死を食らう電話7(ハナビ)

 ハナビの手が小刻みに震えている。揺れるスマホの画面の片隅に、動画撮影中を示す赤丸が光っている。夜間撮影モードのカメラが電話で話し込むコータを冷静に記録していた。

「だだだだだれ? 誰? コータさん、誰と話してんの?」

 ユカポンの震える声が聞こえたかと思うと、肩に痛みが走った。爪を立てられたのだ。

「……ユカポン、ちょっと、痛い」

「で、で、で、で」

「でてきた……」

 懐中電灯の光がコータを照らす。眩しそうに掲げられた腕の下で、『考える人』のように表情を硬くしていた。

 撮影を中断したハナビは、無意識のうちに腰の後ろに差した警棒を撫でていた。

「大丈夫? コータ」

 答えはなかった。ずさり、ずさり、と足を引き摺るようにして迫ってくる。普段の彼からは想像もできないまるで映画に出てくるゾンビのような歩様だった。

 足を止めたコータは虚ろな目をしていた。躰が、ゆらり、ゆらり、と前後に揺れている。

「あ、あの、コータ……さん?」

 ユカポンが恐る恐る尋ねた。コータは表情を隠すかのように項垂れた。

 ハナビはごくりと喉を鳴らした。ついさっきまで撮影していた光景が脳裏を過る。深夜、誰も出るはずのない電話で、誰かと話していた。

 ハナビはゆっくりとコータに近づく。ゆらゆらと揺れつづける躰に手を伸ばす――と。

 次の瞬間、コータがいきなり顔を振りあげた。ハナビを声にならない悲鳴をあげた。

「……ビビりました?」

 からかうような、片笑みを浮かべていた。

「……コータぁぁぁぁぁぁ!」

 ハナビは力いっぱい特殊警棒を振り出した。硬質な音を立てて伸びた特殊鋼のシャフトが、細い月明かりを受けて黒光りしていた。

「ちょちょちょ! ハナビちゃん! ソレはなし! なし!」

「うっさい! ふざけんなコータ!」

 ハナビの振るった警棒を、コータが尻もちをつくようにして躱した。風切り音。悲鳴。わちゃわちゃとじゃれる二人を見ながら、ユカポンは腰が抜けたかのように座り込む。そのとき、

「もぉぉぉぉぉう!」

 ユカポン涙混じりの咆哮に、ハナビは警棒を振り回す手を止めた。

 大人なのに、なんて子どもっぽいのだろう。

 少しチビりそうになっていたのもあって、ハナビは力の限り叫んだ。

「たくもう! コータのバカ! 死ね! 次、私いく!」

 言いつつ警棒を道路に突き立て収納する。

「ほら! コータはあっち! ユカポン泣かしたのコータだかんね!?」

「あー……了解です」

 コータは困ったように頭を掻きつつスマホを出した。

「ユカポンさーん。すいませーん。照明お願いしたいんですけどー」

「もぉぉぉぉぉぉぉぅ!」

 まったくしょうもない大人たちだ。でも、おかげで緊張はほぐれた。

 いったい、私は何に怯えていたんだろうか。

 ハナビは蛾が目一杯張りついている扉を蹴った。語彙が少なめなユカポンの罵倒とテキトーすぎるコータの言い訳を背中で聞きつつ、公衆電話とやらをまじまじと見つめる。

 四角い。そしてデカい。

 それが素直な感想だった。存在は知っていたが、間近に見たのは初めてである。

 とりあえず受話器を持ち上げてみる。重く、ネバネバしていた。耳に当ててみても受話器の向こうからは何の音もしない。

「えっと……あ、そっか。お金だ」

 ポケットをまさぐり肝試し用に渡された十円玉をつまみ出す。電話機がこちらを見ているような気がした。銀色の眼をした蛙。ありえない。浮かんだ妄想に首を振り、お金を入れる。

「六、六、六の……」

 番号を口にしながらプッシュダイヤルを押していく。淡いオレンジ色に光るディスプレイに同じ数字が並ぶと、なぜか薄気味悪く感じた。

 最後の番号を押し終えても、電話口の向こうは、ツー、と鳴り続けていた。

 だったら、さっきコータが話していたのは?

 と、油断した瞬間だった。

「死が怖いか?」

「うわっ!」

 耳元で喋っているかのような声の近さに驚き、思わず飛び退いた。背中が壁にぶつかり、また何匹かの蛾を飛び立たせた。電話ボックスというのはこんなに小さいのかと、いまさらながらに気付く。取り落とした受話器が足元で振り子のように揺れていた。

「受話器を取れ」

 声は足元から、つまり電話口の向こうから聞こえてきた。

 俄に空気が湿気った気がして、ハナビは肩越しにコータを見やった。とぼけたような顔をして首を傾げていた。その腕にユカポンが引っ付いている。なんかムカつく。

 ハナビはコードを手繰りよせると一呼吸いれて受話器に耳を近づけた。

「どこの誰? イサミン? まさかコータじゃないよね?」

「死が怖いか?」

「聞いてるのはこっち。つまんない脅しはやめ――」

「答えるのも怖いのか?」

 電話口の向こうで誰かがせせら笑った。お遊びを続けたいらしい。

 公衆電話に右手をつくと、握りしめていた警棒の柄尻が電話機の頭を叩いた。

「――怖いよ? それが?」

「それは正確な答え方じゃないな。正確に言ってみろ」

 ハナビは柄尻から垂れる『考える人』を見つめた。ゆっくり、考えて、話せば、パニックを起こしたりしない。教えてもらった通りにやれば大丈夫。

「死ぬのなんて、誰だって、怖いよ」

「死ぬのが怖くて、動けなくなることはあるか?」

「――あるよ。考えだしたら、止まらなくなる」

「違うだろう?」

「……死ぬのが、怖くて、動けなくなることだって……あるよ」

 あの日、ユカポンに助けてもらってから、コータに警棒をもらってから、パニックになる手前で踏みとどまれるようになっていた。けれど、いやだからこそ、油断していた。

 音にした瞬間、虫が這い出てきた。

「……怖いよ。怖い。怖いんだ。死にたくない。死にたくないよ。死んだらどうなるのか考えたら眠れなくなるよ! だから何!? 言ったら助けてくれるの!?」

 焦っちゃダメだ。分かっていても思考を止められない。一言、二人に助けてと言えばいいのに、それすらもできない。したくない。コータがいるからだ。

 コータが一緒にいるなら言えない。言いたくない。

 思考が加速していく。息が詰まる。意志が乖離していく。吹きだした汗が顎を伝う。手が震え膝が震え視界が端から黒ずみ始める。感情が膨れていくのを止められない。

 ひゅ、とハナビが息を吸い込んだ瞬間、

「助けてやるよ」電話口の向こうで、何かが言った。「その恐怖、食ってやる」

「……何言ってんの? そんなこと、できるわけ、ないじゃん」

「できる。できないと思うなら、なんでお前は俺と話しているんだ?」

「それは――」

「お前は儀式を始めた。あとは、儀式を終わらせるだけでいい」

「儀式? 儀式って? それをやれば、死ぬのが怖くなくなる?」

「そうだ。ルールを守って儀式を終えろ。そうしたら恐怖を食ってやる。ルールは単純だ。誰にも言ってはいけない。儀式を途中で止めてはいけない。それだけだ」

「……うん」

 だからコータは、私たちをからかったフリをしたんだ。

 浅い呼吸を繰り返していたハナビは無理やり溜まった唾を飲み込み、声を絞り出した。

「……何をやればいい?」

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