九月一日の殺意6(ハナビ)
「ハナビ! いるか!?」
入ってきたのは、テツだった……のだが、その異様な姿にハナビは唖然とする。
いつもキメていた髪はボサボサで、顔も躰も痩せ細り、錦鯉とトライバルの刺青がなければ一目ではそうと分からなかったかもしれない。
「な……何? テツ、それ、何持ってんの? てか……何してんの?」
テツは、血で汚れた包帯を巻いた腕に、刃渡り四十センチほどの合口を持っていた。
大塚と高宮たちが一斉にハナビに目を向け、テツとの間で視線を往復させる。
真っ先に口を開いたのは、テツだった。
「逃げるんだよ! あいつらイカレてる! 儀式だ! 儀式でお前を殺そうとしてる!」
儀式って……儀式!?
その単語で思い当たるものは、ひとつしかなかった。途中で止めてしまった、願いを叶える電話とやらが寄越してきたメールだ。しかし、
「な、なんで、私?」
「お前が儀式を止めたからだよ! 皆、お前を狙ってる! 早く俺と来い!」
テツは合口を振って前に出た。正気なのか、錯乱しているのか、判然としない。
大塚がハナビたちを庇うようにテツとの間に躰を割り込んだ。
「や、止めろ! なんだお前は! ウチの生徒に触るな!」
「うるせぇ! お前が守れるわけねぇだろうが! 殺すぞ!」
恫喝しつつテツが合口を払った。ひゅん、と宙を走る銀光に慄き、大塚が尻もちをつく。高宮と取り巻き二人も声を失い、数歩、後ろに退った。
未だ事態を把握しきれていないハナビに、テツが手を差し伸べる。
「早く俺と来い! すぐに見つかっちまうぞ!? 俺が外に――」
猛烈な打音が声をかき消す。扉がふたたび蹴り開けられたのだ。テツの顔が青ざめていく。
「誰にだよぉぉ、テツぅ?」
不気味な、足を引きずるような音が、女子トイレに侵入してきた。テツがそろそろと目だけを背後に向けていく。角を曲がって出てきた影は、ハナビも見知った顔だった。
「さ、サッキー……?」
「やぁぁぁぁっぱり、ここにいんじゃん……ねぇ?」
首をガクンと傾ける姿に、散々やりあったころの面影はなかった。
色鮮やかだった赤髪はボロボロに色落ちしていて、頬骨が浮き、昏く落ち窪んだような眼窩に焦点の定まらない目玉が収まっていた。その大きく拡散した瞳孔は、まるで光を吸い込んでいるかのようだった。
サッキーは真っ黒い目玉をギョロギョロと動かし、血まみれの右手をテツに突き出す。柄の長い、少し頭の大きな釘抜き付きの金槌を握っていた。
「さ、さ、さ、サッキー……や、やめようぜ? こ、こんなの……間違ってるだろ?」
声を震わせながらテツが振り向く。ハナビはその背を見つめることしかできない。肩に彫られた錦鯉の瞳と目が合った。瞬間、大塚が飛び出し、テツを押さえ込もうと抱きついた。
「捕まえたぞコノ野郎!」
「バカか!? やめ――」
打音。テツの声が途切れ、首がガクリと横に傾いだ。大塚の腕の中で力の抜けたテツの躰がずるずると滑り落ていく。
