猫実成美は手を抜かない!
木村城士
猫実成美は手を抜かない!(前編)
東京都心の某所。薄汚れた雑居ビルの立ち並ぶ区画。
秋の冷たい夜風が吹く中、少年はきょろきょろと辺りを見渡しながら歩いていた。
やがて彼は目的の建物を見つけ、足を止めた。
「ここか」
五階建てのビルを見上げて呟く。
手にはクシャクシャになったチラシが一枚。そこに載っていた住所を頼りに、彼はここまでやってきたのだ。
少年はビルの中に入った。人一人通るのがやっとの狭い階段を昇り、四階の扉の前に立つ。表札には『
少年は深呼吸をして、扉の脇のインターホンを押した。
しばらく間が空いた後、インターホンから若い女性の声がした。
『うちは新聞・宗教の勧誘はお断りだよ』
「いえ、違います」
『じゃあ、国営放送のほう? うちにはテレビがないから契約義務はないよ』
「それも違います。仕事の依頼です」
少年がそう言うと、部屋の中からドタバタと激しい音がした。それからたっぷり三分ほど待たせて、扉がガチャリと開いた。
現れたのはコスプレ喫茶の店員のようなメイド服姿の女。年齢は二十の前半くらいだろうか。短めの黒髪とすらりとした肢体が活発的な印象を与える。
彼女はニコニコと営業スマイルを浮かべていた。
「大変お待たせしました。どんな汚部屋もピッカピカ。清掃のことなら我が社にお任せを……って」
女はそこまで喋って、目の前にいるのが中学生くらいの少年であることに気が付いた。
「ち、ガキの悪戯かよ」
女は舌打ちし、扉を閉めようとした。少年は慌てて押し止めた。
「ま、待ってください。悪戯じゃありません」
「あたしは忙しいんだ。ガキは家帰ってクソして寝な」
少年は無言で手にしたチラシを指差した。そこには『見積無料。まずはご相談を』と書かれていた。
「……わかった。入りな」
女に促され、少年は室内に入った。そして目に飛び込んできた光景に絶句した。
そこはまさに『汚部屋』だった。
服や雑誌、ダンボールなどが床一面に散らばり、文字通り足の踏み場もないくらいだ。1LDKの狭苦しい部屋が余計に狭く感じる。
とても清掃を仕事としている会社の部屋とは思えない。もし依頼者がこの部屋の現状を知ったら『他人の部屋より、まず自分のところの部屋掃除をしろ!』と言いたくなること間違いなしだった。
女はゴミの山からパイプ椅子を引っ張り出し、少年を座らせた。自身はゴミが山盛りになった机から椅子を引き出し、ふんぞり返るように座って足を組む。白くて形良い脚が少年の目に飛び込んできた。
「なんでそんな恰好なんですか?」
少年は顔を少し赤らめながら、女のメイド服姿を指摘した。
女はスカートの裾を摘まみ上げながら答えた。
「こっちのほうが男受けいいんだよ。男はスケベだからな。中には欲情して手を出してくる奴もいるから、そういう時に証拠をしっかり押さえて、知り合いの弁護士に頼んで示談金をふんだくるんだ。これが結構儲かるんだよなぁ」
「はぁ」
そういうものなのかと少年は無理やり納得した。
「さて、さっきも言ったようにあたしは忙しいんだ。手短に話しな」
少年の視線が机の上に向けられる。そこには食べかけのファーストフード店のハンバーガーとドリンク、パズルゲームと思しきゲーム画面を表示したスマホが置かれていた。彼が訪れるまで、暇を持て余して遊んでいたのだろう。
「細かいこと気にしてんじゃねぇ。将来ハゲるぞ」
うちの家系にハゲはいません、と少年は反論しつつ、ぽつりぽつりと事の経緯を話し始めた。
「僕がここに来たのは噂を聞いたからです。表向きは普通の清掃会社だけど、裏で『特殊な清掃』もしているって」
「続けな」
女は先を促した。
「僕の家を調べてほしいんです。僕の一家は、最近この街に引っ越してきました。それで、今の家に住むようになってから妙なことばかり続いていて」
「妙なこと?」
「両親や祖父母の喧嘩が絶えないんです」
「家族だって喧嘩ぐらいするだろ」
女の指摘に、少年は首を横に振った。
「今の家に引っ越してくるまで、両親や祖父母が喧嘩しているところなんて見たことがありません。最初は、まだ慣れていない生活環境だから、ちょっとイライラして喧嘩しているんだろうなって思っていました。でも何か変なんです。家の外に出ると、父さんも母さんも以前のように優しいのに、家の中だとずっと喧嘩ばかりしていて……。だから家自体に問題があると思うんです」
「ふうん」
女は値踏みするように少年を見た。彼の身に着けている服や靴は量販店のものではなくブランドものだった。落ち着いた話し方や考え方から察するに、そこそこいいところの生まれなのだろう。となると、謝礼のほうも期待できそうだ。
「話だけじゃ断定できないけど、裏オプションの『特殊清掃』に関する可能性はあるね」
女はそう言うと少年に尋ねた。
「あんた以外、家に誰もいない日っていつ?」
「え?」
「あたしがノコノコあんたの家に行ったら不審に思われるだろ。だから、家族がいない間にあんたの家を下見してやるって言ってんだよ。仕事として引き受けるかどうかはその結果次第」
「あ、ありがとうございます!」
何度も頭を下げて礼を言う少年。
「ええと、明後日なら空いています。両親はいつも仕事で遅いし、爺ちゃん婆ちゃんは町内会の人たちと温泉旅行に行く予定だから」
少年が答えると、女はメモ帳とペンを彼に手渡した。
「オッケー、明後日ね。じゃあ、ここに住所と連絡先の電話番号を書いて。明後日は土曜か、時間は昼ぐらいでいい? ああ、そういや、あんたの名前は?」
「僕、神谷です。
「あたしは
成美はにっこりと笑った。
営業スマイルではない彼女の自然な笑顔を見て、正人の胸がドクンと高鳴った。そのまま成美に見惚れてしまう。
「ん、どうした?」
正人の視線に気づいた成美が尋ねる。彼はビクリと身体を震わせた。
「いえ、その……。そ、それじゃ宜しくお願いします!」
書き終えたメモ帳を成美に手渡すと、正人は飛ぶように部屋を出ていった。
そんな彼を成美は不思議なものを見るような表情で見送った。
「変な奴。ま、いっか」
成美は机に放置していたスマホを取り上げると、ハンバーガーを齧りながらゲームを再開した。
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