猫実成美は手を抜かない!(後編)
「住所見てすぐ気づいたけど、でかい家だなぁ」
成美は正人の家を見てそう言った。
彼の書いた住所は高級住宅街として誰もが知っている場所だった。目の前の邸宅も軽く百坪はあるだろう。
彼女は立派な造りの門に近づき、脇のインターホンを押した。
すぐに正人が姿を現した。
「よ、来てやったぞ」
片手を上げて挨拶をする成美。
「メイド服じゃないんですね」
正人の視線が成美の服装に向けられる。
今日の彼女は、上は茶色のジャケットに灰色のセーター。下はデニム地のショートパンツと黒のニーソックスという組み合わせ。そして腰にポーチを下げただけのラフな格好だ。
「ばーか。あんな格好で電車に乗れるかっての。あれはオプションで別料金。普段は地味な作業着で仕事さ。ま、今日は下見ってことで私服だけどね」
正人に連れられ、彼女は門をくぐった。
「ん……」
敷地に一歩入って成美は顔をしかめた。
空気が重く、身体にのしかかってくるような感覚。
「間違いない、霊障だ」
成美は断定した。
そう、彼女の会社は表向きは普通の清掃会社。しかし裏では、科学や常識では解決できない様々な霊的事案を解決する除霊の仕事を引き受けていたのである。
設立してまだ二年。社員もいないたった一人の会社だったが、これまでにいくつもの霊的事件を解決してきた。その腕前は同業者からも一目置かれている。
「まさか本当に」
動揺した様子を見せる正人。
「あんたはなんともないのかい?」
成美が尋ねた。除霊のプロである彼女ですら、敷地に立ち込める負の感覚に不快感を感じていた。まして何の霊感もないであろう正人が耐えられるとは思えなかった。
「特に感じませんが」
「ふうん」
中には生まれつき霊的なものに対して耐性のある人間もいる。この少年もそうなのだろう、と成美は判断した。
「じゃ、中を調べようか」
「はい」
二人で家の中を歩いて回った。寝室や居間、キッチン、トイレ等々。
「こりゃ家の中ではなさそうだね」
浴室を調べ終えた成美は言った。
「庭のほうを行ってみるか」
「はい……わぷっ!?」
彼女が通りやすいように横に避けた正人は、シャワーのコックに身体をぶつけてしまった。そして勢いよく噴き出した水を頭から被ってしまったのだ。
「ぷ、あはは」
ずぶ濡れになった正人を見て、成美は笑った。
「笑うことないじゃないですか。成美さんは外で待っていてください。すぐ着替えますので」
成美が外に出た後、正人は着ていた服を脱ぎ捨て、クローゼットから新しい服を出して着替えた。濡れたズボンのポケットに入れていたものを取り出そうとしたが、成美を待たせているのを思い出し、彼はそのまま外に出た。
「お待たせしました」
一人で庭を調べていたのだろう、成美はガレージのほうから歩いてきた。
「庭も異常ないね。となると家の裏か?」
二人は外周をぐるりと回り、裏庭に出た。
「あれは……」
成美は目を細めた。彼女の目に映ったのは、裏庭の端のほうにある小さな
大人の背丈ほどの社。近代的な家の裏庭に、このような社があることを成美は意外に思った。
「父さんから聞いた話では、以前ここに住んでいた人から、社を壊さずに残すことを条件に土地を売ってもらったそうです」
「なるほどね」
社に近づいて中を覗いた成美は、すぐに今回の事件の原因を理解した。
正人は彼女が社を調べているのを後ろから見ていた。
すると急に胸のあたりにチクリと痛みを感じ、彼は胸を押さえた。
(あれ、この女の人は何をしているんだ……)
正人はぼうっとした視線で彼女の背中を見つめた
(……そうだ、この女は、この女は悪い奴だ)
彼の心の中にドス黒い感情が次々に湧き出てきた。
「……嘘つき」
「え?」
成美が振り返ると、正人が険しい顔つきで彼女のことを睨みつけていた。
「霊の仕業だなんて嘘だ。出鱈目なことを言って、大金を巻き上げようって考えなんだろ!」
血走った目で正人は叫んだ。
「出ていけ、今すぐここから出ていけ!」
「あんた……。ち、そういうことか!」
突如豹変した彼の様子に戸惑った成美だったが、すぐに行動に移った。
成美はぐいっと一気に正人に近づく。急に寄られた正人は一瞬ひるんだ。
彼女は正人を抱きしめると、彼の唇に自分のそれを合わせた。もがく正人を無視して、成美は彼を抱きしめたまま口づけを交わす。
と、不意に彼女は口を離した。
いや、ただ離しただけではない。彼女は何かを歯で噛みしめ、正人の口から引き出そうとしていた。そのまま彼女が引き出すと、正人の口から黒い霧状のものがズルリと出てきた。彼は地面に崩れるように倒れた。
成美はぷっと、その化け物を地面に吐き捨てた。
サッカーボールほどのそれはウネウネと地面で這いまわり、嫌悪感を誘った。
成美は腰のポーチから奇怪な文字の書かれた札を取り出すと、化け物に向けて飛ばした。札が貼り付いた途端、化け物は石のように固まった。その隙を逃さず成美は素早く印を切る。
「五陽霊神に願い奉る。呪符退魔!」
化け物は霞が晴れるように消えていった。
「あれ、僕どうしたんだっけ……」
意識を取り戻した正人が呟いた。その声には理性が戻っている。
成美は彼を抱き起した。
「邪気に身体を乗っ取られていたんだよ。あの短時間で乗っ取られるなんて、あんた霊に好かれやすい体質なのかもね。ちょっと待ってな」