大塚は腰を抜かしたかのように、その場にへたり込んだ。
「だ、だ、だ、誰だ! な、何の用だ! ここは学校だぞ!」
それでもなお、大塚は声を絞るようにして怒鳴った。
サッキーはつまらなそうな目で大塚を見下ろし、金槌で肩を叩いていた。喧しいと言わんばかりに眉を寄せ、固く目を瞑った。
「はい。はい。そう。ウチも、ガッコーとセンセーは嫌いです」
まるで誰かと話しているような口調に、皆が呆気にとられた。刹那、サッキーの金槌が横薙ぎに走った。大塚の躰は手押されたマネキンのように簡単に倒れた。
「……ひっ……ひぇ、ひぃぁぁぁ……」
高宮たちが声にもならない声を漏らす。そのとき、ハナビの視線は大塚の頭を割った得物に注がれていた。血と髪の毛がこびりついた金槌。大きさだけなら普通の倍くらいか。
「――んーーんんんん? ああ、これ? いいっしょ。倶利井戸様にもらったんだぁ」
視線に気付いたサッキーは恍惚とした目で長柄の金槌を見つめる。
「た、助けて!」
高宮の取り巻きのひとりが駆け出した瞬間、金槌が振られた。ぐ、と短い悲鳴を残して女生徒の躰が個室の中へと突っ込んでいった。ヘッドに長い髪の毛がまとわりついた。
「はい。そうですよね。イジメるなら、トイレだと思います。昔っからそうでした」
虚ろな瞳を頭上に向けて奇妙な言葉を吐きながら、サッキーが踏み出る。
高宮が、呆然と、さらに二、三歩下った。動けずにいた取り巻きのひとりが、トン、と床にへたり込んだ。
「あ、あ、あ……」
少女の尻の下にじわじわと小便が広がっていく
失禁する少女を見下ろし、サッキーは左手を腰だめに引いた。グリップハンドルのアイスピックが煌めいていた。
無造作に突き出されたアイスピックが、ずぐり、と取り巻きの左目を貫く。耳を塞ぎたくなるような金切り声が反響する。が、サッキーが金槌を振り下ろすと、すぐに途切れた。頭骨を穿った釘抜きが、泡立つ血の糸を引いていた。
「た、助けて……殺さないで……」ずりずりと後退しながら、高宮が涙声で呟いた。
「……え? 大丈夫だよ。人間、いつかは死ぬし、死んだらもう怖くないからさ」
言いつつサッキーは高宮の前で足を止め、笑んだ。横なぎに金槌が走った。咄嗟にハナビは高宮の後襟を掴み引き寄せる。空を切った金槌が壁を打った。ハナビが高宮を抱きとめる。ピンクのタイルが砕けて散った。硬いコンクリ壁に金槌を弾かれ、サッキーの躰が開いていた。
いくなら今だと、ハナビは踏んだ。
警棒を抜くと同時に振リ出す。目の前で起きた惨劇に足が竦んでいた。殺される。恐怖で躰が強張っていた。死ぬ。しかし、躰は勝手に動いていた。死にたくないなら。
「先に殺す!」
ハナビは突き出されるアイスピックを狙って警棒を振り下ろした。特殊鋼のシャフトがサッキーの左手首を打つ。警棒を通してハナビは手に生々しい肉の感触を得た。浅い。
ハナビは踏み込んだ足で床を蹴り、跳躍。すでに金槌が振り上げられていた――けれど、
こっちのが早い!
