(6-1) 隣の芝は青く、ここはもう雪景色。

― 6 ―


「いやはや、ほんとにまーっ……驚いたよ、流石の私もさぁっ……?」


 そう照れながらベットの上で笑って話せるようになったのは週末を跨いで次の月曜になってからだった。


 冬華さんに会いに来るかは少し悩んだのだけれど、結局足を運んでしまった。

 様子を見に来なければそれはそれで気になって仕方がないのは自分でももう自覚しているし、それにここに来ないといけない用事もあった。


「なにはともあれ、ご心配かけましてどうもどうも」

「いえいえ……」


 ぺこりと、冗談めかしながらも丁寧に頭を下げた冬華さんに僕は拍子抜けしたような、安心したような、何とも言えない心持だった。ある程度身構えて来たのだが思っていたよりも僕自身の気持ちはいつも通りだ。


 自宅に帰ってきた母から容体は聞かされていて、ただの風邪だと分かったときはそれなりにほっとした。ただ、最近の冬華さんは携帯の電波を入れるために病室から外へと出ていたと母から聞かされ、それが僕からのメールを確認するためだと思う程に、思い上がってはいないけれど――、あの日、冬華さんがメールを送ってきたことを考えると、もしかすると、万が一の可能性でしかないのだけれど、冬華さんが風邪をひいたのは僕のせいだったのかもしれない。しれないと思ってしまう。ただそれを確認しようとは思えなかった。


「気を付けてくださいね、春も近いとはいえ、まだまだ冷えますから」


 冬華さん自身、たぶん僕のせいだとは言わない。送ってきたメールをなかったことにしようとした辺り、あまり触れられたくない話題なのかもしれない。受験が終わり、学校も半日だけのほぼ自由登校みたいなものだ。椅子に腰かけ、一息つく。特にこれといって話題も浮かばない。なので顔色も悪くなさそうだし本題に入る。

 今日、僕がここに来た理由の一つ、……というより原因だ。


「冬華さんに会いたいって人がいるんですけど、連れてきてもいいですか」

「ぇ、なに、私なにかしましたっけ……?」

「どうして悪いことした前提の話なんです」


 どう説明したものかとも思ったけれど、なるべく分かりやすく、子供の頃からの腐れ縁で幼馴染の女の子が冬華さんの事が気になるから紹介したいのだと伝える。向こうは図書館で一度冬華さんの事を見ていて、僕が病院に寄れないときの話し相手にもなってくれるいい奴だということも補足して。


「もしかして葉流くんって恐ろしいぐらい天然策士だったりするのかしら……」

「だとしてもこれじゃ策士策に溺れるですよ。正直、紹介するのどうかと思ってるんですから。ただ、うちの父とも、それなりに仲良かったので……、……なんかちょっと安心したいみたいなんですよ」

「……そっか」


 家族ぐるみの付き合いだと、自然とそうなるってだけの話だ。舞花は舞花で、なかなか泣けなかった僕や母の代わりに散々泣き叫んでくれたぐらいには情に厚い。おかげで僕も、見栄をそこそこに、つられて泣くことが出来た。多分母も、そうだった。


 そんな舞花が僕の事を気にかけてくれるのはありがたいし、冬華さんがどんな人なのか、症状は重いのか、気になるのは仕方のないことだと思う。ただ、冬華さんの病状が芳しくないと分かった以上は、あまり気が進まないのだけど……。 


「いいよ? 葉流君の友達、会ってみたい。……ううん? 紹介して?」


 少しだけ考えるそぶりを見せたけれど、冬華さんは案の定、快諾する。


 分かっていたことだけれど、この人は決して後で後悔するような選択を選ぼうとはしない。それが冬華さんなりの残り少ない命の生き方だと言っているような気がして、僕はあんまり好きじゃなかった。ただ、それ以上にアイツの取る行動はもっと好きじゃない。だって、これはもう強要の類だ。


 冬華さんの許可が下りたとはいえ、本当に良いのか改めて扉の向こう側に意識をやる。

 ……駄目だ、地雷としか思えない。


「えっと……、葉流くん?」


 ここから先の展開が吉と出るか凶と出るかは全く想像がつかない。少なくとも悪い方向に転がることはないと思うけれど――、と部屋の扉をそっと伺うと、僅かに隙間が空いている。待っていろといったのに、本当に落ち着きのない幼馴染だ。


「えっ……と……、その……いいづらいんですけど、実はもうそいつ部屋の外まで来てて……、ていうか、今日連れてかないなら無理やり会いに行くってうるさかったので仕方なかったといえば仕方なかったんですけど……」


 冬華さんも僕の視線に気が付いたらしく、扉越しにこちらを伺っている舞花の方を見る。

 小窓代わりのすりガラス越しにかすかに映ったシルエットがひょこひょこ動いていた。……明らかに不審者だ。


「おい」

「うぁあ!?」


 僕はその他諸々全てを諦めて扉を開くと舞花の腕をつかんで引っ張り入れる。多少の悲鳴とドタバタは聞こえたけれどもういい。


「こちら、幼馴染の春川舞花です。落ち着きはありませんけど、その分、近くにいると退屈しないので面白いですよ」

「はっ……はるかわまいかですっ……!! ってか! わたしは犬かなんかか!!」


 犬ならまだマシだ。躾ければどうとでもなるのだから。


 噛みついてくる舞花を躱して冬華さんに自己紹介を促す。

 珍しく若干緊張気味に「ひ、緋乃瀬冬華ですっ……」と名乗った冬華さんはそのまま舞花を見つめたまま固まってしまう。舞花は舞花で気味悪く「あ」とか「ぅ」とか繰り返すばかりでどうにも空気が重い。


「ほら、舞花が会いたいって言ってきたんだから、なんか話しなよ」

「わわわっ!」


 知らずうちに後ずさりしていた舞花を押しやると冬華さんの目が丸くなる。

 言葉も出ないほど驚くとは、なんとも新鮮だ。


「は……春川舞花っていいますっ……」


 それはさっきも聞いた。


 ただツッコんでるとキリがないので僕は椅子に腰かけて事の成り行きを見守ることにする。

 まぁ、舞花の事だから自分で何とかするだろう。それぐらいの信頼の元で連れてきている。


「緋乃瀬さんって……、おいくつですかっ……」

「17です……」

「おっ……おわかいっ……!」


 いや、お前のがもっとお若いだろ。

 どうにかなると思ったけど、どうにもならないかもしれないぞ。これ。……ってか、あれ?


「冬華さん、誕生日……」

「へ……、あ、うんっ? 2月27日に17歳になりましたっ」


 と、なると、ちょうど僕が入試試験前で来られなかった時期に当たる。


「はぁーるぅー……?」


 いやいや、そんな風に睨まれても知らなかったんだから仕方がない。

 とはいえ、知ってしまった以上は知らんぷりもどうかと思った。知る事とは即ち後には戻れないということだ。そんな義理もないのだけれど、祝い事には違いない。


「今度なんか買って来ますよ。ご希望はありますか?」

「いっ……いやいや! いいよ、そんなっ……! 別に気を遣って貰わなくたって私は別にっ……」

「緋乃瀬さんっ!」


 珍しく遠慮がちな冬華さんに対して舞花は思いっきり踏み込んだ。


「はいっ……?!」

「葉流は、お馬鹿なのでっ……! こういう時はちゃんと言わないと伝わりませんよ! 直接言ったって分かんないお馬鹿さんなんですから!」


 こういうとき、相手の気持ちもお構いなしで突っ込んでいくのが我が幼馴染のいい所でもあり、馬鹿なところでもあると常々思う。

 だが、本当に。失礼な奴だとは思う。


「欲しいものがないんなら葉流にさせたいこととかありません?」

「あ、うんっ……? 特に……、してほしいこととかはない、かな……?」


 舞花の無茶ぶりに困惑気味の冬華さんは僕に助けを求めるように視線を送ってくる。

 なに。僕はどうすればいいの。

 この事態を引き起こした張本人はなんだかとても満足気に鼻で笑っていた。いやいや、何もしてねーからな、お前。


「まぁ……、なにかしら買って来ますよ。一応希望とかあれば聞きますけど」


 パッと見た感じだと何か増えた様子はないし、親御さんからは何も貰ってないのか?


