九月一日の殺意10

 コータは視界の端に蠕動するハナビの姿を認め、イサミンに言った。

「手前ェが言ったんだろうが。俺が、飛び込んでやるって言ってんだ」

「……ああ? ……そう……か。声だ。声を。声を聞いた。倶利井戸様の御声が。声」

 落ち窪んでいたイサミンの双眸が、妖しく輝き始めた。唇の両端を醜く、歪に吊り上げ、泡を貯めて、息を絞り出すようにしてひゅぅひゅぅと喉を鳴らした。

「死人が活を騙っています。死人のくせに。うるさい黙れ! 声が聞こえなくなる!」

 突然、イサミンは唾を飛ばして叫びだした。右足を大きく引いて刀を顔の横で構える。

 八相――競技剣道では使えない型だが、真剣となれば最短で袈裟斬りを放つという。一歩の間合いを縮めてみせ、コータを誘っているのだ。

 その手には乗るのは最後の最後だ。

 視界の端のハナビに、上手くやれよと笑いかける。

 こっちはこっちで、できることをする。

 コータは高ぶる感情に任せて、全ての音よ消えろとばかりに声を荒らげた。

「何が死人だよ! 訳わからねぇよ! 手前ェの耳はとっくの昔に終わってんだろうが!!」

「五月蝿ぁい! 黙れ死人ぉ! 声がぁ! 御声が聞こえないだろぉがぁぁぁ!」 

 吠えたイサミンは素早く左手を柄から離し、補聴器をかなぐり捨てる。と、

 ――ぐじゃり。

「あ?」

 イサミンが間の抜けた声を出した。引いた右の足、膝が、真横にひしゃげている。釘抜きが刺さり、鮮血を噴いている。長柄の金槌だ。当然、握っているのは、

「ボコボコ蹴りやがって! ムカつくんだよ!」

 ハナビである。

「嘘だ。声が……何故……また聞こえなく……」

 バランスを失ったイサミンは刀を地面に突き立て躰を支える。

 刹那、金槌を手放したハナビが、コータにもらった警棒を鋭く振るった。お揃いのクロムモリブデン鋼でできた警棒が鞭のようにしなり刀の腹を打つ。

 硬質な音を奏でて、刀が、真っ二つに折れた。 

「どこ見てやがんだジジィ!」

 咆哮。イサミンが弾かれたように首を振る。

「――悪鬼、羅刹」

 明確な殺意を持った人鬼が、一切の容赦なく、咎人を金棒で打ち据えた。

「がっ、ぶぁが」

 折れた鼻と耳から血を飛沫き、イサミンは崩れるように倒れた。

 コータは警棒を逆手に持ち直すと地を突いて収納し、

「ナイス。ハナビちゃん」

 手を差し伸べた。

 すかさずハナビは差し出された手を、パン! と、小気味良く叩いた。

「やったねコータ! 私とコータが組んだらサイキョーだ!」

 言って、歯を食いしばり自らの足で立つ……が、さすがに無理が祟ったか足元が覚束ない。

 コータは苦笑しながらハナビの肩を支えた。その重みで、助けたのだと実感する。

 今ならイサミンの言っていた言葉の意味も分かる。

 たしかにコータとハナビは似ている。発想の根幹は違うが、同じ状況に置かれたとき、二人とも同じような選択をするのだ。

 最初にタケッチの襲撃をうけたとき、コータは相手の背後にいたユカポンを囮にした。もちろん、彼女が動けないであろうことを想定しての選択だ。

 ハナビは違う。

 コータを囮に、自らの手で倒そうとした。より正確に言えば、ハナビはコータが囮役を買って出ると信じて、自身は武器を取った。

 それは、二人が敵を挟んでおり、たまたまハナビが敵の後ろにいたからに過ぎない。立ち位置が逆なら、コータもまったく同じ選択をする。

 言葉を交わさなくても、互いに何をしようとしているのか手に取るように分かった。

 しかし。

「――あのね。俺が気がつかなかったら、どうしてたって話ですよ。危なすぎんだろ?」

 コータは軽く説教してやるつもりでそう言った。

 感心してはいたし、まったく大した子だとも思う。正直、今しがみついてきているのが信じられないくらいである。だが、危険な選択だったのには変わりない。

 ハナビはぎゅっとコータに抱きつき、呟くように答えた。

「……クリームシチューにカツは、絶対ナシだと思ったんだもん」

「…………はぁ? そこ!? てかソレ、答えになってなくない!?」

「いいじゃん。別に。ちゃんと気づいてくれたし、気づいてくれると思ったもん!」

「『もん』って! 可愛く言っても……言っても……」

 潤んだハナビの目を見て、コータは急速に文句を言う気が萎えた。説教は親の仕事だ。