ドロップキックよろしく思い切り両足を伸ばす。衝撃。僅かな反動を利用し躰を捻り、足から降りた。蹴りを胸で受けとめたサッキーは踏ん張り切れず、まともに背中を打った。が、すぐに転がり立ち上がる。光を失っていたサッキーの目に感情が乗った。
「死にたいんじゃねぇのかハナビィィィィ!」
怒りだ。強い感情に任せて突っ込んできた。ハナビは短く息を吐き、構える。
突進したサッキーは金槌を袈裟斬りに振った。対するハナビはいつも通りと頭を下げる。右肩狙いから入るのがサッキーの癖だ。金槌がハナビの頭上で空転する。
だが、まだ攻めてはいけない。手癖でくるなら、次は振り戻しで胴を狙ってくる。
「ウチが!」サッキーの手首が返った。「死なせてやるよ!」
やはり。サッキーは下がったハナビの頭を狙って金槌を振り上げた。瞬間、ハナビは膝を抜いた。当たれば必死の一撃が風を斬る。ちぎれた髪が数本舞った。
ハナビが腕を引き絞る。その双眸が凶暴に輝いていた。睨むは凶器を突き出す左手。打撃の修練しか積んでいないゆえに、波打つような軌道を描いていた。ハナビは敢えて前進、息を止めて溜め込んだ力を爆発させる。
唸りを上げた警棒が、左腕の
耳を引っ掻く絶叫。ハナビが攻めに転じる。まずは首を狙うと見せかけ膝を。脇腹。やぶれかぶれに振られた右手指。そして肩を蹴りつけた。倒れたサッキーが床に肘をつく。
すかさずハナビが追いすがる。
二度、三度と踊るように旋回しながら間合いを詰め、跳ね、咆えた。
その姿は、手負の獲物に飛びかかる獣の如く。
ハナビの握る特殊炭素鋼の牙が、サッキーの細い首に食いついた。すぐに腕を引いて間合いを取り、様子を窺う。立ち上がる気配はない。
ずっと止めていた息を、ハナビは一気に吐き出した。胸が痛い。酸素を求めて口を開く。顎を上げて、鉄錆と小便と獣の臭いが混じる空気を肺に押し込む。
「……死にたいけど、何も、今じゃなくても、いいし……」
誰に言うでもなく呟き、ハナビは指一本動かさないサッキーを見下ろした。ごふり、と咽るように痙攣した。幸いにも、まだ殺人者にならずに済んだらしい。
ハナビは内心でコータに謝りつつ、ネクタイでサッキーの腕を後ろ手に縛った。床に転がる面々を見渡す。大塚はダメ。取り巻き二人は厳しい。テツは――息をしている!
「テツ! テツ!」呼びかけながら肩に手を置く。だが、頭を打たれているのに揺さぶってもいいものかどうか。
「ありがとう、テツ。助けにきてくれて」
ハナビは起こすのを諦め、何が起きているのか考えた。
テツとサッキーの様子からすると、あの電話のせいだろう。合宿に行った夜、皆も『願いを叶える電話』とやらにかけ、集会がなかった二週間、『儀式』をやっていたのだ。
でも、コータは?
彼はいつもと全く変わらず、お気楽だった。
ハナビは抱いた違和を脇に追いやり、長柄の金槌を拾った。
「高宮」と、生き残った鯉に言う。
腰でも抜けたのか座り込んでいた高宮は、
「ひゃ、ひゃい!」
打ち上げられた魚のようにビクンと跳ねた。なんて臆病なのだろう。途端、ハナビは可笑しくなってきた。くつくつと笑いながら金槌の長柄を握りなおす。
「私が囮になって屋上に行くから逃げたほうがいいよ。多分、狙わてるのは私だから――」
トイレの床はタイルの破片と血の染みだらけだ。安易に大丈夫とは言えない。
「とにかく、逃げな」
「な、なんで? なんで、助けてくれるの……?」
「別に助けようだなんて思ってないよ。ただ――」
ハナビが口を開こうとした瞬間、男の声がした。知らない声だった。
「おぉぉい、サッキィィィ? イサミンが呼んでる……っ!?」
即座にハナビは角から飛び出し、男の胸に金槌を叩きこんだ。横隔膜を痙攣させたか、悲鳴はなかった。続けて警棒でつま先を打つ。激痛から男が前屈みになる。そこをハナビは思い切り金槌でかち上げた。どう、と倒れる男には目もくれず、高宮を睨んだ。
毎日、毎日、怯えて過ごしてきた。死は、躰が凍えるほど怖いのだ。
殺させてなんかやるもんか。生きて、悩んで、苦しめばいい。
ハナビは前を向いた。
私だって、そう簡単に殺されてなんかやるもんか。殺されるくらいなら、殺してやる。それでもダメなら、そのとき私は、きっと死ぬのも怖くない。
両手の得物を握る。握りしめる。警棒も、血濡れの金槌の長柄も、実によく手に馴染んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます