第 4話 この世界の夜は危ない


 ロプトはナルヴィの背中に乗ったまま下山していった。

 走っているうちに段々慣れて周りを見渡す余裕も出来た。

 山や森の風景はいたって普通な様子だった。

 奇怪な姿の木々が生えていることも無く、岩が空中に浮いていることも無く、太陽や月が複数あったりもしない。

 今のところ、崖から見えた天を衝く巨大な樹だけが変わった風景だった。


 しばらく代わり映えのしない山の斜面を下っていくと、遠くに村が見えてきた。

 崖の上から見えていた一番近い村だろう。

 ロプトは山奥で一人で暮らせるようなサバイバルスキルを持っていない。

 山草を見てもどれが食べられるのかも分からないし、何の道具も無しに火も点けられない。人里に向かうのは必然であった。

 一度、謎の黒い渦から食べ物でも出ないかと念じたことがあったのだが、プラモデル作りの道具以外出てこないのか、うんともすんとも言わなかった。


「うーん、でもコイツ連れて入れてもらえるのかなぁ」


 ロプトは自分を乗せて歩く巨大な狼(ナルヴィ)を見下ろす。

 こうして乗って歩いて見ると、その大きさは際立っている。

 普段は見上げるしか出来ない木の枝が、顔の横に来ているのだ。

 馬に乗ってもこれほどの位置にはならないだろう。

 ロプトの視線を感じたのか狼はその大きな顔をロプトに向けて首を傾げた。

 どうしたの? とでも言ってるような顔に思わずロプトは苦笑した。


「いや、お前がもう少し小さくならないかな、と思ってさ」


 言葉が分かるとは思っていなかったが、仕草が可愛くて思わず口に出してしまう。

 するとナルヴィは返事をするように、わふ、と吠える。

 その瞬間、ナルヴィの身体が淡く光り、縮んでいく。

 あっという間にナルヴィは、普通の狼ぐらいになった。

 背中に乗っていたロプトはそのままナルヴィの鎖で宙吊りにされている。


「お、おおう、マジか……」


 ロプトは驚きのあまり言葉が続かない。

 不思議な事が起こりすぎて麻痺してきたが、どうやらナルヴィは自由に大きさを変えられるらしいし、ロプトの言うことも理解しているらしい。

 どうだ、とばかりにナルヴィはこちらを見て、尻尾をぶんぶんと振る。

 身動きするたびに手足の枷についた鎖がチャラチャラと音を立てた。

 鎖の太さも身体の大きさに合わせて細くなっているが、それでも不思議な力でロプトを空中に持ち上げるぐらいは余裕で出来るようだ。


「ははは、分かった分かった。偉いぞ、ナルヴィ」


 ロプトは宙吊りのまま両手でわしわしとナルヴィの顔を撫でた。

 後頭部の角もだいぶ短くなっているようで長い毛に隠れて見えない。

 これならただの狼にしか見えないだろう、村にも入れてもらえるかもしれない。

 ロプトは宙吊りから降ろしてもらい、ナルヴィと一緒に山を降りていく。


 崖から見えた村はかなり近く見えていたが、実際に歩いてい見るとなかなか遠い。

 途中から山裾の森に入ってしまって視界が悪くなったせいもあるだろう。

 薄暗い森の中を歩いていると不安に襲われるが、隣にピッタリとナルヴィが付き添ってくれているので、すぐに恐怖はやわらいだ。

 村の門が見える平地まで来る頃には日が傾き、沈みそうになっていた。


「はあぁぁ、意外と遠かったなぁ」


 心底疲れた調子で言ってはみたものの、意外なことに身体の疲れはほとんどなかった。結構な距離を歩いたはずなのだが、足も痛くないし、息も切れていない。

 この身体があの神殿のような場所にどのぐらい囚われていたのかは分からないが、体力に衰えもなく普通に、いやそれ以上に身体が動くのは幸いだった。


 ロプトが後ろを振り返って見れば、結構遠い位置にあの崖が見える。

 あの場所からここまで歩きどおしてこの程度の疲労なら健脚と言っていい。

 自分の身体ながら謎が深まるのを感じる、が気にするのはやめた。

 記憶がない以上、考えても無駄だ。

 何か思い出したり、調べがついたらその時に悩めばいい、と思ったのだ。

 そんな事よりもプラモデルの事でも考えていた方が絶対楽しい。


「落ち着ける場所が手に入ったら、ナルヴィの塗装をしたいなぁ」


 ナルヴィを見ると、ロプトの視線を感じたのかこちらを見てくる。

 その身体は色素欠乏症のように全身石灰色だ。

 おそらくロプトが塗装をしなかったからだろう。

 このことの方がロプトはよっぽど気になっていた。


「うーん、眼は青色か赤色か、毛皮が黒なら青の方が、いや、でも白い毛も捨てがたい」


 山を降りている最中も時折考えていたが、まだ良い配色が思いつかない。

 ロプトにとっては思い出せない自分の素性よりも、ナルヴィの配色の方が大事なのだ。塗りたい色は多いが、なかなかしっくり来る色がない。

 そんなロプトに呆れるようにナルヴィは一声吠えた。


 考えながら歩いていたせいか、もうすぐ日が落ちそうになっていた。このままのんびり歩いていては村に着く前に夜になってしまう。

 ロプトが少し足を速めると、茜色にそまった大地に石積みの壁と門が見えてきた。

 壁はロプトの身長より少し高いぐらいで、ぐるりと村の周囲を囲んでいて、こちら側の真ん中あたりに門がある。

 上から見たときはそこまで大きな村に見えなかったのだが、門はかなり大掛かりで強固に見える。木の板を鉄で補強した扉で、元の大きさに戻ったナルヴィの突進も止められそうだ。

 その門を門番らしき人物が閉めようとしているところだった。


「あっ、まずい! おーい! ちょっと待ってくれー!」


 ここまで来て村の外で野宿したくはない、慌てて声をあげて走り出す。

 すると声が届いたのか、門番はロプトの方を見た。

 しかし門番は慌てて何か大声でロプトに叫ぶと、門を閉めるのを再開してしまう。

 ただロプトを締め出そうとしているわけではなく、閉めながら手で早く来い、とジェスチャーしているのが見える。


「ええっ! ちょっとなんなんだよ!」


 てっきり門を閉めるのを中断してくれる、と期待していたロプトは緩めかけた速度を再加速させて走った。

 ロプトが門に近づいていくと、徐々に門番の声が聞こえてきた。

 門番は重そうな扉を閉めつつも、こちらに向けて声を張り上げている。


「後ろだ! 追いつかれるぞ!」


 その言葉に後ろを振り向くと、真っ赤な口とてらてらと光る牙が迫っていた。

 思わず目を見開き、硬直してしまった。

 いつの間に、という思考が頭を占めて何も考えられない。

 ただ目だけはしっかりと見開いていて迫り来るモノの正体を見ていた。

 青白い炎を纏う真っ黒い犬、それが顎を開けてロプトに迫っていたのだ。

 しかし、次の瞬間、それは横に吹き飛んでいく。


「ガウッ!」


 後ろから走ってきていたナルヴィが体当たりで黒犬を吹っ飛ばしたのだ。

 ナルヴィは一声吠えるとロプトを追い立てるように追走してくる。


「な、なんなんだコイツら!」


 ロプトは慌てて前を向き、必死で走った。

 視界の端では地面から青白い炎の柱が次々と立ち、そこから無数の黒犬が現れるのが見える。あの数に囲まれたらどうなるか、想像もしたくはない。

 背後から聞こえるギャウギャウという黒犬の声に追い立てられるようにロプトは全力で走り、門を閉めるギリギリのところで待っていてくれた門番の横を通り抜けた。

 ロプトの後ろを走っていたナルヴィは黒犬たちを軽く蹴散らしてから、さっと門を潜り抜けた。同時に門番が門を閉め切る。


 門扉が閉まる重厚な音が響いて、門番が閂を下ろすのが見えた。

 門番は一仕事終えたように、大きく息を吐いた。

 それからロプトの方を見て、ニヤリを笑った。


「旅人かい、珍しいな」


 短くあごひげを生やしたどこか飄々とした男性で、顔に似合わぬ太い腕をしてその手には長い槍を持っている。

 手首から肘にかけてびっしりと複雑な模様の刺青がしてあるのが目を引いた。

 門番の男は、いまだに這いつくばっているロプトを呆れた表情で見てくる。


「まったく無謀な奴だ、夜は地獄の亡者どもが溢れるんだぜ、もっと余裕をもって移動しろよ。俺の仕事が増えるじゃねぇか」

「地獄の、亡者?」

「おいおい、アンタ一体どこから来たんだ。ここらじゃ夜になるとニヴルヘイムからガルムや亡者どもが溢れてくるのは当たり前だぞ?」


 不思議そうな顔をしていると、門番は門の近くの見張り台に案内してくれた。

 促されるままに見張り台に登り村の外の様子を見てみる。

 そこにはこの世のモノとは思えないような光景が広がっていた。

 大地から蒼い炎が次々と噴出し、そこから黒い影がぞろぞろで溢れる。

 ガルムという黒犬や青白い身体で爪だけが異様に発達した亡者が次々と沸き出している。その数は十や二十では済まない、まともに外に出られない数だ。

 その中の一団が村の門や石壁に近づいてきた。

 思わず門番の方に顔を向けるが、門番は落ち着いた様子で門を指差した。


「まぁ、見てな」


 再び門の方へ目を向けると、ちょうど亡者が石壁に手をつけた所だった。

 すると白い光が弾けて、亡者は呻き声を上げて消えうせた。

 それを見ていたガルムたちは、悔しそうに唸り声をあげながら、村から離れて行く。


「な、大丈夫だろ?」

「なんだあれ、どうなってるんだ?」

「大昔に偉い賢者様がルーン文字で作ってくれた防壁、らしいぜ?」


 良く見ると門や石壁は、ほんのりと白く発光していた。

 そして壁には直線だけで作られた文字が一文字彫られていて、それもほんのりと光っている。

 ロプトにはそれが『昼間』という意味の文字だと、何故だか分かった。その文字はロプトが磔にされていた台に書いてあったのと同じ種類の文字のようなのだ。

 門の外ではしばらく黒犬たちが吠え立てていたが、やがて離れていったのか声が聞こえなくなる。

 村の外の亡者たちも村に近寄るのは諦めて辺りを徘徊しはじめる。

 ときおり恨めしそうに村の方を見ているのが不気味だ。


「なんでも死者が生者を羨んで出てくるらしい。ここらじゃ子供でも知ってるぜ?」

「あー、俺あの山の向こうから来たから、知らないんだ」

「マジかよ! あの山越えるなんて見た目によらずスゲェんだな!」


 咄嗟に嘘をついてしまったために、門番から向けられる尊敬の眼差しが痛い。

 どうやらロプトが目覚めた山は結構険しい山のようだが、ほとんどナルヴィの背中に乗って降りてきたので凄くはないし、山も越えてはいない。

 だがここで、実は記憶がなくて山の神殿跡で目覚めたばかりなんだ、と言われても門番も困るだろう。

 他人からの重たい打ち明け話なんて負担になるだけだ。

 ましてや会ったばかりなら尚更だ。


「ともあれ、巨人族最後の村へようこそ。旅人は歓迎するぜ?」


 だから門番にそう言われても、誤魔化すように笑うしかなかった。

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