九月一日の殺意7

 中学校の校門前に一台のタクシーが停車した。

 車中のコータとユカポンは、中途に開かれたままの校門を見て、頷き合った。

 たとえ半日で学校が終わるにしてもまだ下校時間には早い。状況から鑑みれば、イサミンに洗脳された誰かが押し入っている可能性は十二分にあった。

「ありがとうございました!」

 言いつつコータとユカポンは車から飛び降りる。

「ちょ! お客さん! お金――」

 慌てて外に出た運転手の声を遮るように、複数の悲鳴と怒号が校舎内から聞こえてきた。

 ハナビの危険を確信してコータが駆け出す。後に続くユカポンが叫んだ。

「警察に連絡してください!」

 顔を青ざめた運転手が無線機に手を伸ばす。

 ユカポンは前を走るコータに言った。

「もし皆がハナビちゃんを狙っているなら!」

「教室だろ!? それくらい俺にだって分かるよ!」

 タケッチがコータの家を襲ったのが二十分ほど前。命令は同時間帯に出た。準備時間は分からないが、始業式が終わるのを見越して命令を下したはずだ。

 一学年三クラスとして全校生徒と教職員で約四百人。うち受験を控えた三年が半数程度休んでいたとしても三百を超える人間が一堂に会する。目的が被害拡大ならともかく、特定の生徒を探すなら教室に分かれたところに押し入るはずだ。

 ユカポンの話が正しければ、敵の数は十人程度。各教室三、四十人ごとならひとりで押さえきれるだろう。あるいは、ハナビのいる第二学年だけなら、もっと簡単か。

 問題は持っている武器だが……。

 コータはタケッチの片手斧を思い出す。さすがに刃物以上の武器はないだろう。むしろ刃物以上の武器が手に入らないから訓練を施したのかもしれない。

 玄関に続く急なスロープを駆け上っていくと、坂を登り切るかどうかというとき、また、生徒たちの悲鳴が聞こえた。ほとんど同時に、男が叫んだ。

「騒ぐんじゃねぇ! 騒ぐんなら全員殺しちまうぞ!?」

 同じような怒号が続けてふたつ。全部で三人。

 コータは壁の陰に身を潜め、玄関内部の様子を窺う。

 数列の下駄箱に遮られてひとり分の背中しか見えない。男だ。左手に警棒、右手に血で汚れた鉈を持っている。男の正面、真っ赤に濡れた廊下に数人の生徒が倒れていた。

 ふいに、男の気配が変わった。咄嗟にコータは首を引っ込め、警棒を手に取る。

「ユカポンさん」傍らのユカポンに小声で尋ねる。「ひとりくらいならいけます?」

「任せてください。これでも私、ここに来る前にひとりやってますから」

 そう強気に答えたが、ユカポンの手は小刻みに震えていた。

 コータの脳裏にイサミンの言葉が過る。

『死中に活ありですよ、コータさん。とりあえず踏みこんで、とりあえず打ち込む』

 怯えているユカポンを、とりあえず踏み込めるようにするには……。

「一、二、三で飛び込みます。正面にひとりいるんで、俺がまずそいつをやります」

「分かりました。それから?」

「あとは出たとこ勝負です」

「わかり――えっ?」

「行きますよ」コータは警棒の柄を握りなおした。「一、二」

「ちょっ!? ま、待って――」

 待たない。焦らせて、慌てさせて、怯える暇すら奪う。

「三!!」

 言ってコータは飛び出した。一拍遅れてユカポンが後を追う。

 下駄箱に挟まれた先、背を向けていた男が足音に気付き振り返る。

 コータは警棒を振り出し、加速した。

 右手側の角にもうひとり!

「右お願いします!」

 あとを頼んで床を踏み切り、空中で警棒を構える。男は躰を庇うように警棒を掲げた。

 しかし、遅い。無謀ともいえる突貫は、完全に男の意表を突いていた。

 速度と体重、それに力を加えて、コータは警棒を振った。

 渾身の打撃は男の受けを打ち抜き、さらに肩口にめり込んだ。くぐもった悲鳴を漏らして男が警棒を取り落す。しかし同時に、右手の鉈を横薙ぎに払おうともしていた。

 コータは着地するや否や左手を伸ばし襟首を掴んだ。全力で引き寄せながら額を突き出す。目の奥で火花が散った。

 男は鼻と口から鮮血を飛沫しぶいた。

 平衡感覚を代償に、ひとり。まっすぐ立っているつもりが、たたらを踏んだ。

 ふらつくコータの隙をつくように、下駄箱の陰から男が飛び出す。右手にノコギリのような刻みが入ったナイフを握っていた。躰ごとぶつかり、刺す気だ。

 させない!