「まぁ、結果が全てってのは、営業と同じか……さっさと病院行こう。俺、胸がめちゃ痛ぇ」

「えっ? 大丈夫? 歩けそう?」

「痛ぇだけだから大丈夫。ンなしおらしい声ださなくても、死んだりしないよ」

 へらりと、普段どおりに笑いかけ、バカみたいに青く高い空を仰いで、ひと息ついた。なにやらバタバタ喧しい空だ。その音に負けじと、スマホが着信音を鳴り響かせた。

「ちょっとごめんな」

 そう断って、コータは割れているであろう画面から目を逸らしつつ指を滑らせた。

「――はい。高柳の携帯です……もしもし? …………もしもし?」

「……………………食ったな?」

 電話口の向こうから聞こえてきた声に、コータは慌てて画面を見た。蜘蛛の巣もかくやとばかりに罅入った液晶に『公衆電話』と表示されていた。

 コータはスマホを耳に押し当て、辺りを見回す。他に人の気配はない。

「お前、どうやってこの番号――」

「聞かせろ」

「……何を?」

「……死……を……った……」

「……感想か?」

 感想をくれと言われてもと、コータは傍らのハナビを見下ろす。真剣な面持ちで胸の傷を止血しようとしてくれていた。死を食らう……死ぬはずだった人間を救ったということか。

 つまり、どこかの誰かさんが死ぬはずだったと。

 コータは苦笑しながらハナビの頭に、ポン、と手を置く。

「悪くはない」

 眉を歪めたハナビに神速で手を払われた。

「――でも、良くもないわ」

 すでに電話はつながっていなかった。電話口の向こうの何かは、笑っていた気がした。

 くい、とハナビがコータのTシャツを引っ張る。

「子どもじゃないから、撫でないで。あと、誰だったの?」

「……子どもだろ」と小声でツッコミを入れて、続けた。「別に誰でもいい――」

 言い切る前にスマホが……震えた。そうだ。音は消していたはずだった。

 震えるスマホの画面には『並木』とある。失笑したコータは、からかうつもりで出た。

「――タダイマ、タカヤナギハ、セキヲハズシテオリマス。バカヤロー」

「バカ野郎はお前だバカ野郎! 何やってんだお前!? その子、昨日の子だろ!?」

「――はぁ? 何? なんで?」

 なんで分かんの?

「テレビだよテレビ! お前、めっちゃニュースになってんぞ!」

「はぁ!?」

 慌てて空を見た。一機の報道ヘリが騒音を撒き散らしながら上空を旋回している。

「マジかよ……結構アップだったりすんの?」

「おうよ! すげぇぞ。表情までバッチリだ。ほら、いまのうちに隣の子と一緒にピースサインするとかなんとか、なんかしとけよ。絶対に就活に役立つぞ。マジで!」

「お前それ絶対テキトーに言ってンだろ! ピースサイン!? 誰がするか!」

「バカ! もったいねぇって言ってンだよ! 顔を売り込むチャンスだぞ!? 中学校を救った英雄! 助けた女の子と一緒に報道カメラにピース!」

「うるせぇバカ!」

 言ってコータは通話を叩き切る。またしてもハナビがTシャツを引っ張ってきた。

「今度のは誰?」

「あー……並木って言って……まぁ、腐れ縁っつーか……」

「女の人?」

「違う違う! 男! っていうかバカだな! 報道ヘリにピースしろとか言ってやがった。就活に役立つからとか、人のことバカにしやがってあのバカは……」

「いいじゃん、それ」ハナビは悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「あのヘリ? あれにピースすればいいの?」

「はぁ? マジで? マジでする気ですかハナビさん?」

「いぇーい!」ハナビは青痣残る左目を隠すようにピースサインを出した。

「ほら、コータも、コータも! 早く!」

 マジか、と思いつつコータもハナビに倣ってピースした。

「い、いぇーい……」

「ほら、もっと元気よく! いぇーーーい!」

「い、いぇーーーーい!」

 もはや、ヤケクソであった。

 ヘリが上空を一回りして飛び去ってから、ようやく近隣から響くサイレンに気付いた。

 ハナビが、深く、深くため息をついた。

「きっとこれで、コータは犯人扱いされなくて済むよ」

「……いや、多分ダメだよそれ。……てかそれ、いま思いついたでしょ?」

「うん」

 だと思ったよ。

 コータは、細く、長く、息をついた。

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