彼女は家の中に入るとすぐに戻って来た。その手には水の入ったコップ。
「ほら、これでうがいしろ。あとこれ」
成美が正人に手渡したもの。それはキーホルダーだった。家の鍵と緊急時用のホイッスル、あと小さなお守りが付けられていた。
「濡れたズボンのポケットに入ってた。おかしいと思ったんだよな。なんの霊感もないあんたが、どうして平気だったのか。このお守り、どうしたんだ?」
「ここに引っ越してくる前に、お婆ちゃんが買ってくれたんです。悪いことから守ってくれるから、ずっと身に着けていなさいって」
「こういうのってさ、気休め程度にしか思われていないけど、結構効果があるんだ。あとで婆ちゃんにお礼言っておけよ」
うがいをした正人を成美は手招きした。
「見てみな」
促されて社の中を覗き込む正人。そこにはこぶし大ほどの石が祭られていた。が、真ん中から縦に割れて左右に分かれていた。
「街にはこういうものがいくつもあるんだ。街に溜まった≪負≫……分かりやすく言えば人間の嫉妬や怒り、憎悪といった悪い感情だな。そういうものを陽から陰の方角へ流して街の霊的安定を図るんだけど、社の神様がいなくなったせいで、この家が≪負≫の吹き溜まりになってしまったというわけさ」
成美は丁寧に説明した。
「石の割れた原因が風化か人為的かはわからないけど、このまま放置していたら喧嘩じゃすまなかっただろうな」
正人はぞっとした。もし彼女に相談しなかったら、家族同士で血を流していたかもしれないのだ。
「ま、溜まっていた邪気を一掃したとはいえ、このままじゃまたすぐに邪気が溜まる」
「どうすればいいんですか?」
「他所から神様を連れてくればいい。そういや同業者に、社だけ壊れて中の神様の居場所を探しているのがいたな。ちょっと待ってな」
そう言ってスマホを取り出すと、成美はどこかに電話を掛けた。
「よ、久しぶり。仕事の話なんだけどさ、例の社の神様、まだあんたのところで預かってる? ああ、そうそう。こっちの仕事でちょうど必要になってさ。よければ譲ってくれないか? ありがと、助かる。今度飯でも奢るよ。じゃあ今から言う場所に届けてくれ。住所は……」
成美は正人の住所を伝えると電話を切った。
それから一時間ほどして、バイク便が小さなダンボール箱を届けにきた。箱を開けると、そこには社に祭られていたものと似た石が入っていた。
「はい、神様。今日からここが神様のお住まいですよ~」
軽い口調とは裏腹に、成美はかしこまった様子で社に石を納めた。
石を納め終えた瞬間、それまでこの場所に立ち込めていた重い空気のようなものが薄れていくのを正人は感じた。
「オッケー。これでこの家はもう大丈夫だ」
「ありがとうございます、成美さん!」
正人は心から彼女に感謝した。
「へへ、感謝の言葉より報酬のほうを……って、ああああああ~~!?」
成美は突如大声を出した。
「ど、どうしたんですか、成美さん」
「契約書にサイン貰う前に、仕事を片付けちゃった……」
呆然とした表情で成美は呟く。
「これじゃ、あたしが勝手にやったことになるから報酬貰えないじゃん」
「じゃあ、今から書類にサインしますよ。それなら」
「ああ、ダメダメ。そういうのあたしのプライドが許さないから」
成美は手を横に振って断った。
がさつで金にうるさい彼女だが、意外と真面目で律儀な性格らしい。
「ちなみにどのくらいの料金だったんですか?」
正人が尋ねると、成美は無言でスマホの電卓アプリに金額を打ち込み、彼に見せた。
「こんなにするんですか!?」
金額を見た正人が目を丸くした。
「これでも同業者の中では安いほうさ」
肩を下ろし、深いため息をつく成美。久々の大収入と思っていただけに、落胆の色を隠せなかった。
彼女の様子を見て、正人はしばし逡巡した。そして思い切って話しかけた。
「あの、成美さん」
「なんだい?」
「僕をバイトとして雇ってくれませんか」
「はぁ?」
唐突な申し出に、思わず素っ頓狂な声を出す成美。
「金額分、働いて返します。僕もタダで仕事をしてもらうのは心苦しいですから」
正人は胸を張って自分を売り込んだ。
「今は頼りないと思うでしょうけど、これから背もどんどん伸びて力仕事も出来るようになります」
「当分の間ただ働きということになるけど、それでもいいのかい?」
「はい!」
元気よく返事をする正人。
成美は腕組みをしてしばらく考えた後、結論を出した。
「前から男手が欲しいと思っていたし……わかった、雇ってやるよ。じゃあ善は急げだ。今からうちの会社に来て契約書にサインしてもらうから。で、時給のほうは奮発して……これでどうだ?」
成美はスマホの電卓を叩き、正人の目の前に突き出した。
「東京都の最低賃金より一円多いですね」
「……あんたのような可愛げのないガキは嫌いだよ」
「そりゃどうも」
すました顔でさらりと受け流す正人。
そんな彼の肩を成美はどやしつけた。
「それじゃ、改めてよろしく。我が猫実清掃、初のバイト第一号君」
成美は手を差し出した。
「よろしくお願いします、猫実社長」
正人も手を伸ばし、彼女と握手を交わした。
この後、猫実清掃は日本でも有数の清掃会社に成長していくのだが、その話はまた別の機会にでも。
(終)
猫実成美は手を抜かない! 木村城士 @kaochin99
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