 掴んでもらえずに宙ぶらりんだった手をベットの上に押し戻して呆れる。なんにせよ、冬華さんは物を欲しがるタイプの人じゃないし、欲しがったとしても本とか、変わったところでも書きやすさを追求したシャープペンシルあたりだろう。ここ数カ月は特に散財もしていないし、大抵の期待には添えるはずだ。


 冬華さんは「ん~っ……」としばらく唸っていたが、ふと思いついたように僕を見上げると「んじゃ、日記帳がいいかな」と子供のような笑みを浮かべて言った。


「変わった趣味してますね。好きな動物とか、柄とかあるんですか?」

「犬とか猫とか? 鳥も好きだし、植物も大抵好きだよ。油臭い機械仕掛けのロボットとかもいけるクチだけど、兵器とかには興味ないかな?」

「そういう人でしたね、冬華さんって」


 良くも悪くも雑食だ。


「緋乃瀬さんって、もしかして天然入ってたりします?」


 これまたうちの幼馴染は見当違いな事を言い出したものだ。僕は呆れる代わりに首をかしげる。それを見た舞花は盛大に不満そうに顔を歪ませた。


「だって! なんだか可愛くないっ……!? ずるいよ!」

「ずるいってなんだよ、ほんとお前の感性ってズレてるよな」

「ズレてないもん! 葉流だって鼻の下伸ばしてるくせに!」


 そりゃ初めの頃は綺麗な人だと思って緊張もしたけれど、美人も3日たてば見慣れる。いくら冬華さんが『黙っていればただの美人』だとしても活字ジャンキーな本の虫であることには変わりない。容姿が整っているのは不可抗力みたいなもんだ。三つ編みおさげに黒ぶち眼鏡なんかかけさせたら、良い感じに文学少女になるのもちょっとずるい。


 多分そんな感じの事を舞花に言い返して、それに対して舞花も「それって美人だって認めてるってことじゃん!」と今更な事を言い返して来る。

 誰も冬華さんが美人だということは否定していない。ただ、僕はそれに対して鼻の下を伸ばしていないと言いたいわけで――、


「えっと……? 私はどうしたらいいのかな……? なんだかすごい照れるんですけど……」

「まぁ、照れとけばいいんじゃないですか。それはそれで面白いので」

「な、なんだか今日の葉流くんはちょっと攻撃的だねっ……」


 そこまで言って僕も僕で舞花のペースに乗せられていることに気付き始めたので気持ちを落ち着かせる。舞花が嬉しそうにしているのがいい証拠だ。楽しんでやがる。


「何か飲み物でも買って来ます。しばらくはお二人でごゆるりと」


 頭を冷やす為にもその場を離れようと思ったのだけれど、思いっきり服の裾を舞花に引っ張られ、危うく転びそうになる。流石に睨むと舞花は舞花で表情を一変させて明らかに動揺していて、流石に僕にも理解しきれない。


「なんだよ」

「も、もうちょっといなさいよ」

「まぁ……? うん……???」


 流石の舞花も人見知りするのか?

 それはそれでなんだか珍しい気もするけれど。


「はっ……葉流がお世話になってませんかっ……!」


 どういう質問なんだそれは。諦めて椅子に腰を下ろすと冬華さんと一対一で話し始めた舞花を見守る。やっぱり連れてくるべきじゃなかったかもしれない。地に足のつかない質問の連続で、答える冬華さんも困惑しているようだし。この様子じゃまだ不慣れなお見合いの方が会話も弾んでいるだろう。

