死を食らう電話6
盆を過ぎたばかりの山道は湿った土の臭いがした。死期の近づいたセミは泣き疲れ、高所特有の肌寒さに勘違いして秋の虫が大声で歌っていた。
コータ、ハナビ、ユカポンの三人は懐中電灯を片手に、数メートル先も見えない暗闇をノロノロと進んでいる。
肝試しのグループ分けは割り箸で作ったクジで決めた。偶然か、はたまた必然か。コータ・ユカポン・ハナビ組と、残りだ。先行はコータの組で、公衆電話まで歩き、ひとりずつ電話をかけ、動画に撮影するというルールになっている。
メメント・モリという名の秘密のグループは、気づけば運命共同体の様相を呈していた。
仕事も辞めてみるもんだ。
コータは胸裏で呟いた。下らなすぎて自分で吹き出してしまった。
「ちょ、ちょっとコータさん! なんですか!? 何笑ってるんですか!?」
ユカポンの悲鳴じみた声に応じて、
「ビビビリすぎじゃないの? ユカポン」
ハナビが腕に引っついてきた。正直、両腕が塞がってウザったいし、暑かった。
右腕にはハナビが絡みつき、左腕にはユカポンである。
下衆な考えが過る。すぐに首を振って切り捨てる。普段なら絶対に意識に上がってこない発想だ。やはり酔っているのだろう。メメント・モリに出会いは求めていないし、ユカポンならまだしもハナビは子どもだ。ありえない。
「何!? さっきから何を笑ってるんですか!?」ユカポンが叫び、
「ちょ! コータ! 何か見えてるなら言ってよ!」ハナビが半泣きで言った。
いや、少しばかりビビりすぎだろう。
素面だったら両腕に感じる女性らしい柔らかな感触に喜べたかもしれないが、いまのコータはそれどころではなかった。気付いてしまったのだ。
余計なことを考えているうちに、かけるべき電話番号をすっかり忘れてしまったことに。
六が七回だったような。それとも四が七回だったか。
……バカバカしい。どこにかけても繋がらないだろう。それより以前かけた番号のほうが確実に思える。コータの頭の中では、並木と飲んだ日の記憶が鮮明に思い出されていた。
どこかに繋がり、切れた。
いたずら電話のようになってしまったが、たしかに繋がったのだ。
あの日、スマホでかけたから切れたのだとしたら。
たとえオカルトでもいい。危機感とやらを取り戻したい。
最大のチャンスが目の前にぶら下がっているのに、最大のピンチにハマっている。
こういうときにサクっとユカポンかハナビに聞ければいいのだが、先ほどから震えながらしがみついてきているし、二人の不安を煽りそうで言い出しづらい。
ガサリと梢が揺れれば、二人揃って「ヒッ」と引き攣る。音が大きければ首を振り、腕を掴む力も強くなる。痛みを感じるほどの力は、無意識のうちにコータに気を使わせる。
「……まぁ、あれですよ。幽霊が出たら警棒でぶっ叩けばいいんですって」
酩酊した頭で必死に考え、場を和ませようとしたのだが、
「幽霊に打撃は無効じゃないですか!」という、ユカポンのもっともな指摘と、
「熊に警棒じゃ無理だよ!」という、ハナビの現実的な叱責を受けただけだった。
じゃあ、どうすりゃ……てか、暑いよ。
アルコールの入った躰に二人分の体温がまとわりつく。汗が滲みTシャツが肌に張り付く。左腕はユカポンがホールドしているため引っ張ることもできない。右手の自由はハナビが奪っているため懐中電灯もろくすっぽ役目を果たせていない。
これでは、いざというとき警棒を抜けないではないか。
コータはうんざりしながら砂だらけの峠道を歩きつづけた。
件の公衆電話は、思いのほか、山深いところにあった。
駐車場にしてはやけ小さなスペース。周りに街灯もない。細い道で車がすれ違うための待避所のような空間だ。妙に真新しい電話ボックスだけが、白くぼんやり浮かび上がっている。
出発前の話では、道の先にあるのは廃寺くらいしかないはず。嫌な噂のある、古い廃寺だ。
なんでも世を憂いた僧侶が焼身自殺をしたとかいう、とても現代とは思えない噂である。
ともあれ、需要が無ければ公衆電話も設置されないだろう。車が通っているのか、あるいは止まるのか……何のために。
「ほら、公衆電話、つきましたよ」
コータは両腕に絡まる体温に揺さぶりをかけた。三十分近く歩いてきたのに、まだ酔いが脳みそにへばりついていた。完全に飲みすぎである。
「誰から行きます?」
訊ねて時間を稼ぎ、記憶を辿る。どうしても番号だけが出てこない。
