに苦笑を浮かべる。
「似てないでしょ? 母さんは巨人じゃなくてアルヴなの」
アルヴ、と言われてもどんな種族か分からないが、おそらく巨人とは真逆の種族なのだろう。村で見た女性と比べてもソーラの容姿は異質だ。
村の女性は肉感的でやや彫の深い顔立ちをしていたが、ソーラは華奢で彫は深くはない。黙っていると人形のようで幻想的な感じがする。
ソーラは眉を寄せて首を振った。
「探しに来てもらって、ごめんなさい。でもまだ帰るわけにはいかないの」
「……薬草、か」
「父さんに聞いたのね、そうまだ若いルーネ草を見つけていないのよ」
ルーネ草、というのが薬草の名前なのだろう。
ソーラの腰のベルトには革の袋がくくりつけてあるが、何も入っていないようだった。
「でも危険だ。俺はナルヴィが居るから平気だったけど、さっきみたいに狼に出会ったら無事には済まないぞ?」
「それは……」
ソーラは押し黙り、じっと自分の弓を見た。
さっきの戦いを見ている限り、ソーラは弓がかなり得意なようだ。
ナルヴィに放った一射は、ロプトが邪魔をしなければ確実に目を射抜いていただろう。あの短い時間で狙いをつけて正確に放てるのであれば、一頭なら狼も狩れるかもしれない。少なくともロプトよりは巧みに戦えるだろう。
それでも狼の群れを撃退出来るほどではない、というのは先ほど証明された。
ナルヴィが助けに入らなければ複数の狼に襲い掛かられて死んでいただろう。
それが分かっているだけにソーラは反論できないのだ。
ただ、ナルヴィ任せで暢気に山登りしてきたロプトが言っても説得力は皆無だろう。
そんなロプトの迷いを感じたのか、ソーラは何か手はないかと必死に頭を巡らしている。そして何か思いついたようで目を輝かせる。
「それならロプトも一緒にルーネ草を探して? 見つかったら大人しく帰るから」
「いやいや、今襲われたばかりじゃないか。危ないよ」
「ナルヴィが一緒なら大丈夫なんでしょ?」
「いや、それは、そう、なんだけど……」
本当なら断固として拒否して、すぐにでもソーラを連れ帰るべきだろう。
しかしロプトは迷ってしまった。
なぜならロプト自身も薬草を探そうと思っていたからだ。
ソーラを連れ帰るだけでもレギンに感謝はされるだろうが、せっかくだからソーラの姉を救う薬草も取ってきて村での立場を強固なものにしたい、という欲がある。
もちろん一年も寝たきりのソーラの姉を気の毒に思う気持ちもあるが、困っている人を無償で助けたいなんて立派なものではなく、下心ありきだ。
ロプトはなんとしても村でまったり暮らしたかった。
ソーラの居場所はナルヴィが匂いで追跡できたが、見たこともない薬草を追跡は出来ない。そうなると薬草がどんなものか知っているソーラと一緒に探せば見つかる可能性はある。問題は、さっきのように狼に襲われた場合だ。
ロプトはナルヴィの方をそっと伺い見る。
ナルヴィはロプトの顔を見て、ため息でもしそうな表情で、わふ、と吠えた。
まるで、しょうがないなぁ、とでも言っているようだ。
とりあえずナルヴィの同意は得られたようだ。
ロプトがソーラに視線を戻すと、いつの間にか目の前まで来ていた。
「ね、お願い。一緒に薬草探してくれたらお礼もするわ」
そう言って上目遣いでロプトを見つめてくる。
非常にあざとい仕草だ、庇護欲をくすぐるずるい仕草である。
ソーラのような美少女にやられると破壊力も凄まじい。
これで断るのは非常に困難だ、まるでこちらが悪いことをしているような抵抗感がある。
「分かった、分かったよ。だけど見つかっても見つからなくても、夜になる前には村に連れ帰るからな」
ロプトはソーラの視線から逃げるように顔を逸らしながら言う。
これ以上あの顔を見つめていたら際限なく言うことを聞いてしまいそうだった。
「ありがとう!」
ソーラはわざわざ逸らした顔の方に周りこんでから満面の笑みを浮かべる。
ロプトはそれを正面から見てしまい、顔を真っ赤にするのだった。
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