 コータの背後から走り込んできたユカポンが、勢いそのままに男の顔面めがけて警棒を振った。掠れた音と共に警棒が伸び、男の鼻頭を強かに打った。

 男の躰が宙に浮き、警棒を始点に一回りして背中から床に落ちた。

 予想以上の結果に戸惑いながらも、ユカポンはつま先を側頭部に叩き込んだ。

 男の頭が血で濡れた床で弾み、粘着質な音を立てた。

 よし、次!

 と足を下ろした瞬間、ユカポンは激痛に顔をしかめた。脳天まで突き抜けるような痛み。足裏の感覚がない。その場に蹲り、涙で滲む目をコータに向ける。

 彼はすでに残るひとりと打ち合い始めていた。

 コータが対峙しているのは細身の女だ。他の男と同じく両腕の包帯から血が滲んでいる。体格はそれほどでもないが、両手に握る短棍オリシの振りは地に伏した二人より鋭い。

 復習と称して自主訓練を重ねてきたコータでさえ、防戦一方であった。

 振り、払い、突き。一撃の威力こそ軽い短棍術だが、代わりに連続して攻撃し続けられるよう体系化されている。間断なく繰り出される技をひとつでもまともに食えば、そこから先は滅多打ちだ。

 コータは技を染み込ませた躰を信じ、幾重もの打撃からひとつを捌いて前に出る。

 流水に浮かぶ木の葉を仕留めるように、技の出がかりを打っていく。隙と見るや空いた手を伸ばして掴みかかる。女は手足や襟を取らせないよう速やかに下がった。

 打撃の威力は衝突時のエネルギーと、それを伝達する物体の硬さで決まる。

 硬木でできた短棍は十分な硬さを持つが、代わりに五百グラム弱と警棒より重い。それを女の腕力で片手に一本ずつとなれば、下がりながらの打撃で十分に加速させるのは困難である。

 そう、コータが襟や腕を取りにいくのは、距離を詰め、再加速を封じるためであった。

 そして一時はそれが機能していたのだが――。

 火花散るような攻防のさなか、コータは微妙に歪む視界に苛立ち、目を瞬いた。さきほど頭突きをかました際のダメージが抜けていない。認知の歪みは間合いを見誤らせ、ふらつく足は前進も後退も許さない。反応が遅れた分だけ手を速く回さねばならず、三度の戦闘ですり減った体力がさらに削られていく。

 鈍い打音。女の右の短棍が、掴みかかろうとするコータの左手首を打った。

「痛ってぇなクソ!」

 コータは罵声を飛ばして痺れるような痛みに耐えた。一瞬で握力が無くなっていた。無意識の内に痛む左手を庇い、さらに速度が落ちる。痛みを予期して使うのを躊躇う。すると踏み込みが甘くなり――、

「コータさん!」

 ふいに誰かがが叫んだ。その声に応じてコータは打撃を強く捌き反転する。

 ユカポンが、警棒を振り上げていて、

「使ってください!」

 投げた。重量三百グラム強はあるアルミ合金製の警棒が、回転しながらすっ飛んでくる。

 使ってくれと言われても。

 打たれたばかりの左手で掴めというか。バカか。素人か。どっちも正解だろうが、

「ムリッッッ!」

 反応速度の限界ギリギリ、コータは迫りくる警棒をしゃがんで躱す。刹那、背後で、

「――ぴぎゃッ!」と、妙に間の抜けた悲鳴があがった。

 コータは肩越しに女の姿を捉える。ユカポンの投げた警棒を避けきれず、顔面で受け止めたのだ。警棒はちょうど鼻に当たったらしく、反射で瞼を閉じていた。好機。

 コータのランニングシューズが、床と擦れて鳴いた。

 女の足元に飛び込んだコータは左手を警棒の柄尻に当て、伸び上がるように突き出した。

 ずむ、と先端のガラスクラッシャーが肉に沈む。衝撃で柄側のフリクションロックが外れて一段縮んだ。コータは歯を軋ませながら腕をさらに伸ばした。一段目のロックが外れて生じた二度目の突きは、女を押し飛ばすに十分な威力があった。

 派手に転んだ女は躰をくの字に曲げて咳き込み嘔吐。反吐にまみれて動かなくなった。

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