ユカポンとハナビは揃って泣きそうな目をしているばかり。
酒臭い息をついたコータは懐中電灯をユカポンに渡し、公衆電話に歩み寄った。
「うーわ……」
不快の念が漏れる。乳白色の光に惹かれて誘い出されたのだろう。大量の蛾がへばりつき、透明なはずのアクリル板は真っ茶色になっていた。
コータは扉の下端を蹴った。背中がムズ痒くなるほど大量にはりついていた蛾のうち二、三匹だけが、鱗粉を撒き散らして闇へと消えた。
「マジかよ……」
なぜ虫ごときに嫌悪感を覚えるのか謎だが、扉を開くにはかなりの勇気を要した。
開いた拍子に飛んで行った数匹の蛾を見送り、受話器を取る。妙にベタベタしていた。プッシュボタンの四、六、それに#が、妙にすり減っていた。
「だめだわ。ぜんっっっぜん思い出せねぇ」
酒気が独り言を呟かせる。待ち人たちに目をやると、なんとも微妙な距離を取って自らの躰を抱きしめていた。もっと仲が良いものだと思っていたが錯覚だったか。それとも怖いときほど正確な人間関係が出るのだろうか。
コータは十円玉を蛇の瞳孔のような切れ込みに流し入れ、霞がかった頭を奮い立たせた。
「えーと……そうだ」スマホの液晶に並んでいた数字と、押したときのフレーズ。
「
口にしながら押していく。洋の東西を混在させているのが滑稽で、記憶に残っていた。
――プッ。
と、短い音が聞こえた。コール音すらなく繋がった。
受話器の向こうの何かが、たっぷりと間をとり、カサついた声で言った。
「…………また、お前か」
また。瞬間、コータは頭にかかっていた霧が晴れた気がした。
何を言えばいい? お前は誰かと聞けばいいのか?
見せてもらったオカルト記事には、どう答えるのかは書いていなかったはずだ。
長引くと切れてしまう気がして、コータは何も考えずに口を開いた。
「教えて欲しいことがあるんだ」
「…………何を?」
年齢も性別も判別しがたい雑音まじりの声は、そう答えた。
何を。自分でも分からない。ただ、知りたがっていることがあるとすれば、ひとつだけだ。
並木に言われたように、
「死が怖いのか」
自身が思っているように、
「死が怖くないのか」
それを知って、どうしようというのか。自分でも分からなかった。
長い沈黙があった。電話の向こう側にいる何かの気配が、愉悦に近い変化をみせた。
「…………お前は、死んだ」
「死人同然って意味か? それとももう死んでる? そんなら、いま話してる俺は?」
受話器の向こうにいる何かが笑ったような気がした。
「聞きたいのは……そんな……こと……か?」
違う。死を食らう電話とやらなら、頼みたいことがあった。
死への恐怖が欲しい。
並木の見立ても、コータの見立ても、最終的な
余計なことをしなければ、死ぬことはない。
そのまま漫然と生きても、死ぬことはない。
どんな状況にも死を感じられないのは、絶対に死なないと思い込んでいるからだ。
「あんたが何であろうと、どうでもいいんだ。頼む。俺に死の恐怖を返してくれないか?」
ノイズだらけの、くつくつと笑う声が聞こえてきた。
「頼むよ……このままじゃ、ほんとに死人になっちまう……」
縋りつかなかれば、切られてしまうような気がした。
いまを逃せば二度と立ち上がれない。そんな予感に従った。
どのみちオカルトでしかない。電話がつながったのだとしたら、ただの間違い電話だ。
何をそんなに必死になっているのかと嘲笑う自分がいる。
嘲笑えばいいと開き直る自分がいる。
だが、電話口の誰かはコータの現実を言い当ててみせた。
日々をただ無為に過ごすなら死人と同じだ。いま感じている焦燥感だって、無自覚にこなしている演技かもしれない。生を実感したことなど一度もない。いつの間にか死んでいて、ただ時を重ねてきたのかもしれない。
電話口の向こうで、耳障りなノイズが、たっぷりと流れた。
「…………生者の…………死を……食いとれ……」
「――ッ!? 死を食いとる? どういう――」
コータの詰問も空しく、ベタつく受話器からは無機質な単音が流れていた。
受話器を戻すと、ボックス内を照らす蛍光灯が、チカチカと明滅した。
生者の死を食いとる。
意味が分からない。
ため息まじりに振り向くと、待っていた二人が青い顔をさらに引き攣らせていた。
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