 まぁ、お見合いがどんなのか僕は知らないんだけど。


「結局、お前は何しに来たんだよ」


 舞花がシュークリームはクリーム側から食べる派か、それとも皮の余っている側からかぶりつく派なのか尋ね始めたところで僕が口を挟む。

 これ以上無駄話に時間を割くなんて御免だ。


「なにって……べつに、なにがってわけじゃないんだけどさ……、だって、気になるじゃん。葉流がそこまで入れ込む人ってどんな人なのかなーって気になるじゃんっ!」


 ならない。と言い返そうかと思ったけど冬華さんが何か言いたげだったのでそっちを優先した。


「言いたいことあるなら言った方が良いですよ。こいつ、馬鹿なんで」

「馬鹿はどっちよ!」


 そっちだ。春川舞花。


「いいなぁ……こういうの」


 呆れていると冬華さんがぼそりと呟いた。


「二人は幼馴染で、仲良しなんだね。うらやましい」


 それは僕と舞花を黙らせるには十分で。舞花が言ったようにもしかすると冬華さんは重度の天然が入っているのかもしれないと僕は首を傾げる。幼馴染の何が良いんだ。

 少なくとも現在進行形で困らせられてるんだけど。


「いたらいたで鬱陶しいだけですよ、こんな奴」

「なによぉ!」


 ほら、また噛みつきそうになる。


 ただ、何か思うところがあるのか口を尖らせたまま冬華さんに視線を向け、――けれどそのまま顔を背けた。

 舞花らしくない動きに僕は僕で気味が悪い。


「羨ましいのは私の方よ……」

「ぁ?」


 流石に意味が分からなすぎるのでイラっと来た。

 病人に向けて言っていい言葉じゃない。


「だってぇっ――、」


 ああもう、だからこいつは鬱陶しいんだ。


「馬鹿ですみません、後でちゃんと言い聞かせますから」

「わっ?!」


 これ以上は危険だと判断し、僕は舞花の肩を掴むと無理やり廊下の方へと押しやる。分かっちゃいたけど無神経にもほどがある。僕に対してズカズカ踏み込むのは別にいいけれど、初対面の相手には言っていい言葉とそうじゃない言葉もある。そういう意味ではさっきのは完全にアウトだ。これは舞花を連れてきた僕の責任でもある。


「どんな人なのかはこれで分かっただろ。さっさと帰れ」

「いやいやいや! まだ全然聞けてないっ、――ッてか! アンタが仕切るな!」

「じゃあ誰が仕切るんだよ」


 そうやって外に押し出すと無理やり扉を閉める。


「また後で聞いてやるから」


 無論、そんなつもりはない。


 ただそのまま帰らせる為に付け加えた一言だったが、流石に追い出されて無理やり入ってくる舞花ではなかった。何やら一言二言聞こえたけれどどうやらそのまま帰ってくれたらしい。離れていく足音の後、いつも通りの、静かな病室が戻ってくる。


 嵐の後の静けさはどうしてこんなにも安心するのだろう。

 二度と来てほしくない。あんな台風みたいなやつ。


「すみません。無神経な奴で」

「そんなことないよ。すごく、元気な子だったね」


 そう言われていつもなら普通に聞き流せるハズなのに、妙なところで引っかかってしまう自分が情けない。


「大丈夫ですか」


 この前の風邪の事もある。実際、冬華さんは少し沈んでいるようにも見えた。


「羨ましいなって思ったのはほんと。私もさ、あんな風にはしゃげたら可愛いって思ってもらえるのかなって?」


 冗談めかして笑うのだけれど、それが僕には痛々しくて見ていられない。


「冬華さんが舞花みたいだったら嫌ですけどね、僕は」


 かといって、冬華さんにしてあげられることもないのだけれど。

 病気の事を、明確に意識するようになってから、元通りに接するのが難しくなっていた。


 どうしたってそのことを考えてしまうし、考えてあげないといけないと思ってしまう。冬華さんがそんなことを望んでいないと分かっていながらも。


 そんな僕の様子に気付いてかどうかは分からないけれど、いつもよりも明るいテンションで。言い換えればワザとらしく声を弾ませて冬華さんは原稿を差し出して来る。束にして十数枚。これで全部というわけではないのだろう。まだ書きかけの原稿は手元に寄せられている。


「これは、いったい、どういうことでしょうか」

「どうもなにも読ませてあげるって約束だったじゃない? いらないの?」

「いえ……そういうことではなくて……」


 どうしていまのタイミングなのか――、なのだけど、これが冬華さんなりの気の使い方なのだとしたら受け取らざる得ない。


「今日はもう暗いから葉流君も帰った帰った! そして、次来るときはコイツの感想を期待しているからねっ? 頼むぞ、葉流くンぅ!」


 どこぞの母親みたいなノリで託されて、正直そんな姿は似合っていないけれど笑うしかなかった。


「辛口な感想読んで、泣かないでくださいよね」

「うっ」


 少し想像してしまったのか奪い返そうと腕を伸ばした冬華さんを軽く躱し、原稿の束を仕舞う。


「お楽しみにってことで」

「うぅっ……」


 恨めしそうな表情とは裏腹に期待しているところもあるようで、上目遣い気味に僕を見る目は何処か楽しそうに見えた。


「それじゃ、またね、葉流君。春川ちゃんにもよろしく言っておいてね?」


 そう言われ、完全にアイツの存在を忘れていたと上の空で返事をした。

 案の定、舞花の家に寄る気は起きなくてそのまま自宅に戻ると机の上にカバンを放り出し、その中から原稿を取り出す。


 冬華さんが描く文明が滅んだあとの地球を舞台に目を覚ました少女の物語。自然が人類の痕跡を飲み込みかけている時代に一人残された孤独な終末記エピローグ


 何度も書き直され、達筆すぎる筆跡でつづられた言葉の重なり。熱も、重みも、見た目以上のものはないハズなのに、ぎゅっと、ちゃんとつかんでいないと抜け落としてしまいそうになる。ベットの上で文字を追いながら、幾度となく、これを差し出してきた冬華さんの笑みが思い返され、次、病室に足を運ぶのが少しだけ億劫に感じた。


 物語りの少女は花や草が話し相手になってくれるわけでもなく、記憶の中にある「かつての地球」に思いを馳せながらも、幻聴とも思える声に導かれ日々を生きていく。残された、先人たちの物語を一つ一つ、その指で拾いながら。


 ――これがSFなのかファンタジーなのか、僕には区別がつかなかった。世に出回っている作品で似たようなものがあるような気もするし、ないような気もする。そんな当たり障りのない、冬華さんの物語。


 けれど、そんな物語を土台として綴られた言葉は彼女自身の心に他ならない。少なくとも、僕は冬華さんの寂しそうな笑みが頭から離れず、苦しいとまで感じたのだから。そこで僕は長らく使われていなかったノートパソコンの電源を入れ、いくつかの書きかけの原稿のファイルが並ぶデスクトップから執筆用のソフトを立ち上げると思った内容をそのまま感想として連ねていく。うまく、物語の感想を伝えられる自信がなかったから。だから少なくともこれで面と向かって胸の内を伝える必要はなくなる。


 アナログな冬華さんとは対照的にキーボードの音色は機械的で、それでいて無機質な書体を表示していく。しかし記される言葉は無色透明だからだろうか。普段以上にそこに込められたを浮き彫りにしていくようだった。


「……なるほどな」


 そうして思い至る。冬華さんが頑なに原稿を見せようとはしなかった理由。自分の心のうちを綴った物を誰かに見せる事の気恥ずかしさを。祖母に創作昔話を語る比ではないとほくそ笑みながら、僕も冬華さんへの想いをそのまま文章に乗せる。

 きっと、読み返したら恥ずかしくて死んでしまいそうな文章を。冬華さんにぶつけてやろう。


 そうしないと釣り合いが取れないほどに冬華さんの思い描いた物語は気恥ずかしくて、わくわくするような、彼女の心、そのものだったから。ちゃんと向き合うと決めた、僕なりのケジメ。そうすることで初めて、冬華さんと対等になれるような気がしたんだ。


 別に彼女のように作家になりたいわけじゃない。

 父さんのように物語を書きたいわけでもなかった。

 ただ、同じ視点に立って、同じように物事を感じることが出来るのだと証明したかったのかもしれない。


「ほんと、馬鹿だよな」


 そんなことをしたところでなんにもならないって事は、僕自身、よく分かっているハズなのに。それでも、出来る事は何でもしてあげたい。何かをしたところで、何もしてあげられないことに変わりはないのに。舞花のように、愚直に、気持ちと向き合ってみるのもいいような気がした。


 そして、結果論でいえば文章で残したことは間違いではなかった。

 何故ならこの日を境に僕は彼女に会うことが出来なくなったからだ。


 それまで安定していたと思われていた冬華さんの体調が、急変したのだ。


 まともに、同じ時間を過ごせない程に。冬華さんの容体は悪い方へと一気に転がり落ちた。

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